第三十八話:母を訪ねて⑩/ある魔物の記憶



 ──生まれた時からわたしは“独り”だった。くらくら鍾乳洞しょうにゅうどうの中でわたしは孤独に誕生たんじょうした。


 ──さみしいわ、さみしいわ、さみしいわ。冷たい鍾乳洞の中で、独りさみしく餌をむさぼる、小さくて白黒モノクロな日々。なんて無様で、みっともなくて、みみっちいのかしら。


 ──小さなわたし ずるずる地面をいずって 今日もご飯にありつくの 明日も 明後日あさっても ずっと ずっと……。


 ──そんな日々が続いたある日、わたしは小さな変化に気付いたわ。進化している。喰べた相手の記憶、喰べた相手の能力、喰べた相手の全てが、わたしのものになっいたわ。


 ──それに気付いた……いいえ、それに気付ける知能が手に入った瞬間、わたしの世界は大きく広がった。


 ──それからは、暗くてじめじめした忌まわしい鍾乳洞わがやから飛び出して、広い広い草原に飛び出したわ!!


 ──虫を食べたわ、鳥を食べたわ、魚を食べたわ、栗鼠リスを食べたわ、猫を食べたわ、犬を食べたわ、食べたわ食べたわ食べたわ、いーっぱい食べたわ。


 ──その度に、わたしは強く、賢く、素敵になっていった。虫の特性、鳥の翼、魚の泳ぎ方、栗鼠リスの危機察知能力、猫の触覚、犬の嗅覚、食べる度にわたしはどんどん成長していった。


 ──あぁ、どんどんわたしの世界が広がっていく。楽しいわ、楽しいわ、とーっても楽しいわ!


 ──次は……人間を食べてみたいわ。人間を食べて、わたしは人間を識ってみたいわ。


 ──だから……その出合いは必定ひつじょうだったの。


「あなた……スライムさん? わたしを食べちゃうの……?」


 ──雨の中で、暗い森の中で、血まみれで死にかけた一人の人間の少女。魔犬に襲われたのかしら……いずれにしても、助からない。


「わたしが悪いの……。お母さんとケンカして……ひとりでヴェルソア平原に飛び出したから──バチが当たっちゃったの……!」


 ──お母さん……? 何を言っているのかしら、この子は? わたしは分からないわ、わたしは知らないわ、わたしには理解できないわ。『お母さん』って何かしら?


「お母さん……もう一度会いたいよ……!」


 ──わたしの目の前で少女が泣いている。今まで食べた相手はみーんな、最期に必死に藻掻もがいて抵抗したのに……この子は恐怖もせず、怯えもせず、ただ『お母さん』と泣き叫んでいる。


「お母さん……ごめんなさい、ごめんなさい……!!」


 ──ねぇ、わたしに教えて下さいな? お母さんはそんなにも素敵なのかしら?


 ──知りたくなったわ、『お母さん』を。わたしは知りたい、あなたの言う『お母さん』をわたしは知ってみたい。


 ──その代わり、会わせてあげるわ。あなたのお母さんに。


 ──だから、わたしに教えて下さいな? あなたの名前、あなたの記憶、あなたの『お母さん』を。


「わたしの名前は──ヤーノ。スライムさん、約束して……もう一度、お母さんに会わせて……!」


 ──少女を食べて、少女と溶け合って、彼女と一つになって、わたしは、わたし達は、一人の『ヤーノ』になった。


『さぁ、起きて……私の可愛いヤーノ。もう朝よ?』

『今日のご飯はお母さん特性のソテーよ! さぁ、ヤーノ……一緒に食べましょう』

『ねぇ、ヤーノ? このお洋服、あなたにとっても似合いそう……お母さんの前で着て見せて?』

『おいで、ヤーノ。お母さんと一緒にお風呂に入りましょう?』

『どうしたの、ヤーノ? 霊峰の邪竜ブレグナントが怖くて眠れないの? ふふっ、なら今日はお母さんと一緒に寝ましょうね?』

『おやすみ、私の可愛いヤーノ。お母さんの宝物……ずーっとずぅーっと──愛してあげるからね』


 ──垣間かいま見る少女の思い出。あぁ、なんて素敵なのかしら。暖かくて、優しくて、気持ち良くて、満たされていく……これが『お母さん』なのね……!


 ──素敵だわ、素敵だわ、とーっても素敵だわ。その愛情を識った瞬間、わたしの──ヤーノの白黒モノクロな世界は、色鮮いろあざやかな世界に変わったわ。


 ──欲しい、欲しい、欲しい! 思い出だけじゃ満足出来ない、もっと感じたい、もっと味わいたい、もっともっと愛されたい。


 ──我慢出来ないわ、そう思い立ったわたしは隠れ住んでいた森を抜け出して街に向かったわ。この子の街へ、この子の家へ、この子の──わたし達の『お母さん』の所へ。


 ──大丈夫、見た目はあの時のヤーノのまま、記憶を見たから家の場所も分かる、『お母さん』の顔もハッキリ分かる。


 ──もうすぐ会える、もうすぐ抱きしめてもらえる、もうすぐ愛してくれる。あぁ、待ちきれないわ。


「ただいま、お母さん! わたし達が──ヤーノが帰ってきたよ!!」


 ──あぁ、けれどけれど……居なかったわ。わたし達の『お母さん』は何処どこにも居なかったわ。


 ──散らかった台所、あの記憶にあったソテーは何処にもないわ。散らかったクローゼット、あの記憶にあった素敵なお洋服は何処にもないわ。散らかったお風呂、あの記憶にあった温かな湯船は何処にもないわ。散らかったベット、あの記憶にあった暖かな時間は何処にもないわ。


 ──何処に行ったの? 何処に行ったの? 何処に、何処に、何処に、何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に?


 ──お母さん、ヤーノを置いて何処に行ってしまったの?


「お母さん……ごめんなさい。わたしが居なくなっちゃったから、きっと此処ここに居られなくなったのね。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ──わたしの、わたしの中でヤーノが泣いている。ごめんなさい、わたしがあさはかだったわ。


「お母さん……会いたいよぅ……会いたいよぅ……!」


 ──あなたにこんな悲しい思いをさせたこと、あなたに寂しい思いをさせたこと、あなたを……『お母さん』と合わせてあげれなかったこと。本当に、ごめんなさい。


「ねぇ、“ヤーノ”? お母さんを探しましょう!」


 ──なら、わたしが出来る事は一つ。本当の『お母さん』がいないなら……せめて“偽り”の『お母さん』でも、この子に……わたしに『お母さん』の愛を!


 ──此処カヴェレでは駄目だわ、どんなに取り繕ってもわたしは“魔物スライム”。バレてしまったら、ふたり共々殺されてしまうわ!


 ──あの森に潜みましょう、いけ好かない魔犬の女王の鼻を掻い潜って、わたし達のお家を作りましょう。


 ──そこに迎えましょう、連れて来ましょう、歓迎しましょう。お母さんを、あなたのお母さんを、わたしのお母さんを、わたし達のお母さんを!


 ──あの子ヤーノを愛して、わたしヤーノを愛して、わたし達ヤーノを愛して……。


 ──あの暖かな手料理をわたしに下さいな。あの素敵なお洋服をわたしに下さいな。あの暖かな肌の温もりをわたしに下さいな。あの優しい“愛”を、わたしに下さいな。


 ──例え、“偽りの愛”でも……いいえ、“本物の愛”にしてみせるわ! 大丈夫、わたしのちからがあれば何でも出来るわ!


 ──探しましょう、集めましょう、愛してもらいましょう。わたし達の『お母さん』に、存分に愛してもらいましょう!


 ──あの忌々しい魔犬の女王が居なくなった今、やっと存分に動けることが出来るわ。


 ──準備は整ったわ。あの森に棲む全ての“邪魔者”はヤーノが食べて始末したわ。


 ──虫も、小動物も、鳥も、草食獣も、肉食獣も、魔物モンスターも、魔犬も、全部食べたわ。あの森に住むのはわたしだけ。


 ──素敵なお家にしましょうね。台所で美味しいお料理をたくさん作って、クローゼットにお洋服をたくさん仕舞って、お風呂で一緒に温まって、ベットで一緒におねんねしましょう。


 ──愛して、愛して、愛して愛して愛して愛して愛して……わたしを愛して、たくさん愛して、ずーっとずぅーっと愛して下さいな。


「本当よ……。私だってお母さんだもの……あなたのような小さな子どもを放ってなんて置けないわ……」


 ──だからね……あなたも、わたしを愛して下さいな。素敵な『お母さん』……わたしの、わたしだけの、わたし達だけの『お母さん』になって下さいな。


 ──わたしはヤーノ。スライムとして生まれて、人間ヒトって、『お母さん』の愛に恋い焦がれた“怪物かいぶつ”。


 ──あぁ、誰か……わたしを愛して下さいな? 曇りなき輝く瞳で、わたしを見て下さいな? わたし達に“本物の愛”を下さいな?

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