間宮 夏の章

「夏くんって、可哀想」


何度も僕はそう言われてきた。可哀想なんかじゃないんだ、そう言い返したって憐れむような目で見られてしまう。僕はそんな友達はいらないし、そんな先生とか近所のおばさんも、大嫌いだ。僕は可哀想なんかじゃない。恵まれているんだよって、誰にもわかってはもらえなかったけれど。



にこにこ優しい、千草母さん。

かっこいい、鈴太郎兄ちゃん。

どこか抜けてる、花乃姉ちゃん。

いつも元気な、文姉ちゃん。

笑顔の可愛い、陽華里姉ちゃん。

母さんと兄ちゃん、姉ちゃんが三人もいるんだよ。みんな、僕のことを家族の一員と認めてくれる。僕は五人が大好きだ。



転校生がやってきた。僕の学年ではなく、五年生のお兄さんだったけれど。どえらいイケメンだって騒ぎで、うちの学年にも噂が出回るほどだ。しかもまさかの、僕の所属する園芸委員に入るらしい。園芸委員は余り物のように、じゃんけんで負けた人がなるはずれ委員。僕も図書委員のじゃんけんに負けて園芸委員になったのだ。だって、仕事は多い割に、目立たないし。寒い冬にも水やり当番はあるし。でも、一気に変わってほしいという女子が現れたのは言うまでもない。小二にも、ミーハーっているもんなんだなって、先生にダメ出しを食らう女子を横目で見ていた。



「すみません、迷ってました!」


五年生の園芸委員が少し遅れて部屋に入ってくる。僕はその顔を見て、固まった。僕と顔が、似ていたから。彼の名前は真田さなだ春大はるた。五年二組の転入生で、青森からやってきたそうだ。園芸委員の担当の先生や、委員長は僕と真田くんを見比べる。一瞬だけ真田くんと目があった。

――でも。まるで嫌いな人に会ったときのように、少し顔をしかめると、視線をそらした。なんだか胸が、苦しかった。



真田くんは、僕と同じ、水曜日の水やり担当になった。僕らは目を合わせなかった。ううん、合わせられなかったんだ。真田くんが一つも僕に視線をよこさなかったから。僕はなんだか意地を張っているみたいで嫌だったけれど。

僕と同じクラスの吉川きっかわみいさと、真田くんと同じクラスの榎木えのき紗子さえこ平井ひらい飛来ひらいは似ている僕らが兄弟なんじゃないかと言っていたようだが、僕の兄は、鈴太郎兄ちゃんだけだ。



「間宮夏」


帰り際、大声でフルネームを叫ばれ、声のした方を見ると、そこにいたのは真田くんだった。


「真田春大」


僕もお返しと言わんばかりに大声で叫ぶ。

真田くんは僕の方にゆっくりと歩みを進める。真田くんの瞳は、なんだか怖かった。真田くんはなんで僕を呼んだのだろうか。


「間宮、君の親の名前を知っているか?」

「‥‥‥西広千草!」

「名字が違うじゃないか。違うよ。間宮姓の親だよ」


違う、そんな人知らない。僕の親は、僕の母さんは、千草母さんたった一人だけだ。


間宮 洋子ひろこ


僕ははっとして顔を上げた。どこかで見た母子手帳の母親欄に、確かそう、書いてあったから。


「知らない‥‥‥僕の母さんは、千草母さんだけだッ!」


僕は回れ右して走り出した。今日は文姉ちゃんは、この前の『わいずみ』って人と話すから先に帰ってって言ってた。でも僕は、一人で帰りたくないよ‥‥‥。

この前と同じ公園に、歩みを進める。なんだかここにいるような気がしたから。

――いた!

ベンチに並んで腰掛ける、文姉ちゃんと『わいずみ』が。文姉ちゃんは――泣いていた。


「『わいずみ』!文姉ちゃんになにをした!?」


僕は冷静な判断ができなくなった。驚いたように二人が僕を見る。急いで『わいずみ』と文姉ちゃんの間に入った。


「帰ろう、文姉ちゃん」


僕は文姉ちゃんの手を引く。


「夏‥‥‥」


文姉ちゃんは僕に手を引かれながら公園を出た。ちらちらと後ろを伺うように。



「夏、もう大丈夫だよ」


文姉ちゃんがそういったのは、家まであと数分というところだった。文姉ちゃんは少し息を切らしている。僕も少し疲れた。


「夏、ありがとう」


振り返って文姉ちゃんの顔を見ると、嬉しそうに、そして愛おしそうに、僕を見ていた。自然と頰が緩んでいた。



僕はその夜、千草母さんの部屋に忍び込んだ。たしかここに、僕の母子手帳があったはずだ。千草母さんは僕に気がつく様子はない。気持ちよさそうに眠っている。


「あった‥‥‥」


廊下から差し込む細い光で『間宮夏』という名前を確認する。

僕は急ぎ足で自分の部屋に戻った。手元のライトだけをつけ、陽華里姉ちゃんを起こさないように母子手帳を開いた。

母親欄にはやはり、真田くんが言っていた『間宮洋子』と記してあり、父親欄の文字は乱暴に消され、うっすらと城島じょうじまとだけ書いてある。

名字が違う‥‥‥。どこかでわかっていたこととはいえ、その事実をはっきりと告げられたような気がした。



「真田くん」


朝顔の花に水をやる真田くんに声をかけると、ん、と振り返らずに返事をした。

僕のお母さんね、真田くんが言った人、間宮洋子だったよ。そう言うと真田くんは水やりをやめた。手が震えているようだった。

と突如、じょうろを地面に叩きつけるようにして投げた。僕は目を見張った。真田くんが、この上ないほどに怖い顔をしていたから。いつか小さい頃に見た、閻魔様の絵本に出てきそうな、鬼の形相だった。


「俺の母親も、間宮洋子‥‥‥いや、真田洋子だ」


あいつめ、と真田くんは呟く。

どういうこと、と問う前に、真田くんは話しだした。

あいつは不倫したんだ、父さんとの間に俺を産んで別の男との間にお前を産んだんだ、あいつのせいで離婚したんだ、あいつが俺たち家族をバラバラにしたんだ、と。

耳を塞ぎたくなった。真田くんに、お前がいなければよかったのに、と言われているような気さえした。


「‥‥‥俺は、母さんのことが好きだったのに‥‥‥」


絞り出すような情けない声が聞こえ、真田くんを見ると、泣いているようだった。ぽたり、ぽたりと真田くんの頬を涙が伝う。


「‥‥‥ごめんなさい」


僕はそれだけ呟くと、回れ右をして校舎のほうに駆け出した。僕の頬にも、真田くんと同じように涙が伝っていた。



「間宮」


その日の放課後、僕は校門でいつものように文姉ちゃんを待っていた。僕の名前を呼んだのは、今話したくないランキングダントツ一位の真田くんだった。僕はなに、と冷たく返す。


「俺、お前がいなければよかったなんて、一言も言ってないから」


僕ははっとして、まじまじと真田くんを見た。


「仲良くしようなんて言わない。でも、困ったときには助けるからさ‥‥‥夏?」


じゃあな!とすたこらさっさと帰っていく真田くん‥‥‥ううん、春大くんの背中が滲んだ。

彼にとって憎き存在であるはずの僕にそう言ってくれる春大くんの優しさが、僕にとってはすごく痛かった。でも、それがとても、心地よくもあった。

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