東 鈴太郎の章
「鈴太郎兄さん、結婚しないの?」
「内緒」
からかい口調の文の言葉に、俺も少しからかいながら返す。文はえーと不満をいう。その可愛さに思わず口元を緩めた。
俺は友達に『ブラコン』と言われている。自分でも少しそう思う。花乃、文、陽華里、夏が可愛くて仕方がないのだ。小さいときから面倒を見てきた。俺が家を出ないのも、四人と一緒にいたいからだ。
「私はお兄ちゃん心配して言ってるんだよ?」
文はそういいながら少し笑った。
その笑顔を見て、俺はなんだか嬉しくなる。十年前、ここに来たときとは比べ物にならないほどに、明るく優しく笑うからだ。
俺は小さい頃に文と繋いだ左手に、視線を移した。右手に比べて、ずいぶん小さい左手。一本一本の指は独立しているものの、うまく動かすことはできない。もともと五本の指は、つながっていたからだ。
俺の左手は、生まれつき小さく、つながっていた。それが原因だったのかわからないけれど、ある春の日。乳児院の前でダンボールに入れられ、泣いていたそうだ。着ていた服に縫い付けられていた『東 鈴太郎』。それがそのまま、俺の名前となった。その後すぐ小田のおじさんに引き取られ、千草さんと共に里親のもとで育てられた。俺はそのとき、まだ生まれて半年ほどだったそう。
小田のおじさん、父は、本当の息子のように大切に育ててくれた。何度も病院に連れて行ってくれ、決して安くはない手術費を払い、指を独立させてくれた。本当に感謝しかない。だから、小学生の頃、どんなに左手をバカにされても、泣いたことはなかった。父の優しさと愛情の詰まったこの左手は、俺にとって右手よりも大事なものなんだ。
「鈴太郎、どこ行くの?」
さすがに俺も、二十七歳だ。文にはああ言ったが、彼女がいないわけじゃない。彼女とは小学生の頃の同級生で、中学は彼女は私立、俺は公立に進学し、離れてしまった。しかし二十と少しのとき、幼なじみの結婚式で再会したのだ。小さい頃に仲が良かったから、その流れで連絡先を交換して何度か会ううちに付き合うようになり、三年になる。彼女は音大の出で、現在は高校の音楽科教諭として働いている。俺は、左手が足かせとなって就職先がなかなか見つからなかったものの、彼女‥‥‥
向かい側の席に座り、ホットコーヒーを飲む桃は、ぼーっとした俺が返事をしなくて不満そうだった。
「桃はどうしたい?」
慌ててそう聞くと桃は、どうしたの、と逆に聞かれた。
「なにが」
「今日の鈴太郎、やけにぼーっとしてる」
ぼーっとしてる、か。
「家族のこと?」
桃はニヤリとしながらそう言う。
「‥‥‥当たり。千草さん、なんか悩んでるみたいだったから。すごいね、桃」
「まあ、小学生の六年間と今までの五年?一緒にいたらそりゃ、わかるよねえ。鈴太郎がどうしようもないブラコンだってことも」
俺は苦笑いする。まあ、そこも全部ひっくるめて好きだけどね、と言われ、俺は少し頰が赤くなるのを感じる。
「桃は、これからどうしたい?」
俺だって、結婚を考えていないわけじゃない。俺も桃も、もう三十手前だ。
「お腹すいたからご飯食べたい!」
‥‥‥そういう意味じゃないんだが。まあいいや。俺は苦笑した。
「どこにする?」
「美味しい定食屋あるんだ!あたしそこがいい!」
俺たちは歩いて桃の言う定食屋に向かう。
「‥‥‥あのさぁ、鈴太郎」
「ん?」
「『どうしたい?』って、鈴太郎が言いたかったの、これから何するかってことじゃなくて、将来のことでしょ」
うっと言葉に詰まった。わざとだったか。俺は頭をかいた。
「当たり」
やっぱり、と桃は笑う。なんだか俺、カッコ悪い。
「別に、どっちでもいいよ。これからもこのままの関係でもいいし、結婚してもいいし」
俺と同じ、か。
鈴太郎のことだから、妹と弟のこととか、千草さんのこと考えて迷ってるんでしょ、図星?と微笑む桃は愛らしくて、俺は頭をぽんぽんと撫でる。
「ありがとう、桃」
少し心が、軽くなったような気がした。
「鈴太郎兄さん、靴下裏返しで出すのやめて」
午前十時頃。洗濯担当の陽華里に怒られる、寝坊した俺は、驚いてベッドから落っこちる。
「いってぇ‥‥‥」
逆立ちをした陽華里が呆れたように俺を見下す。
「俺の部屋入ってくんなよ。てか、なんで逆立ちしてんの?」
「別に、いいでしょ。それと、鈴太郎兄さんが逆なんだよ」
俺は改めて自分の体勢を見る。かなり間抜けだ。俺はいそいそと起き上がった。陽華里はちょっと可愛いよそ行きの格好をしている。‥‥‥デートだろうか。
「陽華里、遊びに行くの?」
「図書館」
「忠告」
俺は立ち上がり、すれ違いざまに陽華里に言う。
「スカート短くない?パンツ見えるぞ」
「見たのね!?」
俺は陽華里の弱々パンチを交わし、洗面所へ向かう。
「桃さん!鈴太郎兄さん、変態なんですよ!」
「そりゃひどいねー」
‥‥‥桃!?
俺は桃の声のするリビングへと走る。
そこにいたのは。
仲睦まじく俺の家族と話す桃の姿があった。まるで桃も本当の家族のようにくつろいでいる。
「おま‥‥‥なんで‥‥‥」
「別にいいでしょー。みんなに会いたかったんだもん」
桃は隣に座っている夏の頭をヨシヨシと撫でて満足げだ。夏も照れているのか、少し頰が赤い。文は躊躇うことなく桃の隣に座った。その様子が微笑ましくて、嬉しくて、俺はなんだか泣きそうになった。
これからこの先もずっと、桃と家族のみんなと一緒にいられたらいいな。
家族みんな笑ってて、桃も笑ってて。そんな呑気なことを考えながら、俺は桃の隣に腰掛けた。
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