【『屍姫王』グディフィベール】

『屍姫王』グディフィベール

「……やっぱりおかしい」

 と、椅子に座っている少女は目を開け、そう呟いた。こめかみに当てていた右手を静かにのける。

 少女の年のころは、十七かそのあたりだろう。すみれいろの長い髪を背中に垂らし、長袖の白いシャツにスカートという簡素な格好をしている。

 彼女がいるのは、絵画かいがにでもえがかれていそうな立派な城の一室だ。城がこの地と共に過ごした時間は百年や二百年じゃきかない。少なくとも千年以上の時が経過していることを、壁にからみつくつたや、城からただよ雰囲気ふんいき物語ものがたっている。

 ここは地上からはるかに離れた地、『死者の国』ニヴルヘイムである。

「アーバンクさまのバンタニアと、ペルドットのアーガスト……。その二つの国の人たちが、一気にここに来るなんて……。それも、数百人が一気に……」

 少女……エレーン・ベルナは手に持っているリストのページに目を落とす。

 エレーンが見つめる先には、ここに来た人間たちの名前と、それぞれの死亡理由がしるされている。ずらりと並んだ彼らの死亡理由には、全てこう書かれている。

『元『撃滅王』アーバンクアイト・コールスロイスにより、銃に装填そうてんされた魔弾まだんに撃ち抜かれて死亡』

 エレーンはリストの次のページをめくる。そこに書かれている五十人ほどの人間たちの死亡理由には、全てこう書かれている。

『元『喜劇王』ペルドット・アレイスキーの “人形ドール”に殺される』

 エレーンはさらに次のページをめくっていく。めくった先の人間たちの死亡理由も、アーバンクの魔法とペルドットの“人形ドール”に殺されたと記されている。

『王』の手によって大量の人間たちが殺されていることもそうだが、彼らの肩書に『元』とついている。すなわちそれは、彼らが『王』の座を落とされて『魔法が使えるだけの人間』になったということだ。

「……」

 エレーンは胸の中に浮かぶ不安が大きくなるのを感じる。頭に、アーバンクの姿を思い浮かべる。

 彼は自分の国に生きる人間たちのことをほこりと言っていた。そんな彼がバンタニアの国民たちを一気に殺すなんて。たとえば何か……国中の人間を殺さなければ収束しゅうそくしない出来事が起こったのだろうか。

「……」

 そう思っても疑問は消えない。一体地上で何が起こっているのか。

「ペルドット……」

 エレーンはもう一度、リストに書かれている、『元『喜劇王』ペルドット・アレイスキーの “人形ドール” に殺される』という文を見つめる。元『撃滅王』よりも問題なのは、どちらかと言えばこっちだ。

「まさか、ペルーが自分の国の人たちを全員……」

 エレーンは、思わずそんな言葉を口にした。彼ならやりかねないと思う自分がいる。

 ペルドットは驚くほど自分の感情に素直な人物だ。その性格は学生時代から変わっていない。

 まさかとは思うが、アーガストで何か彼の機嫌をそこねたことがあって、彼が国民たちの大量たいりょう虐殺ぎゃくさつを行ったのだろうか。しかし何か理由があったとしても、彼につかえている宰相や側近が、隣の国のスカーレットに伝えるだろうに。

「……」

 エレーンはもう一度こめかみに手を当て、目を閉じる。ペルドットに思考を繋ぐ。

(私よ。エレーンよ。返事をして、ペルドット……)

 だが、ペルドットからの返答は何もない。

 エレーンは、探知魔法を限界まで伸ばしても半径百五十メートルほどしか把握できない。その距離では、地下にあるこの場所から、地上にあるペルドットの国までは到底とうてい届かない。そのためこうして、本人たちに直接思考魔法を繋ぐしかないのだ。

「……」

 エレーンは、一向に返事が返ってこないペルドットの姿を頭の中に思い浮かべる。

 自分は学生時代からなぜか彼には嫌われている。思考魔法は繋げているが、彼がわざとこちらからの声を無視しているという可能性もある。そうならばどれほど嬉しいか。

「ペルー、お願い、返事をして……」

 エレーンは祈るような気持ちで呟く。しかし返事どころか、彼と思考が繋がっている感覚も返ってこない。

 ペルドットは自身の魂に、スカーレットによる『死の“否定”』を刻んでいる。そのため彼はスカーレットの許可なく死ねず、また、並大抵なみたいていの傷でも死なない体だ。

 しかし当たり前だが、体内の魔力を消耗しょうもうすると思考魔法を返せなくなる。それに、ペルドットの持つ魔法は自身の血を使う。自分が傷つき、体から血が噴出ふんしゅつするほど有利ゆうりになるが、体内の血が減りすぎると行動不能になってしまう。

 彼が誰かにやられるなどとは到底とうてい考えられないが、もしかしたら今、思考を送り返せない状況におちいっているか。それとも……思考を返せないほど体力と魔力を消費している状態か。考えたくはないが、嫌な想像をしてしまう。

 エレーンは諦め、ペルドットに繋いでいた思考魔法を打ち切り、目を開けた。こめかみに当てていた手をのける。

「スカーレット……」

 エレーンは頭に『残虐王』スカーレットの顔を思い浮かべる。先程から彼にも思考を送ってはいるが、一向に繋がらない。

「やっぱりおかしい……。何かが起こったとしか考えられない……。いつもなら、スカーレットはすぐに思考を送り返してくれるのに……」

 エレーンは一人で呟く。

「もしかして、また、スカーレットの偽物が……」

 と、呟いたエレーンの顔から血の気が引く。頭に、とある過去の場面が思い浮かぶ。

 どんよりとした分厚い雨雲あまぐもと、空が泣いたようにり続ける雨。むせかえるほどの血の匂いと、あたりにまき散らされた友人たちの手足、内臓。もはや体のどの部分か分からないにくかい。上半身と下半身が引き千切られ、はらわたが飛び出たペルドットの姿。

 血の海の中、こちらへ向かって歩いてくるスカーレットの姿と、彼の腰のあたりに動く、骨のような長い尻尾。

「……!」

 エレーンはかぶりを振り、急いで過去を振り払う。彼なら大丈夫だと自分に言い聞かせる。

「ペルー……。スカーレット……」

 二人の名を呟く。不安は軽くなるどころか、さらに重さを増していた。何かとてつもないことが地上で起こっているような、嫌な予感がする。

「……」

 エレーンは、胸の上でぎゅっと手を握った。肋骨ろっこつしに伝わってくるはずの心臓の音は、エレーンにはない。

 と、何の前触まえぶれもなく部屋の扉がノックされた。

「ど、どうぞ」

 返事をすると、扉を開けて一体の骸骨がいこつが入ってきた。骸骨は骨の手に新たなリストを持っている。

「お疲れ様です。エレーン様。追加で来た魂たちのリストができましたので、お持ちしました」

「うん。ありがとう……」

 骸骨から分厚いリストを受け取る。城に集めた魂たちの名前がリストと合致しているか一人一人に確認していくのが、エレーンの仕事だ。

「いやー、今日は一段いちだんと、ここに来る魂が多いですなあ。ペルドット様のアーガストや、アーバンク様のバンタニアで、何か、災害や戦争などがあったのでしょうかね」

 骸骨はのんきに後頭部こうとうぶをさすりながら言う。

「そうそう。追加でスカーレット様のドゥナトゥリアから、子供が三十人ほど来ていますよ。孤児院がどこかの子供ですかねぇ。全員泣きじゃくっていて対応が大変ですよ。

 そういえばこの間も、ドゥナトゥリアからは子供が二十人ほど来ていましたね。それにしても……『残虐王』だからって子供も殺しますかねぇ。まったく……」

「スカーレットが、子供を殺した……?」

 エレーンは顔に驚愕を浮かべ、思わず聞き返す。

「ええ……全員、スカーレット様の尻尾に貫かれたとかで……」

 と、骸骨はリストを見ながら言った。

「……」

 エレーンは顔に不安を浮かべる。急に黙ったエレーンに、何かまずいことを言ってしまったのかと骸骨は困惑する。

 スカーレットは孤児や子供の奴隷を積極的に受け入れるほど、子供が好きだ。そのことは、同じ魔法学校に通っていた時から知っている。もし殺すことになっても、どうしても魔法で治せない時や、本人が望んだ時だけのはず。ならば子供を殺したのは……。

「……ごめん。私、ちょっとベールの所に行ってくる」

 エレーンはリストをテーブルの上に置き、椅子から立ち上がる。

「エレーン様、お、お仕事は? 城の広間に魂たちを集めておりますが……」

「ごめん、あと任せるね」

「えっ……⁉ ちょ、エレーン様……⁉」

 骸骨の横を通り、エレーンは部屋を出た。



 城の窓からは、裏手にある墓場がよく見える。

 地平線まで並ぶ墓の合間をって、ヘルメットをかぶった骸骨がいこつたちが新しい墓を掘ったり、手押ておし車で土を運んだりしている。彼らは地上で追放ついほうされるほどの罪をおかした大罪人たいざいにんたちだ。監獄『最果ての箱』に収監されていたが肉体が死亡し、その魂がこの国へ来て、何千年という残りの刑期けいきを終えるまでここで従事じゅうじしているのである。

 本来この場所に墓は不要な物なのだが、死者たちの魂が「ここに来た」というあかしのために、骸骨たちは昼も夜も関係なく、死者たちの墓を作っているのだ。

 昼夜ちゅうやわず、白く濃いきりが立ち込めるこの国は、元は『しかばねおう』という王が統べていた。

 今なお、深い霧が広がり続けるこの国の全容は、かつてこの地を治めていた『屍王』ですら分かっていない。



 エレーンはとある部屋の前で立ち止まり、扉をノックした。

いている」

 聞こえた声にエレーンは扉を開け、中に入った。

「おはよう。エレーン」

 椅子に座っている男が、バリトンの、よく通る声で言う。男は手に持っていた本にしおりを挟み、横のテーブルの上に置く。

「……うん、おはよう。ベール」

 エレーンは男……ゼイル・グディフィベールに挨拶をする。

 彼の年のころは、四十後半というところだろう。褐色に焼けた屈強くっきょうな肉体を白いシャツと黒いズボンで包んでいる。丸太のように太い腕は、エレーンの腕の二倍はある。

 固く引き締まった表情は落ち着きと冷静れいせいさを凝縮ぎょうしゅくしている。切れ長の目に浮かぶ二つのひとみの色は満月のような明るい黄色きいろで、大きくえぐられた傷が左のまゆがしらから鼻をえてくの字に曲がり、左の頬の真ん中あたりまで伸びている。

 髪は肩より少し長く、毛の全体にゆるやかなウェーブがかかっている。髪の色は、黒に近いすみいろをしている。

 この時代にいる『王』の一人、『屍姫王しきおう』の正体は、この二人が混ざり合った姿なのである。心臓がないエレーンは自分の中にグディフィベールの魂を入れており、彼の力で生者せいじゃと同じようにかしてもらっているのだ。

「どうした。顔色が悪いぞ」

 と、グディフィベールがエレーンに聞いた。エレーンは答える。

「……何か嫌な予感がするの。ペルドットとスカーレットに思考を飛ばしても、繋がらないの……」

「……そうか」

 それだけ言ったグディフィベールは、足元にあるかごからまきを一つ持ち上げ、暖炉に投げ入れる。炎が一瞬大きく燃え上がり、薪がはじけながら燃えていく。

「しかしエレーン。不安なのは分かるが、もう少し二人のことを信じろ。考えすぎるのはお前の悪いくせだぞ」

 エレーンが感じていた不安を、グディフィベールも感じていたのだろう。グディフィベールは静かに言った。

 二人は思考などのある程度の感覚も共有している。グディフィベールの魔力が届く範囲内であれば、エレーンは彼から離れて行動することもできる。

「……うん」

 エレーンは暗い顔のままで頷く。グディフィベールの言葉も分かるが、それでも胸に浮かぶ不安はぬぐえない。

「他に気になることは、肩書に『元』とついていた二人か?」

「……うん」

 エレーンは素直に小さく頷く。

「ここに嘘は持ち込めない。分かっているだろう?」

「うん……」

 エレーンは頷く。二人が『王』から『魔法が使えるだけの人間』になってしまったという事実を、改めて受け入れる。

「スカーレット……」

 エレーンは呟き、こめかみに手を当てて目を閉じた。スカーレットに思考を繋ぐ。

(スカーレット、私よ。エレーンよ)

 エレーンはそう思考を送る。しかしスカーレットから返事どころか、思考が繋がった感覚も返ってこない。

(スカーレット、お願い、返事をして……)

 エレーンは遠く離れたスカーレットに思考を飛ばす。

 先程から何度も思考を送っている相手が本物のスカーレットではないことを、エレーンは知らない。

「……繋がらない。やっぱりおかしい」

 こめかみから手を離したエレーンは、目を開けてそう言った。

「ベール、私……地上に出てスカーレットのドゥナトゥリアに行ってみる。何が起こっているのか確かめなきゃ」

 エレーンはグディフィベールに背を向け、扉のドアノブに手をかける。

「待て。行ってどうする。落ち着け」

「でも、行かなきゃ分からない。もしかしたらスカーレットの偽物が、また、ペルドットを……」

 首だけを向けたエレーンの声に涙が混じる。自分で言った言葉に、胸の中に渦巻うずまく不安がさらに大きくなるのを感じる。凄惨せいさんな過去の場面が、思い出したくもないのに頭に浮かぶ。

「エレーン。落ち着け。焦りは判断をにぶらせる。何も分からないまま、無闇むやみに動いてもまれるだけだぞ」

「でも……」

「ひとまず、その話は朝食を食べてからでも遅くはない。ホットミルクを出そう。そこの椅子に」

「……」

 グディフィベールの言葉に、エレーンは黙ってドアノブから手を離した。そのまま、暖炉の前の空いた椅子に向かい、そこに腰を下ろす。顔をあげると、目の前に湯気が立つマグカップが浮かんでいた。

「……ありがとう」

 エレーンは空中に浮くマグカップを取り、一口飲んだ。するとエレーンの肩に、どこからか生み出された毛布がふわりと掛けられた。

 グディフィベールが椅子から立ち上がった様子はない。魔法を使った素振りも何も聞こえなかったが、この毛布も、彼が魔法を使って生み出した物だろう。

「……」

 肩にかけられたその毛布を、エレーンは片手でぎゅっと握った。

「……ねえベール。あなたの時代にも、こんなことがあったの?」

 と、エレーンは尋ねた。黙っているより何か話していた方が気がまぎれるからだ。

「……ああ」

 と、グディフィベールは静かに答えた。

「二千年前……あなたが『王』の一人だった時代に、一体何があったの? ねえ、『しかばねおう』グディフィベール……」

 エレーンが言うと、

「……もと、だ。今、その名を名乗る気はない」

 と、二千年前の『王』の一人、『しかばねおう』グディフィベールは、答えた。

「二千年前のゲームは、『神殺王しんさつおう』という一人の『王』が、他の『王』を殺して回った……。そして奴は一人、勝ち残った……」

 グディフィベールは過去を思い出すような目を暖炉に向けて言う。その当時のことを知らないエレーンには、彼が誰のことを知っているのかは分からない。

「……一体、何があったの?」

 エレーンはもう一度聞いた。

「……過去に何があったか知ることは、同時に、この世界のふざけた真実を知ることにもなる……。盤上や駒という、ユースフェルトが言っていた通りの、ふざけた真実をな……。それでもお前は知りたいか?」

 グディフィベールの目がエレーンを見つめる。本当にいいのかと、その目が問いかけていた。

 エレーンは強い眼差まなざしでグディフィベールを見つめ返し、こう言う。

「どんなに恐ろしい真実でも、私は一人じゃない。そうでしょ、グディフィベール。

 それにその真実を知ったら、ペルドットやスカーレットを助けられるかもしれない。お願い、過去に何があったか、私に教えて」

 エレーンの決意を感じたのか、グディフィベールは、

「……分かった」

 とだけ言って、ぎし、と椅子の背もたれに背を預けた。

「……長い話になる。それが終わって朝食をとったら、出発だ」

「出発? どこに行くの?」

「監獄『最果ての箱』だ。ユースフェルトがお知らせをして回っているならば、全員そこに向かうはずだ。『撃滅王』を落とされたアーバンクも、ペルドットも、スカーレットの偽物も……な」

「……」

「その時、もしかしたら他の奴らとぶつかることになるかもしれないが……本当にいいんだな」

 グディフィベールの言葉に、エレーンは強く頷く。

 それを見ると、グディフィベールは一つ息を吐き、静かに話し始めた。

「今から二千年前……創造暦そうぞうれき一八六四年。今と同じように、この世界にはそれぞれの国を治める『王』たちがいた……」

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