第17話 蠢く街
日はとっくに落ちたが、窓の外はまだ人の往来も多く喧噪に溢れている。安宿の一室で、シーマとリコは並んでベッドに座っていた。簡単な作戦会議のために入ったとはいえ、満更でもない気分だった。シーマは高揚する気持ちを抑えながら、リコに経過を報告した。
「あいつら、留置所に放り込まれてるぜ。もう逃げられねえ」
「そうね」
「でも、よく知らねえんだけどよ、俺の証言だけで留置所に入れられるもんなのか? もっとこう……いろいろ調べられるのかと思ってたぜ」
リコは無言で微笑んだ。シーマは、衛視を悩殺でもしたのかと勘ぐったが、口には出さなかった。
「……で? これからどうするんだ? まさかこれで終わりってことはないだろ?」
「そうね……衛視にもう一働きしてもらおうかしら。でも、騒ぎは大きくしない方がいいから、もう少し日が暮れてから、ね」
シーマはにんまりと歯を見せた。どんな方法を用いているのかは知らないが、リコは衛視を意のままに操れるらしい。自分がすでにリコの傀儡になっている自覚もないまま、シーマは興奮した。興奮はすぐに下卑た方向へと向かった。
「なあ、時間があるならどうだい? やつらをやる前に、俺と一戦……」
シーマはリコを抱き寄せ、太ももに指を這わせた。その動きは毛虫のようにおぞましかったが、リコは静かに口元に笑みを浮かべる。
「へへっ」
彼女もその気だと踏んだシーマは、動きを大胆にした。しかし、邪な考えが詰まった脳は、一瞬にして頭ごと消え失せた。リコの爪が刀剣のごとく伸び、彼の首を水平に切断したのだ。
シーマの頭は、もの言わぬボールと化して転がり、首の切断面からは広場の噴水より激しく血が噴き出した。
「……生きるに値しない人間が、多過ぎるのよね」
床に転がったシーマの頭に冷酷な眼差しを送り、リコは独り言ちた。
「……きろ」
薄い闇の中、肩を揺すられて一気に覚醒する。
「あ……私、眠ってました?」
眠れないと思っていたのに、いつの間にか寝落ちしていた。自分で思っていた以上に、疲労が蓄積されていたようだ。
イリアは自分の緩さを恥ずかしく感じると同時に、ラグナの存在で安心を与えられているのだと認識した。そして、すぐにナルクのことを思い出した。まだこの街に留まっているかと心配になる。
彼のことをラグナに言おうとしたが、ラグナの方が先に口を開いた。
「なにか動きがあったようだ」
ラグナが言い終わるか終わらないかのうちに、衛視が三人鉄格子の前に立った。
「立て。ここから出るんだ」
引き締まった表情と相まって、声が硬く鋭い。イリアを緊張させるには充分だった。ラグナに目を向けると、意味ありげな目配せが戻ってきた。
牢を出たところで、ラグナの方から仕掛けた。
「釈放してくれるのか?」
「残念だな。おまえらは処刑されるんだよ」
イリアは耳を疑った。ろくに事情も訊かないで、いきなり処刑なんてあり得ない。どの国のどんな街だろうが、そんな暴挙が許されるはずがない。
「取り調べもなしか? 俺たちを告訴したシーマはどうした?」
「そんなこと考えなくていいんだよ。どうせ、もう死ぬんだからな」
衛視たちが一斉に剣を抜いた。
「ここで?」
イリアが驚いている間に、ラグナは詠唱に入っていた。
「我が言霊はエリュテイアの砂。悠久を超えて来たれ反逆の使途……」
「なにブツブツ言ってやがるっ」
衛視が剣を振りかざした。イリアは固まってしまい、目を閉じることもできなかったが、それゆえ、信じられない光景を目撃した。
衛視の剣がボロボロに錆びて、砂鉄のように崩れたのだ。
なにが起きたのか理解できず狼狽える衛視に、ラグナは思いきり蹴りを入れた。
「げぶっ⁉」
吹っ飛んだ一人に激突され、残りの二人も態勢を崩した。
「イリアッ!」
ラグナがなにかやると踏んでいたイリアは、呼ばれる前に行動を起こしていた。彼のすべてを理解したわけではないが、一緒に旅をしている間に沁み込んだ部分は確かにある。
脱兎のごとく駆け出し、没収されていた自分たちの装備を探した。デスクの上に無造作に置かれていたのを見つけ、ナイフをラグナに投げた。
「ラグナッ」
「おうっ」
ラグナはナイフを受け取ると、態勢を立て直した衛視たちの攻撃をかわしながら巧みにナイフを操った。直接的な攻撃はせず、衛視たちのベルトを切る。ズボンがずり落ちた彼らは、次々と尻もちをついた。
「うわっ⁉」
「くそっ!」
悪態をつきながら急いで立ち上がろうとするが、焦れば焦るほど足がもつれて、中々立ち上がれない。面白いように何度も転ぶ衛視を尻目に、ラグナはイリアに声を掛けた。
「今のうちだ。ずらかるぞ」
「はいっ」
装備をすべて回収し屋外に出たが、二人はすぐに足を止めた。
「なんだ、こりゃ?」
ラグナが声を上げたのも無理はなかった。詰所の周りを何人もの人が取り囲んでいたのだ。しかも、群がっているは衛視ではない。数刻前までは酒場で盛り上がっていたような、ただの住人だ。
「うっうっう……」
「あ……うう……」
明らかに様子が普通ではない。ラグナたちを待ち伏せていたのは間違いないのに、それぞれが明後日の方を向いている。その不気味さに、イリアはとっさに杖を構えた。ラグナが、シーマの背後に敵となる人物がいると言っていたのを思い出す。
「待て。イリア。こいつらはただの住人だ。魔法はダメだ。おまえの炎は威力がありすぎて、死なせちまう」
「でもっ……」
「逃げるしかない。俺から離れるな」
ラグナが一度収めたナイフを再び抜くと、住人は一斉に襲い掛かってきた。
焦点の定まらない目のまま襲ってくる住人は、デーモンに襲われた時とは違った恐ろしさがあった。
多勢を相手に魔法が使えない状況では、さすがのラグナも苦戦を強いられ、イリアを庇う余裕は削られていった。
「イリアッ! クロスボウを使えっ! 脚を狙うんだっ! 相手は人間……」
振り返ったラグナは、目に飛び込んだ光景に驚愕した。襲撃者の中に、明らかに異質の存在を認めたからだ。
鉤爪を振りかざした女が、イリアの背後に迫っている。
「イリアッ!」
飛び掛かってくる者たちを荒々しく押しのけ、イリアを守ろうとしたが、女の動きは素早かった。
上げた腕を一気に振り下ろし、鋭い爪がイリアの背中を切り裂いた。
「ああっ!」
血飛沫が宙を舞う。イリアの悲鳴は、ラグナの怒りに変換された。
「てめえっ!」
まとわりつく住人を蹴り倒し、イリアを襲った女に斬り掛かった。女は敏捷な動きでかわしたが、ラグナの動きはそれ以上に速かった。上腕を刃が走り、一直線に鮮血が噴き出す。
「ぐっ!」
女は傷口を抑えながら、人間とは思えない跳躍で民家の屋根まで退いた。
「聞きしに勝る手練ね。あなたの首を掻き斬ってやるつもりだったけど、その隙すらない……」
常人なら悶絶するくらい深く斬ってやったはずだが、口元には笑みさえ浮かべている。女がフィンガースナップをすると、住人が次々と崩れ倒れた。まるで糸を切られたマリオネットだ。
ラグナの頭に、確信と疑問が同時に過ぎった。
こいつらは敵に暗示をかけられている。強力なデーモンの暗示にかかれば、強靭な精神力を持たない者など傀儡も同然だ。しかし、今の動きは人間とは思えない。デーモンに操られた人間は、身体能力までもコントロールすることが可能なのか?
激しい出血に喘いでいるイリアを抱きかかえて、女を睨んだ。
「主は誰だ?」
女は意外そうに目を見開いたが、すぐに余裕を取り戻した。
「……気になる? かつて自分が裏切った相手が」
「………………」
「言えないわね。名前を教えただけでも、あの人の不利になるかもしれないもの。代わりに私の名を教えてあげる。リコ・イドォル。あの人に忠誠を誓った者よ」
「あんたほどのいい女が忠誠を誓うなら、よほどの色男なんだろうな。俺以外に、そんなやついたっけかな?」
色男という単語を使い、敵が男か女かだけでも探ろうとしたが、リコは乗ってこなかった。
「あの人は今、苦しんでる。必死に戦ってるの……。あなたなんかすぐにでも殺してやりたいけど、この腕であなたを相手にするのは骨が折れそうね」
「だったら、尻尾を巻いて逃げるんだな」
「まだよ。まだ相手をしてもらうわ。だって、遊び足りなんじゃない?」
リコの不敵な笑みに、ラグナは怖気立ち振り返った。
月の光を一身に集め、その男は立っていた。もちろん錯覚だろうが、ラグラにはそう感じるほど、男は周囲の景色から浮き上がって映った。
「その娘を置きなさい。あの人からは無益な殺生はするなと言われてるの。一対一で戦わせてあげる」
「今まで食い殺した人たちは、有益な殺生だったのか?」
ラグナの挑発にリコは頬を歪めたが、ただそれだけだった。ナルクは黙ってラグナを見つめるだけだ。
ナルクには、いつも不思議に思うことがある。自分がなすべきことはわかっている。クロエに付き従い護るのだ。しかし、なぜそうしなければならないのか、その理由が彼にはわからなかった。彼といつ、どのように出会ったのか思い出そうとすると、頭に靄がかかる。過去の景色がぼんやりとしか見えなくなり、そのうち諦めて考えるのをやめてしまう。その繰り返しだ。
しかし、今夜はなにかが違かった。理由はラグナが抱いている少女だと思い至った。焦燥を誘うほどの衝撃とまではいかないが、彼女を見ていると妙に落ち着かなくなる。胸がざわつくのを抑えられなかった。
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