第12話 深淵を覗く瞳
焚き火は心を癒やしてくれる。揺らめく炎を眺めていると、一日の疲れが溶けて流れ出ていく。
食事を終えた二人は、火を囲んで今日を締めくくろうとしていた。
ラグナは装備の手入れをしている。食事をしている時の彼は、本当に美味しそうに食べてくれて、これまで経験した面白いエピソードを語り、楽しませてくれる。しかし、武器を手にして点検している目は真剣そのもので、少し怖いくらいだ。
どちらが本当の彼なのだろうと、イリアは秘かに煩う。
不思議なことに、ナイフや変わった形の弓などはこまめに手入れをするのに、いつも背中に背負っている剣は傍らに置いておくだけで、鞘から抜きもしない。
イリアは疑問を口にしてみた。
「その剣は手入れしないんですか?」
「ん? ああ。こいつは鞘から出されるのを嫌がるんだ」
冗談で逸らされた。しかし、イリアはしつこく訊くことはしなかった。冗談の裏側に、あまり深く追求するなと言っているのを感じ取ったからだ。
不思議と思うことは、もう一つあった。ラグナが使った魔法だ。
「……そういえば、ラグナが魔法を使う時って、媒体を介さないんですね」
インプ討伐の際、彼は呟いただけで、硬い大地を流砂にした。おそらくは土の系統の魔法だろうが、それにしたって魔法発動のための媒体は必要だ。鞘から抜かれない剣に、なにか秘密があるのだろうか……。
イリアの勘繰りを感じ取ったラグナは、ニヤリと笑った。
「この剣は関係ないぜ。魔法ってのは精神力と想像力の強さに左右される。自分にはできてあたりまえって次元まで染み込ませれば、媒体なんてなくても発動できる」
ラグナはなんでもないことのように言う。しかし、少しでも魔法を学んだ者なら、それはとんでもなく高等な技術だとわかる。
魔力というものは、あらゆるところに存在する。特に多くの魔力が含まれるとされているのが、地、水、風、火の四つである。魔法とは、四大元素の中に棲む精霊の恩恵を顕現する技術だ。人間は自らに内包する術を駆使して魔力に接触し、詠唱よりに精霊からの恩恵を集め固め、さらになにかしらの媒体を介して具現化する。系統により、炎を噴き出したり、突風を巻き起こしたりするが、それを意のままにコントロールするのが難しい。
生まれついての才能や、本人の努力により、扱える魔法のバリエーションや強さには差が出る。それでも、共通しているのは、詠唱と媒体だ。どちらかが欠けても、魔法は発動できないと思っていただけに、イリアは驚きを隠しきれなかった。
「そんな技術、どこで学んだんですか?」
「学んだっていうか……押し付けられたっていうか……まあ、いろんなことを経験しているうちに身に付いたんだ。これは俺の考えなんだが……魔法ってのは、まだまだ人間には知られていない領域があると思うんだ。世のマーギアーたちが使っている魔法は、全体のほんの一端に過ぎない気がするんだよ」
ラグナが急に饒舌になった。マーギアーが集まると、学んだ技術やそれを用いて掻い潜った冒険譚で盛り上がる。奇跡の力を使いこなす自分に酔いしれ、皆に称えてもらいたいのだ。もしかしたら、彼も語り合える仲間が欲しいのではないだろうか。しかも、同レベルで互いの行っていることが理解できる仲間を。
だとしたら、今の私は力不足だ。基本的な勉強はしたと思っているが、実践を経験しなければ習得できない機微というものがある。
「……私にもできるようになりますか?」
「そうなりたきゃ、努力しなくちゃな。俺がこれまで生きてきた経験から学んだことは、人間てのは努力をしなければ、なにも成しえないということだ」
「でも、世の中には裕福な家庭に生まれたというだけで、富や権力をほしいままにしている人たちだっていますよ」
「努力もしないで手に入れたものは得たとは言わない。それは与えられたものだ。得たものと与えられたものとでは、その価値に雲泥の差がある。それに、与えられたものは簡単に手から離れていくもんさ。ほらよ」
ラグナは、手入れが終わった手のひらサイズの弓をイリアに渡した。
「これは? すごくちっちゃい弓……変わった形をしてますね?」
「クロスボウっていってな、力が弱い者でも引けるように工夫された弓だ。小さいが威力は普通の弓より強力だぞ」
イリアは、まじまじとクロスボウを見つめた。弓の下に指を引っ掛けるフックがある。
「これは連弩という種類で、こんなふうに矢をセットすれば六発撃てる。このトリガーと呼ばれるところを引くんだ。やってみ?」
ラグナは近くに立っている木の幹を指さした。イリアは言われるがままに狙いを絞り、トリガーを引いた。指先に少しだけ抵抗があるだけで、矢は簡単に発射された。
「きゃっ」
余りにも手軽だったので、思わず声を上げてしまった。矢の行方を確かめようとした時には、すでに幹に突き刺さっており、その威力は恐ろしくさえあった。
「す、すごい……でも、なんで私に?」
「魔法は、使い方によっては窮地を救ってくれる奇跡の技術だ。だが、詠唱している間は無防備になってしまうからな。そいつで身を守りながら、詠唱できるよう訓練しておくんだ」
「詠唱中に防御もするんですか?」
「俺は仲間を増やす気なんかない。おまえを放置するつもりはないが、戦闘になればどうにもならん状況に陥る可能性は否定できない。自分の身は自分で守れるようにしとくんだ」
「………………」
イリアは不安になった。過去に降りかかった悲劇のせいでこうして旅をしているが、魔法を習得したのはデーモンと戦うのが目的ではなかった。医者だった父の助けになりたくて、回復や治癒の魔法を学んだのだ。医療に魔法の技術を取り込めば、飛躍的に進歩する。そうすれば、父も楽ができるし、多くの患者も救えると考えたのだ。
精神の集中が必要な詠唱の最中に、武器を使うなんて真似ができるとは思えなかった。冒険を生業としているソロのマーギアーなど存在しない、そういった弱点を補填するためにパーティに加わるのだ。
黙り込んだイリアの胸中を察したのか、ラグナの口調はわざとらしく軽かった。
「魔法や武器に捕らわれすぎるな。周囲を見渡してみろ。使えるもんがそこら中に転がってる。そいつらを利用するのさ」
「そんな器用には……」
「ようは勝ちゃいいんだ。それにな、人間努力すれば大抵のことはできるもんだ。与えられるだけじゃなく得る、だぜ」
そう言って、口角を上げた。
柔らかな日差しの刺激を受けて目が覚めた。坂道をゆっくりと登るみたいな、安らかな目覚めだった。こんな目覚めは久し振りだ。やはり、一人でも同行者がいると安心感が違うなと、イリアは目をこすった。
顔は冷気で突っ張ったものの、焚き火の暖かさを背中に感じた。とっくに燻っているはずだから、ラグナが自分より早く起きて、つけ直したに違いない。
起き上がって周囲を見渡したが、ラグナの姿は認められなかった。
どこに行ったんだろう?
イリアは置き去りにされた幼子のように不安になり、急いで起き上がった。落ち着いて考えれば、すべての荷物を置いたまま去るわけはない。一瞬でも過ぎった不安に、馬鹿みたいだと気恥ずかしくなりながら、ラグナを探し始めた。
少し行ったところが河原になっている。根拠はないが、そっちに行くことにした。
ラグナはすぐに見つかった。まだ気温が低い朝なのに、汗をかいている。一人でトレーニングをしていたのだと思い至ったが、激しい運動は終えたようで、今はナイフを構えてじっとしている。そして、彼の近くには剣が置かれていた。
あれは……あの剣は、いつも背負っているものだ。彼は戦いの時、ナイフを使う。一度だってあの剣を抜いたことがない。ラグナは、あの剣に思い入れがある。口にこそ出さないが、繊細な扱い方に、執心の丈が滲んでいるからわかる。使わない剣を背負うことになんの意味があるのだろう?
「おは……」
イリアは、朝の挨拶をしようと一歩踏み出した。だが、足はその一歩だけで地面にへばりついてしまった。
朝日を反射するナイフの眩しさに隠れて見逃していたが、ラグナの瞳は眩い光すらも吸い込んでしまいそうなほど、深く暗かった。そこには、普段の突っ張らない物腰や、昨夜の魔法を熱く語った精彩さは微塵もなかった。生きている者の瞳が光を反射しない道理はない。あれはまるで……あれでは、まるで死人の……。
……この人……。
イリアは急に怖くなった。見てはいけないものを見てしまった気分になり、声も掛けずにキャンプに戻った。
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