第19話 あとに残ったもの
「ナルクを殺ったわねっ」
リコの怒りが夜空を焦がす。しかし、我を忘れて無謀に突っ込む愚行は犯さなかった。射抜く眼光を弾き、ラグナもリコを睨み返す。
「誰だろうが殺ってやる。ヴォルフ・ガングの魔力を受け継いだ者は誰だろうとなっ!」
「ラグナ・フェアラットォ……」
「おまえ、魔を注入されたな? このままだとデーモンに堕ちるぞ」
「あの人と一緒なら、地獄にだって堕ちてやるわ」
「くだらん感情で物を言ってるんじゃないっ。おまえの主が誰かは知らんが、助けたいのなら俺を案内しろ。もう殺してやることでしか救ってやれない」
「七聖剣の英雄が聞いてあきれる……あなたこそ、地獄に堕ちるべきよ。ラグナ・フェアラット、あなたは私が必ず殺す」
リコは明確な殺意を以て宣言すると、闇の中に消えた。
ラグナは周囲の様子を見た。どうやら、リコやナルクと違って住人は操られていただけで、騒ぎもここだけに留まっているようだ。身も心もデーモンに堕ちているなら、ネェロそのものが陥落しているはずだ。あの女もまた、人間の心が残っているということか……。
「しかし、俺に向けられた殺意は本物だった……」
リコが言った裏切りという言葉が浸透し、鳴りを潜めていた弱気が鎌首をもたげる。このまま、なにもかも投げ出して世界の隅に身を隠したくなる。
「うう……」
イリアの呻き声が、ラグナを現実に戻す。魔を注入して、デーモンを増殖する能力……すでに人類に対して脅威となりつつある。おそらく、今追い詰めつつある相手だけではない。あの日、あの場にいたラグナ以外の者は全員、同じ能力を宿したはずだ。逃げ出して放置することはできないことは、充分わかっていた。
イリアの傷を確認する。出血は多いものの、致命傷ではない。自分の腕に収まっているイリアの温もりに複雑な感情を絡めて、ラグナは大きく息を吐いた。
七聖剣の英雄……裏切り……断片的な言葉が浮かんでは消え、意識が夢の中を彷徨う。自分がどこにいるのか、なにをしているのか思い出せず、焦りが胃を萎ませみぞおちに冷たい汗が湧く。
「我が言霊はアヴァロンの乙女。慈愛を乗せて弱者に歌えよ……」
ラグナの声が遥か遠くに聞こえる……。しかし、覚醒していくにつれ、遠ざかっていたのは自分の意識の方だと気づいた。
暖かい……。
背中から全身に広がる癒やしが心地よく、イリアはこのまま微睡んでいたいと、甘い誘惑に駆られた。
「おい」
だが、イリアの細やかな願いは、ぶっきらぼうな呼び掛けに脆くも崩れた。
「う、ん……」
やけに弾力がある地面だと思ったら、そこはベッドの上だった。いつの間にか運ばれたようだ。
うつ伏せに寝かされていたので、腕で体を持ち上げて起きる。やけに胸から腹が開放的なのに違和感を覚え確認すると、上半身の衣服が脱がされていた。
「わわっ⁉」
イリアは四つん這いの姿勢から慌てて胸を隠す。顔が再びシーツに埋もれ、お尻だけが持ち上がる滑稽な姿勢になった。
「なんで私、裸なんですかっ?」
顔が火照る。赤らめたまま訴えるが、ラグナはなんでもないことのように応えた。
「傷を確認したんだ。大丈夫。痕にはならない」
確認した……その時の光景を想像し、イリアはますます頬が熱くなるのを自覚した。
「み、み、見ました?」
「まあ……見なくちゃ傷の具合がわからないからな」
「なっ⁉」
「安心しろ。ガキの裸見たってなんとも思わん」
「バカッ! もうっ! ラグナ、デリカシーなさすぎっ!」
イリアは大声で喚いた。しかし、羞恥が通り過ぎると、昨夜の出来事が思い出された。夢と現実の境での記憶だったが、彼の名前を聞いたのは間違いない。
「ラグナ……治癒の魔法も使えるんだ」
「まあな……」
これまで目撃しただけでも、土と火。加えて回復の魔法まで駆使している。二つ以上の系統を操るマーギアーですら滅多に出会わないというのに、ラグナはいったいどれだけの魔法を扱えるのか、疑問が湧いた。治癒を施してもらったにも関わらず、その底の見えなさを怖いと思った。
「……昨夜戦った人……ナルクと名乗ってませんでしたか?」
「……言ってたな。知ってたのか?」
確認するまでもなかったが、ラグナは会話の流れに沿って訊いた。ナルクは、戦闘を始める前にイリアを降ろせと言った。ナルク自身も気づいていなかったようだが、彼はイリアの名を口にしたのだ。
彼女の名を知っていたところから引っ掛かっていたが、イリアがナルクを殺すなと懇願したので確信した。二人は顔馴染みなのだと。しかし、ラグナはすべてを知った上で、彼を殺したのだ。
「なんでっ? なんでナルクを殺したんですかっ? あれじゃもう、戦えなかった」
イリアは本気で怒鳴った。裸を見られた時の可愛げのある怒り方ではなく、声が心臓すら貫通しそうな、髄からの怒りだった。
「あれはもう人間じゃなかった。殺すしかなかったんだ」
「人間じゃないって……」
「おまえも見ただろ。あいつの化物じみた姿を。ああなっては、もう救ってやれない。殺す以外はな」
「彼は……あの人は私の友達だった。それをあなたが殺した」
「人じゃない。言っただろう。あれはもう殺してやった方が、彼のためだった」
「そんなこと……」
イリアの脳裏に思い浮かぶのは、デーモンとしか形容できないナルクの姿だ。そして、その姿はもっと以前に遡った記憶にも出てくる。
「ラグナ……もしかして、私の村を、両親を襲ったのは……」
「……違うと思う。あいつは、おまえが戦いに巻き込まれないようにした。身も心もデーモンに堕ちなきゃ、村を全滅させなんてマネができるはずない」
「……………………」
ラグナはそう言ったが、真実なのか優しさからついた嘘なのか、イリアにはわからない。ナルクの優しい笑顔と、彼に抱いていた淡い感情が心の奥から浮上してくる。イリアは、ラグナの前で咽び泣いた。
夜が明けた。昨夜の事件が幻だったかのような、穏やかな朝だった。
住人は強力な暗示にかけられていただけで、魔は注入されていない証だ。そのせいか、二人を襲ったことなどまるで覚えておらず、街はなんの変わりもなく動き始めている。
「ラグナ……聞かせて」
「なにを?」
「とぼけないで。人間がデーモンに変異するなんて聞いたことがない。ラグナはなにか知ってるんでしょ?」
「……おまえは知らなくていいことだ」
「よくない。ナルクは私の……幼馴染みだった。ラグナはその人を殺したのよ。納得のいく説明をしてくれない限り、私はあなたを憎まなくてはならない」
「憎めばいいさ」
「ラグナッ!」
イリアは、体中の力を目に集めてラグナを睨んだ。まともにぶつけられ、ラグナは少し圧された。殺意の篭った刺す視線なら何度も受けているし、耐えることも流すこともできる。しかし、今みたいな心そのものをぶつけるような目には慣れてなかった。
「……ちっ」
イリアには聞こえない程度の舌打ちをしてから、ラグナはおもむろに語り始めた。自分がかつて経験したヴォルフ・ガング討伐の冒険譚を。
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