好奇心に囚われた貴方へ

宵闇 月 (ルナ)

第1話

1番初めの夢では、僕は真っ暗な空間に、ただぽつんと立って、目の前にあるモザイクによって姿がはっきりしない四角い物体を、ただじっと見つめていた。


モザイクは何かを隠すために、

その何かの上に覆い被せるものだ。


僕はそのモザイクの先にある物に、興味を持った。


そこからは早かった。

僕がモザイクに対する好奇心を深めるほど、

毎晩みる夢にその空間が現れ、少しずつ少しずつ、僕は夢の中で自由に動けるようになった。


夢に見る度、そのモザイクを剥がし取ろうと試みた。

しかし中々、モザイクは剥がれなかった。


僕は益々夢中になった。


現実のあらゆる場面で、夢の、あの物体の正体に思いを馳せた。


そして、どちらが現実か分からないほど、あの物体に対して夢中になったある日の学校の授業中、いつも通り物体の正体について考えを巡らせていた時だった。

僕は、教師の声を意識の遠くの方に感じながら、いつの間にかゆっくりと意識を手放していた。


目の前にいつも通り、モザイクの四角い物体が現れる。

昨日の夢の中では、微かにモザイクが動いた気がした。

だから今回こそ、モザイクの先を確かめることが出来るのではないかと心を躍らせた。


息を飲んで、ごくりと音が鳴る。

恐る恐る、モザイクに手をかける。

そして、背中に全体重を乗っけて思い切り引っ張る。


その瞬間、ブチブチブチ、と肉の引きちぎれる様な鈍い音を立ててモザイクが剥がれ落ちた。


驚く間もなく、モザイクと物体との接着面から赤い液体が吹き出して、

僕諸共、空間を覆い尽くした。


暗闇だった空間は、危険を感じさせる赤で埋め尽くされて、夢とはわかっていながらも、身の危険を感じて心臓が大きく脈打つ。


怖い。


そう漠然と思った。

なら、夢から覚めればいい。

そうすればこの場から嫌でも離れることになる。


しかしながら、いつものぼんやりとした夢の中の感覚とは違って、意識も感覚も異常なほどハッキリしていた。

そのため、とても夢から覚められる気がしなかった。


夢から覚める手段がないというのなら、もう夢が覚めるまでこの空間を耐え忍ぶしかない。


いつまで人の血の色と同じ空間に縛られ続けるのか分からない以上、いつまで精神を正常に保つことが出来るか不安にさせられる。


と、深紅の空間への恐怖が増幅していくのを身に染みて感じ取っていた時、

目の前にノイズ音とともに、kとnの文字が交互に現れる。


異様な不気味さ。ただの文字。


けれど、危険な空間であると思いながら、その文字が何なのか喉から手が出る程気になってしまう。

…相変わらず僕の好奇心は留まることを知らない。


危険だから触らない方が良いと言う心の声と、触ったらどうなるのだろうかと胸を躍らせる自分自身との葛藤の後。

…結局、手を伸ばし、交互に入れ替わる文字に触れる。すると、ナイフで力の限り切りつけられたような電流が指先を貫き、痛みとともに弾き飛ばされる。


「いッ…」


思わず文字を睨みつける。

いや、睨みつけようとした。


だが、見上げてみると、kとnの2つの文字の姿はなかった。しかしまたすぐに姿を表したかと思えば、今度はΦが現れ点滅し、Φのフェードアウトと同時にふたつの英単語が現れる。


「know…knock…?」


日本語で言えば、知る、強く打つまたは殴る…。

そして、Φ(ファイ)は、数学の授業では空集合を表す記号だと習った。


空集合、知る、殴る。


この文字や記号は、何を表している…。

僕に対して、何かを伝えようとしているのか?

だとしたら、それは誰が……。


文字に対して考察を落としていたその時だった。

今までは赤黒い血の色のようだった空間が、赤と黒交互に点滅すると同時に地面が揺れ始め、徐々にその勢いを増していった。


立っていられない!


追い打ちをかけるように、自分の体を支えるので精一杯になっていた僕を、鼓膜を破る勢いのノイズ音が襲う。


地面の揺れと脳内まで突き抜けてくるノイズ音との戦いの最中、その音の奥で、人が痛みに泣き叫ぶ悲痛な声が段々と大きくなっているような気がした。


脳内の危険信号が、errorを伝えようと僕の心臓を忙しなく叩く。

この状態が続くときっと現実の自分の体も危ない。そんな悪い予感が頭をよぎった。


徐々に鼓動のスピードが早まっていき、どんどん息が出来なくなって、加えて地面の揺れに耐えきれなくなって、耳を塞げども入り込んでくるノイズ音で頭が狂いそうで、とうとうその場に倒れ込む。

軽く過呼吸気味になって、息が吸えない。

まずい。このままでは。


夢とは思えないほどの苦しさに霞む視界の中で、人の足のような赤黒い塊をみとめる。


「知ロウとシた、キミのセキにンだヨ」


ノイズの中はっきりと聞こえた声に顔を上げてみると、人の形をした肉塊が、黒く落窪んだ目で、苦しさに喘ぐ僕を見下ろしていた。

その口元は耳まで裂けていた。

……嘲笑っているのか?



「クルシイよネ、デモ、仕方ナイよネ。キミハ知ロうトシテしマッタかラネ」


その声はモザイク音で、声では肉塊の正体が掴めない。

この期に及んでも、僕の好奇心は抑えられない。


人の言葉を話す肉塊の正体に対する好奇心。


この肉塊が言っているのは、正にこの僕の肥大化した好奇心の事だろう。

好奇心に突き動かされた結果がこれだ。

恐らく、夢から覚めたところで、僕の体は機能しなくなっていることだろう。それぐらい苦しかった。現実の体も相当やられているはずだ。

肉塊は、好奇心に支配されこの空間を汚した僕を、排除しようとしているのだ。きっと。


…もしかすると、初めの夢に現れたあのモザイクの物体は、人間の無尽蔵な好奇心そのものだったのかもしれない。


知ってはいけない。知ろうとしてはいけない。

僕はそれを知ろうとした。だからこうなった。


この肉塊は、好奇心を持つことをやめろと、好奇心に突き動かされ、後先考えず、現実でさえも夢のことに夢中だった僕に対して、ずっと警告していたのかもしれない。どおりで不気味な空間なのだ。赤黒かったのはそのせいだろう。


あの文字は、最期の警告だったのだ。

モザイクの先にある物を、求めてしまった僕への。


しかしもう遅い。気づくのが遅かった。


モザイク音でケタケタと笑い声を上げて僕を嘲笑う肉塊を見上げながら、

今となっては猛スピードで胸を叩く心臓の音を耳で感じながら、


苦しさに苦しさを重ねて、



僕は、とうとう意識を手放した。


その間際、肉塊がクマのぬいぐるみを片手に持った、8歳児の少女に見えた気がした。

口元は相変わらず笑っていたが、瞳には涙を浮かべている…ように見えた。



君は……………… 。



ღღღღღღღღღღღღღღღღღ



結局の所、



僕が夢で意識を失って、授業中いきなり倒れ込むものだから、クラス中大騒ぎになって、即通報。

病院に運ばれ、奇跡的に命を取り留めたらしい。


その後は何事もなく、体調は順調に良好になりつつあるものの、まだ油断は出来ないと言うことで、暇な入院生活を送ることになった。


その間、僕はあの夢の肉塊……否、少女のことを、想起していた。



小学2年生の時、年齢にそぐわないクマのぬいぐるみを肌身離さず持っていた彼女が、クラスメイトから虐められるのをただ傍観していた。


明日こそは助けようと、そう思いながら、僕ができたことといえば、水バケツに浸かったくまのぬいぐるみを昼休みに廊下で見かけて、すくい上げたことだけだった。


そのまま、彼女はしばらくの間虐められ続けた。

段々と小学2年生の仕業とは思えない、残酷ないじめに発展していったと、彼女が自殺した後に、母から聞いて初めて知った。


どこから知識を得たのか、爪を剥がす、といった拷問まがいなことまで、やらかしていたという。

きっと、どうなるか子供特有の好奇心によるものだったのだろうと、今ならわかる。


彼女は都内の塾に電車で向かう途中、もうずっと前から度重なるいじめで心身ともにボロボロになっていて、耐えきれなくなって、とうとう電車が迫る線路に自ら身を投げ命を落としたのだ。


僕と彼女は、同じ塾に通っていたから、普段から駅で見かけることが何度かあった。

当時、彼女が身を投げるその時まで、僕は彼女をただ傍観し続けた。止められなかった。

彼女の手が、最後までクマのぬいぐるみの手を握っていたのを覚えている。


そして、彼女が、目の前で肉塊に姿を変えるまで見届けた。最後の最後まで、僕は傍観者だった。


その日は、彼女の小さな体が電車の頭とぶつかる瞬間まで見つめるだけで、彼女を救うことが出来なかった自分の情けなさでいっぱいになって、女の子が落ちたと騒ぎ立てる外野の声を掻き分けながら、駅のホームを背に、初めて塾をサボった。


高校に上がった今になって、彼女が夢に出てきてまで僕に伝えたかったことは何だろうと考える。


夢というものは、意識しなければその内容を、1日もあれば忘れてしまう。

そのため、夢の内容は段々とあやふやになりつつあった。


夢の中で、僕は何を思ったっけ。


夢の中で、肉塊の姿だった彼女が僕に言った言葉を回想する。


「「知ロウとシた、キミのセキにンだヨ」」


「「クルシイよネ、デモ、仕方ナイよネ。キミハ知ロうトシテしマッタかラネ」」


自分の爪を剥がしたクラスメイトではなく、傍観者だった僕に向けて、彼女が言いたかったこと、それは……


行き過ぎた好奇心は周りを巻き込み、収集のつかない事態に繋がる危険性を含む。


そういう事じゃないだろうか。


夢の中で僕がどう考えていたか、もうあまり覚えてはいないが、彼女が肉塊として現れる前に、僕に対して伝えた3つの言葉。ーーーΦ、know、knock。

これらから彼女が伝えたいのは、そういう事じゃないだろうか。


まずはknow、知る。

知るという行為は好奇心から来るものも含まれている。その好奇心が悪い方向へいくことがある。

すると次はknock、殴る。

他人を巻き込み、傷つけることがある。

ならば、その好奇心を持つこと自体が…Φ、空集合。つまり、意味をなさないのだ。


知識というのはいくらあっても困らないもの。

知識というのはその人自身の人間力を高めてくれるもの。


そういったポジティブな面しか、普段は見えない。

学歴、資格。社会人として、重視されるこのふたつの典型例が、多くの人の価値観の根底に根付いているのだろう。


しかし彼女は身をもって、行き過ぎた好奇心の恐ろしさを知っていたのだ。

まだ幼い子供が、拷問への好奇心に走ってしまっては、将来的にどんな大人に育つかは、大方予想がつくだろう。

そのことに警告をしているのかもしれない。

いや、そんな大層なことでは無いかもしれないが…


意識を手放す直前、彼女は笑顔に悲しみを隠そうとしていた。気がする。


何故、彼女が僕の夢に出てきたのかは相変わらず分からない。

けれど、あの時、クマのぬいぐるみを、バケツからすくい上げていなかったら、きっと彼女は僕に対しても見切りを付けていたのでは無いかと、ふと思われた。


当時、彼女へのいじめを止める訳でもなく、ただぬいぐるみを水から出しただけの僕としては中途半端な行動が、彼女にとっては大切なことだったのかもしれない。


肌身離さず、虐められても尚手放さなかったあのクマのぬいぐるみが、彼女にとって大事なものだったのは予想がつく。


僕がこの先、大人になって社会に出る過程で、不必要な好奇心を抑え込むことの大切さを広めて行けたら、夢の中の彼女を本当の笑顔に出来るだろうか。

悪意に片足を沈めた好奇心の恐ろしさに囚われて、未だ肉塊のままで涙を流す彼女のことを…。


「…いや、それはいくらなんでも烏滸がましいだろ」


夢に出てきたからって、流石に思い上がりすぎだ。


でも、あの夢で彼女から伝えられた思いだけは、あの頃の僕のようにただ見るだけで終わりにはしたくない。


だからこそ、頑張ろうと思った。

彼女に報える、その時まで。

そして、その先も。


[END]



あとがき


夢を見て初めは、彼は物体の正体に抑えきれぬ好奇心をもって、物体を覆い隠すモザイクを剥がそうと躍起になっていました。

その姿は、皮肉にも、肉塊となってしまった少女を虐めていた同級生たちが、彼女の爪を剥がす姿と重なります。

同級生たちの好奇心の矛先は、拷問という幼い子供にはそぐわないものへと向いてしまい、結果的に一人の少女を殺してしまいました。

また、「僕」の好奇心は、正体の分からない物体へ向きましたが、それも夢の中では彼を苦しめる結果となりました。


私たち人間が円滑に知識を得る時といえば、やはり好奇心による探求力の増幅時でしょう。

そして、私たちが「知りたい」と思うのは、対象のものに対する知識が希薄な場合が多いです。

知識が無いだけに、その正体を知らないまま好奇心を頼りに突き進んでしまうと、この物語のいじめっ子や主人公のように、悪い方向へと進んでしまうこともあるのではないかと私は思うのです。


この話はまさにそれを伝えるために書きました。

と言っても思いつきに突き動かされたままに書いたものでしたが……。


賭博への好奇心が借金を生んだり。

煙草への好奇心が体への悪影響を生んだり。

飲酒への好奇心が酒乱を生んだり。


人それぞれが囚われる好奇心の形は様々です。

だからこそ、何に危険が潜んでいるのか、その場の勢いではなくて、その先を見据えてから行動すべきなのではないでしょうか。

これを読んでくださった皆様が、少しでも好奇心の危険性を知ってくだされば嬉しく思います。

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