第10話 連れ合い
ヴァトに戻った二人は、その足でギルドに寄り、依頼を完了させたことを伝えた。応対したのは、ラグナの相手をした時の受付嬢で、二人だけしか戻ってこなかったのを怪訝に思っているのがありありと伝わった。気にしないフリを装って、ラグナたちに意識を向けている者もちらほら感じる。
イリアはさり気なく後ろに下がり、逆にラグナはずいっと前に進み出た。
「他の四人は? パーティは六人だったはずでは……」
「装備が破損しちまってね。早く修理に出したいってんで武具屋に行ってる。あとで落ち合うんだ」
「そう、ですか」
ラグナはしれっと嘘をついた。受付嬢はなにか言いたげだったが、深く追求してこなかった。彼女なりに思うところがあるのだろうか。
「……それでは、お支払いについて説明いたします」
報酬を受け取れるのは、彼らが仕事をきちんと遂行したか確認を得てからだ。冒険者の中には、中途半端に仕事を投げ出し、報酬だけはしっかり要求する輩もいる。
報酬とは依頼された仕事をこなしてこそ受け取れる対価であるはずなのだが、正当性を欠いて金銭だけを手に入れようとする者が後を絶たない。報酬を支払った数日後に、依頼人からクレームが入って信用を傷つける事態は避けなくてはならないのだ。そのために、信用できる鑑識人も雇っている。
「じゃ、明日の昼前に来ればいいんだな」
「はい。仕事が完了していたのが確認されたら、お約束の報酬をお支払いいたします」
受付時には、ラグナのことを人生の負け組と決めて掛かったが、今の彼には圧し込んでくる厚みがある。受付嬢は、ラグナに対する認識を改める必要を感じた。
「じゃあ、今夜はこの街の夜を楽しむとするかな」
「……はい。ヴァトでゆっくりお休みください」
「美味い飯を食わせてくれる店を紹介してほしいんだが……」
「それでしたら……」
明日に再び訪れる約束をして、二人はギルドを後にした。
ラグナとイリアは、インプ討伐のために行動を共にしただけの、言わば行きずりの関係だ。しかし、なんとなく夕食を一緒に取る流れとなり、受付嬢に教えてもらった酒場に入ることにした。酒場の上階は宿屋になっており、ラグナは今夜の宿はここにしようと決めた。
まだ受け取っていないが、本来なら六人で分けるはずだった報酬を二人で山分けするのだ。懐はすでに温かい気分だった。
ラグナはボリュームのある肉料理と酒を注文し、狼のようにかぶりついた。対して、イリアはシチューとパンを行儀よく食べている。
「なんだ。それだけでいいのか? 肉を一切れ分けてやろう」
「い、いいえ。私はこれだけで……」
「遠慮するな。仕事の後はたらふく食う。冒険者のたしなみだ」
「私は冒険者というわけでは……」
「いいから食いなって。こんな美味いもんが食えるのも、生きててこそだ」
ラグナは肉を一切れ小皿に移し、イリアに差し出した。一切れと言っても、ステーキ一枚分に迫る量だ。
「生きていてこそ……」
イリアはラグナの発言を噛み締め、改めて目の前の男を伺い見た。
三人もの人を殺めて、平気で食事を貪る。どういう神経をしているのだろう。たしかに、相手は悪人だったし、殺されていたのはこちらだったかもしれない。それにしても……。
イリアの混迷をよそに、ラグナは運ばれてくる料理を次々と片づけていく。
……でも、悪い人ではない。さっきの戦いぶりを見る限り、腕は確かなのは間違いないし、なにより魔法が使える。見たことのない不思議な効果を発揮したけど、あれは土の系統の魔法かな……。あのデーモンは……私の仇は単純な腕っ節の強さだけでは、到底敵わない気がする。この人なら……。
「あの……」
「んが?」
ラグナが口いっぱいに肉を詰め込んでいたので、咀嚼し終わるのを待った。
「あの、ラグナさんはどこに行かれるのですか?」
「殉教者に浴びせるような質問だな。汝はいずこに行かれるのですか? てな」
「どこか目指している土地があるのでしょう?」
イリアはラグナの軽口をいなした。
「んー。難しい質問だな。たしかに目的地はあるんだけど、それがどこにあるのかわからないんだ」
「わからない……ですか」
「ああ。……それと、俺のことはラグナでいいよ。堅苦しいしいのは苦手なんだ」
「あ、はい。それで、どうやって行くつもりなんです?」
「街から街へ渡り歩いて、噂を拾って……の繰り返しだな。飯を食い終わったら、そこらへんの連中に声を掛けるつもりさ」
言いながら、エールをがぶりと飲んだ。
「雲を掴むような話ですね」
「まあね。でも、必ず辿り着くよ。ニオイってのは隠しきれないもんだ」
「ニオイ?」
「ああ、いや……なんでもない。それより、きみの方こそ、なんだって危険なことに首を突っ込んだんだ? 冒険者じゃないんだろ?」
「……私は……その……」
イリアは言い淀んだ。ラグナは分厚い肉を器用に切り分ける。
「いいさ。無理に言わなくても。人にはそれぞれ事情がある」
「………………」
周囲の喧騒が、いやに遠くに聞こえる。酒に酔い料理に舌鼓を打ち、生きることを謳歌している。私は楽しんでいない。どんなに美味しい料理を出されようが、心躍る演奏が流れようが、心の奥底から愁傷が消えない。決着をつけなければ、私の人生は始まらない。
この人なら……。この人となら……。
「どうした? もう食わないのか?」
「いえ……いただきます」
イリアは、ラグナが分けてくれた肉にフォークを突き刺した。
翌日、ギルドで報酬を受け取ったラグナは、イリアと二人で山分けした。
「ほい。きっちり半分ずつだ」
「あの……私こんなには……。ほとんどなにもしなかったのに」
「そんなことないだろ。あの炎の攻撃で、やつら勢いを削がれたんだ」
「でも……ラグナがいなければ、稼ぐどころかすべて奪われてたかもしれないんだし……」
「いいんだって。イリアはもっと自分を主張した方がいい。あんまり周りに気を使ってばかりだと、くだらない奴に食われて世の中を恨むようになっちまうぞ」
ラグナの言葉が胸に刺さった。自分はとっくに削り取られてしまっている。この世のすべてを呪っている。
言うんだ。言うのは今しかない。
「あっ、あの……」
「じゃあ、ここでお別れだな。もし、また会えたら一緒に飯を食おう」
「あのっ! ラグナッ」
別れを惜しむ様子など微塵も見せないラグナの背中に、声を絞り出して呼び掛けた。
たった一言の中に悲壮な思いを感じ取ったラグナは、足を止めて無言で振り返った。
イリアは若かった。まだ駆け引きの妙などできる年齢ではない。搦め手で話をうまく進める技能を身に付ける不相応の経験もなく、呼び止めはしたものの、次に発した言葉は幼稚なほど真っ直ぐだった。
「わた、私も一緒に行っていいですか?」
「行くって……次の街までってことかい?」
「そうじゃなくて……ラグナと一緒に旅がしたいって意味です」
ラグナはイリアが言った言葉を、ゆっくりと反芻した。
「……俺が言ったことを忘れたのか? 行くべき場所はあるが、それがどこかはわからない。いつ終わるともしれない旅だ」
「わかっています」
「昨日みたいな危険な目にあうことだってある」
「覚悟してます」
ラグナは頭を横に振った。
「きみはまるでわかってない。そんな環境を生き抜くためには、人間らしさの一部を捨てなきゃならないんだ。壊れると言ってもいい。食いもんと寝床を得るために、誰もやりたがらない仕事をして、時には戦って殺して、身も心も疲れ果てちまう。それでもやらなきゃならないことがあるから、投げ出すわけにもいかない」
「でもっ」
ラグナはイリアの反論を遮って続けた。
「大抵の者は、出発の時に抱いた志なんて忘れて、どこかの街に落ち着くんだ。安らいだ生活を求めてな。俺の旅は、そんなことも許されないんだ」
「私にも目的があります。途中で投げ出せない目的です。そのために旅を続けなくちゃならないんです。お願いします。一緒に……」
「わからない娘だな。俺は一人の方がいいと言ってるんだ。パーティを組む気はない」
「私は魔法を使えます。きっとお役に立ちます」
「素質はあるが、まだまだ経験不足だ」
「野宿する時には、お料理します」
「料理なら俺も得意だ。なにしろ、旅が長いんでな」
「私はっ」
「ダメだ」
ラグナの硬質的な言い方に、イリアは固まった。
「俺の目的は、きみの目的より逼迫している。きみの事情に関わっている暇なんかない。だいたい、年端もいかない子供が、重たいもんを背負おうとするんじゃない。一度家に帰って親に……」
「帰るとこなんて、もうないっ!」
イリアの悲痛な叫びに、今度はラグナが黙った。目から溢れた涙が、頬を伝う。射抜くような視線に、ラグナは圧された。
涙と同様、堰を切った感情がイリアの口から迸り出る。
「父さんも母さんも殺されたのっ! もう私には帰る場所なんてないんだっ!」
壮絶な過去を叫び、息を切らした。悲しみと怒りと絶望の濁流が、ラグナにまともにぶつかる。この憎悪に焦げた瞳には見覚えがある。為すべきことを為そうとしても、力が至らず身もだえするやり場のない怒りだ。拒否しようとしても、心の中に流れ込んでくる。
それでも、ラグナは冷酷な言葉をイリアに浴びせた。
「……生きていれば、辛いことだってある。縋ろうとしていた者に受け入れてもらえなかったからといって、感情的になるところが子供なんだ。そういうやつが足手まといになるから、一人がいいと言ってるんだぜ」
くるりと背を向けて、その場から立ち去った。
残されたイリアは、立ち尽くすしかなかった。ラグナの言ったことは正論だ。彼は私になんの義理もない。行きずりの子供を助けるなんて、迷惑なだけだ。わかってる。それはわかってるんだ……。
自分の甘えを自覚しながらも、嗚咽を抑えることができなかった。
「おい」
俯く頭に掛けられた声に、イリアは顔を上げた。
「なんて顔してるんだ」
いつの間にか、ラグナが戻っていた。彼に指摘されて、涙でくしゃくしゃになっている顔を慌てて拭った。
「料理をすると言ったな」
「………………」
「自分で作った料理を、一人で食うのは味気ない。野宿する時は、おまえが料理を作る。この条件を飲むなら、連れてってもいい」
呼び方が、きみからおまえに変わっている。イリアには、ラグナが距離を縮めた証のように聞こえた。
一度拭った涙が再び溢れ、ラグナの姿がまともに映らなかった。それでも、イリアは駆け出して彼の胸に飛び込んだ。
「ラグナッ!」
「おい、服がベトベトになっちまう」
押し倒さんばかりの勢いで抱きついてきたイリアを受け止め、ラグナは感情的になっているのは自分の方だなと思った。そして、非情になり切れていない自分の甘さを自覚し、一抹の不安を抱いた。
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