第12話 神獣の矜持

 人間の視力にはただの黒色にしか見えない森の中を、オラウは木々を避けながら軽快に疾駆する。

 

「俺の一族の縄張りに入った、祭壇まではすぐだ!剣を取ったら二人は川を下ってそのまま海に出ろ!川ではリゲとニアの一族が守ってくれる!」


 オラウの肩口で、二人は「はい!」と首肯する。

 もうすぐ伝説の剣に辿り着く。

 やっとここまで来れた。

 しかし、果たしてこんな卑小な自分達が本当に勇者なのだろうか?

 剣は選んでくれるのだろうか?

 追手はどこまで迫ってきているのだろう?

 無事に村に帰れるのだろうか?

 キララや寺田は無事でいてくれるだろうか?

 不安と焦燥と、様々な思いが逡巡して二人の顔は強ばっている。

 駆けていくうちに、真っ黒だった森の中で薄っすらと、木々がその輪郭を見せ始めた。

 綿のようだった霧も薄れ、届かなかった月光が葉の表面で艶めく。

 それはまるで艱難の洞穴を抜けて希望に照らされた地上に救われんとする様に思えた。

 

「もうすぐ…!」

 

 その時、後方から笛の音が響いてきた。

 途端に、オラウは足を止める。


「?…オラウ様?」

「……あと少しだが……仕方ねぇ!」


 オラウは二人を下ろすと、困惑の顔をした二人の肩に手を置いた。


「敵は縄張りの中まで入って来たみたいだ。ここから近過ぎる。俺も足止めに行くから、二人は言った通り、剣を持って海に出てくれ。」


 間を置いて「はい!」と返事する二人の目からはボロボロと涙が落ちた。

 返事だけはいいのに、全く感情を隠せていないクシャクシャに歪む二人の顔を見て、オラウは歯を見せて笑った。


「泣くなよー!縁起でもねーじゃん!」

「…はい!」

「あのな、オラウは祭壇を縄張りにする一族なんだ。つまり島最強ってこと!大船に乗ったつもりで任せてくれよ!ほら、さっさと走って!あんたら遅ぇんだから!」


 オラウはグイグイと二人の背中を押す。


「は…はい!…行ってきます!」

「オラウ様…、きっと、ご無事で…!」


 二人は後ろ髪引かれるように何度も振り返りながら、月の光源に導かれるように走っていった。

 見送ったオラウは頭を掻いてフフっと笑う。


「やっぱ、ロアはいい奴らだな。」 


 いつの間にかオラウの周辺には大小様々な猿たちが集まり、二人を見送っていた。


「……比べて、調子に乗ってる鉄臭ぇ人間どもは救いようがねえな。お前ら、1000年ロアを守ってきた神獣の矜持ってやつを、たっぷり拝ませてやんぞ!」


 猿達は散開し、大きな波紋が木々を駆け抜けるように一帯がざわめき立った。

 そしてオラウも再び、不気味な紫の霧の中へそっと身を投じた。


──────────


 ブロディ司教は慎重に歩を進めていた。

 苛烈だった獣達の襲撃が止み、周辺から生き物の気配が消えた。

 敵わないと知って逃げ出したのかと思ったが、他地域の守護者は最後の一人まで抵抗したという戦闘記録から、それは考えられない。

 合図のような笛の音もした。

 恐らく、獣なりに戦略を立てたのだろう。


「健気な事だ。時に動物は生より忠義に執着するというが、憐れだな。」


 ジャングルの探索には不向きなローブに袈裟という装束をした司教は、不自由さどころか重量すら感じさせない軽やかな足取りで、高く隆起する木の根を超えていく。

 そして、ピタリと足を止めた。


「隠れているつもりか?それとも恭順を示しに来たのか?」


 司教が天蓋のように広がる頭上の枝葉に声を掛ける。

 しかし、返答は無い。

 やれやれ、と再び足を前に踏み出した時。


「1番!」


 と声がした。

 刹那、後方一帯から発砲音が響く。


「?!銃だと?!」

 

 司教は咄嗟にその場にあった木の根の陰に伏せて回避する。


「2番!」


 続け様声がすると、今度は司教に向かって頭上から無数の槍が落ちて来た。


「ふん!」


 これは軽々と前方に飛んで回避するが、


「3番!」


 着地点が陥没し、足を取られ、そこへ左右から巨大な鉄のスパイクボールが打たれた。

 司教は両手を構えてこれを素手で阻む。

 スパイクボールは粉々に砕け散るが、司教の法衣は破れ、手の甲はかすかに血が滲んだ。


「くそっ汚れてしまったか、ロブを連れていれば…。…しかし小賢しい。こんな小細工で強化戦士ブーステッドアーミーであるこの私を倒せると思っているのか?」


 苛立った司教は舌打ちするが、その顔はすぐに喫驚を浮かべる。

 目の前にはいつの間にか大砲にもたれ掛かるオラウがいた。


「な?!」

「お前ら人間が持ち込んだゴミの山だ。のし付けて返してやるよ。」


 ドンっと重い破裂音が島中に響き渡った。


──────────


 ジュリアは崩れ落ちそうな膝を何とか前に出して走っていた。

 涙が止まらなかった。

 無力な自分達の為に、キララや寺田やたくさんの神獣達が戦って傷付いている。

 皆強く、優しい。

 自分には、そんな彼らの命を賭ける価値なんてあると思えなかった。

 いっそ、降伏でもしてしまえば、自分が死にさえすれば、彼らだけでも助けてもらえるのではないだろうか。

 そんなジュリアの弱気を見透かしたように、ムタはジュリアの手を強く握って引っ張る。

 ムタは何も言わず、しかし同じように泣きながらジュリアを引いて走っている。

 ムタは非力な勇者の一族の中でも、更に体の弱い子だった。

 13歳になった今も体は小さく、農作業でも荷降ろしでも並には出来ない。

 そんなムタが、ヒューヒューと苦しそうに息を切らせて、歯を食いしばって、ジュリアの前を走っている。

 寺田が言った「役目」を果たす為に。


 ああ、そうだ。

 ここで立ち止まったら、それこそ彼らへの裏切りだ。


 今は、とにかく走るだけだ。

 肺が破れてもいい、足が折れてもいい、前に、一歩でも前に。

 絶対に、聖剣の元に。


 視界が開けると一際美しい月明かりが燦々と降る苔の丘に辿り着いた。

 目も眩むような輝く緑の絨毯の中心。

 荷車ほどの石の台に、それは突き刺さっていた。

 刀身に巻き付く蔦の隙間に見える、月光のような金色の柄。


「……あれが、ロア…の、剣…」

 

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