第15話 火種と悪風

 カイルの入口に立った。目の前に広がった光景は、無残の一言だった。

 倒壊した家に住人の笑い声は消え失せ、いくつもの屍が横たわっている。大きな火事になったのであろう。炭と化した瓦礫からは、まだ煙が潰えていない。それがまた、この村で起きた惨劇を生々しく想像させた。

 イリアは自分の体験と重ね合わせ、耐えきれずにその場にへたり込んでしまった。


「大丈夫か?」


 ラグナはいつもの剽げる態度は潜めているものの、精神に痛手を負っている様子はない。むしろ、道端の雑草と同じくらい見飽きていると言わんばかりだ。


「……はい。すみません」


 差し伸べられた手を取り、イリアは立ち上がった。改めて見回すも、ゴーストタウンとしか表現しようのない景色だ。これでは生存者など望むべくもない。カエナが生き残れたのは、まさに奇跡的だったのだ。


「辛いなら、ここで待ってろ」

「いいえ。大丈夫です」


 ラグナの気遣いはありがたかったが、この街を襲ったのが、探しているデーモンなのか自分の目で確かめなければならない。イリアはラグナの後について前に進んだ。

 ラグナは壁に大穴が空いた家に入り、横たわっている屍を無造作にひっくり返した。


「ラグナッ」


 さすがにイリアは咎めたが、ラグナは意に介することもなく屍の傷を観察している。胸から腹にかけて切り裂かれた四本もの長い傷は、見事なまでの直線で刻まれている。


「大きいな……」

「え?」

「こいつが鉤爪による傷ならば、手がかなりでかい。つまり、比例して体も大きいということだ……」


 ラグナはぶつぶつと独り言を始めた。口の中で言葉を転がして、端々しか聞き取れない。しかし、最後の言葉はイリアに向けて発せられた。


「傷の間隔から推察すると、身長二メートルは下らないな」

「傷の間隔……」


 言われてみて、初めてイリアは気づいた。たしかに異常なくらいでかい。カエナが負っていた傷よりも大きく感じた。しかし、ラグナの推理に反論した。


「私が目撃したデーモンは、そんなに大きくなかったです。仲間がいるんじゃ?」

「その可能性は捨てきれないが、いたとしても一匹か二匹のはずだ。完全に魔に飲み込まれるまでは、自制心が働くはずだからな……おまえやカエナが助かったのは、辛うじて残された人間の心のおかげだ」

「なんのことです?」

「いや……こっちの話だ。ところで、こいつはどっちに行ったかな……」


 屍の観察を終えたラグナは、今度は周囲に目を向けた。デーモンの痕跡が残っていれば、向かった方向もわかると考えたのだろうが、街は全体的に満遍なく荒らされていて、立ち去った方角を割り出すのは容易くなかった。


「……地図は持ってますか?」 

「ああ……あまり広範囲のものではないが……」


 イリアがなにかを確認したがっているのを察して、ラグナはウエストバッグから地図を取り出した。普段は丸めているのでクセが付いているうえに、何度も出し入れしているので、端がボロボロになっている。

 崩壊した家屋の中に、被害の逃れた一脚のテーブルを見つけた。ラグナはその天板に地図を広げると、イリアに視線を送った。


「……今私たちがいるのは、この村ですよね」


 イリアは地図の一点を指さした。そこから南東の方角に、コンシアと記された街を見つけた。イリアが生まれ育った街だ。ラグナとイリアが出会ったヴァトは、二つの地点より南東に位置する。


「ラグナのヴァトまでの道筋を教えてくれますか?」 

「俺は、北東から下ってきたな……」


 ラグナは、地図の上に指を滑らせた。コンシアよりもさらに東からだ。


「その間、不穏な話は耳に入らなったんですね?」

「ああ……」

「私たちが一緒に旅するようになってからも、ラグナさんは情報収集を欠かさない。それなのになにも引っ掛からないってことは……」


 ラグナには、イリアの言わんとしていることがわかった。北と南で差はあれど、二人は互いに東から西への道筋を進み、ヴァトで出会っている。そして、このカイルはヴァトよりさらに西だ。


「そいつは西に向かって進んでいる。俺たちは、偶然にもそいつの後を追っていることになるのか」

「そうだと思います」

「……となると、次に危なさそうな街は……」


 ラグナは、地図上の一点を指した。


「ここだ」


 ラグナの指先には、ネェロと記されていた。


 ラグナたちがカイルで次なる目的地をネェロと定めていた頃、そのネェロの酒場で安酒を呷っていた一人の男がいた。

 シーマ・ガウロ。ヴァトでラグナたちを罠に陥れようとして、返り討ちに遭ったパーティの一員だ。命からがら逃げだしたものの、他の三人と合流することはできなかった。きっと、あの不気味な魔法を使うラグナに殺されてしまったのだろう。

 日々の糧を得るために組んでいた連中だ。仲間の死を憤って敵討ちを誓うほどの思い入れはなかった。しかし、バランスの取れた良いパーティだったとは思う。

 シーマはカウンターテーブルに置かれたジョッキを乱暴に掴み、再び一気に飲み下した。今日の酒はやけに苦い。いや、今日だけではない。ロロミカたちと縁が切れてから、酒が美味いと思えなくなっている。

 自分の役割はレンジャーだった。剣術や魔法は自分には合わなく簡単に挫折したが、弓だけは性に合っていた。素早く動ける身体能力と相まって、パーティを組む度に自然とそのポジションに落ち着いた。

 ソロのレンジャーなど聞いたことがない。どれだけ敵の情報や地形の様子を調べられたとしても、戦闘になった時に身に降りかかる火の粉を払う程度では、冒険は続けられない。早いところ新しいパーティに加わる必要があるが、足繁くギルドに通ってもレンジャーを求めているパーティは少ない。皆無というわけではないが、ロロミカについて甘い汁を啜っていた彼は、今さら酸っぱい苦労に塗れる気など起こらず、なかなか決断ができない。そんなこんなで瞬く間に数日が過ぎていき、懐はどんどん寂しくなっていく。このままでは、文字通りの「徘徊する者」になってしまう。酒も苦く感じるというものだ。

 見るともなしに周囲を見渡した。どいつもこいつも景気良さそうに映る。隣の芝は青く見えるというが、自分の卑屈さが生んだ光景だけとは思えなかった。あちこちで起きる笑い声や、ジョッキを置く音さえも耳障りだった。


「くそっ。こんなことになったのも、すべてあのラグナのせいだ」


 勝手な責任転嫁だったが、本人にはその自覚はない。自覚がないからこそ、幼稚な言動も平気でできるのだ。


「今、ラグナって言った?」


 据わった目に飛び込んだのは、麗しいという形容に相応しい美女だった。全身が濡れていると見間違うほど艶めかしく、シーマに向ける視線は惑わされる色っぽさだ。


「あ、ああ。言ったが……あんた、あいつを知ってるのか?」

「知ってるわよ。一杯奢ってくれる?」


 女は妙なシナを作って、シーマの隣に腰掛けた。

 なんだ? 誘ってるのか?

 余裕はなくなっているが、褥を一緒にできるなら酒の一杯など安いものだ。しかし、こちらとて女を知らないガキではない。いきなり低俗な話に持ち込んではマナーに反するというものだ。向こうにその気があっても、ここは搦手から……。


「一緒に飲むのは構わないが、あんたはあいつのなんなんだ? 場合によっちゃあ、あんたに酒代を払ってもらうことになるぜ」

「あら? 彼になにかされたの?」

「なにかなんてもんじゃねえ。あいつのせいで、俺は今、無職の体たらくだ」

「面白そうな話ね。聞かせて?」


 面白そうという言い方にはカチンときたが、話すのは厭わなかった。シーマにしても、腸が煮えるほどの屈辱をぶちまけたいと思っていたのだ。

 シーマはヴァトでのインプ討伐を語り聞かせた。もちろん、自分たちがラグナたちを騙し殺そうとしたところは、立場を逆に脚色するのを忘れなかった。


「それは、大変だったわねえ」


 たいして興味のなさそうな口調で女は言った。同情なんか求めてなかったが、あまりにもあからさまななので、気にくわなかった。それとも、話なんかどうでもいいから、すぐに抱かれたいとでも言うつもりか? それならそれで構わないが、女の意味ありげな態度が妙に気になった。


「おい、あんたラグナを知っていると言ってたな? どういった関係だ?」

「私も、あの男には含むところがあるの……ねえ、私と組まない?」

「なんだと?」

「私とあなたで、ラグナに復讐してやるのよ」


 女の目が怪しく光る。吸い込まれそうだ。


「けどよ……あいつ、恐ろしく腕が立ちやがるんだ。それに、怪しげな魔法も使うぜ」

「男ってバカね。相手をやり込めるのに、腕力に頼る必要なんてないわ」

「……なにか考えがありそうだな。聞かせてくれるか? そういや、名乗ってなかったな。俺はシーマ・ガウロ。あんたは?」

「私? 私の名はリコ・イドォル。よろしくね」


 リコは、シーマの瞳を覗き込んで微笑んだ。

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