第6話 サンドイッチとワインボタ

 ショットが暮らす村に着いた。ラグナが名を訊いたら、ショットは「メイドだ。由来は知らんが、冥途の入口って意味かもな」と自虐的に答えた。

 彼の言った通り、並んでいる家屋に対して、人の往来が少なかった。閑散とした雰囲気の中を村人が歩いている風景は、どこか哀愁を漂わせている。


「これでも、昔は賑わっていたんだがな……」


 ラグナがどう思っているのか察したのか、ショットは独り言のようにつぶやいた。こんな場合、どう返答すればいいのか、ラグナは知らない。だから「そうか」とだけ言った。


「そこがわしの家だ。狭いだろ?」


 ショットが一軒の家屋を指さした。造りは頑丈そうだが、老朽化が進み外見は古ぼけている。彼が言った通り、お世辞にも広いとは言えない。だが、家の前には手作りの花壇が設けられており、色鮮やかな花が慎ましく咲いている。


「家庭の幸せは、家が広い狭いに関係ない。いかに家族と支えあって楽しく暮らせるかだ」

「そうだな。その通りだ」


 約束通り、ラグナはショットの家でお茶を振る舞ってもらった。豊かな香りを漂わせる紅茶で、一緒に出されたサンドイッチも美味かった。

 ショットは、妻に道中での事件を語って聞かせた。話しているうちに興奮して、口調に熱が帯びる。特にラグナが魔法を使った時の描写などは、聞いてる本人が恥ずかしくなってくるほど大げさに語られた。

 話を聞いているショットの妻はベネトといい、ショットの興奮をよそに心配そうに顔をしかめていた。温厚そうな老婦人で、顔に刻まれたシワが、長年ショットと支えあって生きていた人生を物語っている。

 ショットに出会った時にも思ったことだが、ラグナは秘かに、豊かに暮らしてきたのだなと羨望した。


「盗賊なんて物騒ねぇ。もう、森の道は使わない方がいいんじやない?」

「そうだな。迂回すると二十分ばかし時間が掛かるが、襲われるよりはマシだ。他の者にも注意しとかんとな」

「ラグナさんと仰ったわね。うちの人を助けてくれて、ありがとうございました」

「いや……俺が事を大きくしちまったから……」


 申し訳なさそうに言いながら、ラグナはベネトが何気なく使った「うちの人」という言葉に、じんわりと温かいものを感じた。

 サンドイッチも紅茶もきれいに平らげ、礼を言う。


「ごちそうさま。こんなに美味い飯を食ったのは久し振りだ」

「もう行くのか? もう日も暮れるし、今日はここに泊まって、明日の朝に出発したらどうだ?」

「そこまで甘えられないよ。それに、それほどのんびりしていられない旅なんだ」

「そうか……」


 ショットの口調は残念そうだ。同時に、疑問符もついていた。目的地がわからないのに、時間がないとはどういうことなのか不思議に思っているのだろう。


「ああ。念のために訊くけど、最近、この辺りで物騒な事件は起きてないか?」

「物騒な事件? さっきのことか?」

「そうじゃない。盗賊は当分おとなしくしてるだろう。例えば……行方不明者が続出してるとか、同じタイプのデーモンが増えたとか」


 ショットとベネトは顔を見合わせた。


「……いや、そういった話は聞かないが……」

「そうか。ならいいんだ」


 長年連れ添った夫婦は、二人とも不思議そうな顔をしたが、深くは追求してこなかった。それもラグナにはありがたかった。

 家を出る時、ベネトが「ちょっと待って」と言い、台所に消えた。


「はい、これ」


 戻ってきた彼女は、新たに作ったサンドイッチとワインボタをラグナに渡した。


「お腹が空いたら食べなさい」


 マッチの火のように、小さいが優しい温かさが胸の奥に灯る。この世に存在する価値のある者とは、名声や権力を手に入れた者などではない。他人に優しさを分け与えることができる人間を指すのだ。


「ありがとう。世話になったね」

「おまえさんの旅の無事を祈っとるよ。もっとも、魔法なんてとんでもない力を使えるんなら、危険なんぞありゃせんだろうがな。七聖剣の英雄にも負けん強さだったぞ」


 大げさに言うショットの愛想に、ラグナは苦笑いで返した。


「俺は英雄なんかにゃなれないよ。それにさっきも言ったが、英雄は六人だ」


 目的地が定まっていないという割りには、ラグナの歩調は力強かった。

 彼が豆粒のようになるまで、ガロン夫妻は二人並んで見送っていた。


 地平線まで見渡せる道を、三人は歩いていた。目的地は定めていないようだが、一所に落ち着く気はないのは、同行するようになってからすぐにわかった。


 リコには、前を歩くクロエとナルクの距離感が掴めなかった。いがみ合っているわけではないのに微妙な距離を保っており、互いに踏み込もうとはしない。それなのに、息苦しさは感じない。ナルクは小回りが利き、クロエの世話をよくしている。まるで蜜月を過ぎて落ち着いた夫婦のようだ。一緒に旅をしてから結構月日が経っていなければ、こんな関係は築けない。

 リコは、ここ数日の記憶が曖昧だった。先日、もの凄く恐ろしい目に遭ったように思うのだが、その恐怖さえもあやふやになっていて、輪郭がぼやけている。はっきりしているのは、自分はクロエ・サーデンの従者であり、彼のためなら命の危険すら顧みない程の忠誠を誓ったという事実だけだ。

 彼に尽くす。その思いは絶対なのに、同時にクロエに対して畏怖をも抱いている。表立っては出さないものの、相反する感情が共存していることにリコは戸惑いを感じていた。

 気づまりのない沈黙。ただ、目的もどこに向かっているのかもわからないのを、気にするなと言うのは無理があるのも事実だ。

 リコは、いかにもさり気ない感を装いクロエに問うた。


「クロエ……私たち、どこに向かってるの?」


 クロエは振り向いた。表情は穏やかでのんびりとしている。


「ん~……そうだねぇ。どこでもいいんだけど……」


 そこまで言うと、クロエは言葉を切った。

 なに? と思うと同時に、リコの全身に殺気が流れ込んできた。

 発生源と思われる方向に視線を向ける。ナルクはとっくに気づいていたのか、鋭い眼差しをリコが見ている方に向けていた。

 リコとナルクの視線が重なる場所に、確かにそれがいるとわかった。草むらに隠れてはいるが、隙あらば襲い掛かろうと狙っているデーモンの気配だ。

 なんで、こんなことがわかるんだろう?

 目で見るのと同じくらい、しっかりと認識できることに疑問を抱く。また、この段階で、すでに自分たちとの戦闘力の差は歴然であることもわかり、そんな相手がこちらの様子を虎視眈々と窺っていることに軽いイラつきを覚えた。

 隠れても無駄だと悟ったのだろう、デーモンが一気に距離を縮めた。ガーストの群れだ。七匹はいる。実際に姿を確認しても、やはり脅威は感じなかった。

 そのまま突っ込んで襲撃しようとしたのだろうが、ガーストは打ち合わせをしていたかのように、クロエの前でピタリと止まった。

 クロエの冷静な目が、ガーストを見据える。彼の眼力に圧されて、ガーストは攻めあぐねていた。

 怯えている?

 リコはそう思いながら、自分も同様の気持ちを抱いていることを自覚した。今、クロエの目を正面から見られる自信がなかった。

 ナルクが、動けなくなっているガーストの後ろに回り込んだ。

 彼が腕を一振りすると、ガーストの群れの首が飛んだ。コルクを抜かれたシャンパンの如く血が勢いよく噴き出し、道を朱に染めた。断末魔の叫びひとつ上げさせずに、一匹漏らさず斬首した手際は、鮮やかとさえ表現できた。

 リコは一瞬の出来事を見ていた。しかし、呆然としながらも、心の片隅では自分にも同じことはできたと、ナルクに対して対抗心を燃やしていた。ナルクのように咄嗟に行動しなかったことを恥じ入った。


「やれやれ……統率する者がいなくなってから、デーモンはゲリラ的に人を襲っているようだね」


 常人なら悲鳴を上げてもおかしくない出来事の後なのに、 クロエの口調は飽くまでのんきだ。そして、たった今思いついたように、遥か遠くに見える村を指差しながら、にっこり笑う。


「あの村に寄ってみるか。もしデーモンの被害に遭ってるなら、助けてやろう。そうすれば、一宿一飯くらい期待できるかも」


 ガーストの死骸をそのまま放置し、クロエは歩き出した。七匹ものガーストが固まって、しかも斬首されて骸の山を築いているのだ。ここを通った者は不審に思うだろうし、騒ぎになる可能性だってある。しかし、そんなことは些細なことだと言わんばかりのクロエの態度は楽天的すぎるのではないかと、リコは気になった。

 リコの考えを読み取ったナルクは「掃除人がちゃんと片付けてくれる……」とだけ言い、クロエに歩調を合わせた。

 ナルクの言葉の意味もクロエの目的もわからないままだが、人がいる場所に行くことに異論はなかったので、リコも二人に従って歩き始めた。

 少し離れたところで、野蛮な気配を背中に感じた。振り向くと、ハイエナに似た獣が群がってガーストの死骸を貪り食っていた。

 ああ、そういうことか……。

 これまで、何回も同じようなことがあったのだろう。クロエが楽天的なのではなく、実際に取るに足らない小事なのだ。妙に納得した気分で、リコは二人についていった。

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