第8話 学祭
学祭当日、メンバーは朝9時に大学構内にある駐車場に集まることになっていた。俺は少し寝坊してしまい5分ほど遅れて到着。他のメンバーはすでにシオンさん以外全員揃っていた。ミーアから『よっ、重役出勤』と前時代的なヤジをいただきつつ、メンバー各位手分けしてイーサンの車から機材を運び出す。
「みてみて、これ私が作ったんだよ」
両肩に荷物をぶら下げて歩きながらミーアが紙のフライヤーを見せてくる。フライヤーはなかなか凝ったデザインで実写をトレースした背景に手書きのドローイングが加わったアーティスティックな仕上がりになっていた。
「おお、いいじゃん」
やはりミーアには映像やデザインのセンスがあるのだろう。
「機材搬入が終わったらサキにも手伝ってもらってフライヤー配布するからカナタも来てね」
お祭り騒ぎの喧騒の中、これから始まる初ライブへの期待と不安の為か皆少し口数少なめに歩を進める。キャンパスアリーナの舞台裏に全ての機材を搬入し終え一通りの動作チェックを済ませた時点で時刻は10:30をちょうど過ぎたところだった。俺たちのライブは12:30から。あと2時間。この間に俺たちは二手に別れて集客、宣伝活動をすることにした。
俺とトビアス、ミーアは大学構内各地点に散ってフライヤーの配布。イーサンとテオはSNSで集客を呼びかけることに。
キャンパスアリーナの客席でフライヤーの振り分けをしているとミーアの級友尾形紗希が加勢にやってきた。
「お疲れさーん、手伝いに来たよ」
「きゃー、サキっ、ありがとう。よろしくね」
皆の手にフライヤーが行き渡り、俺たちはそれぞれのエリアで配布すべく三々五々に散った。俺は体育館の方で配布することになり途中まで同じ方向の尾形と一緒に向かうことになった。
「で、どうなのよ、あんた達の関係。何か進展あった?」
「なんだよ、出し抜けに。進展っていうか、まぁみんな仲良くやってるぜ」
大きくため息をついた尾形は呆れ顔でつっこんでくる。
「そうじゃないって。あんたとミーア、いい感じに見えたからそういう意味で聞いてるの」
いきなりの色恋話に狼狽しつつも努めてポーカーフェイスを装い返答する。
「ミーアはいいやつだよ。異性として全く意識していないって訳じゃないけど、今はなんていうか、そういう目であいつのことを見たくないんだよ。せっかく築き上げた友情をそういうので汚したくないっていうか。それに、」
言いかけて飲み込んだ言葉を尾形は見逃さなかった。
「それに?まだ何か躊躇う理由があるの?もしかしてトビアスさんに遠慮しているとか?」
俺は図星を突かれて動揺し唾を飲み込むタイミングを逸してむせる。
「ごめん、図星だった。ていうか羽山って基本図々しいくせにそういうところナイーブだよね。今まで女の子と付き合ったことないでしょ?」
「お前こそ図々しいやつだな。そういうプライベートなこと他の男には聞かない方がいいぞ」
「ふふっ、安心して。羽山以外の男にはこんなこと聞かないから。ていうか質問に答えてない」
「御察しの通り生まれてこのかた女と付き合ったことなんて一回足りともないよ。満足か?」
鬼の首でも獲ったように誇らしげな笑みを浮かべる尾形。
「やっぱりね。羽山って女の子には消極的な感じだもんね。私はね、そういう斜に構えた恋愛後ろ向き男子を撲滅すべく愛の世界から派遣されたキューピッドなのよ」
「なんだそりゃ。だいたい愛のキューピッドって全裸じゃなかったっけ?」
「うわー、引くわその発言。そういうところでアグレッシブさ出さなくていいんだよ」
話しながら歩いていたら体育館に着いていた。尾形はこの先の記念講堂の方で配布するのでここでお別れだ。
「とにかく、女は黙っていてもついてこないんだからもっと積極的にアプローチしなよ。よく言うでしょう。”恋愛は椅子取りゲーム”だって。結局は早い者勝ちなんだから。あ、言っておくけど私は中立の立場だからね」
「はいはい、それよりフライヤーしっかりと配ってくれよな」
尾形と別れた後、俺は気疲れしてベンチに腰掛けた。保留にしていたいろんな気持ちがお腹のなかで消化不良を起こして喉元までおくびが上がってきている感じがした。ふと向かいの時計台を見ると11:00を回っていた。呑気に休んでいる場合ではない。俺は慌ててフライヤーを配り始める。
「この後12:30からキャンパスアリーナで軽音同好会のライブでーす。生で焦燥音楽やりますんでよろしくお願いします」
道ゆく学生に手当たり次第フライヤーを渡し続ける。さっきより人の量がどんどん増えている。今まさに祭りの潮は頂点に達しつつあった。
時刻は12:00を回り各地点に散って宣伝をしていたメンバーは舞台裏に集まって待機していた。皆の宣伝が功を奏したか客席は8割方埋まっていてまだまだ人が集まってくる気配がする。どんどん増えていく聴衆を目の当たりにしてテオの顔から徐々に血の気が引いていっているのが分かる。
「テオ、大丈夫か?緊張してる?」
「うん、大丈夫。結構人が集まって来たから緊張してるけど昨日の夜もずっと練習してたし自信はあるんだ」
少し肩を震わせながら俺の呼びかけに応える。他のメンバーも落ち着かない様子。初ライブだから無理もない。俺は緊張をほぐすべく皆に声をかけた。
「みんな、ここまでついて来てくれてありがとう。みんなのお陰で俺の理想としていた音楽がどんどん形になって来たと思う。でも今日はお祭りだし理想とかそういうの抜きにして楽しんで演奏してもらえたらいいと思う」
「安心しろ。みんなお前の理想のためになんかやってないし楽しいからやっているんだよ」
トビアスの返答に皆が頷く。全員気持ちは一緒だ。あとはぶちかますだけ。
「ミレニアム音楽同好会の皆さん、次出番です。準備の方お願いします」
学祭実行委員からお呼びがかかる。
「よっしゃみんないくぞ!」
「おおっ!」
舞台に上がると俺たちはリハーサルで練習した通り一分も無駄のない動きでアンプ、マイク、ドラムセットを組み上げる。各パートの音出し、モニターからの返しを調整しミーアのVJのテスト映像も問題なく映った。
時は来た。俺はギターに落としていた視線を上げて客席を見渡す。キャンパスアリーナには人が溢れ立ち見している人もいる。客席は無秩序な喧騒が広がっていて騒々しい。俺は観客の注意を引くため歪ませたギターを最大音量で掻き鳴らす。一撃、歪なコードの残響音がキャンパスアリーナを包み観客の視線が一気に舞台上に注がれる。イーサンに目で合図を送りカウントが始まる。
1曲目、”ハーモニクス”。曲名の通り寸断されたビートの断面を縫うようにギターのハーモニクスが小気味よく鳴り響く。立ち上がりは上々。俺は気持ちよく歌に入り込める。ところが間奏のところでテオのベースが走り気味になる。ベースプレイここ一番の聞かせどころを前に力みすぎてしまいテンポキープが疎かになってしまったようだ。
なんとか空中分解せずに最後まで弾き通せたが、最後のブレイクでベースが少し前に出てしまったことをテオは引きずっている様子。この悪い流れを断ち切るべく俺は2曲目にいく前にマイクに向かって突然絶叫し、即興でギターを掻き鳴らす。リハーサルには無い行動にメンバー全員俺の挙動を注視している。
次の瞬間、俺は掻き鳴らしていたギターを右手ですかさずミュートして、少し腰を落とし左手人差し指をドラムに向かってピンと突き刺す。指名されたイーサンは阿吽の呼吸で俺のバトンを受け取りドラムソロを叩き始める。そのままトビアスにも指で合図して即興で弾いてもらう。そしてテオにはタイミングを見計らって目で合図を送り即興に入ってもらった、その流れで俺も再びギターを掻き鳴らしノイジーなアドリブを弾き始める。俺は客席に背を向けバンドメンバーの方に向き大仰にギターを振り回してブレイクを誘導しそのまま2曲目のリフを弾きだす。リハーサルに無い即興を挟んだ事によりテオの緊張も少しほぐれたようでリズムが安定しだす。他のメンバーも各パートの音をしっかり聞き取ってさっきよりもさらに強固なバンドサウンドが形成されつつある。
良い流れをキープしたまま3曲目、4曲目と続けて弾き通したところでトビアスが俺に目で合図を送ってきた。そうだ、次の曲はミーアが歌う曲で演奏の前に軽くMCを入れることになっていた。
「みなさん足を止めて観てくださってありがとうございます。俺たちはミレニアム音楽同好会といいます。名前の通り2000年代のロックを現代でも鳴らそうという少し頭のおかしい集団です。でも懐古趣味で終わらせるつもりはないです。ロックの本質を受け継いで現代社会の息苦しさを荒削りな音で表現していきたいと思ってます。メンバーまだまだ募集しています。このライブで何か共感するものがあったら気軽に声かけてください。普段は旧校舎の方でたむろしてます。次で最後の曲です。今日はありがとうございました」
mcが終わり頭を下げると存外に大きな拍手が客席で上がった。有り難さについペコペコと二度三度頭を下げてしまう。いかん、緊張の糸が切れて心が弛緩しかけている。まだ1曲残っているんだ。俺は気を引き締め直してミーアの方にマイクをセッティングしにいく。初舞台でガチガチになっているかと思いきや、ミーアは落ち着いた雰囲気でアコギをチューニングしていた。
「ん、なんか全然大丈夫そうだな。もっと緊張しているかと思った」
「うん、なんかみんなの演奏をVJしながら聞いてたら吹っ切れたよ。ライブって面白いね」
「だろっ。それじゃ最後の曲、楽しんでいこうぜ」
5曲目、”ドッペルゲンガー”。ミーアのアコギの8分の刻みから始まり、ドラム、ベースがすっと入り込み跳ねるようなビートで自然と体を揺らす。ミーアのヴォーカルが入ると世界観は一気に広がり映画のエンドロールを見ているような気持ちになった。それはとても後味の良い、終わりのようで次の始まりを予感させるシーン。
走馬灯のように音楽は移り変わってゆき最後の8小節、俺は楽しくてメンバーの方に向き直ってみんなの顔を見回した。みんなもお互いを見やって笑いながらエンディングを迎える。リタルダントしていくフレーズの最後の音が、乾いた空の半透明な部分で鳥の鳴き声と混じり合い震えている。束の間の静寂の後大きな拍手が沸き起こった。メンバー全員観客席に向かってお辞儀をしながら余韻に浸る間も無く撤収作業に入る。
ギターを肩にぶら下げ両手にアンプとエフェクターを持って転がるように舞台裏に滑り込むとシオンさんと柊さんが笑顔で迎えてくれた。
「みんなお疲れさま。一番前の特等席で見させてもらったわ。なんか久々に活きた音楽を浴びたって感じ」
撤収作業が粗方終わったところで尾形も舞台裏にやって来た。
「サキー、今日はありがとう。サキが客席に見えたから緊張しないで最後まで歌えたよー」
尾形の懐に飛びついて抱擁するミーア。尾形は少しうざったそうにするもやれやれという感じで受け止める。
「見事なステージだったよ。やっぱりあんたはやればできる子」
ミーアだけでなくテオもイーサンもトビアスもみんなよく頑張ってくれた。
シオンさんも尾形も演奏以外のところで手伝ってくれて俺は感謝の気持ちで胸が一杯になった。この素晴らしい一日をみんなで乾杯したいと思い、俺は打ち上げを提案する。
「それでみんな、この後なんだけど、」
ちょうど言いかけたその時、テオの彼女と思しき女性が挨拶にやって来た。
「みなさんお疲れです。すごいかっこよかったです」
機材を片していたテオが前に出て彼女を迎い入れる。
「シホちゃんこっちまで来てくれたんだ、ありがとう。待たせちゃったよね」
そういうと俺たちの方に向き直りバツの悪そうな笑みを浮かべて切り出す。
「みんなごめんね、この後彼女と一緒に学祭を回る約束をしているんだ」
俺は心底残念な思いであったが彼女との約束とあっては仕方ないと思い笑って送り出すことにした。
「そっかぁ。先約があってはしょうがないな。今日はありがとう。また来週部室で」
笑顔で手を振りながら去っていく二人。俺は気を取り直して残ったメンバーに再度打ち上げを提案しようとした矢先、今度はイーサンが客席の方に向かって手を振りながら駆け寄る。
「佐倉さーん、来てくれてありがとう!どうだった?」
「すごい良かった!イーサン君見直しちゃったよ。普段しゃべっている時とドラム叩いている時のギャップがいい」
デレデレと薄気味悪い笑みを浮かべつつ、思い出したようにこちらに向き直る。
「あ、こちら同じゼミの佐倉さん」
やはりバツの悪そうな表情で俺の方に来て耳元で囁く。
「悪い、彼方。今佐倉さんといい感じなんだ。この後一緒に学祭回るから打ち上げはまた今度」
なんだよ、どいつもこいつも色ボケしやがって。憮然とした表情でイーサンを見送っているとシオンさんから軽く肩を叩かれた。
「ごめん羽山君、実は私もこの後用事があって。柊と少し学祭を回ったらすぐ学校を出なきゃならなくて打ち上げには参加できないの。また来週部室で会いましょう」
一人また一人と去っていくメンバーに俺は呆然とする。トビアスはマイペースに機材を片している。
「サキは打ち上げ来てくれるよね?」
尾形の腕を掴んで懇願するミーア。
「ごめんミーア。私もちょっとこの後用事があって」
そういうと端末を操作してメールを確認して捨て台詞を残して足早に去って行った。
「じゃあ残された男二人、ミーアをよろしくねー。退屈させんじゃないわよ」
俺はステージの余韻もすっかり冷め秋風の冷たさを急に思い出し、持ってきたシャツを一枚羽織った。さすがのトビアスも少し肩を落として次のステージの出し物をぼんやり眺めていた。そんな男二人の間に割って入り身長差も御構い無しに、俺とトビアスの首に両腕をかけて笑いながら慰めるミーア。
「そんなに気を落とすな少年達よ。今日はミーアさんが朝まで付き合ってやるぞ」
この屈託のない笑顔と底抜けの明るさには救われる。
「そうだな、じゃあ二人には朝まで付き合ってもらうぞ」
「おぉっ!今日は無礼講だ!」
俺とミーアのテンションにやれやれといった感じで応えるトビアス。
「わかったよ、俺もいけるとこまで付き合うよ。ただし二人は未成年だからジンジャーエールね」
「ええっー」
俺とミーアが声を揃えて不満をあげる。
「一歳しか違わないのにこの差は何?だいたいロックを志すものが法律を遵守してなんとする」
ミーアの物言いに俺も加勢する。
「そうだそうだ。Don't trust over thirty」
「残念、俺は20代。ダメなものはダメっしょ」
「相変わらず厳しいな、トビアス氏は。まあしょうがない、ジンジャーエールで我慢するか」
そうして俺たち3人は、くだらない会話のやり取りを楽しみながら祭りの熱気の只中の大学構内を後にするのであった。
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