第9話 然るべき報い

 扉の向こうは大広間ではなく食堂だった。四~五十人は収まりそうな大食堂だ。テーブルや椅子は壁際に秩序なく積まれて、室内を彩っていたであろう額絵は、無残に切り裂かれている。無傷なら高額で買い取ってくれそうなほど芸術性の高い物もある。

 そして、あちこちで眠りこけているインプの姿が認められた。


「すげえ……三十匹はいるぞ」


 ドネンガは、予想以上の数に思わず唾を飲んだ。


「落ち着け。音を立てずに、一匹ずつ始末していくんだ」


 ロロミカが一匹のインプの首に剣を突き立て、そのまま体重を掛けた。覚悟のうえで同行したはずだったが、イリアは目をつぶって顔を背けた。


「ギッ⁉」


 インプは呆気なく絶命した。自分の身になにが起きたか、知る余裕もなかっただろう。


「イリア。おまえの杖じゃ静かに殺すってわけにはいかない。周囲を警戒して、動きがあったらすぐ知らせてくれ」

「わ、わかりました」

「ラグナ。おまえは……」


 ラグナは、無言で腰に差しているナイフを叩いた。


「よし、掛かれ」


 ラグナたちは方々に散り、作業に取り掛かった。デーモンたちの命を淡々と刈り取る、まさに作業だ。

 ラグナが三匹目を仕留めた時、それは起こった。ガッと切っ先が床を抉る音が響いた。リントが切っ先を滑らせたのだ。本人は青ざめて固まっている。

 緊張の波紋が広がり、全員が息を飲んだ。空気が重たく感じるほど静まり返って一拍、出血したインプの悲鳴が爆発した。

 インプの群れは、一斉に飛び起きた。即座に異常を察知し、ラグナたちを見つける。


「くそっ、まだ半分も減らしてないってのに!」


 ロロミカが悪態を吐いた。

 インプたちの行動は素早かった。体格差や相手の武器がなんであるかなど一切考えず、一番近くにいる敵に一斉に襲い掛かった。


「こうなったら遠慮はいらねえっ。手当り次第にやっちまえっ」


 ロロミカの怒声が飛び出す前から、イリア以外の全員が反撃を開始していた。


「ああっ。こっちの方が性に合ってるぜっ」

「雑魚がっ! 皆殺しだっ」

「死ねっ! 害獣どもがっ」


 三人は吠えながら、矢を放ち、槍を突き刺し、斧でぶった斬った。静謐だった食堂が、たちまちのうちに狂乱の戦場と化した。

 扉付近でオロオロしていたイリアに気づいたインプが、牙を剥き出しにして彼女に飛び掛かった。


「きゃあっ!」


 あわや毒牙の餌食になる寸前、ラグナのナイフがインプの喉を斬り裂いた。


「あ……あ……」

「呆けるな。火の系統を使えると言ったな」

「は、は、はい……」

「使う時だ。時間を稼ぐから、詠唱しろ」

「はいっ」


 ラグナは、イリアの前で防御態勢を取った。後ろは頑強な扉だ。前方から襲ってくるインプに神経を集中させた。


「我は偉大なる精霊の従者なり。我が求めに応じ、猛き炎を沸かせたまえっ。アロウズッ!」


 イリアの杖から炎が噴き出した。オレンジ色の濁流が、インプを次々と飲み込んで命を食い尽くしていく。

 ラグナは意外に思った。イリアの魔法が思っていた以上に凄まじかったのと、苦悶の中で息絶えていくインプを直視しながら、少しも怯まなかったからだ。そして、彼女の姿に一瞬でもフェスラム・レゼントを重ねてしまった迂闊さに苦みを覚えた。

 圧倒的な魔法の威力に、戦意を喪失して逃げ出すインプが現れ始めた。一度逃走に転じると、その勢いが増すのはあっという間だ。奇声を上げながら右往左往するも、ここには出口が一つしかない。扉を目指して突っ込んでくるインプは、ラグナのナイフとイリアの炎の餌食となり、室内を闇雲に駆け回っている者は、ロロミカたちが始末した。

 戦いが終わると、食堂は再び静まり返った。ラグナたちが来る前と違うのは、この静けさが死を漂わす不吉な静けさという点だ。

 イリアは、大量の血の匂いに咽せ返りそうになるのを必死に堪えた。


「……すべて仕留めたな? よし。仕事さえ終われば、こんな所に長居は無用だ」


 ロロミカが息を切らしている。デーモンとはいえ、多くの血を流したことに興奮しており、ラグナとイリア以外の全員から殺気が発せられていた。

 遺跡から出たイリアは、思わず安堵のため息をついた。ため息ついでに大きく深呼吸をする。全身が弛緩するほどの脱力感に、自分がどれだけ緊張していたかを実感する。


「少しトラブったが、終わってみりゃ上々のデキだな」


 ロロミカもとっくにほぐれており、軽口を叩く余裕を取り戻していた。シーマがそれに乗っかる。


「まったくだ。リントがミスった時は肝が冷えたぜ」

「わりい。わりい。でも、結果的には早く終わらせることができたろ」


 リントは苦笑しながらも、ジョークを飛ばした。


「ふざけんな。マジで殺してやろうかと思ったぞ」


 ドネンガが蹴りを入れる仕草をして、リントは避ける真似をする。戦闘の後の安心感で、少しハイになっている。

 そんな二人の様子を見て、イリアは冒険者に対して警戒し過ぎていたのだろうかと気を緩めた。こうしてみれば、少々言動は粗削りだが頼もしいとも捉えられる。自然と微笑みを浮かべた。森の中に射し込む木漏れ日同様、柔らかい笑顔だ。


「さて……最後の仕上げに掛かるか」

「えっ? 今回の仕事はもう……」


 イリアは途中で言葉を飲み込んだ。ロロミカが呟いた一言で、一気に雰囲気が重たくなったからだ。ロロミカの後ろにいる三人の笑みも、無邪気な少年から色欲を覚えた餓鬼のものに変わっている。


「いいや。あと二匹、退治しなくちゃなんねえ」


 ロロミカの言葉に呼応して、シーマが弓を引いてラグナに狙いを定めた。


「なにを?」


 イリアは一瞬で笑顔と驚愕を入れ替えた。対して、ラグナは慌てる素振りは見せず、口調ものんびりしていた。


「おやおや……デーモン討伐をした勇者様が、追い剥ぎに早変わりか」


 ラグナのあまりの落ち着きぶりに、剣を抜いたロロミカの方が訳のわからない不安を感じた。


「おい……もっと慌てふためけよ」

「どういうことです?」


 ロロミカの要求に応えたのは、ラグナではなくイリアの方だった。状況が飲み込めなく、誰にともなく問うた。答えが得られることなど期待していない、ただの独り言に近い問いだ。しかし、ラグナはそれに答えた。


「見ての通りだよ。こいつらは、最初から俺たちから金品を強奪するつもりで誘ったんだ。今まで何度もこんなことを繰り返してきたんだろ?」

「言っただろ? 楽して稼げりゃ、それに越したことはないって。それにしても、わかってたって口振りだな? いつ気づいた?」

「初めからさ」

「初めからぁ? そんなわけあるかよ」

「わかるさ。あんたら、最近ヴァトにやってきて、破竹の勢いで名を売り出してたそうじゃないか。その割りには汚れてないんだよ」

「ああ? なにがだ?」

「装備だよ。まるで初陣のように傷一つ付いてないじゃないか。導き出される答えは二つしかない。よほどの手練か、周囲が思っているより、ずっと戦闘が少ないかだ」

「うっ、う……」

「今日はたまたまデーモンの群れに飛び込んじまったんで、戦わざるを得なかったんだろうが、体の捌き方を見れば、素人に毛が生えた程度だってのは丸わかりだ。なにより、動いていない相手を仕留め損なう槍使いなんて……」


 ラグナは一拍置いた。そのわざとらしさは、誰の目にも演技くさかった。


「あり得ない」


 リントが渋面を作り、全身が熱くなった。うなじに微弱な電気を流されたように、ピリピリとした不快感が走る。居心地が悪そうに、ラグナとロロミカの間に視線を行き来させた。


「うるせえっ!」


 いきなり、ロロミカの怒声が破裂した。驚いた鳥たちが一斉に飛び去り、静謐な森の中に似つかわしくない喧騒が頭上に広がった。


「ごちゃごちゃうるせえんだよ。てめえは」


 ラグナの整然とした推論を論破できず、ロロミカが癇癪を起こしたのだ。理屈では敵わないので、怒鳴ることで相手を怯ませようとする。その行為自体が、自らの浅さを露呈しているに他ならないのだが、これまではずっとこの方法で乗り切ってきた野蛮さが、ロロミカを吠えさせた。


「武具と防具、それからあり金をすべて置いてけ」

「そんなに凄むなよ。怖くて腰を抜かしそうだ」

「ラグナさん……」


 イリアが口を開いた。


「言う通りにしましょう。この人たち、本気です」

「そうそう。イリアちゃんの方が賢いぜ。素直に渡しゃ、痛い思いをせずに済む」


 ドネンガは口角を上げ、嫌らしい笑いの濃度を上げた。完全に場を支配したつもりだ。


「痛いと感じる間もなく、一瞬で殺すか? おまえたちの腕じゃ無理だね」


 ロロミカのこめかみがピクリと反応した。他の三人も、なめきった態度に一本の筋が通ったように笑みが消えた。


「殺すって……」


 ラグナの言葉に反応したのは、イリアも同様だった。ただでさえ緊張しきっていたのに、さらに物騒な発言に顔を青ざめさせている。


「こいつら、数週間前からヴァトで活動し始めて、その都度、周囲に声を掛けていたそうだ。もし、こんな目にあって生きて帰れた者がいたら、たちまち噂が広がる。それなのに、そんな話がまったく出てなかったということは……」

「があっ!」


 ラグナに最後まで言わせず、ロロミカが飛び掛かった。イリアは悲鳴を上げながら後じさり、足を絡ませ尻もちをついてしまった。

 ロロミカは素早かったが、ラグナの動きはそれ以上だった。抜いたナイフで剣を受け滑らせ、ロロミカは勢い余ってよろめいた。


「我が言霊はグリトニルの鍵。地獄を目指す天使は重き扉を開けっ!」

「うおっ?」


 ロロミカに続いて襲い掛かろうとした三人は、揃って態勢を崩した。


「野郎っ⁉」


 シーマは慌てて矢を放ったが、苦し紛れの攻撃で矢はあらぬ方向に消えていった。辛うじて枝を掴んで脱出することはできたものの、もう矢を番えることもできない。ロロミカに至っては、膝を付いたまま立ち上がることもできずに、血走った目でラグナとイリアを見上げた。


「なにしやがったっ?」

「おまえたちの足場を流砂に変えた。もがけばもがくほど深みにはまるぞ」


 ラグナがなんでもないことのように言った言葉に驚いたのは、ロロミカたちよりイリアの方だった。

 ……今、この人なんて言ったの? 変えた? 変えたと言ったの? いったいなんのこと? それに、さっきの詠唱。あんな文句は聞いたことがない。魔法にもいろいろな流派があると聞くが、ラグナが使う魔法は自分のものとは根本的に違うのだろうか?


「て、てめえ……これは魔法か?」

「俺も言ったはずだぞ。思ったよりも楽な仕事になりそうだってな」


 ラグナの声に急に陰りが差した。いかにも楽観的な態度に終始していた者が豹変したことに、イリアは首筋に冷水を垂らされたみたいにゾクリとした。


「助けてっ! 助けてくれっ! シーマッ! ぼけっとしてないで引き揚げろっ!」

「じょ、冗談じゃねえ」


 シーマは手を伸ばすどころか、巧みに枝を伝って樹上に逃れた。生きるために互いに利用しあっていただけの繋がりだ。危険を顧みてまで助ける気など毛頭なかった。

 ロロミカたちは瞬く間に沈み、すでに胸まで埋まっていた。もう、もがくことすらできない。できることといえば、声を出して助けを乞うだけだ。


「ほんの出来心だったんだっ。一度上手くいったもんだから、調子に乗っちまっただけなんだっ。これからは真面目に働く。だから、なっ? なっ?」

「ラグナさん……」


 必死に縋るロロミカ。慄きながら訴えるイリア。しかし、ラグナの反応は冷酷だった。


「そうやって、必死に命乞いしたやつだっていただろう。おまえらは助けたか? 一人でも見逃してやったやつはいたか? これまでに重ねた罪を償う時が来たぞ」

「嫌だああぁっ‼ 俺はまだ死にたくねえっ!」


 ロロミカの絶叫が枝葉を劈く。リント、ドネンガの人二人も喚き泣いたが、内容はいずれも同じようなものだった。命乞いと謝罪の悲鳴だ。

 そして、それらから一分もしない間に、ロロミカたちは完全に地面の中へと飲み込まれていった。

 イリアは脚が震えて立ち上がることも、目を背けることもできない。その壮絶な光景を瞼に焼きつけるだけだった。


「一人逃がしたか……」


 弓使いのシーマは、森の奥深くに消え失せていた。ラグナは追い掛けてまで始末するつもりはないようだ。シーマの方も、ラグナの恐ろしい魔法から逃れた後では、反撃する意思は残っていまい。

 とうとう、ロロミカたちは流砂に完全に飲み込まれた。魔法の効果が失われ、砂は再び硬い森の地面へと戻っていく。凄まじい甲走る悲痛な叫びの後には、本来の静けさが戻った。しかし、その優しい静穏を以てしても、イリアのざわついた心を落ち着かせることはできなかった。

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