第35話 決戦前
レイ族総出で見送られ、村を出てから丸一日。
私達はゴゼの街に到着した。
朝、馬車に乗ったのに、ゴゼの街が見える頃には空が白んでいるという……
夜通し揺られて、またムタくんとジュリアさんは半死。
強行スケジュールでほんとごめんよ。
ゴゼの街はレプロス市ほどの規模は無いが、しかし活気があって人口も多い。
ゴゼは繊維紡績で栄えた街らしく、郊外には手工業の工場や工房が軒を連ね、メインストリートはほとんどが仕立て屋や古着屋で、通りを歩く人も布地を買い付けに来ている問屋がほとんど。
朝から人が多い。
うん、そうなると問題になるのはバースさん。
さすがにモ○ゾーで来られたら困るのでフード付きのローブを身に着けてもらっているが、挙動不審で歩くのもやっと、目眩に動悸に呼吸が苦しいそうで、ちょっとパニックになっている。
視界を遮るように私の陰を歩いてもらっているが、それでもこの状態。
言い出しっぺは私なんだけどさ……
大丈夫なのかな、この人……
「それでは、それぞれ必要なものを買い付けに行きましょう。」
セレブの社交場はもちろんドレスコードもある。
というわけで、レプロスの流行を作り出す問屋街で、早速ドレスアップだ!
「おい、お前はこっちだ。」
ミゼットさん達と仕立て屋に向かおうとしたらラウルに止められた。
え、私はそっち?
お前らはどこ行くの?
その用事、後じゃダメなの?
ドレスといえば女子の憧れなんですけど?
自分が着れないとしてもさ、見るだけでも楽しいじゃん。
ドレス着るバースさんとかさぁ、見たいじゃん。
めちゃくちゃ見たいじゃん。
バースさんが心配で〜とゴネてもダメだった。
テラダさんとミゼットさんに子供達とバースさんの事を任せて、私は泣く泣く汚いおっさん達についていくしかなかった。
──────────
ミゼットが案内したのは領主御用達の仕立て屋だ。
大理石のフロントには大きなシャンデリアと壁一面の姿見、彫像に金のタペストリーと、贅沢なインテリアはレプロスで指折りの富豪の屋敷と遜色ない絢爛豪華な仕様。
天井から垂れ下がる重厚なベルベットの赤いカーテンの前に、品のいい老紳士がこれまた上品に会釈してジュリアらを出迎える。
場違い過ぎると気後れするジュリアらは、高い起毛の絨毯を踏むにも、借りてきた猫のような足取りになる。
「時間がありませんので、すでに仕立てたものを直してご用意致しますね。」
早速採寸を致します、と、お針子の女性達がメジャーを持って取り囲む。
「ローブを取っていただけますか?」
年配の女性が困ったようにバースのフードの中を覗き込むが、本当に困っているのは当のバースだ。
怯えきって硬直している。
「バース様、目を閉じて、そのままじっとしていて下さいね。私がローブを外しますから。大丈夫ですよ。」
見かねたジュリアがバースの両手を持って伺いを立てる。
バースは小さく何度も頷くと、素直に目を閉じた。
ジュリアがバースのローブをゆっくりとる。
すると、針子達は一斉に嘆息して、ある者は頬を赤くし、ある者はメジャーを落とし、しばし芸術品を鑑賞するようにバースを囲んで時が止まった。
ハッと我に返った年配の針子が、パンっと手を叩く。
「さ、さあ!時間がありませんから皆さん、早く採寸を!」
そこからは流石、一流のプロ集団という鮮やかな手並みだった。
人形のようなバースと、そしてジュリアのあちこちを採寸し、ドレスを選び、直し、装飾し、そして着付けていく。
「わ、私もこんな綺麗な衣装を?!」
「カジノは素敵なパートナーとの出会いの場ですよ?貴方もとびっきり華やかに着飾りましょうね。」
レプロスの街で見かけた女性達のような華美なデザインのドレス。
指先まで埋もれる、肘下に羽のように広がるシルクのフリル。
首にはタイトなレースがあしらわれているが、背中は大きくて空いて、腰元には何重というリボンのトレーンがボリュームを出し、起伏の無いジュリアの体型を女性らしく魅せている。
ジュリアは全く、プロの仕事というものを侮っていた。
メイドのような黒いワンピースくらいを、バースに見劣りしない程度にはそれなりの素材を選ぶだろう、としか考えていなかった。
美容部員に髪を結われ、白粉をたたいて紅を刷かれ、鏡の前に現れたのは薄紅色の花を着込んだ妖精と見紛う可憐な女性。
本当にこれが自分なのかと目眩がする。
「とても奇麗よ。」
針子の女性が耳の後ろに大きな花飾りを付けながら、鏡の中のジュリアにウインクする。
「あなたを目にした殿方は皆、あなたに夢中になるでしょうね。」
ジュリアの瞼にキララの顔が浮かぶ。
キララは、今の自分を見たら、一体どんな顔をするだろうか?
何て言ってくれるだろうか?
見違えたって、照れてしまうかな?
もしかして、好意を寄せたりしてくれちゃったりするかもしれない?
レプロスでは婚姻は16歳からだけど、婚約なら出来るし、プロポーズとかされちゃったり、子供は何人欲しいとかそういう話を───そんな妄想が始まったちょうどその時。
「うわ!姉ちゃん、貴族みたいだよ?!」
「とても素敵ですね、ジュリアさん。」
ムタとミゼットが入ってきた。
ミゼットはタキシードに変わっただけで、元々上品だった出で立ちはそのままだ。
しかしムタは、髪を切り揃えられ、黄ばんだ麻のチュニックが刺繍入りのジャケットと革靴に変わり、金持ちの稚児のようになっている。
「あんたもお坊ちゃんみたいよ。」
「僕はもっと、騎兵隊みたいな服が良かったのになぁ。」
和やかに談笑している所へ、最奥の更衣室の扉が開く音が届く。
のそのそと現れたのは首に大きなリボンとチェーンを巻かれてふくれたテラダだ。
「ふふ、テラダ様、とってもかわいらしいですよ。」
「俺は要らんと言ったのに、女共がな。」
ふうーと長い息で不満を吐き出すテラダ。
その後ろ。
テラダの首から連なる鎖の先に、それを持つ者が覚束ない足取りで現れる。
「て、テラダさん……もう、目を開けて、い、いいですか……?」
突如降臨した真紅の美の女神に、ワニ以外の場にいる全ての者が言葉を失った。
その後ろに控えていた美容部員も、針子もジュリアらも、ただ見惚れて呆ける。
「て、テラダさん……??まま、まだですか??………え?、だ、誰もいないの???」
一同の金縛りが解けたのは、必死に鎖を握りしめて震える女神と、飽き飽きして機嫌の悪いワニが「さっさと行こう」「無理」の押し問答を充分に繰り返した後だった。
──────────
異世界にもあるんだな〜、こういうスラム。
悪臭とゴミとアウトローな人々、時代も世界も違えど、人間社会にはこんな場所がどうしても存在するらしい。
「弾を30、石は2つだな。あとリボルバーがあれば2丁、玉は50づつ。」
武器商はいかにも売人の風情をしたハンチング帽のおじさん。
異世界の武器って言ったらさぁ、工房備えた武骨な武器屋でさ、ドワーフとかごっついスキンヘッドの気さくな職人がガハガハ笑ってるのをイメージしてたんだけどさぁ。
いや、今更この世界に期待なんかしちゃいなかったけど?
それにしても、こんなスラムの道端で、汚いチンピラが汚い酒樽から取り出した酒臭い布袋を並べられても、受け取る気にならないっつーか。
品質も疑っちゃうっつーか。
「一丁はお前だ、キララ。6連発式の銃だ。使い方はわかるな?」
「まあ……」
使ったことはないけど。
………重っ。
リボルバー式の銃って、登場したの19世紀くらいじゃないの?
時代設定おかしくない?
いや、それ言ったらメルさんのライフルもおかしいんだけどさ?
「お前、得意な得物は何なんだ?」
「え……………全部…?」
って寺田さんが言ってました。
「全部??」
「えーと……今まで棒ばっかりだったから……」
ラウルもメルさんも不審な顔。
ちょっと待って、寺田さんの体、あんた一体何が得意なんだい?
雑に並べられる武器類を一通り見て、私は何気なく剣を取った。
「剣か?」
ちょっと具合が違う気がする。
でも、しっくりきているような気もする。
「うん。剣。」
たぶん絶対。知らんけど。
全部って事は剣道も含まれてるよね。
あー、でも待って、この選択って私の生き死にを左右するんじゃないのか?
大丈夫か?
「まあ、体術ならお墨付きだし、使い所を間違えなきゃよっぽど大丈夫でしょ。」
メルさん、懐疑を無理矢理飲み込んでる表情。
いや私だって納得してねーよ。
デタラメチートな装備をガハガハ笑いながらオススメしてくる世界線の異世界が良かったよ。
普通の剣って何だよ。
しかもこんな汚い路上でさ。
防具は売ってないしさ。
ちなみに、服が破れててみっともないから服買ってよって言ったら、ラウルがおっさんから汚いベストをタダで貰って私に渡してきた。
ビリビリのスウェットに赤茶のよれたベスト。
何なんコレ、ダサ。
ダサいの最上級表現はダスト?ゴミじゃねーか。
「俺達はこのままリベラ邸に向かって準備する。あんたはムタにこれを渡して来てくれ。日暮れに一旦、西街道で合流だ。」
ラウルからボール?を受け取る。
二人は大層な荷物を抱えてさっさと行こうとする。
なんつーか、タンパクよね、君ら。
別にハイタッチとかしたいわけでも無いけどさー。
と、半目で見送っていたら、二人が振り返った。
「キララがいなかったら……僕達だけなら、チアゴとは絶対やらなかったよ。」
「こんな事言うのは癪だが、キララ、期待してんぞ。」
葉っぱ女にビビるんじゃねーぞっつっとけー!と、捨て台詞を残して、二人は行ってしまった。
期待してんぞ。
そんな事言われたの、産まれて初めてだ。
学生のイベントでも、部活の大会でも、仕事の事務所訪問でも、ダメ出しは数知れず言われてきたが、激励は一度も無かった。
初めて受け取った信頼の言葉が、こんなに重いものだとは。
命を懸けている彼らの、その命の一端を預けられる重さ。
そして、私にはまだ、どこか異世界の事だと現実味が足りていなかった無責任さ。
心が痛い。
世の中は冷たい、非情だと斜に構えていた自分は、果たしてどれくらい誰かに信頼を寄せて来ただろうか。
自分からあんな風に、誰かに「期待してる」なんて、言った事があったろうか。
私は剣を強く握り締めて、もう影も見えなくなった二人の去った先を見詰めた。
嬉しかった。
でも、それは「私自身」への言葉では無い事が、無性に寂しかった。
──────────
「不安そうだったからってさぁ、あれは不味かったかも……」
「ああ?」
「どうしよう、僕………絶対、キララに惚れられちゃったよ……」
「……そうかよ。色男は難儀だな。」
「ラウルはいいよねー、モテないから苦労しないもんね。」
「……………」
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