『“魔法”の世界』のゲーム盤⑤
同じころ。
遠く離れたスカーレットの屋敷にて。そこのキッチンにある稼働中のオーブンの内側から、突然、扉を蹴り破るような音が響いた。
「な、なんだあ⁉」
その音に驚き、食材を切っていた
何度目かの音のあと、オーブンの扉が勢いよく開く。熱気とともに中からのそりと出てきたのは、全身が真っ赤に焼けただれた人間だった。眼球部分と口内から、蒸気が噴き出している。
「……!」
豚顔の男は思わずおののき、背中を台に打ち付ける。吊り下げていた人間の腕にぶつかり、それらが大きく揺れる。その腕にはびっしりと細かい傷がついており、傷の上に、幾何学模様のタトゥーが刻まれている。
男の背後にあるまな板の上には、人間の右足が置かれている。一般的な男性より少し細いその足は、骨が見えるほど肉が削ぎ落とされている。横にある瓶の中には、血管がついたままの藍色の眼球が、二つ、収められている。
「あ、が、は……」
焼けただれた人間が手を伸ばす。何か言っているようだが、ただの
男は急いで周りを見回し、背後の包丁を掴んだ。逆手に持ち直すと、すぐさま体重を乗せ、目の前にいるそれの心臓に叩きこむ。ズブリ、と刃が肉をかき分け、さらに奥へと沈んでいく。心臓まで突き刺さったことを、男は確かに感じる。
間違いなく殺した。男がそう思い、おそるおそる包丁の柄から手を離した時。
「……いきなり心臓刺してくるなんて、ひどいなあ……」
目の前から、はっきりと人間の声が聞こえた。
「……あー……脳味噌がまだ焦げてるよ。頭がうまく働かないなあ……鼻の奥から肉が焼けてるにおいがする。ああ、これはなんて
目の前にいるそれの、真っ赤になった全身の皮膚が修復されていき、やる気のない藍色の目と、藍色の髪が元通りになる。切り落としたはずの両腕に、傷と、その上に
「まさか、本当にオーブンに入れて焼かれるなんてさ。レシピ名は、僕のオーブン焼き、って感じかな。それに、
魂に刻まれた『死の“否定”』によって生き返ったペルドットは、心臓に突き立てられた包丁に手を伸ばしながら、のんきにそんなことを言う。
よく見ると、いつもよりも顔色が白に近く、唇の色も真っ青になっている。
ペルドットは、ぼじゅる、と胸に突き刺さった包丁を引き抜いた。切り裂かれた傷口から、だらだらと血が溢れてこぼれる。その傷が治っていく気配はない。
「お……っと、倒れる前に聞いておこう。ねえ君、スカーレットはどこに行ったのか知ってる? もちろん、本物のほうね」
「だ、誰が言うか! お前はアダムス様のデザートだ、大人しくオーブンに戻れ!」
男はがちゃがちゃと背後をまさぐり、今度は果物ナイフをペルドットに向けた。
「……ん。なるほど……」
そう言うとペルドットは、ゆらりと動いた。
「……!」
動いたかと思えば次の瞬間には、ペルドットは一瞬で距離を詰め、男を組み伏していた。左腕を男の喉元に当て、体を密着させ、体重をかけて押さえ込む。男の手からナイフが落ちる。
「ぐ、むぐ、かひゅ……」
喉を圧迫され、男が苦しそうに声を漏らす。
「あのねえ、僕、これでも急いでるんだよね。あの偽物……アダムスとか言ったっけ、そいつが今も、本物のスカーレットの顔と体を使っているって考えるだけで、僕は頭がおかしくなりそうなんだ……」
ペルドットは右手に持つ包丁を、器用にひっくり返して逆手に持ち直す。ぎらりと光るその刃を、自分の喉元に向ける。
そして一切の
「ひ、ひ……」
目の前の恐ろしい光景に、男ががくがくと震える。ペルドットはナイフを後ろに放り捨てると、口から血を流しながら、右手で喉の傷をぬぐった。手の平にべったりと血が付着する。真っ赤に染まったその指を、男の口内に無理矢理突っ込む。
「んん、んぐう、ううう……!」
男の喉がごくりと動き、唾と一緒にペルドットの血を飲み込む。それを見るとペルドットは、男の口から指を抜いた。
男の服で汚れた指をぬぐう。男は飲み込んだものを吐き出すように激しく咳き込んでいる。それを見ているペルドットの、横一文字に裂けた喉の傷から、呼吸をするたびにひゅうひゅうと音が漏れている。
「……あー、」
と、ペルドットは、『死の“否定”』によって勝手に修復された喉を動かし、のんきに呟いた。
「これ以上は、本当に倒れるね……」
と、独り言を言い、完全に治った目を男のほうにむける。
「ねえ。もう一回聞こう。あの偽物は、どこに行ったのかな? 正直に答えてくれたら、僕は何もせずにここから出ていくよ」
男の体が、びくんと跳ねた。男の目のふちが、ぼうっと藍色に染まる。
「あ、あ、アダムス様は……」
ペルドットが発動させた「支配」魔法によって、本人の意思とは関係なく、男の口が勝手に言葉を紡ぎ始める。
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