第20話 真実と別れ

 ラグナは両手で柄を握り、リィヒト・ハルフィングを頭上に掲げた。


「んおっ!」


 ラグナがリィヒト・ハルフィングを振り下ろそうとしたその時、ヴォルフ・ガングの骸から瘴気が湧き上がった。


「なにぃっ⁉」


 瘴気は瞬く間に黒い触手となり、方々に飛び散った。静まり返っていた玉座に不穏な重低音が響き、不気味さに後じさりする七人を、同時に襲い掛かる。


「なんだっ! これはっ⁉」


 ティーガは、あらゆるものを薙ぎ払うクライァヴ・モールの魔剣で触手に斬り掛かった。しかし、触手は黒いエネルギー体で形作られたもので、切断されてもすぐにくっついて、執拗に襲ってきた。


「ぐわっ⁉」


 攻撃の間断を突いて、ついに触手はティーガの胸を貫いた。


「ティーガァッ!」


 襲われたのはティーガだけではない。他の五人も、同様に触手に刺し貫かれている。しかし、よく見ると、深く刺されているにも拘わらず、貫通はしていなかった。


「これは……」


 ラグナ以外の全員が苦悶の表情を浮かべ、苦痛の悲鳴を上げている。まるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶だ。


「侵食されている?」


 ラグナに向かった触手は、魔剣リィヒト・ハルフィングに吸い取られていた。魔力を吸収するという特性が、持ち主を助けたのだ。

 そして、ラグナは瞬時に理解した。これまで数多もの冒険者が挑み、それでも仕留めきれなかった魔王の正体。なぜ、魔王を倒すのに七人のパーティが必要なのか。そして、古から魔王に挑む七人は贄と呼ばれていたのか。


「魔王とは、強力なデーモンではなく魔そのものなんだ。そして、宿主が倒されたら新たな宿主に寄生して、何百年も生き永らえてきた……。ヴォルフ・ガングもただの器に過ぎなかったんだ。それじゃ、侵食されてしまったみんなは?」

「ラグナァッ!」


 ティーガの叫びに、ラグナは我に返った。

 ティーガはクライァヴ・モールを地面に突き刺し、かろうじて立っている。歯を食いしばり、汗の量がすごい。


「どうやら、はまっちまったみてえだ。俺たちは魔王討伐のためじゃない。封印する器として集められたんだ。国王は初めから知ってたんだ。くそっ。七人の贄ってのはこういうことだったんだな。伝説は正しかったってことか……」

「ティーガ……」

「こうなったら、俺たちはもう助からん。ラグナ。全員を斬れ」

「え?」

「ただ、国王の思惑通りに終わってたまるかよ。あのおっさん、俺たちを甘く見過ぎだ。こいつは、いずれ復活するんだ。七つに分かれた力を再び一つにまとめるのか、俺たちの誰かが完全に乗っ取られて魔王になっちまうのか知らんが、今ならやれる。封印なんて生ぬるい終わらせ方じゃ納得できねえ。全員を殺して、今度こそ本当の死をくれてやれっ!」

「そんなっ、なにか方法があるはずだっ」

「時間がないと言ってるんだっ! 頭の中が黒く染まっていきやがる。俺たちはもう助からん」

「そんなこと……」

「私情に流されて、もたついてんじゃねえっ! 俺たちはなんのためにここまで来た? 辛い旅を続けてきたんだ? すべてはこのくそったれを葬るためじゃないのかっ⁉ やれっ! やるんだっ! ラグナッ!」


 ラグナはいきなりの決断を迫られ、思考が停止してしまった。これまで、ヴォルフ・ガングを倒すという共通の目的を抱いて、共に旅してきた仲間だ。それをこの手で殺めるなんて、できるはずがない……。

 あまりの不条理さに、目の前が闇夜の如く暗くなる。しかし、混乱寸前の意識は、辛うじて自我を保ち一人の女性を探した。

 フェスラム・レゼント。パーティの中でも随一のマーギアーであり、ラグナの魔法の師であり、そして……。

 ラグナは襲ってくる黒い触手は掻い潜り、フェスラムに駆け寄った。彼女も侵食され始め、苦しそうに跪いている。自身の胸を押さえているその手を取った。


「フェスラムッ!」

「ラグナ?」

「行こう。フェスラム。一緒に逃げるんだ」


 ラグナは彼女の返事も待たずに強引に駆け出した。


「ラグナァッ! てめえぇぇっ!」


 ティーガの怒声が玉座の間に響く。その声はすでに人間のものではない。


「呪ってやるっ! おまえは世界を見捨てたんだっ! 俺たちの使命を裏切ったんだっ! あの薄汚え国王と一緒だっ! 絶対に許さねえっ! デーモンに変わり果てても、おまえを殺してやるっ!」


 ティーガの呪言が背中に焼き付く。本当に焼きゴテを当てられたように熱かった。萎えそうになる脚に必死に気力を注ぎ込み、ラグナはフェスラムの手を引っ張って走り続けた。


「ラグナが七聖剣の英雄?」


 イリアはにわかには信じられなかった。英雄と讃えられながらも、忽然と姿を消した七人の救世主。その話はすでに伝説となりつつある。ラグナはその一人だというのか……。


「世間のやつらが勝手にそう呼んでるだけだ。俺は英雄なんかじゃない。英雄は、俺以外の六人だ。ヴォルフ・ガングの正体は、魔そのものだ。やつは今際の際に宿主から抜け出して、新たな肉体に寄生する。その際、生存率を高めるためか知らんが、七つに分離するんだ」

「七人の生贄……」

「そうだ。伝説は真実だったってことだ」

「ラグナが追っているのは、七聖剣の英雄の一人ってこと?」

「だから、それは世間が勝手に……まあ、そういうことだ。伝説が本当なら、いずれは新たなヴォルフ・ガングとして復活する。そうなる前に、五人を殺さなくてはならない」

「五人?」

「……一人は、もうころ……倒した」

「……かつての仲間を倒すための旅。そんなのって……」

「同情なんかするな。全員がヴォルフ・ガング討伐のために集まったやつらだ。あらゆる事態を覚悟して任務についたんだ。俺は任務を続けてるだけだ。しかし、問題は相手がどこにいるかってことだ。この街を襲ったのは、つい数日前……もしかしたら、昨日かもしれない。もう少しというところまで迫っているが、あと一歩が届かない。ここからさらに西にある街は、二つ三つ候補がある。近くに潜伏していることは間違いなのに、向かうべき街を間違えたら、離れるどころか見失う可能性だってある」

「隠れ里じゃ……」

「なんだって?」

「その人に人間の心が残ってるなら、自制心が働いて、外交の多い街は避けると思うんです。人の出入りが激しければ、それだけ噂が広まるのが早いですから……ここから半日も掛からない森の中に、昔の戦で逃げ果せた兵士が集まってできた村があると聞いたことがあります」


 ラグナは、すかさず地図を広げた。


「森ってのはここか?」


 ネェロからさらに西にある一点を指差した。そこは沈黙の森と記されていた。


「はい。地図にも載ってない小さな村で、たしかエストーザという街です」

「エストーザ……」


 ラグナは地図を睨んだまま黙り込んだ。なにか考え事をしているようだ。重たい静寂が割り込んでも、イリアは突き返す言葉を知らない。


「……イリア。ここで別れよう」

「え?」


 突然のラグナの提案に、イリアは固まった。


「部下を差し向けたということは、俺たちがかなり迫っている証拠だ。おそらく、次に行く街エストーザで捕まえられるはずだ。もう移動する精神力も残されていないだろうし、完全にデーモンに堕ちたら、逃げようなんて考えないからな。おまえとは、ここでお別れだ」

「ラグナッ⁉」

「昨夜みたいな事態になったら、守りきれる保証はない。おまえは連れていけない」

「私、魔法使えるよ? ラグナがケガしたら治せるし、火の魔法だって……」

「足手まといだって言ってるんだ。それくらいわかれっ!」


 ラグナに一喝され、イリアは言葉を失った。足手まといと言われてしまえば、もう言い返せない。自分でも感じていたことだが、ラグナはその点には触れないと思っていた。


「……どうしても」

「家族の仇は必ず討つ。約束する。おまえはもう、過去を忘れて自分のために生きろ」

「忘れられるわけがないっ」

「忘れるんだっ。今は暗闇の中でも、進み続ければ絶対に光が見つかる。その光を目指して生きろ。おまえの人生はこれからなんだ」


 ラグナは立ち上がると、皺だらけの紙幣をベッドに放り投げた。


「それだけあれば、数日はこの街で過ごせるだろう。じっくり考えて、自分の人生と向き合うんだ」


 ラグナはそう言い捨てると、装備を拾って部屋を出ていった。

 イリアは無言で見送るしかなかった。後を追おうとしても、体が動かない。それ以前に、追わなくてはならないと思う逼迫感が湧かなかった。考えなくてはならないことは無数にあるのに、脳が問題を先送りしたがってまったく機能しない。

 まるで心に麻酔を打たれたみたいだ。イリアは、乱暴に閉じられた扉を見つめることしかできなかった。

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