第7話 祭りの前に2

学祭までちょうどあと1週間となる土曜日、ミレニアム音楽同好会のメンバーはリハーサルのためキャンパスアリーナに集合していた。

音響設営に詳しいトビアスが指揮をとってスピーカー、アンプ、ドラムのセッティングからマイクの配置まで全て自分達で行う。一通りセッティングが終わると各楽器の音量調整をするためにパート別に音を出していく。ドラムのイーサン、ベースのテオと続いて俺のギターの番。クリーントーンでアルペジオのフレーズを確認。アンプから直に出る音とモニタースピーカーから出てくる音に少し違和感を感じつつもリハーサル全体の進行を優先して先へ進むことにする。歪み系のエフェクターを踏んでコードをかき鳴らす。アンプから出る轟音が青空の遠く彼方まで響き渡るようでとても気持ちいい。

俺は客席側中央で液晶モニターのミキサーを調整しているトビアスのところに行って交代を申し出る。

「お疲れ。次トビアスが音出してきていいよ。PA俺が代わる」


「おう、じゃあよろしく。直感的なインターフェースだから羽山でもすぐ解るはず」


「”でも”ってなんだ”でも”って。俺だってPA周りの基礎知識くらいはあるよ。しかし昔のバンドのライブ動画とか見てると色んなコード類が複雑に繋がっていて凄いよな。今ってほとんどコードレスだからシンプルなんだけどどこか味気ない」


「まあその配線を全てこの液晶タブレット一つで管理しているからやっていることは同じなんだけどね。機材のコードレス化、コンパクト化が進んだおかげでうちら5人だけでも簡単にセッティングできる世の中になったんだから科学技術に感謝しないとな」


「そりゃそうだ」


トビアスのギターの音出しも終わり楽器類のセッティングが全て完了したところで問題が発生した。ミーアのVJの映像がちゃんと投射されていないのだ。


「おかしいな、部室のプロジェクターではちゃんと映像出せてたのに」


少し焦り気味でセッティングを見直すミーア。そこにトビアスがやってきて声をかける。

「むしろリハーサルでトラブルが見つかったんだからラッキーだよ。もう一度一からセッティング見直そうか。俺も手伝うよ」

VJソフトの入った液晶タブレットを再起動して一から設定を組み直す。


「たぶんプロジェクターとの同期がうまく行ってないな。これ、借り物のプロジェクターだっけ?」


「そう。高校の映像研の大型プロジェクターを借りてきたの。なんとかなりそう?」


「たぶんこれで大丈夫なはず」


バックスクリーンに"STAND BY"の文字が大きく表示された。

「デモの映像出してみるね」

ミーアがタブレットを操作するとバックスクリーンには幾何学模様のパターンが雪のように降り注ぐ映像が映し出された。


「よかったぁ、これでライブができるよ。ありがとうトビアス」


全ての準備が整ったので俺は皆に声をかけてセットリストの1曲目から通しで演奏しようと提案する。


「じゃあ1曲目、”ハーモニクス”から」

イーサンがカウントをとり曲が始まる。そこから継ぎ目なく2、3曲目を演奏し終えたところで、俺はギターの音出し確認の時から抱いていた違和感の正体に気づきトビアスに尋ねる。


「スピーカーの方に何かピッチ補正か音質補正のプラグイン挿さってる?」


「挿さってるよ。AIのオート音質補正プラグインでピッチだけじゃなくEQやコンプの調整、さらには生音との違和感をも相殺する最新の音響技術のやつが」


「それでか。何か妙に音が綺麗すぎるというか整いすぎているというか。最初に音出した時から違和感があって。それ、試しに全部切ってもらっていい?」


トビアスは怪訝そうな顔で応える。

「今時AIの音質補正なしでライブやるやつなんてどこにもいないぜ?」


「そうだよなぁ。でも、もっとこう生っぽさというか、多少荒々しくてもリアルな音の鳴りを追求してみたいんだよな。それこそ20世紀のオルタナティブロック的な。皆はどう思う?」

俺はメンバーを見回してみる。


「試しに音質補正なしでやってみてもいいんじゃない?まだ時間はあるし」

イーサンはスティックを回しながら応える。


「そうだね、両方試してみてよかった方を選べばいいわけだし」

テオも賛同してくれた。


「まぁ、みんながいいならいいけど」

トビアスは渋い顔をしながらPAのタブレット端末を操作してAIのオート音質補正をオフにした。


「じゃあさっきの続きから。”見張り台”」

俺の歪んだギターリフから始まる曲。弾きはじめた瞬間から手応えを感じた。このザラザラとした質感。衝動をそのまま音にしたようなアンプの歪み。これだ、俺が求めていたのはこの空気がヒリヒリするような本当の鳴り。俺はついテンションが上がってテンポが走りがちになるのをギリギリの理性で抑えつつ、勢いをそのままに弾き続けた。バンドのメンバーも俺の昂ぶりに当てられてか演奏にグッと熱がこもる。あっという間の2分30秒。最後のコードが振り下ろされ歪な残響が空気を震わせていた。


束の間、放心状態のメンバー一同。最初に口を開いたのはトビアスだった。

「なるほどな。羽山が目指していた音像のイメージが今日やっと理解できた」


イーサンが息を切らしながら続く。

「彼方がよく言っていた『衝動を最小の経路で出力する』ってこういうことか。体験するまで分からなかったけどこれは気持ちいいね」


汗で上気した顔をTシャツの袖で拭いながらテオも同意する。

「確かに、これは気持ちいいね」


疲れ果てて舞台の上に座り込んだミーアが笑いながら突っ込む。

「ちょっとみんなリハーサルで気合い入れすぎじゃない?本番は今の演奏を超えないといけないんでしょう。ハードル上げすぎぃ」


「ミーアには本番終了と同時に死んでもらう予定だからな」

俺は笑いながら下らない冗談を吹っ掛ける。


「人を簡単に殺すんじゃない」

笑いながら肩にパンチする。


みんなの笑い声が空高く響いている。青すぎる空。Tシャツから立ち上る蒸気。どこまでも広がっていく音。全てが美しかった。すなわち全てが音楽であった。


キャンパスのメインストリートの並木道の方から二人の女性がこちらに手を振りながらやって来た。

「みんなお疲れ様。リハーサルは順調?差し入れ持ってきたから休憩にしない?」

シオンさんが友人と思しき女性と一緒に両手に一杯の差し入れを持ってやってきてくれた。ミーアが真っ先に舞台を降りて二人の許に駆け寄る。


「わー、シオンさんありがとう。差し入れまで持ってきてくれて面目ない。そちらの方はお友達?」


「紹介するわね。私の数少ない友人の一人、柊。よかったら仲良くして上げて」


「柊です。勝手についてきちゃってごめんなさい。最近シオンが音楽サークルに仲間ができたってはしゃいでて。楽しそうだったから見にきちゃいました」


「見学歓迎ですよー。シオンさんのお友達ってなんかみんな頭良さそうに見える」


「なんだその頭の悪そうなコメントは」

俺は呆れ顔でミーア達の許に降りていく。柊さんと目が合い軽く会釈する。どこかで見た顔だ。そうか、あの時、シオンさんと初めてあった時廊下ですれ違った人だ。シオンさんとはその後仲直りしたのか今はとても親密な感じで話す二人。


「カナタこそ顔がニヤケているぞ。綺麗な女性二人が差し入れ持ってきてくれたからって鼻の下伸ばしてんじゃない」


「どこを伸ばそうが俺の勝手だ」

俺とミーアのやり取りを見ていた柊さんがクスクスと笑みをこぼす。笑った顔は存外にあどけなく彼女に可愛らしい印象を与える。舞台にいた他の3人も降りてきて皆で昼食をとることにした。


「このサンドイッチシオンさんの手作りですか?」

口をもぐつかせながら尋ねるミーア。


「私と一花で作ったのよ。あ、この娘下の名前は一花っていうのね。どう?お口に合うかしら」


「めっちゃ美味しいです。特にこの生ハム!」


「よかった。こっちのモッツァレラとトマトのサンドも美味しいから食べてみて」


客席で車座になって座るミレニアム音楽同好会の面々&柊さん。

取り留めのない会話が続いた後、話題はリハーサルの手応えについてシフトする。


「で、進捗の方はどう?野外の音響って難しそうだけど」

シオンさんは向かいに座ったトビアスに尋ねる。


「俺も野外は初めてだったからちょっと心配だったけど案外いい感じにまとまったよ」


俺はトビアスに付け足して応える。

「”スタジオ音源の音を再現する”っていう固定観念を捨てたらいい方向に転がっていったよね。野外には野外でしか出せない音響空間があるって」


「しかし羽山が最初AIの音質補正を切るって言った時はどうかしてると思ったな」


「AIの音質補正?」

シオンさんが顔にはてなマークをつけて俺たちをみる。


トビアスは子細丁寧に解説する。

「現代の音響PAシステムって大体みんなAIによる音響調整が入っていて素人でも結構それっぽい音響設営ができるようになっているんだ。今じゃどの現場でも必須のテクノロジーなんだけど羽山が『もっと荒々しい音が欲しい』ってそのシステムを切るって言い出して。最初はどうなるかと思ったけどやってみたらこれが結構ハマって」


イーサンも身を乗り出してさっきのリハーサルの手応えを熱っぽく語る。

「生っぽいっていうのかな。ロックの原点回帰みたいな音が出てて。ドラム叩いていても気持ちがどんどん前のめりになっちゃうからテンポキープするのに苦労したけど慣れてきたら自然なグルーヴの中で演奏できてめちゃくちゃ気持ち良かったよね」


シオンさんは頬杖をつきながら少し恨めしそうな表情で俺たちを見回す。

「へぇ~、いいなぁ。楽しそうなことしてるじゃん。私もちょっと混ぜてもらおうかしら」

そう言うとすっと立ち上がってイーサンの方に手を伸ばす。

「ちょっとスティック貨して」


「いいけど叩けるの、ドラム?」


イーサンからスティックを受け取るとドラムセットに座りバスドラム、スネア、ハイハットの感触を確かめるように叩き出す。

一拍の静寂の後、思い切りよくビートを刻み始め一同驚嘆の声をあげる。


「シオンさんすごい。ドラムも叩けるのかよ。その辺の男よりかっこいいなこりゃ」

ミーアは羨望の眼差しで見上げている。


「バスドラムのリズムが不安定だな。ちょっと拍からずれてる」


俺が横槍を入れるとシオンさんはドラムを叩きながら大声で焚き付けてきた。

「細かいことは気にしない気にしない。それより羽山くんは弾かないの?見学?」


シオンさんからの挑戦状を受けたとあれば黙っている訳にはいくまい。俺はギターを手に取って即興で演奏に参加する。すぐ後を追ってトビアスもギターを弾き始める。


「テオは参加しないの?」

ミーアの呼びかけに奮起して立ち上がるテオ。


「よしっ、ちょっと行ってくるわ」

ベースを構え2、3拍タイミングを読んでから弾き始める。ベースが加わりグルーヴが加速していく。短いフレーズを執拗に重ねた人力トランスのような陶酔感のあるセッション。しばらく似たような展開が続いて足が疲れたか、シオンさんはバスドラムを蹴らなくなっていた。

「ちょっと疲れてきたー。お願い、イーサン代わってー」


やれやれと言わんばかりにイーサンは立ち上がり、もう一本スティックを取り出し満更でもない様子でドラムセットに向かう。

ビートが途切れないように立ちながらスネアとライドシンバルを引き受け一瞬の隙をみてシオンさんと入れ替わる。

少しよろけながら観客席にいるミーアと柊さんのところに向かうシオンさん。

そのまま二人の手を掴んで舞台まで引っ張って行って踊り出した。少し戸惑う二人だったがシオンさんの子供の様に無邪気にはしゃぐ姿を見て釣られて踊り出す。気づけばみんなシャツ一枚で汗だくになって踊り、歌い、演奏していた。中秋の凛とした風が俺たちの間を吹き抜けていく。全てがデタラメで毎秒が新鮮だった。このビートがずっと続けばいいのに。俺は物心ついてから初めて純粋な欲望に心が満たされる感じがした。


そうして1週間が過ぎいよいよ学祭が始まる。

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