第5話 甘くない千枚の葉

「なんだぁっ⁉」

「止まるなっ。頭を低くしろ」


 ラグナはのんきな声から一転、鋭く指示を出した。しかし、それは無理な相談だった。突然の襲撃に興奮した馬が暴れ、ショットは制御するのが精一杯だ。暴走しないよう、なんとか落ち着かせたが、まともに走らせることなど叶わず、馬は道に迷ったみたく立ち止まり、その場で足踏みを始めてしまった。

 両脇の森の中から、武装した男たちが姿を現し荷馬車を包囲した。

 全員が落ち着き不敵な面構えをしていて、もう何度も襲撃を繰り返しているがわかる。


「じいさん、頭を低くしとけ。いつでも走れるように手綱は握っとくんだ」

「いったい、なにが起こっている?」

「盗賊だな。人を襲うのはデーモンだけじゃないってことだ。この前襲われたってのも、デーモンじゃなくて人間の仕業かもな」


 ラグナは御者台から飛び降り、一際体格のいい男の前に立ち塞がった。


「あんたが大将か」

「なんだぁ? てめえは」


 黙って降伏し、無抵抗のまま殺されるのが当たり前と言わんばかりの物言いだった。この男は完全に場を支配したと信じきっていて、ラグナを敵だとすら認識していない。

 他の者も同様だ。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、ヤニで黄色く汚れた歯を覗かせている。


「用があるのはそっちだろ? わざわざ矢を放って呼び止めたんだ」


 ラグナの妙に余裕ある態度に、囲んでいた男たちからヤジが上がった。


「キダゾン。そいつナメてやがる。殺っちまおうぜ」

「無理してんだよ。足が震えてるぜ」


 キダゾンと呼ばれた男は、眉間にシワを寄せラグナを睨んだ。

 これまで襲った相手の数なんて数えたことはないが、両手の指では足りないのは確かだ。だが、奇襲に慌てふためく人間の行動パターンは二通りしかない。闇雲に反撃するか素早く逃走するかだ。こんなふうに、挨拶を交わす感じで話し掛けてくる奴なんか一人もいなかった。

 キダゾンは、この奇妙な男に少し興味を抱き、余興につきあう気になった。


「ああ。たしかに用がある。だが、それはおまえや後ろのジジイにじゃねえ。積んでる荷物にだ」


 なにが可笑しいのか、盗賊どもは下品な笑い声を上げた。いかにも人を見下した、胸糞の悪くなる笑いだ。


「に、荷が欲しいのならくれてやる。だから、ここを通してくれ」


 ショットは完全に飲まれてしまい、声が震えてしまっていた。それがまた、嘲笑の的になる。


「ジジイはああ言ってるが、おまえはどうだ? 俺はおまえの口から『積み荷はすべて差し上げますから、見逃してください』って台詞が聞きてえ」

「無理だな」

「なんだとぉ?」

「この荷物は、じいさんが生活の糧にするために必要な物だ。果物一つとてくれてやるわけにはいかんな」


 キダゾンは、改めて目の前の男を怪訝に思った。

 もう逃げられる状況じゃない。その上でこっちの要求を拒むということは抵抗するってことか。しかし、こいつからは緊張も感じられないし、闘気も発せられていない。落ち着いている。落ち着き過ぎている。第一、こいつは俺を見ていないんじゃないのか。どこを見ていやがる? いったいなんなんだ?

 キダゾンは、いつの間にか自分の方が不安になっていることに気づいた。

 俺が圧されている?

 ぶんっと思い切り頭を振って気持ちを立て直す。行動を共にしているとはいえ、所詮は生きるために成り行きで組んでいるだけの寄せ集めである。一瞬でも弱気になったことが悟られれば、威厳に関わり今後の活動に影響が出る。

 気持ちの平静を取り戻すべく、目の前の相手をじっと観察した。盗賊なんかしているが、無頼漢を束ねるだけの器はあるというわけだ。そして、キダゾンはラグナの背中の剣に気がついた。

 リヒトシュヴェーアトに見えたが、鞘の形状から察するに、切っ先まであるようだ。外見はありきたりで、とても値打ち物には見えなかった。しかし、剣の一振りとなればいくらかの金にはなるだろうし、売れなくても武器は一つでも多い方がよい。


「おまえ、今の状況がわかってねえようだな。もう逃げることも拒否することもできねえんだ。ジジイからは積荷をいただき、おまえからは……そうだな。その剣をよこせ」


 キダゾンが言うと、ラグナはピクリと反応した。その反応から、自分の見立ては間違っていて、実は値の張る代物なのかもしれないと思った。そこまで考えて、キダゾンは初めて二人はツレではないと思い至った。出で立ちが一致していない。道すがら同行しているだけだ。

 内心ほくそ笑んだ。出会ったばかりの関係なら、互いに命を懸けてまで相手を守ろうとはしない。それだけ仕事がしやすくなったことに他ならないからだ。


「ほら、さっさとよこしな」


 キダゾンは威圧的に手を差し出した。


「こいつはダメだ。代わりに……じいさん。俺の荷物からスキレットを取ってくれ」


 恐ろしさで思考が鈍くなっているショットは、なぜスキレット? と疑問を持つこともなく、言われるままにラグナに投げてよこした。


「こいつをやるよ。剣なんかより、よっぽど役に立つぞ」

「なんだこりゃ?」

「スキレットを知らないのか? これで肉を焼くと最高に美味い。なんならご馳走してやろうか? 俺は料理が得意なんだ」

「男のくせに料理だぁ?」


 使い込んだスキレットを差し出され、キダゾンは遅ればせながら苛つきを覚えた。そして、一つの結論を導き出した。

 こいつはナメてるわけでもないし、クソ度胸があるわけでもない。ただのバカだ。ふらふら歩いているのをジジイが見かねて、拾ってやったというところか……。


「もういいよ。おまえ。剣やそんなもんより、もっと欲しいもんを見つけた」

「なんだ、それは?」

「おまえの命だよっ!」


 キダゾンが腰に差していた鞘から剣を抜こうとグリップを握った時、ガンッと硬い物同士がぶつかる音が響いた。ショットはじめ盗賊たちが、なんだ? と思う間もなく、キダゾンが両膝をついた。ラグナがスキレットで脳天を強かに打ちつけたのだ。

 そして、ラグナはダギゾンの鞘から素早く剣を抜くと、躊躇することなく彼の首に突き刺した。飛び出る鮮血が木の葉の絨毯を汚す。


「役に立つって言ったろ? 料理する以外に、こうして人を殺す道具にもなる」


 本人は冗談を言ってるつもりだろうが、声の温度が笑えないくらい下がっている。盗賊たちは動けなくなった。突然の反撃に背筋が凍ったのか、衝撃のため呆然としてしまったのか、彼ら自身にもわからない。

 緊張を孕んだ緩やかな時間が一気に加速する中、ラグナは御者台に飛び乗った。


「走れっ! じいさんっ」

「お……お……おうっ」


 ショットは頭で考えるより先に、本能で動いた。こうなってしまったら、奴らは野生の獣やデーモンと一緒だ。互いが一番得するための交渉や話し合いが入り込む余地なんかない。奪い、殺して、気を晴らすだけだ。


「なんてことをっ。あいつら、わしらをなぶり殺すまで諦めんぞ」

「諦めてもらう必要なんかない。考えるのをやめさせればいい。このままのスピードを維持してくれ」


 ショットは、ラグナがあまりにも当たり前に言うので最初はなんのことかわからなかった。だが、その意味が浸透した途端、ゾクリと背中に悪寒が走った。

 ラグナは御者台から荷台に移ると、積荷を物色し始めた。


「じいさん。ちょっとだけ荷物を使わせてもらうぜ」

「なんだってぇっ?」

「あいつらを撃退するのに、荷物を使わせてくれって言ったんだ」

「構わんが、武器になるもんなんて積んどらんぞ」

「スキレットだって武器じゃないけど、一人倒したろ。柄が歪んじまったから、後で直しておかないとな」


 ラグナはブレダを鷲掴みにした。次々と飛んでくる矢をスキレットで弾き返しながら、狙いを定める。


「さっきは果物一つやらないと言ったが、気が変わった。こいつを恵んでやるっ」


 言いながら、ブレダを思いきり投げつけた。ブレダは一直線に盗賊の群れ目掛けて飛んでいく。


「ぎゃっ⁉」


 顔面にまともに受けた一人が、落馬して後方へと消えた。果物とはいえ、硬くてしかも棘のあるブレダを全力投球でぶつけられれば、痛いだけでは済まない。


「はっはぁっ! よく味わえよっ!」


 ラグナは喜々としてブレダを連投した。まるで、イタズラを仕掛けてはしゃぐ子供だ。冷酷な行動と嬉しそうに出すラグナの声はちぐはぐな不気味さがあり、ショットは虫の脚をもいで笑う子供の残酷さを想起させられた。

 顔面を潰されて、二人、三人と脱落するが、盗賊たちは追撃を諦めなかった。もう積荷がどうこうよりも、襲ったはずの者に反撃された腹立ちで、頭に血が上っているせいだ。命のやり取りが行われているのに、後に引けなくなっている愚行だ。


「ラグナよっ。このままじゃいずれ追いつかれるっ。あいつら狼よりもタチが悪いぞ」

「そうだな。何人かやれば退くと思ったんだが……ブレダももったいないし、一気に片づけるか」


 盗賊たちの怒り、ショットの焦り。ラグナの熱量はいずれともかみ合っていない。まるで真夏の洞窟の中のように、そこだけがひんやりと冷たい。そのラグナがなにやらブツブツ呟き始めた。


「我が言霊はシボラの門。闇をも切り裂く光を降らせ、七都の一つへ帰れ……」


 声が小さいのでショットには聞き取れなかったが、不穏なリズムだけは肌で感じ、知らずに手綱を握る手に力がこもった。


「つあっ!」 


 ラグナの放った咆哮に力が宿った。

 舞い散る葉が硬質化し、瞬時に無数の刃と化した。


「うわっ⁉」

「ぐげっ!」


 舞う刃の壁に突っ込んだ盗賊は、その凶刃に目を、首を、四肢を斬り刻まれ、次々と落馬していった。また、馬自身も刻まれたパニックで、倒れ込んだり、あらぬ方向へ逃げ出す始末だ。


「なんだっ? なにが起こっている?」


 馬を御することに必死のショットには、振り返って詳細を確認する余裕はなかった。しかし、瞬く間に減っていく蹄の音から、なにかとんでもないことが起きていることだけはわかった。

 やがて、後方から完全に音がしなくなった。しばらく馬を疾駆させ続けていると、ラグナが荷台から戻ってきた。


「じいさん。もうスピードを弛めても平気だ」

「いったい、なにしたんだ?」

「ちょいと魔法でね。葉を硬くしてやったんだ。薄い葉っぱが硬質化すれば、カミソリにも負けない刃物になる。やつら、自分から刃の雨に飛び込んだってわけさ」

「たまげた。魔法ならいくつか目撃したことがあるが、そんな魔法は初めて見たぞ」


 ショットは、実際にはその瞬間は目撃していない。しかし、三十人は下らなかった盗賊の群れを瞬く間に撃退した結果が、ラグナの言ったことが嘘ではないと証明していた。

 驚きで言葉をなくしているショットの目の前を、落ち葉がくるくる舞いながら落ちていった。

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