『残虐王』スカーレット⑤
「……あ。スカーレット……」
脱衣所に行くと、なぜかペルドット・アレイスキーがいた。着ているシャツのボタンが真ん中あたりまで外れている。服を脱いでいた途中だったようだ。
「もしかしてこんな時間までお仕事してたの……?
と、ペルドット・アレイスキーが言った。
「まあな。お前と違って
「……む。失礼な……。その言い方だと、僕がいつも
ペルドット・アレイスキーが唇を
「これでもさ、僕も忙しいんだよ。ぬいぐるみを作ったり、衣装を作ったり……あと、道化の“
視線を別の所へ向けながら言う。しかしそこで言葉が止まった。それ以上のことが出てこないらしい。
「ぬいぐるみを作ったり、昼寝をするのがお前の仕事か。いいご
「……いいんだよ。僕はみんなに、『お願いですから、あなたは何もしないでください』って言われてたから……」
「それはな、遠まわしに『邪魔』って言われてるんだよ」
「……ん。なるほど……。邪魔って言われてたのか……」
ペルドット・アレイスキーはぽりぽりと頬を掻く。どうやらその自覚はなかったようだ。
「……ところで、ええと……君も今からお風呂?」
ペルドット・アレイスキーが言った。
「ああ。少し
「不都合というか……めずらしいなって思っただけ。うーん……僕、あとで入ろうか? 一人で入りたいだろうし……」
ペルドット・アレイスキーの視線は下へ向いている。何のことを言っているのかは分からないが、適当なことを返すと
「そんなことはないぞ。それとも、俺と一緒に入るのは嫌なのか?」
「君とお風呂に入れるのはすごく嬉しいけど……うーん……ま、いいか。じゃ、君がいいなら、よろこんで一緒にお風呂入らせてもらおうかな……」
そう言うとペルドット・アレイスキーは、ボタンを開けたシャツを脱いでいく。
少し
ベルトを
「……あ、そうだ。あとで血を貰いたいんだけど、いいかな……」
髪を小さく結びながら、ペルドット・アレイスキーが言ってきた。傷だらけの上半身と、肩から両腕にかけて
「ああ、いいぞ。何かあったのか?」
「まあね……。ちょっと血を使いすぎちゃってね……。見てよこれ、血と魔力が足りなくて、傷が治ってないんだよね……」
ペルドット・アレイスキーは左腕を見せてきた。そこにはナイフを突き刺したような傷がくっきりと刻まれている。
「めずらしいな。お前がそこまで追い込まれるなんて。風呂よりも休んでなくていいのか?」
「ちょっとくらくらするけど、まだ動けるから大丈夫……。魔法は一回ぐらい使えるかってところだけどね……。じゃ、僕、お先……」
ペルドット・アレイスキーは、先に風呂場への扉を開けて中に入って行った。
「ところで、今日は怒らないんだね。勝手にここへ来たこと」
シャワーの蛇口を閉めたペルドットが言った。
「今日は疲れててな。お前の相手をする
と、先に浴槽に
「いつもなら、勝手にこの屋敷に来たら怒るのに。それにその尻尾だって、いくら言っても見せてくれないのにさ……」
濡れた髪を後ろに
古く
切り傷は上半身の肩から、両方の手首の内側まで刻まれている。その傷たちを覆うようにして、両肩から手首までにかけて、
それらの傷とタトゥーに加えて、ペルドットの心臓の上には、
『――は、この人間の死を否定する』
と英語で書かれた一文がある。文の一部は黒く塗りつぶされ、まともには読めなくなっている。読めない部分には、とある人物の
この真名を読むことを、ペルドットはその人物から許されていない。誰の名前が書かれているか考えることも、ペルドットには許可されていない。
誰の名前が書かれているかを読めるのは、その真名を知っている人間だけである。
「お前がこの屋敷に入ってくるのはいつものことだろう? 屋敷の周囲や玄関には、俺が許可した人間以外が勝手に
と、スカーレットが言う。
「君に会うためなら、何回も死ぬぐらい
言いながらペルドットはスカーレットの右隣に来て、浴槽に足を入れる。
「その理由が俺の服や下着を盗んでいく……というのは
「僕は、君の許可なしには死ねない体なんだ。
当たり前のようにそう返したペルドットは、浴槽の湯を両手ですくい、顔を洗った。
「使いどころが違うって言ってんだよ。
いくら自分の意思では死ねない体でもな、勝手に来て、この屋敷の中でネズミみたいにうろちょろされたら
「君に殺されるのは、僕としては全然構わないんだけど……」
ペルドットは真顔で答える。
「そうか。だったら次、この屋敷の中でお前を見かけたら……お望みどおり殺してやるよ」
「わあお……それは楽しみ……。ここに来る理由がまた増えたね……。うふふ……」
ペルドットはにやりと、暗い笑みを浮かべて笑った。
「……そうだ。フランって結局、あのベルの神器、手に入れたのかな……?」
と、ペルドットは話を変えた。
「『神々を癒す鐘』グロッケン=ベルか。どうだろうな」
と、スカーレットは答える。ペルドットに負けず
「ベルを手に入れたんなら、フランは神器を二つ手に入れたことになるね。この前会った時、確か万年筆のペン先を手に入れたって言ってたから……」
「それはアウローラだな。神器の中では強いが、かなり扱いにくい代物だ。フランベリアがベルを手に入れていたとしても、あれは下級にあたる。そこまで問題じゃないな」
「ふうん、詳しいね……。フランは、君の国に他の神器があるとかって言ってたね。なんだっけ……」
「『神々の終わりなき旅路』カンタレラだな。行きたい者を行きたい場所へ運ぶ神器だ」
「ほんとに持ってるの? それ……」
「持ってても、素直に『持ってます』って答えると思うか?」
「……ん。それは確かに……」
スカーレットが言うと、ペルドットはあごに手を当て、納得したような声で頷いた。二人はそんな調子で話を進めていく。
「神器……ねえ。神様が作った道具……だっけ? 今は世界中に散らばってて、探知魔法でも探せないんだよね……。
そんな物をフランは噂だけを頼りに、二百年かけて二つ手に入れたっていうんだから、僕よりもすっごく暇なんだね……。ちゃんとお仕事してるのかな……」
ペルドットはこの場にいないフランベリアに
「どんなに強力な神器を手に入れても、結局は
「それは教科書に書いてたね。ま、なんでもありの『“魔法”の世界』で、意思を持つ道具なんかめずらしくもないけどね……。ええと、確か全部で八個あるんだっけ……」
ペルドットは、右手の指を折りながら神器の名前を
「『
あとは、『
「そうだな。お前にしてはやたら詳しいじゃないか」
「
夏休みの間にさ、一個ぐらい探してみようかなって思ったんだけど、面倒くさいからやめたんだよね。せめて『杯』のレプリカの一個ぐらいは、探せばよかったかなあ……レプリカでも高く売れるし……」
「そうだな。神器の
「意外な所……ねえ」
ペルドットは、言いながらぽりぽりと頬を掻いた。二人の会話は、そこでまた一旦終わる。
「さて、俺は先に上がるぞ。キッチンで食事を作らせてるんでな。待たせたら、せっかくの料理が冷めてしまう」
スカーレットは言い、浴槽のお湯で顔を洗う。
「ん、分かった。僕も上がるよ……」
と、ペルドットも返事をする。
「あ、お風呂出る前に……そろそろ言ってもいいかな」
「ん? なんのことだ?」
と、スカーレットが聞く。ペルドットは変わらない声色で、スカーレットにこう言った。
「いつまでそんな
ペルドットはやる気のないじっとりとした目で、横にいるスカーレットを見る。
「……」
スカーレットも同心円の目でペルドットを見つめ返す。しばし間を空け、は、と軽く笑うと、
「何を言ってるペルドット。俺が偽物だと? 馬鹿なことは言うなよ」
そう切り返した。
「……ダメだね。全然彼の観察が足りないね。普段の彼ならこう疑われた時、
と、ペルドットが真顔で言い返す。
「……ほお。いつもの俺はそんな風だったか」
軽く笑いながらスカーレットが言った。
「……どうして分かった。上手く、この『彼』を
声は同じだが、口調が微妙に違う。先程スカーレットの中から話しかけていた、
「どうして分かったって? それはね……
ペルドットは真面目な顔をしてそう答えた。真顔のまま言葉を続ける。
「僕とスカーレットは学生の頃から愛し合っているんだ。本物の彼と、
ペルドットは少し首を後ろに向ける。
「僕を殺そうとしたの、ちょっと早まったんじゃないかなあ。
ペルドットの視線の先……ちょうど死角になっている真後ろから、スカーレットの体に隠れて伸びた彼の尻尾の先端が、ペルドットの首を突き刺そうと
向けられた尻尾の先端を指先でつつくと、ペルドットは顔を前に戻す。
「……なるほど。愛の力か。ロマンチックだな」
そう言うとスカーレットのふりをした「誰か」は、湯の中から出した尻尾をペルドットの首に巻きつかせた。ペルドットは、わざとらしい咳払いをする。
「……愛の力って言うのは冗談で、まあ真面目に答えると、お風呂に入る前からちょっと引っ掛かってたんだよね。いつも、スカーレットはその尻尾を僕にも見せないようにしてるからさ……」
と、ペルドットは言い直した。
「……ふむ。そこは
そういえばこの『彼』と君は、いっとき恋人関係だったね。それを考えると、君に見抜かれたのは仕方がないと言えるか」
偽物は一人で頷く。同心円の目を、ペルドットに向ける。
「君はなかなか
そう言うと、ペルドットの首筋を狙っていた尻尾を、するすると湯の中に引っ込めていく。
「……君、学生時代からも
「ああ、そうだよ。あれは私だ。正確には、私の中にある『呪い』だが。
君の体を引き裂き、肉を少々つまんだが、君もなかなか美味かったよ。そんな餌が自ら望んで『死の“否定”』を魂に刻んでくれと言ってきたんだ。あの時は私も喜んだね」
「……」
偽物が言う。ペルドットは何も答えない。
「……とりあえず、名前を聞いてもいいかな、偽物」
「おや、君はこの『彼』以外に、興味がなかったのでないかな?」
「……別に。殺した時、
「ふ。優しいな、『喜劇王』ペルドット。……いや、
「……」
ペルドットは答えない。
「まあいい。私も君と同じようなものだからね。今は肩書のない、ただの不完全な魂の
と、偽物は言った。そして名乗る。
「自分の名を言うのは
私はアダム・スカーレット。みなは私のことをアダムスと呼んだ。
彼の一人称が、「俺」から「私」へと変わっていた。浮かべている表情も、いつもの、どこか張りつめているものから、
偽物……アダムスが言う。
「昔から、この『彼』の中に私がいることは
「僕はスカーレットを殺したいわけじゃないんだよ……。分かってないなあ……」
ペルドットが、ため息まじりに漏らす。
「ところで本物のスカーレットは、どこに行ったのかな……?」
「さあね。『彼』なら私の中に引っ込んでいる。会いたいかい?」
アダムスが聞いた。その顔には
「……君のそういう、スカーレットの振りをするところ、吐き気がするほど大嫌いだよ」
ペルドットは言いながら、右手にナイフを出現させた。体内の魔力を振り絞って出したナイフだ。
「そうか。私は君のことは結構好きだよ」
スカーレットの偽物……アダムスが答える。
「君はデザートだ。血の魔法を使われてはたまらないからね。意識を失うまでしっかり殺してから、リンゴと一緒にオーブンで焼こう。メインディッシュには
ニコニコしながらアダムスは言った。湯の中から、引っ込めていた骨の尻尾を静かに出す。尻尾の先端を、ペルドットの
「……僕は君に食われるために、この体になったわけじゃないんだけど……。はあ……これが本物のスカーレットなら、すっごく嬉しい愛の告白なんだけどなあ……」
「確かに今、私は本物の『彼』ではないが、見てくれは同じだ。なあ、ペルー。喜んで、俺に食われてくれるだろ?」
偽物が微笑みかける。本物のスカーレットの口調を
「……」
ペルドットは生み出したナイフの刃を、ぐっと腕にあてがった。
「無理はしないほうがいいぞ。もう、魔力が
「……」
ペルドットは何も言わない。
「な、ペルー。そのナイフを下げてくれ。お願いだ。お前が傷つくところを、俺はもう見たくない。
なあに、一瞬だよ。その後は手足を
アダムスは本物のスカーレットの口調を真似て、微笑みながら恐ろしいことを言い放つ。
「……その顔で、その声で、僕の名前を呼ぶなよ。
ペルドットは右手に力を入れ、さらにナイフを腕に食い込ませる。錆びた刃が皮膚を切り、腕から血が溢れる。
「やれやれ。もう少し
それを見たアダムスが、そう言った瞬間。
ペルドットに向けていた尻尾を、すさまじい速さで動かした。尻尾の先端がペルドットの額を突き刺し、脳を通って向こう側に抜ける。
ペルドットの手からナイフが落ち、浴槽の湯に触れる前に、煙となって消え去る。尻尾の先端に脳を貫かれ、ペルドットは一瞬で「死亡」した。
「『王』の名を持つ一人だというから少し警戒していたが……どうやら
偽物は、ぼじゅる、とペルドットの死体から骨の尻尾を引き抜いた。ペルドットの死体は湯の中へ倒れこみ、血のわだかまりを広げる。
「この『彼』の体も意識も、しばらくは私のものにできそうだ。監獄へ行く前に、アウローラは手に入れたいところだな。となると……『同盟王』か」
と、スカーレットの偽物は、顎を触りながら独り言を言う。
「問題はユーリをこのゲーム盤に引きずり出した時だ。シグレが出てくると少々厄介だな。ジーニーも、気まぐれに『
言いながら湯の中から出る。
「何よりも面倒なのは、あの二人だがな。これも見ているのだろう? 『
偽物は独り言をつぶやく。
と、後ろを振り返った。血に染まった湯船と、浮かんでいるペルドットの死体に目をやる。
「……魔法も使っていないのにこれか。今回のゲームに置かれた駒は、かなり弱そうだな」
ふ、と軽く笑う。優しい
ペルドットの死体から目を離して首を前に戻す。ぺたぺたと床のタイルを進み、シャワーの蛇口をひねった。
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