第16話 囚われて

 ラグナとイリアがネェロに到着したのは、カイルを発ってから二日後だった。例によって入街の面倒な手続きはあったものの、それはすなわち街が無事である証だ。街の賑やかな様子に、ラグナは胸を撫でおろした。


「無事……みたいですね」

「ああ。とりあえず冒険者のギルドに寄り、情報を収集する。できれば路銀を稼ぎたいが、場合によってはすぐにも出立するかもしれない」


 冒険者ではないイリアは少し戸惑ったが、ラグナにとっては、朝起きたら顔を洗うのと同じように、何度も繰り返してきた行為だ。

 イリアはなにげなく周囲を見渡す。大勢の人の往来に圧倒された。ヴァトでも驚いたが、ネェロを行き交う人々はまた雰囲気が違っていた。おそらく、ヴァトが旅人が通り過ぎる街なら、ネェロは留まる街なのだろう。どの人も、自分の役割をしっかり把握しており、一生懸命に果たそうとしている。笑顔を振りまく商人や、声を出して笑っている子供たちと自分の人生を重ね比べて、イリアの胸がチクリと痛んだ。

 考えまいとしても、振り返るとどうしても村を襲った惨劇が思い出される。だから、人ごみの中に見知った顔を見つけた時には、驚きが声に出てしまった。


「あっ?」


 その顔は次の瞬間には視界から消えてしまい、イリアは我知らず駆け出していた。本当に、瞬きほどの一瞬でしかなかったが、見間違えるはずがない。今のはナルク・シントだ。近所に住んでいた男の子で、自分のことを可愛がってくれた。彼は妹のように思っていたが、自分の方はほのかに抱いていた気持ちがあったと思う……。

 しかし、村の住人は全滅させられたんじゃなかったのか? いや、あの時は恐ろしい光景に恐れ慄き、逃げ出してしまった。あとで戻った時には屍が散乱し、自分の必死の呼び掛けに反応する者はいなかった。だから皆殺しにされたと思っていたが、逃げおおせた者もいたのでは? ナルクも無事生き延びてくれたのではないのだろうか?

 ふいに生じた推測は、刹那の間もなく希望に変わった。


「ラグナ。私、ちょっと……」

「イリア?」


 説明するのももどかしく、イリアはナルクを見失った方へ駆け出そうとした。しかし、屈強そうな男たちに囲まれ、阻まれてしまった。服装から察するに、ネェロの衛視と思われた。


「ラグナ・フェアラットか? そして、そっちはイリア・バルトナー」

「……なんだ? 入街手続きなら、きちんと済ませたぞ?」

「二人には殺人の容疑がかけられている。おとなしく同行してもらおう」

「殺人?」


 イリアは驚いて声を上げた。ラグナたちのやり取りにやきもきしながらナルクの行方を探していた視線を、目の前の衛視に移した。犯罪に手を染めたことなど、ただの一度だってない。ましてや殺人なんて重罪、まったく心当たりがない。


「おまえたちは、ヴァトでパーティを組んだ仲間を殺害した。間違いないか?」

「あ……」


 先日のインプ討伐が、イリアの頭を駆ける。しかし、あれは正当防衛であって、先に仕掛けてきたのはロロミカたちだ。

 ラグナを窺い見るが、動じている様子はない。


「おい、こいつらに間違いないな?」


 衛視の陰から出てきたのは、シーマだった。卑屈な笑みを浮かべながら、ラグナたちを指差した。


「間違いありません。こいつらが、俺の仲間を殺しやがった」

「あなたっ!」


 イリアは頭に血が上って声を荒げた。この男たちこそ私たちを殺そうとしたくせに、逆恨みで告訴しようというのか。


「……あれは正当防衛だ。仕方のないことだった」

「ふざけるなっ! 命乞いするロロミカたちを冷酷に殺しやがって。償ってもらうぞ」


 ラグナの主張を、シーマは勢いで伏せに掛かった。やや大げさな表現で、演技臭く映る。

 流れる風でも吹き飛ばせないくらいの、重たい空気が場を支配した。集まり始めた野次馬も、固唾を呑んでなりゆきを見つめている。

 沈黙を破ったのは、シーマだ。


「どっちの言い分を信じるんだよ。なあ?」

「それはこれからはっきりさせる。一緒に来てくれるな?」


 言い方こそ乱暴ではなかったが、ほとんど命令と言ってもよかった。

 イリアはラグナがどんな行動に出ても遅れないように、杖を強く握りしめた。それは、目的を果たすまでは絶対に折れないと誓った、イリアの意思の表れだった。


「……しょうがねえな」

「ラグナッ⁉」


 しかし、イリアの予想に反して、ラグナの口から出たのは服従の意だった。彼はおとなしく付いていくつもりなのだ。

 反抗の意志がないとわかると、衛視の面々も纏っていた緊張を脱いだ。


「よし。こっちだ」

「ラグナ……」

「大丈夫だ。すぐに開放される」


 イリアの心配をよそに、ラグナは飽くまで飄々としていた。


 反抗的な態度を示したつもりはないが、ラグナたちはあっさり詰所にある留置所に入れられてしまった。すでに留置されているゴロツキたちから、冷やかしの声が上がる。イリアが睨むが、余計に調子に乗るので無視を決め込んだ。

 入れられる際、武器も没収されてしまった。丸腰となったイリアは不安の只中に立たされた。


「……大変なことになっちゃいましたね」

「そうだな」

「こんなのおかしいですよ。犯罪を繰り返してたのは、向こうの方なのに」

「だが、それを証明する方法がない」

「……妙に落ち着いてますね」


 イリアの声に険が滲む。今の状況はラグナのせいではないが、流されるままだなんて、彼の性格には似つかわしくない。


「考え事をしていてな……」

「考え事?」

「ああ。おかしいだろ。俺たちはさっきネェロに着いたばかりなんだぞ? それなのに、すぐに衛視に囲まれた。あのシーマって野郎は、まるで俺たちがネェロに寄るのを知ってたみたいだ」

「言われてみれば……」


 イリアは、考えられる可能性を選択し推理した。


「……実はあれから、ずっと私達の後を尾行していたんじゃ……そして、ネェロの近くまで来た時点で先回りして……」

「ヴァトからここまで何日間掛かった? その間ずっとか? あいつにそんな根性があるとは思えんな。それに、あいつらは自分の利益に繋がるから組んでいたパーティで、敵討ちをするほど強い絆で結ばれてたわけじゃないだろ……気は合ってたみたいだがな」

「……なにが言いたいんですか?」

「シーマがこの街にいたのは偶然だと思う。だが、俺たちが来るのは知っていた。つまり、衛視を動かしたのはシーマだが、そのシーマを動かしている者が背後にいる。俺たちの動向を把握している奴がな」

「なんです、それ? いったい誰が?」

「俺たちが追っているやつか……その仲間だ。俺たちが奴を嗅ぎつけたように、やつもまた、俺たちの、いや、俺の存在に気づきやがった。先手を打たれたんだ」


 ラグナは確信していた。ただのデーモンならば、こんな回りくどいマネはしない。衝動の赴くまま、襲撃するだけだ。問題は、あいつらのうちの誰かということだ。かつて行動を共にした仲間の顔が浮かび、胸が締め付けられる。


「………………」


 しばらくの回想の後、ラグナは考えるのをやめた。誰であろうが、倒さなければならないのだから。


「……その人って、ラグナとどういう関係なんですか?」

「あ?」

「ラグナの友達?」

「なぜ、そんなことを訊く?」

「その人は、私の仇です。たとえラグナの友達でも、許すことはできない……」


 俯き、手をきつく握りしめるイリアの頭に、ラグナの手が置かれた。


「友達とは違う。昔……一緒に旅していた仲間だ。言っただろ。俺もやつを討つつもりで旅を続けているんだ。妙に気を回すな」


 ラグナの意外なまでの優しい声にも、イリアは顔を上げられなかった。


「今のうちに眠っておけ。仕掛けてくるとすれば、もう少し日が落ちてからだ。俺も少し休む」


 言いながら、ラグナは腕を枕代わりにして目を瞑った。

 そんなラグナの姿を見ると、イリアは戸惑いを覚えてしまう。

 この人は、なんでこんなに飄々としていられるのだろう。私にはとても無理だ。泥沼に足を絡め取られるような毎日。思い通りに生きられない人生に、しゃがみ込みたくなる時すらある。ラグナは、これまでの人生で辛い思いをしたことはないのだろうか。

 イリアは惑う気持ちを抱きながら、さっき視界に捉えた人物に思いを馳せた。あれは、確かにナルクだった。似ているなんて次元ではなかった。彼は生きていた。あの地獄のような惨状から生き延びたのだ。


「早くここから出て、彼を探さないと……」


 ラグナは眠れと言ったが、気持ちが高揚して、とても落ち着いてなんかいられない。逸る気持ちをもどかしく胸に閉じ込め、イリアは天井を見上げた。

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