第14話 接触の前日

 落ち着いたカエナが告げた村の名は、カイルといった。ラーナからは大人でもまる一日掛かる距離だ。イリアは、幼い体でラーナの手前まで辿り着いたカエナに感心すると同時に、安心もした。彼女は絶望の中に放り込まれても、生きる意志を捨ててはいない。


「カエナが見たのは、一匹だけだったのかい? 他にデーモンは?」


 カエナは首を横に振った。


「どうやって逃げたんだ? そのデーモンは追ってこなかった?」


 その問いにも、首を振った。カエナが言うには、デーモンであるにも関わらず人語を操り、そのデーモン本人から逃げろと言われたという。


「そんなはずはない。デーモンが人間の娘を見逃すはずがない」


 スキィルの驚愕と猜疑に満ちた呟き。その意見はもっともだったが、ラグナとイリアはカエナの言葉を信じた。

 ラグナはデーモンの詳細についても質問したが、カエナは答えられなかった。両親が惨殺されたショックと、逃げるのに必死で、記憶が曖昧になってしまっていると。


「無理もないか……」


 ラグナは立ち上がりながら、イリアを見た。


「俺はカイルに行くが、おまえはどうする?」

「……もちろん、行きます」


 イリアは、ラグナの目をまっすぐ見返した。ラグナの方も、イリアの答えは先刻承知とばかりに、唇を歪ませた。

 ラーナを発つ前、ラグナはイリアの素性を訊いた。なるべく深くは関わらないつもりだったが、彼女のカエナに対する接し方を見て、引っ掛かっていた曖昧なものが、はっきりとした輪郭を形作った。


「イリア。おまえもデーモンに襲われたな? おまえの両親を殺したのは、デーモンだったんだな?」

「………………」


 いずれ時期を見計らって告白しようとしていたことを先に問い質され、イリアは口を噤んでしまった。

 隠すつもりはない。ただ、話し始めの一声が思いつかない。これまでラグナに言わなかったのは、デーモンに復讐するなどという大それた行為に協力してくれるか見定めができなかったのと、彼の持つ奥底まで踏み込めない雰囲気に、迷いを抱いていたせいだ。


「……おそらく、カエナを襲ったデーモンは、私が倒そうと考えている者です」


 ラグナは、鼻から息を吐いた。確信はあったものの、実際に言葉で聞くとまた重みが違ってくる。


「やはり、そうか。冒険者でもないのに、危険なデーモン討伐に参加したり、カエナを襲ったのはデーモンだと言い切ったり、ちらほらと気になる行動があったからな。おまえの旅の目的は、そのデーモンを倒すことで、そのための仲間を集めることなんだろう?」


 イリアは無言で頷いた。ラグナに対して、味方になってくれるか見定めていたなどとは言えず、顔を上げられない。

 少しだけ沈黙の間があり、ラグナは質問を続けた。


「……おまえは、そのデーモンがどんなのだったか説明できるか?」

「……あんなのは初めて見ました……。狼を無理やり人型に造形し直したような姿で、ひどく禍々しかった……。圧倒的な魔の迫力に圧倒されてしまって……倒されたはずのヴォルフ・ガングが復活したと言われても、信じてしまうほどでした。でも、おかしいのは、近づく前に人も一緒にいたように見えたんです」

「人と一緒?」


 その話は、ラグナの心に引っ掛かりを覚えさせた。デーモンにとって人間は糧であり、それ以上でもそれ以下でもない。狩るか狩られるかだけの関係であり、共存などあり得ない。

 しかし、例外もある。デーモンの性質を持ちながら、心は人間である者が存在したなら……。

 異質な行動でありながら、ラグナが探している人物として捉えたなら、妙にしっくりとくる。脳の中で確信と眩暈が同時に引き起こされる。


「確認するぞ。人間とデーモンが一緒にいたんだな?」

「ええ。ですが、あの時は混乱してて……」

「……人間とデーモンが行動を共にするはずがない。そいつは人間を従えることができるんだ……なんてこった。俺が探していた情報を持つ者が、こんな近くにいたなんてな」

「え?」


 イリアには、ラグナの言った言葉の意味がわからず事情がのみ込めない。思考が宙に浮いてしまい、緩慢な声しか出せなかった。

 対して、ラグナの胸中は穏やかではなかった。同行を許した少女が、自分の運命を連れてきた。あまりにも気まぐれな天の配剤に、立ち眩みを起こしそうになる。


「これは運命か? だとすれば、近いうちに必ず巡り合うことになる……」

「ラグナ? なにを言って……」

「そいつこそ、俺が倒すべき敵だ。おまえの仇と俺の敵は同じだったってことだ。やっと見つけたぞ」


 立ち上がったラグナの全身からは、青白い炎が吹き出していた。イリアにはそう見えた。


 森の中にぽつんと建っている一軒の小屋があった。普段から使われている様子はない。木々の中に溶け込んではいるが、放置されているような廃れ方でもない。地元の猟師が、猟の最中に休憩或いは睡眠を得るために建てられた小屋だ。

 休息を求めて、小屋に無断で入り込んだ者が三人いた。クロエ・サーデンの一行だ。

 小屋の中は、いかにも休憩できればそれでよしといった赴きで、寝具の他には猟に使う道具がいくつか置いてあるだけだった。唯一ありがたかったのは、かまどがあったことだ。

 リコはさっそく湯を沸かし、ナルクは食料の調達に出掛けた。

 クロエは薄汚れた部屋の様子など意にも介さず、窓辺に佇んで外の様子を伺っている。今日は朝から落ち着かなかった。この感覚には覚えがある。ヴォルフ・ガング討伐の旅をしていた頃に何度も経験した。手強い敵の気配を感じ取った時のものに酷似している。久しく忘れていた震えだ。

 クロエは立ち眩みに似た感覚に襲われ、片膝をついた。その予感の対象が何者なのかすぐにわかった。ヴォルフ・ガングに憑りつかれて、デーモンに勝るとも劣らない力を身に宿してしまった今の自分を、ここまでざわつかせる相手などこの世に一人しかいない。


「ラグナ・フェアラット……。あいつが近くまで来ている。僕たちを見捨てた裏切り者が……あいつが逃げ出したせいで、どれだけ苦しんだか……恨みは必ず晴らす。いや、違う。やっと救いに来てくれたんだ。彼を討つなんて、とんでもない考えだ。でも、痛いのはもう嫌だ。彼が僕を殺す前に一太刀くらいは……それくらいなら許されるはずだ。僕にはそうする権利がある。あいつを……ラグナを殺す……」

「クロエ?」


 クロエの様子がおかしいことに気づいたリコ・イドォルは、彼の肩に手を置こうとした。しかし、その手は激しく弾かれた。


「僕にさわるなっ」


 リコはショックを受けた。拒否されたことにではなく、クロエの苦しみ方にだ。体は細かく震え、額から流れる脂汗の量が尋常ではない。


「クロエ……」

「……ごめんよ。でも、今の僕に近づかない方がいい」


 クロエはリコに対して、常に罪悪感を抱いていた。彼女は自分の咎だ。抑えきれない衝動に駆られ、こっち側の存在にしてしまった。


「どうしたんですか? すごい汗ですよ……」


 リコはたった今弾かれた手でハンカチを持ち、クロエの額を優しく拭った。その仕草に、クロエに対する恐れや嫌悪は微塵もない。

 クロエは明かすべきではないと必死に堪えるが、助けを求めるもう一人の自分が口を開かせてしまった。


「……ラグナ・フェアラット」

「え?」

「あいつが来た……僕を殺しにやって来たんだ」


 リコの顔から、すぅっと表情が消えた。それは氷よりも冷たく、ただの人間ならば肝胆を寒からしめるのに充分過ぎるほどの迫力を滲ませていた。クロエは、改めて彼女に対する罪悪感に潰されそうになる。


「誰もあなたを傷つけさせない」

「違うんが、だ。リコ。ラグナは僕を救いきに、いに来たんだ。僕を、苦しみから、から、解放するために……いい、嫌だ。死にた……か、くない。僕は世界を救った英雄だただ。かつての仲間に討たれるなんて、そんな惨めななな死に方……ああ、ラグナ。早く来てくれ。僕をたす、助けて……」


 もう、言っていることが支離滅裂だった。リコの胸が締め付けられる。クロエは、こんな苦しみを受けるべき人ではない。これが神の意志というのなら、私は神に背いてでも、この人を救ってみせる。


「……あなたを苦しめるものは、私がすべて排除します」


 リコは扉を開けて、森の閑寂な空気を室内に招き入れた。そのラグナなる者がどんな人物かは知らないが、七聖剣の英雄の一人であるならば、相当の手練れであることは間違いない。

 しかし、クロエに仇なす者ならば、この世から消し去ってしまわなければならない。クロエを追ってきているなら、今までに通過してきた村や街を辿って来るはずだから、待ち伏せも可能なはずだ。

 リコがラグナを仕留めるための算段をしていると、ふいに扉が開いた。ナルクが帰ってきたのだ。脇に百キロはありそうな猪を抱えている。

 ナルクは二人の様子を見ただけで、事の次第を把握した。猪を乱暴に降ろすと、リコに目で囁きかけた。リコも無言で応じる。クロエを助けたいと思う気持ちは、二人とも同じだ。


「行ってきます。ラグナとやらを始末したら、すぐに追い掛けますから、クロエは先に進んでください」

「待て。行くな、リコ」 

「大丈夫。あなたを見失ったりはしません」


 リコが微笑んだ。妖艶な彼女が垣間見せた、混ざりけのない無邪気な笑顔だった。


「ダメだっ。一緒にいてくれっ」

「あなたに災いが降りかかるなら、私をそれを遮る盾になります。私は、あなたに救われてここにいるのですから……」

「きみではラグナにはっ……」


 クロエが言い終わらないうちに、ナルクとリコは出ていってしまった。追い掛けたくても、脚に力が入らず立ち上がることもままならない。


「……行かないで……僕を一人にしないで……」


 リコをこっち側に引き込んだのは、二ヶ月も前のことだ。ナルクに至っては一年も経つ。今の今まで、ヴォルフ・ガングの呪縛に抗えきれずに衝動的に魔力を注入してしまったと思っていたが、それは違かった。強烈な魔力にではなく、圧倒的な孤独に耐えられなかったのだ。一人でもいいから、理解者が欲しかったのだ。かつての仲間は散り散りとなり、そのうちの一人は敵となって迫ってくる。どんなデーモンだろうが恐れずに立ち向かった自分が、独りの寂しさに抗えなかったとは……。


「リコとナルクになにかあったら、僕はおまえは許さない……」 


 クロエの心が波立つ。仲間であった時には屈託なく笑いあう仲だったラグナに抱くのは、熱い憎悪と激しい嫉妬、そして深い仁愛だった。

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