第40話 幸運の女神
カジノの二階にも階段にも、大勢の客が身を乗り出し、固唾をのんで見守っている一つの卓がある。
「……バーストです。」
ディーラーが負けを宣言すると、わっと歓声が上がる。
大量のチップがバースの前に移動してくる。
ジュリアの手の中は汗ばんでいる。
(す、凄い、バース様……。えっと、今の勝ちでいくらになったんだっけ?……100レンスの大きなチップが2、4、6……わ、わかんないけど、たくさん増えてる……!)
微動だにせず微笑んでいるバースに、ディーラーもお付きのボーイもごくりと喉を鳴らす。
「凄いな、あのマダム!ほとんど負けてないんじゃないか?」
「いや、負けと勝ちは半々くらいだが、勝ちが大きいんだ。」
「今ので何連勝だ?」
バースの話題で持ちきりのオーディエンス。
皆自分のゲームなんかそっちのけで、貴婦人のカードに釘付けになる。
(ゲームはカードを使い切らないから、もう勝負に出ないといけない。)
元手の2000レンスは現在10600レンスで、目標額にはまだまだ遠い。
そして、もう1クール遊んでいるような時間は無い。
バースは焦っていた。
慎重になり過ぎて、思い切った掛け金で勝負出来なかった。
次のカードが配られる。
ディーラーのアップカードは
1にも10にも11にもなる反則的なカード。
対して、バースのカードは
デッキには絵札が多く残っていて、ディーラーがトップスになる可能性が高く、バースはバーストする可能性が高い。
出てくる予想カードは中間数だが、それでも勝ちは五分。
ここは小さく賭けて過ごすべきだ。
そうなのだが。
「………え?」
耳打ちされたジュリアは思わずバースを見た。
バースは顔色を一つも変えず、ゆっくり頷いてみせる。
動揺しながらも、ジュリアはボーイに掛け金を告げた。
その額は、10000レンス。
所持金のほとんど全部だ。
勝つ確率がそんなに高いのだろうか?と、ジュリアはまじまじと場のカードを見つめる。
周囲は勝負に出た!とざわめき立つ。
そして、バースは直接ディーラーに告げる。
「ヒット。」
追加したカードが伏せられた状態でバースの前に置かれた。
このカードが8以上なら、バーストで所持金のほとんどを失う事になる。
そして、小さい数がほとんど場に出た今、その可能性は高かった。
バースは手の甲の星を見た。
【願いを叶える幸運の星よ。】
キララの言葉が蘇る。
バースは思わず笑ってしまう。
場にいるのは星の女王。
まさしく、幸運の女神を呼んだのではないか。
そして勇者を司る聖具の数と同じ、4。
ここまで統計と記憶に頼ってきたバースが、ここに来て運に賭ける判断をした。
【あなたは最強の女神よ。】
いや、私じゃない。
最強の、本物の幸運の女神は今、こんなにお膳立てをしてくれたわ。
(あなたを信じるわ、キララさん。私の手にあなたは居るのよね。キララという幸運の流れ星が。)
星のレースの手袋がゆっくりと札をめくる。
勝てば目標額、負ければ文無し。
注目する人々も、ジュリアも、沈黙して祈るように札を見た。
数多の視線が注がれる札は────
「トップス。」
静寂に、透き通ったバースの声が響き渡った。
「……ほ、星の7だ。」
「7……トップスだ!」
「トップスだ!」
わあっと歓声が上がる。
ディーラーのカードは雲の9だったのだが、誰もそちらには興味が無いようだった。
「1万レンスの勝ちだから2万か!」
「いや、勝ちで2倍だがトップスは更に2倍だから、4倍の勝ちだ!」
「4万レンス?!凄いな!」
カジノ中で拍手が起こる。
カジノにいる誰も彼もが、バースに惜しみない称賛を送った。
ジュリアは注目される緊張と、こちらに寄せられるあまりにも大量のチップに驚き、腰が抜けそうだ。
そして、そんな騒々しい中でバースは、星の7のカードにそっとキスをした。
(ふふふ、
──────────
「チアゴ部隊ってのは、実は大した事ねーのか?」
ラウルは罠に掛かる猟犬達を横目に、私邸に向かって移動する。
「まあ、人間様の知恵が犬っころに負けるわけ……」
ラウルは咄嗟に後方に飛んだ。
パパパっと銃声が響き、ラウルのいた場所に銃弾がめり込んでいく。
「銃ってのは、弾込めが面倒だよなぁ。」
森の暗がりをヒタヒタと歩いてくる男、ソラーテは、ラウルの方へリボルバー式の銃を投げ捨てる。
「わんこには扱いが難しいか?それとも、酔っ払ってんのか?」
油断なく構えるラウルは、右肩の赤い石を叩く。
黒い鎧が赤く染まっていき、ラウルは臨戦態勢に入る。
「俺は酒に強ぇんだ。それに………」
一歩、一歩と近づくソラーテ。
その一歩毎に、肉体が膨れ、爪が伸び、犬歯が大きく剥き出ていく。
ギョロリと、黄色い眼孔が
「銃を使ってちゃ肉が裂けねぇだろ。」
おぞましい野獣と化したソラーテ。
その風貌に驚きもせず、
「頭の悪そうな顔だな。」
ラウルは得意のナイフを構えた。
──────────
「……もう出て来ないかな?」
ライフルを構えるメルは、標的が通るのを待っていた。
丘陵の中腹、巨岩が突き出たような小高い場所から、低木地帯をくまなく確認していく。
「……あーあ、僕がジュリアちゃんとバースちゃんとカジノで遊びたかったのになぁ。」
愚痴をこぼしながらも、一応、目は真剣に標的を確認する。
「あのワニをけしかければいいんじゃないかって思うんだけどねぇ。絶対それで片付くと思うもん。」
ブツブツと独り言ちるメルの背後に高速で迫る何者かの視点。
それはまるで空から降るようにメル目掛けて爪を突き出した。
「?!」
間一髪その爪を回避したメルだが、ライフルで爪を受けたと同時にライフルを蹴り上げられてしまう。
ライフルは目下の茂みに消える。
「あら、本当にハンサムさんなのね。興奮しちゃうわ。」
野獣の姿をしたミセリが牙を剥き出して笑う。
そして、狙いを定めるように低い姿勢でジリジリと距離を詰めてくる。
「はは……君みたいな美人に迫られるなんて、嬉しいよ。」
メルは逆に、ジリジリと距離を取る。
得意の武器を失って、圧倒的に不利な状況だ。
そうだろう?と言わんばかりに、ミセリは大きく裂けた口の端をつりあげた。
「でも、悪いわね。コソコソ隠れる狙撃手、二枚目のナルシスト、女にだらしない男……あんたみたいな男って……バラバラに引き千切りたいくらい大嫌いなのよね!」
ミセリは唸り声を上げて威嚇した。
メルは長い髪をかきあげ、ふう、と息をつく。
「良かった。僕も、短気でヒステリーな女性は苦手なんだ。」
牙を剥き飛び掛かってくるミセリが、氷のようなメルの眼球に映った。
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