第10話 冬の分水嶺
天空ハイウェイの幻想的な朝日を拝んでから一週間と経たぬうちに俺は現実に引き戻された。お金がないのだ。
旅行から帰ってすぐにクレジットカード会社からメールが届き銀行の残高が足りず自動引き落としが出来なくなっていると通知が来たのだ。それもそのはず、ここのところの俺は旅行に行ったり音楽機材を買ったりと出費のオンパレード。特に機材の出費はでかく、いかにベーシックインカムで最低限度の生活費が支給されようともそれはあくまで最低限度の生活の保障なので欲しいものがあれば労働して掴み取る他ないのである。
かくして俺はアルバイトをしてお金を稼ぐことになった。そのアルバイト先に選んだのがVR仮想空間Orbisの中にあるヴァーチャル空間のアパレルショップだ。就業はヘッドギアをつけてOrbisにログインし自分のアバターを介して行う。客もアバターを通して来店するが、アバターは現実の自分の体型を正確にトレースしており、ワンクリックですぐに現実のサイズに切り替えできるので正確なサイズで試着ができる。ヴァーチャル空間で購入した商品はすぐに現実の購入者の元に届けられる仕組みになっている。
俺は初日の研修をみっちりこなし2日目の今日、早速ヴァーチャル店舗に入って接客、販売をしていた。
「ありがとうございました」
接客は初めてだったが良客に恵まれすぐに商品が売れた。俺は手応えを掴んでガッツポーズをしていると先輩店員が声を掛けてくれた。
「やるじゃん羽山君。君この仕事向いてるよー」
「ありがとうございます」
彼女は榎木桃花。自分より3歳上のバイトリーダーを任されている女性で初日の研修でも手取り足取り教えてくれたノリの良いカリスマ店員だ。
「ところで羽山君ってリアルの顔とアバターの顔がほとんど一緒だよね。変わってる」
「え?なんでリアルの俺の顔知っているんですか?」
俺は驚きと共に不審の目を彼女に向ける。
「店長の個人フォルダにアクセスして君の履歴書見ちゃった。あ、気を付けてね。私と店長の間には太いパイプが繋がっているから。でもそういう関係ではないわよ」
なんと緩いプライバシー管理だろう。しかし見られて困るものでもなし、特に追求しないことにした。
「逆に榎木さんのアバターはリアルと全然違うんですか」
「少しは面影あるわよ~。でもせっかくVR世界で自由に見た目変えられるなら自分の思い描く憧れの姿になりたいじゃん。変身願望ってやつ?」
「ああ、まさにそれなんですよね。自分変身願望っていうのがあんまりなくてその代わりに自己顕示欲が強いみたいで。その顕示したい自己っていうのがそのままリアルの自分なんであんまりアバターとリアルを分けたくないんですよね」
「いるよね~そういう男。特にアーティストとかそっち系の人。羽山君も何かやってたりするの?」
俺は心でははにかみつつアバターでは屹然とした態度で応じる。
「バンドやってます」
「やっぱりー。そんな雰囲気出てたー」
全て食い気味に会話のキャッチボールを返してくる榎木さん。やはりこういうタイプの人が接客に向いているのだろう。
そうしているうちに一人の女性のアバターの客がやって来てすかさず榎木さんが対応する。ものの数分で上下のセットアップを購入させて満面の笑みで客を見送る。
「さすがですね。あのお客さん、ほとんど即決で榎木さんの勧めたセットアップを購入していきましたよ」
「まぁね~。ところで羽山君、今の人男だと思う?女だと思う?」
俺は質問の意図がよく分からないままに答える。
「え、今の方って女性のアバターで女物の服買っていったし女性の方じゃないんですか?」
「普通はそう思うはよねー。でも私の見立てだと今の人多分リアルでは男だね」
自信満々の笑みで答える榎木さん。
「買っていった服のサイズが大きめだったっていうのもあるんだけど、それ以上になんか雰囲気で分かっちゃうんだよねー。男の人で女装趣味がある人って。あ、私はそういう趣味にも寛大だよ。そもそも今の時代色んな性的指向や性的アイデンティティーが許容されるべき時代だしね」
一人でうんうん頷きながら更に捲し立てるように話し続ける。
「それより聞いてよー。この間彼氏が別アカウントでアバター作ってこっそりお店に偵察しに来てさ。まじ引くわー、そういう事されると」
俺は榎木さんの話のテンションに気圧されつつ相槌を打つ。
「それはまぁ、なんとも」
「なんか怪しい感じの客だったなぁと不審に思ってリアルで彼氏を問い詰めたら白状しやがってさ~。リアルで散々会ってやってるだろうっていうのに。あ、ところで羽山君って彼女いるの?」
俺は突然の振りに動揺を隠しつつ答える。
「いや、今はいないですよ」
ふ~ん、と不敵な笑みを浮かべる榎木さん。
「”今は”って言ったけど今まで彼女いた事ある?」
「いや、ないです」
「やっぱりな~。そんな気はしてた。雰囲気で分かっちゃうんだよね、わたし。ってことはチェリーか。頑張れ青少年」
肩をバンバン叩いて励ましてくるそのデリカシーの無さたるや。しかし彼女の持つ本質的な明るい性格さゆえ非難する気持ちは湧きおこらず、一言だけ忠告をしておくに留めた。
「榎木さん、そういうプライバシーに踏み込んだ発言は気を付けたほうがいいすよ。俺はそういうの気にしないんで構わないですけど」
「分かってるって。私だって無差別にこんな突っ込んだことを聞いて回らないって。羽山君ならいじっても大丈夫そうだなぁって思ったから聞いたのよ」
同じような事を尾形にも言われたが俺はそんなにいじりやすいキャラなのだろうか。さらに彼女のマシンガントークは続く。
「それより好きな娘とかいないの?気になってる娘とか?」
この質問には自分でもまだ整理のつかない感情の糸に触れられたような気がしてドギマギしてしまった。
「好きっていうか、大事っていうか、一緒にいると気分が上がるなぁーってやつならいますかね」
「面倒くさっ、それもう好きでよくない?もっと素直になったほうがいいよー。それでその娘は同じ大学の娘?」
「はい、大学の同級でバンドのメンバーです」
そう言った瞬間、榎木さんは吹き出して笑い始めた。
「ちょっ、バンド内恋愛って、それ絶対人間関係やばくなるやつじゃん。君は先人から何も学ばなかったんかい」
肩をバンバン叩いて笑う榎木さんに俺は憤慨して訴える。
「だから悩んでいるんじゃないですか。笑わないでくださいよ、もう~」
「ごめんごめん、真剣なんだよね。詳しい状況はわからないけど究極的には自分の感情に素直に生きたほうが悔いは残らないと思うよ。それが許される若さでもあるし。頑張れ青少年。何か進展があったら教えてね。お姉さんがいつでも相談に乗ってあげるよ」
そう言うと笑いながら手を振り売り場の方へ戻って行った。俺の心の中には色んな感情が渦巻いていたけど今は仕事に集中しようと思い自分も売り場に戻って行った。
翌日、大学構内でミーアに声を掛けられ思わず動揺してしまう。いけない、これはVR空間じゃない現実なんだ、動揺はすぐ顔に出る。俺は気合を入れていつもの表情に戻すもやはり女は勘が鋭いのかちょっとした異変にすぐ気付く。
「どうしたのカナタ?なんか挙動不審だったけど悪いものでも食べた?」
ミーアのすぐ後ろにいた尾形も不審な目で俺を見る。
「どうせ変なことでも考えていたんじゃない」
「ちげーよ。新曲の歌詞の事を考えていたの」
俺は適当に取り繕って話しを逸らす。
「今日も二人は仲睦まじいな。これから講義か?」
「え?今昼休みでこれから二人でお昼ご飯食べに行くんだよ。本当大丈夫?カナタ?」
そういえばさっき昼休みのチャイムが鳴ったばかりだった。
「2限が休講になったから俺は今来たばかりなんだよ」
やれやれといった様子で息を吐いて歩き出すミーアと尾形。
「ほら、カナタも一緒に行くよ。どうせお昼一人でしょう?」
「へいへい」
言われるまま付いてゆき3人でランチを摂ることになった。
学内のカフェテリアに着くと俺たち3人はそそくさと注文を済ませめいめいの料理を持って座り慣れた窓際の席に陣取った。食事を摂りながらもミーアと尾形の会話は途切れることなく、俺はといえば二人の会話をラジオ代わりに聞き流しつつ目の前の蕎麦を黙々と食べ続けた。話の切れ目に尾形が思い出したようにこちらに向き直る。
「そういえば天空ハイウェイのお土産ありがとう。あれ結構美味しかったよ」
「喜んでもらえて何よりだ。お前にも色々世話になっているからな」
ミーアも大仰に頷き同意する。
「本当だよ。サキには感謝しかないよ~」
ここ最近はバンド練習も見に来てくれて客観的なアドバイスもくれたりする尾形。もともと人員の少ない我が同好会にとってはほとんど第2のメンバーのようなものだ。
「飲み物切らしちゃったからちょっと買ってくるね」
そう言って立ち上がるとミーアは自販機のある一角に歩いて行った。
すかさず尾形が俺たちの近況を探ってくる。
「どう最近?相変わらず友達以上、恋人未満な感じ?」
「陳腐な言い回しだな。恋愛か友達かの二元論って窮屈な考えじゃない?」
少し目尻を落とした表情で同意する尾形。
「確かにそうね。ちょっと前までは自分に彼氏ができた嬉しさで”ミーアにも彼氏ができたらなぁー”って思ってたんだけど、あんた達3人を見てたら恋愛だけが全てじゃないよなって思えてきて」
「急に達観したみたいだな。なんか心境に変化でもあった?」
「別にないわよ。それよりあんたミーアの誕生日っていつか知ってる?」
急な切り返しの質問にごまごましていると答える間も無く畳み掛けられた。
「12月23日。もう今週末なんだよね。去年までは映像研の仲のいい子達と数人でクリスマスも近いからって一緒にパーティーをやっていたんだけど、今年は私23日から彼氏と旅行に行くことになっててミーアを一人にさせちゃうのが忍びなくて。もし良ければ羽山とトビアス氏でミーアの為に何かイベントをやってくれたら安心なんだけど」
俺にとってこの提案はまたとないチャンスに思えた。さっきまでは恋愛か友情かに白黒をつけることに否定的なことを言っていたが、その実俺の内心はこの曖昧で捉えどころのない関係性をずっと保持することにも限界を感じていた。
俺は尾形の提案を二つ返事で引き受ける。
「うん、分かった。ちょっとなんか企画してみるよ」
ちょうどその時ミーアが戻ってきたので今度は尾形が『飲み物買ってくる』と言って立ち上がった。去り際に俺の方に目で合図を送ってくる。
「ミーア、来週の23日誕生日なんだって?今尾形から聞いたよ」
少し寂しげな表情で返事をするミーア。
「そうなんだ。でも今年はサキも彼氏と旅行行くっていうしロンリーなバースデイになっちゃうんだ」
「あ、あのさ、よかったら23日どっか遊びに行かない?」
ミーアの反応が気になるも顔を直視する勇気は湧かず、一瞬の間にも耐えられず続けて言葉を継ぎ足す。
「その、トビアスも誘って3人でさ。俺ら3人フリーだろ。フリーはフリーどうし仲良くつるもうかなって」
目をキラキラ輝かせ喜びの感情を隠そうともしないミーアは即答で誘いに乗ってきた。
「行く、行きますよ。やだ、めっちゃ嬉しい。行き先は何か考えているの?」
「いや、まだこれから。むしろミーアの行きたい場所があるなら教えて欲しいな。お前の誕生日なんだし」
ミーアは最初から答えを用意していたような速さで答える。
「私、アクアリウム行きたい」
「水族館か」
「うん。最近都内にオープンした新しいアクアリウムあるでしょう。あそこ行きたいなぁって思ってて」
場所が決まっているなら話は早い。
「オッケーじゃあそこにしよう。集合時間は追って連絡する。日にちが近いからトビアスには俺から直接言っておくよ」
しかし俺はトビアスに伝えることなく12月23日を迎えるのであった。
その日は朝から雲ひとつない晴天が広がっていた。冬だというのに照りつけるような太陽が俺の後ろめたい感情を露わにしそうで鬱陶しかった。俺は結局トビアスに声を掛けなかった。
クリスマスを翌日に控えた街はどこもイルミネーションや赤と緑のリースに彩られ俺は益々陰鬱な気持ちになる。恋人達を祝福する天使達の群れをイスカリオテのユダのような面持ちで歩く。
待ち合わせ時間には15分早く着いたがミーアはすでに来ており俺を見つけるなり大きく手を振ってくる。
「お前一体何分前から来ているんだ?」
「え、30分くらい前。だってテンション上がって家にいられなかったんだもん」
ミーアは赤と緑のカラフルなチェックコートにミンクのファーをつけて今まで見たことのないオシャレな格好をしていた。今日のために新調したのだろうか。だとしたら俺はこいつのことも裏切っているのかもしれない。
「あとはトビアスだね。今どの辺かな?」
俺は後ろ暗い気持ちを振り切って嘘をつく。もう後戻りはできない。
「それがトビアス急用が入って来れなくなったって今朝メールがきてさ」
「えぇっー、マジで!」
眉を八の字にして悲しそうな表情を浮かべる。
「ごめんな、結局俺一人になっちゃったよ。どうする?日を改めるか?」
大きく首を横に振り俺の袖を掴む。
「カナタは来てくれるんでしょう。ならそれでいい、行こ」
夏休みの少年のような笑顔で俺の袖を掴んで歩き出す。
今日は12月下旬だというのに本当に暖かく少し歩いていると汗ばむような気温だ。ミーアもさすがに暑くなったか着ていたコートを脱いで手に持って歩き出そうとする。俺はすかさずそのコートを取って丁寧に二つ折りにして自分の腕に掛ける。
「え、いいよ。自分で持つよ」
「よくないよ。今日はお前の誕生日なんだ。俺は一日従士としてお仕えする」
ミーアは少し照れ臭そうに笑い『じゃあよろしく』と言って歩き出す。
アクアリウムに着くとミーアは子供のようにはしゃいでまわった。いつも持っているアンティークカメラに加え『動画も撮りたい』と言って小型のビデオカメラも回していた。
「ねぇ、これとかどう?」
撮ったばかりの動画をホロディスプレイに映し出して感想を求めてくる。
「おお、凄い。こういう暗い所の動画もちゃんと綺麗に撮れるんだなぁ」
「こういうのVJやMVの素材としても結構使えるんだよね」
「お前もすっかりバンド脳になっちまったなぁ」
俺は半分冷やかし気分でつっこむ。
「カナタのせいだからねっ。責任取ってよね」
ミーアの無意識に放った一言にドキッとさせられる。確かに、なし崩し的に始まったバンド活動だけどその中心にいるのは間違いなく俺だ。そしてその中心に投げ込まれる願いや夢、希望の重さに俺は気づかないふりをしているのかもしれない。
青黒く光る水槽の前に立ち尽くし暫し考に耽っていると、ミーアに袖を引っ張られて現実に引き戻される。
「ほら、早く次行くよ」
ミーアに連れられた先で息を呑むような光景に出くわす。
そこはこのアクアリウムの目玉の展示エリアで、床と天井と側壁が大きな水槽になっており、スケートリンクほどの面積の空間に床と天井をつなぐ大きなパイプ状の水槽が何本も林立していてさながら海底鍾乳洞のようになっていた。
俺たち二人は言葉を失くしため息をつきながら海の森の中を歩き回った。
床と天井をつなぐパイプの中を大きなクラゲがゆらゆらと昇っていく。それを眺めながらミーアがゆっくりと話し始める。
「クラゲって重力を感じさせない生き方してるでしょ。昔はそれが羨ましく感じてて」
「昔、ってことは今はそうは思ってないってこと?」
「うん。高校生の頃は夢や希望、周りからの期待とかそういうのから解放されてぷかぷか浮いてるだけの人生に憧れてたんだ。で、大学入って色んな束縛から解放されてぷかぷか漂ってみたけどそれはそれで物足りなくて。そんな時出会ったのがカナタの音楽だったんだよ」
そうか、あの時の俺の思いはちゃんと届くべき相手に届いていたんだ。今の時代にロックを志しても報われない、届かない。大学に入った当初はそんな風に半ば諦めつつやけくそで始めたけどミーアにはちゃんと届いていた。そうして集まったメンバーで切磋琢磨してできた音楽はさらに大きな波紋を広げてゆく。学祭のキャンパスアリーナでのライブの手応えがそれを俺に確信させてくれた。
「カナタの音楽は人を惹きつける重さがあるんだ。だからクラゲみたいにぷかぷか漂って飛んでいっちゃいそうな私をちゃんと捕まえていてよね」
その一言は友達としてどこかで抑えていたミーアに対する感情の枷を外してしまった。俺はミーアの手を握った。
手に触れた瞬間、最初は少しこわばっていたミーアの手はすぐに脱力して優しく握り返してくれた。それから俺たちは手を繋いだまま仄暗いアクアリウムの中をゆっくり歩いていった。
帰り際、ミーアは小さな紙袋を俺に手渡す。取り出して中を見るとそれはクラゲのキーホルダーだった。そしてミーアの手にも同じキーホルダーが踊っていた。
「じゃーん、お揃いなんだ。今日のお礼。来てくれてありがとうね」
「お礼って、今日はお前の誕生日なんだぞ。俺はお前に何もあげられて」
俺の言葉を遮るようにミーアが割って入る。
「うううん。カナタは色んなものを見せてくれた。一人では決して見れない景色。この先も見せてよね、まだ見たことのないものを」
無言でコクコクと頷く。終わりが近づいていた。俺は最後に自分の気持ちを伝えようとミーアに向かって切り出す。
「あのさ、ミーア」
しかし向かい合ったミーアの純粋な瞳を見ていたら、今日この日に自分の一方的な感情を伝えるのはどうにもはばかられた。
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、俺と出会ってくれてありがとうな」
それを聞くとミーアは満面の笑みで手を振りながら駅のホームに走って行った。
「じゃあまたね」
「おう」
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