究極の選択とワクワク
独白世人
究極の選択とワクワク
これも一種の殺人になるのだろうか?
僕は、死の選択人に任命された。
突然目の前に、立派な白髭をたくわえた老人が現れた。彼は白い布を身にまとっていて木の杖をついていた。
「ワレは死を決定させる神じゃ。オヌシは今から、どちらかの人間の死を選ばないといけない」
そう言って、お椀を持つように両方の手のひらを上に向けた。すると、煙のようなものが両方の手のひらの上に現れた。よく見ると、その煙の中に顔が浮かび上がっていた。
左手の方には母の顔が、そして右手の方には恋人である綾香の顔が浮かんでいた。
「さぁ、これから死ぬのはどちらにする?」
頭が混乱し、状況がつかめないでいる僕に、神様は少し眉を上げてそう言った。
「どちらか一方しか選べないのですか?」
「それはどういう意味かな? 両方の死を選んでも良いのか、という質問かな?」
思いもよらなかった答えが返ってきたので、僕は面食らった。
「ち、違います。どちらか一方しか生き残らせることは出来ないのか、という意味です」
「そうじゃ。でも、両方の死を選ぶことは可能じゃよ」
「そんな…両方だなんてとんでもない。どうして、そんな選択を僕にさせるのですか?」
「これは仕方のないことなのじゃよ。全ての死はこうやって決められているのじゃ」
「えっっ。それじゃ人の死というのは、全て誰かによって選択されているということですか?」
「そうじゃ」
「生まれたばかりの赤ちゃんが死ぬのも誰かによって選ばれたからだというのですか?」
「そうじゃ」
「どうしてそんな……。生まれたばかりの赤ちゃんと誰とを比べるというのですか?」
「それは様々じゃ、同じ日に生まれた赤ん坊と比べられる場合もあるし、死ぬ間際の老人と比べられる場合もある」
「そんな……。」
「それがこの世とあの世で決められた約束事なのじゃ。最後に誰かが決めなければいけない。この世で長生きしている人は、これまで選択されなかったというだけのことじゃ。心配しなくてよい。あの世にはあの世の良さがある。早く死んだ人間は、あの世に滞在する時間が長くなるだけのことじゃ」
「この世とあの世でのトータルの時間は、どんな人間でも一緒ってことですか?」
「そうじゃ」
「あの世ってどんな所なんでしょうか?」
「それは教えられん。でもあの世は一つじゃ。天国や地獄のように分かれてはおらん。皆、行くところは同じ“あの世”じゃ」
「そうですか…。それじゃ、この世で長生きしたら、あの世で過ごす時間が短くなるだけなんですね」
「そうじゃ。しかし、人に向き不向きがあるように、この世が向いている人もいれば、あの世の方が向いている人もいる。死の選択人はその事も考慮した上で答えを出さなければならん。考える期間は今日中じゃ。午前0時にまた来る」
そう言ったかと思うと神はスッと消えた。
今日は仕事を休んだ。こんな重要な選択を仕事中に考えるわけにはいかない。考えたところで答えは出そうになかったが、考えないで答えが出るはずもなかった。
僕にとって母も恋人である綾香も大切な人だ。
母はこの世で一人だけだし、綾香とは将来結婚したいと考えている。今はまだ社会人一年目なので、結婚なんてまだまだ先だと考えているが、僕が結婚する相手は綾香しか考えられない。
僕の人生はここまでなかなか順調に進んできている。四歳の時に父親を癌で亡くしたが、母子家庭でも母は精一杯僕を育ててくれた。一層懸命に働く母の背中を見て育ったので、僕はそれなりにまともな人間に成長したと思う。子供が親に反抗するのは、その家庭に余裕があるからだ。必死になって女手一つで育ててくれている母に対して、反抗期など僕には不要だった。
母は苦労人だが、よく笑う素敵な人だ。そんな母に僕は憧れるし、尊敬している。
綾香とはいわゆる幼なじみというやつだ。
町内で一番のお金持ちの家に生まれた彼女は、幼い時から天使のように可愛かった。そして、彼女はその可愛さを持ち続けたまま成人した。お金持ちの家に生まれたのにも関わらず、貧乏を馬鹿にしないし、むしろ僕の母のようになりたいと言ってくれている。多少、気が強いところもあるが、僕には勿体無いくらいの恋人だ。
そんな二人の内、僕はどちらを選べば良いのか?
これほど重要な選択が他にあるだろうか?
よく考えないといけない。
一般的にはどう考えるのだろうか? 親友である智彦に相談したら彼は何て言うだろう? 綾香と付き合っている僕に対して常に羨ましいと言っている彼は、「俺なら綾香を選ぶ」とあっさり言うだろうか?
確かに将来のことを考えると、僕は綾香を選ぶべきなのかもしれない…。
いや本当にそうなのか?
僕は母にまだ何の恩返しもしていないのだ。高い授業料を払い、僕を大学にまで行かせてくれた母に、何の恩返しもしないまま死なれては困る。親孝行は僕の人生における重大目標の一つだ。綾香とはこの世では縁が無かったと思ってあきらめることも出来るかもしれない。ただ、母と僕はこれまでの人生を一緒に歩んできたではないか。そんな大切な人を僕は殺すなんて出来ない。やっぱり殺すのは綾香の方か…。
しかし、もしこのことを母が知ったら何て言うだろう?
自分のせいで綾香を殺してしまった僕に、
「私のために人殺しをするなんて何て親不孝者なの。どうして私を殺してくれなかったの?」
と母は言うと思う。
確かに、自分が生き残るために子供に人殺しをされたら、親としてこれほど悲しいことはないかもしれない。
やはり殺すのは母の方か…。
いや、今まで一緒に過ごしてきた時間を考えると綾香を殺すのが正解ではないか?
男女の関係なんてもろいものだ。高校一年生から付き合い始めた僕達は、つまらないケンカをしてすでに3回別れている。その度にヨリを戻してきたが、気の強い彼女と結婚できる保障なんてどこにも無い。この先、もしかして綾香に好きな人が出来て、一方的にふられてしまう可能性だってある。そうなった時、僕は母を殺してしまったことを死ぬまで後悔するだろう。
まるでメトロノームの振り子のようだ。二つの感情の間を行ったり来たりしている。
時間はあっという間に過ぎていった。
●●●
午前0時ちょうどに神様は現れた。
「さぁ、どうする?」
と聞いてきた神様に僕は、
「二人とも殺してください」
と答えた。それを聞くと神様は無言で頷き、スッと消えた。
次の日、僕は母と恋人を一度に失った。
駅で偶然一緒になった二人が話しながら帰宅する途中、居眠り運転で歩道に突っ込んだトラックにはねられたのだ。
その知らせを受けた直後、待ってましたとばかりに僕は首を吊って死んだ。
葬式は三人一緒にしてくださいという遺書を残して。
三人の遺影が並ぶ葬式を想像したら、笑顔で首を吊れた。
あの世で三人仲良く新しい生活をスタートさせようと思う。
それは、とてもワクワクすることだった。
究極の選択とワクワク 独白世人 @dokuhaku_sejin
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