第三十七話:母を訪ねて⑨/ギルドから来た冒険者



 「ぐッ──この、放せッ!!」

「スライムに足が絡まって……う、動けない!?」


(あー、油断したでちゅね……。あの小娘こむちゅめ──随分と“悪食あくじき”のようでちゅ……!)


「あっはははは♡ 逆さり──まるで料理される豚さんみたい!!」


 地面を突き破りスティア達の背後を獲ったスライムの触手はすかさずふたりの足を絡め取ると、逆さ吊りにしてヤーノの前に差し出していた。


「こんにちは……いや、え〜っと……この時間だと……人間の挨拶あいさつは確か……思い出した……!! くすくす……じゃあ、もう一回……こんばんは~、我が家にようこそ♪」

「コイツ……ッ!! ふざけてんの!?」

「くすくす♡ さぁ、どうかしら?」


 触手に捕まり逆さ吊りにされたスティアたちがろくな抵抗が出来ないのを良いことに、ヤーノは得意げな表情かおをしながら悠々ゆうゆうとふたりに挨拶をし始める。当然、そんな態度が目の前のふたりの神経を逆撫さかなですると知った上で。


「ねぇねぇ……わたしに教えて下さいな? あなた達は──わたしからお母さんを奪いに来た悪い子ねずみさん? それとも、わたしを愛しに来てくれたお母さん?」

「あたし達は、アンタが誘拐した母親たちを取り返しに来たギルドの冒険者よ……!! さぁ、さっさと皆んなを解放しなさい!!」

「スティアちゃん……! 無闇に挑発しちゃ駄目だよ……!!」

「分かってるって……!!」

「くすくす……早速、仲間割れかしら? くすくす……いけないわ、いけないわ、とーってもいけないわ!」


 スティアが負け犬の遠吠えのようなみっともない啖呵たんかを吐いたからか、フィナンシェがスティアの行動をいさめたからか──いずれにせよ、ふたりの行動に気を良くしたヤーノはくすくすと、お腹に両手を当てながら無様に吊るされた少女たちをわらっている。


「あなたがしている事は悪いことよ……! 今すぐに攫った人たちを解放してあげて!!」

「悪いこと……? でわたしに物をかたらないでくれないかしら?」

「えっ……?」

「くすくす……わたしはスライムよ……。人間じゃないから、人間たちのいた“ルール”なんて守る義理ないわ……!」


 無関係の他人を誘拐する事は悪い事だとヤーノを糾弾きゅうだんするフィナンシェを、彼女は口角こうかくを釣り上げて嘲笑あざわらう。そんな事は自分には関係ないと言わんばかりに。


屁理屈へりくつこねてんじゃないわよ!! アヤさん! 他のみんなも! こんな自分勝手な奴、あなた達の子どもなんかじゃないわ!! 目を覚まして!!」


 不遜ふそんな振る舞いを崩さないヤーノに怒りを隠しきれないスティアは、必死にアヤたちに正気に戻るように呼び掛ける。ヤーノと言う得体の知れない存在の元に、これ以上アヤたちを近付けたくなかったから。


「くすくす♡ 何を可笑おかしな事を言っているのかしら? お母さんたちはお母さんよ……ねっ、お母さん?」


 しかし、スティアの懸命けんめいの呼び掛けをわらいながら、ヤーノは母親たちに甘えた声で語り掛ける。


 そして、そんなヤーノの甘えた声に呼応こおうするように──、


「えぇ、そうよ。ヤーノは……私のかわいい娘……」

「私は……ヤーノの──いとしの我が子の為に、此処ここに来たの……」

「ヤーノが、娘がいれば……私は幸せよ……」


 ──攫われた母親たちは、虚ろな眼でヤーノを見つめながら、彼女は自分たちの子どもだと優しく語り掛ける。


「違う……違う……違う違う違う!! あなたたちの子どもは、ちゃんとカヴェレにいるよ!! お願い、そんな奴に惑わされないで!!」

「お願いします、正気に戻ってください!!」


 そんなヤーノの甘言かんげんに負けないでと、スティアとフィナンシェも母親たちに精一杯に声を張り上げる。


「ヤーノ……私はあなたさえ居れば……!」

「アヤさんッ!! あなたの子どもはそいつじゃない!! あなたの子どもは──スコアって立派な名前をしてるでしょ!!」


 思い出してと、忘れないでと、惑わされないでと──彼女たちの耳に、彼女たちの心に、彼女たちの魂に、これでもかと叫び続ける。


「ス……コア……!! うぅ、私……わた……し……!!」

「っ!? お母さん、どうしたの!!?」

「私の子ども──ヤーノ……? 違……う……私の……子ども──息子は……!!」

「お母さん!! あなたの子どもはわたしよ! わたしだけを見て、わたしだけを感じて、わたしだけを愛して!!」

「あぁ──あぁあああああああ!!」


(まずい……! 洗脳ちぇんのうされた理性りちぇいと母親としての本能の間で軋轢あつれきが起こっているでちゅ!? あのままでは、アヤの精神ちぇいちんが壊れてしまうでちゅ!!)


 息子の名を言われ、ヤーノに消し去られた筈の記憶を呼び起こされ、アヤは頭を抱えて激しく慟哭どうこくする。必死にあらがっている──もやがかかった記憶に隠された、自分が愛した家族を必死に思い出そうと。


「アヤさん!! そんな奴に負けないで!! 一緒に帰ろう、家族の所に!!!」

「いい加減にしてよ!! この……略奪者りゃくだつしゃ!!」


 その光景──アヤが、自分を自身の子どもだと認識にんしきしなかったことが余程気に食わなかったのか、ヤーノはスティアへの怒りをあらわにしながら彼女に向けて人差し指を指し向ける。


 次の瞬間──スティアの足を絡め取っていた触手から生えてきた新しい触手が、勢い良く彼女の腹部に殴打おうだを加えるのだった。


「ぐッ!? がはっ!!」

「スティアちゃん!?」


 腹部を殴打されたスティアは身を抱えて苦しみにあえぐ。


「くすくす……いい気味だわ……! わたしのお母さんを惑わすからそうなるのよ……!」

「ゲホッ、ゲホッ……! こ、この……!!」

「無様だわ、無様だわ、とーっても無様だわ!! お母さんでもなんでも無い、小便しょんべん臭い小娘がわたしに楯突くからそうなるのよ!!」


 逆さ吊りにされ、腹部を殴打された激痛に身をよじるスティアにいい気になったヤーノは、勝ち誇ったように高らかに彼女を侮蔑ぶべつする。


「う、うるさい……人を惑わして、偽りの愛で悦に浸っている魔物モンスター風情ふぜいが、あたしに偉そうに言わないでくれるかしら?」


 しかし、スティアもまだ負けてはいない。お腹を両手で押さえながらも、ヤーノに向けて不敵な笑みを見せながら──つばを彼女に吹き掛けながら挑発を繰り返す。


「きゃ……ッ!? …………いいわ、なら──もっとあなたを痛ぶって、赤ちゃんも産めない身体にしてあげる!!」


 そのスティアの挑発に激昂げっこうしたのか、ヤーノは眼を大きく見開くと、スティアを狙う触手を2本に増やして──連続で彼女の身体を殴打し始める。


「あ、あぐッ! あぁ──あぁあああ!!」

「スティアちゃん……! やめて、スティアちゃんが死んじゃう!!」

「殺さないわ、殺さないわ、殺さないわ!! 偽りの愛……許せないわ、許せないわ、許せないわ……!! わたしとお母さんの絆を“偽り”だなんて言ったこの小娘だけは絶対に許さないわ……!!」


(怒りで完全に我を忘れているでちゅ……! まちゃか──スティアの狙いは……?)


「その綺麗な髪も、その輝く眼も、その整った顔も、その華奢きゃしゃな腕も、そのしなやかな脚も、その慎ましやかな胸も、その大切な子宮も──全部、ぜーんぶ、めちゃくちゃに壊して、文字通り──調理される豚みたいにしてあげる!!」


 私刑リンチも同然の猛攻がスティアに加えられて行く。隣で吊るされていたフィナンシェが思わず眼を覆ってしまいそうになる程に。


「スティアちゃん……」

「フィー……ネ、グッ……ちゃんと……見てて……! アイツ……の……隙……!!」


 それでも、なぶるような激しい暴行を受けてもスティアの眼は死んでいない。左眼のあおい瞳と、逆さにされたことであらわになった金色こんじきの眼が、眼下で悦にひたるヤーノを力強く睨み付けている。


(スティア……おのが身をていして、奴の隙を作る気でちゅね……! えろよ……我が末裔……!!)


「ガハッ!! ゲホッ、ゲホッ!! はぁ……はぁ……!!」

「どうかしら? もうぐちゃぐちゃになったかしら?」


 口から血を流し、全身に痛々しいあざを作りながら、力無く吊るされたスティアの無様な姿に満足したのか、攻撃を中断するとヤーノはゆがんだ笑みを浮かべながら彼女の容姿をうかがう。


「くすくす……どう? 『此処ここに居る人間ヒトたちは、ヤーノを愛しているお母さんです』って謝れたら──スライムたちの苗床なえどこにするだけで許してあげるわ」

「…………ハッ、バッカじゃないの……アンタ?」

「…………ッ!? まだ減らず口を叩く余裕があるの?」

「ふふっ、これぐらいの暴力──とっくに慣れっこよ……! あたしをちからで屈服させたいなら──アンタが直接やってみなさい……!!」


 だからこそ、スティアがみっともなく命乞いのちごいすると踏んでいたからこそ──彼女が未だに心折れず、ヤーノをあおった事で──人間ヒトならざるスライムの少女は完全に冷静さを失ってしまう。


「良いわ、良いわ、良いわ良いわ良いわ!! そこまで言うなら──わたしが直々に、あなたを串刺しにしてあげる!!」


 そう言って、ヤーノがスティアに宣言した瞬間──“バシャン”と音を立てながら、ヤーノは水になって弾けて足元の石へと溶けていった。


「フィーネ……あいつは多分、あたししか見ない……! だから、その隙をついて……お願い!」

「分かった……! わたしに任せて……」

「あんたも、逆さにしてゴメンね……? もうすぐ、あたしたちが楽にしてあげるから……!」


(全く……ちゃかさぐらいどうって事ないでちゅ!! 魔界にいた頃は上下左右じょうげちゃゆう音速おんちょくで入れ替わるカフェでよくお茶をしていたぐらいでちゅからね……!! まぁ、あれは流石に吐いたでちゅが……!!)


 スティアとフィナンシェがヤーノが消えた僅かな時間を使って作戦を練っていると、先程までスティアに暴行を加えていた触手の一本が徐々に姿を変えていき──やがて先程消えたヤーノへと変貌へんぼうしていく。


「さぁ……何処どこから潰して欲しいかしら? 手? 足? 腕? 肺? 胃? 大腸? 小腸? 眼球? 舌? 耳? 子宮? 卵巣? 喉元? 心臓? 脳? くすくす……お好きな所を教えて下さいな?」


 スティアの間近まで迫ったヤーノは、彼女の身体を舐め回すように見つめると、右腕を槍のように鋭くちがらせながらスティアの身体を槍の尖端せんたんでなぞっていく。


何処どこでも好きになさい? この幼稚ようちなクソ餓鬼ガキ……!」

「あらそう……? なら……子宮にしましょう!」

「────ッ!! やめてよ……赤ちゃん産めなくなっちゃうじゃない!!」

「くすくす……だからよ? あなた……随分と『お母さん』に執着しているみたいだから──ずは、『お母さん』になれなくしてあげる!!」

「────いやッ!?」


 ヤーノは無邪気に、それでいて邪悪じゃあくに笑いながらスティアの腹部──子宮に狙いを定めて、腕を変形させた槍を思いっ切り振りかざす。一突きで、彼女の腹をつらぬく為に。


「怯えなさい、震えなさい、泣き叫びなさい!! 自分の身体が蹂躪じゅうりんされる様を──よーく見ときなさい!!」


 スティアの身体を壊すこと──それだけに、全神経を集中して。


「最後に──『お母さん』になれなくなる気分を教えて下さいな?」

「…………ほんと悪趣味あくしゅみね! 地獄に落ちなさい……この親不孝者おやふこうもの!!」

「素敵だわ……その負け犬の遠吠え! それじゃあ、未来の『赤ちゃん』にバイバイしましょう────ねッ!!?」


 故に──周りが見えなくなる程、スティアに意識を集中してしまったが為に、ヤーノは背後から来た攻撃に気が付くことが出来なかった。


「…………杖?」


 背後から突き刺され、ヤーノの腹部を突き破るように出ていたのはフィナンシェの杖。その杖の衝撃に呆気あっけに取られたヤーノは思わず、スティアへの攻撃をすんでの所で止めてしまう。


「先に……子宮が潰されたのは──アンタの方だったね!! フィーネ、お願い!!」

「“我を護れ 堅牢なる盾よ”──『白き盾シールド・ホワイト』!!」


 ヤーノを貫いた杖に魔力を込めて、フィナンシェが行使するは“盾”の魔法。スティアとフィナンシェの足を絡め取っていた2本の触手を寸断すんだんするように展開された盾によって、触手は切断されてふたりの身体は宙に投げ出されていく。


「しまった……!? わたし、もしかして──」

「もしかしなくても──はめめられたのよ、バーカ!!」


 そして、挑発に乗せられて、軽率けいそつな行動を取ったことにようやく気付いたヤーノに対して──すんでの所で停止していた槍をガッチリと掴みながら、スティアは不敵に笑いかける。


 そして──、


「この……さっさと死に──」


 ──ヤーノが再びスティアに攻撃を振るうよりも疾く、スティアの剣閃けんせんが彼女の身体を両断りょうだんする。


「がッ──!! そん……な……!?」


 そんなヤーノの情けないうめき声を頭上にしながら、スティアとフィナンシェは空中で身をくるりとひるがしながら地面へと着地する。


「スティアちゃん、身体は大丈夫!? “癒やしの光よ 我らに祝福を”──『癒やしの光ヒール・ライト』!!」

「ありがと、フィーネ! もう、いきなり子宮を潰そうとするとか、あいつ趣味悪すぎ!!」


 フィナンシェの回復魔法ヒーリングで身体の傷を癒やしたスティアは、すかさずヤーノがいる頭上を見上げる。


(いない……? やっぱスライムね……“コア”を潰さなきゃ……!!)


 頭上にスティアに両断されたヤーノ姿はなく、ふたりを捕らえていた触手とヤーノの姿を形作っていたスライムの残骸が、バラバラの水滴になって宙に散っているだけだった。


「まだ──死んでないよね?」

「多分ね……! って言うかフィーネ、あの“盾”で切断するの……人にやらないでよね?」

「えへへ……頭良いでしょ? 昔、伯父様おじさまに教えて貰ったんだ〜♪」


 会話は軽快に弾む、だが警戒けいかいおこたらない。スティアは剣を、フィナンシェは杖を構えて、姿の消えた敵に備える。


「…………で、どうすればアヤさん達を元に戻せるのかしら?」

「多分だけど……あのヤーノってを倒さないとダメなんじゃないかな……?」


(結論はそれであっている……でちゅが、事はそう単純じゃないでちゅ!!)


 緊迫きんぱくに包まれた空気の中で、カティスは脳裏によぎ懸念けねんを思案していた。


(奴の反応──人間ヒトでありスライム……。間違いない……奴は……!!)


 それはヤーノの正体。彼女の正体を、カティスは先のスティア達のやり取りの間に見抜いていた。


(奴は──突然変異種ミュータント”のスライム……! 何処どこかで喰った──あの姿の少女から“人間ヒト”を識ったでちゅね……!!)


 喰らった相手の容姿・知識・能力──その全てを自らの物に出来る“突然変異種ミュータント”のスライム。それがヤーノの正体。


(何故、ヤーノが『母親』に固執ちゅるかはさておき──問題は……!)


 それは──人間ヒトに憧れ、人間ヒトへと転生したカティスにとっては由々しき事態。


(奴から犠牲になった少女を引き剥がちゃなくては──おれは手出しできないでちゅ……!! スティア、フィナンシェ……何とか奴の抱える“心の闇”をあばくでちゅよ……!!)


 カティスが目指すは──ヤーノのからだに囚われた少女の救出。その為には、ヤーノの本心──なぜ『母親』に執着するかを暴かなくてはならない。


「──────許さないわ!!」


「────スティアちゃん!!」

「分かってる! さぁ、第二ラウンド──始めましょうか?」


 暗いに森に響くは少女の声──母に執着する怪物の声。


「許さないわ……許さないわ……絶対に──許さないわ!!!」


 暗い森にポツンと残された小さな泉が──徐々に波打っていく。それは怪物たる少女の怒り。激しく波打つ少女の怒り。


「スティアちゃん……形勢はどうかな……?」

「不利も不利──最悪よ!」


「あなたたち全員──八つ裂きにして、ドロドロに溶かして、のご飯にしてあげる!!」


 そして、泉からせり上がった水の中からヤーノは現れる。戦いの場を覆わんと、地面を突き破り現れた無数のスライムの触手と共に。


「わたしたちのお母さんを、奪わせはしないわ……!!」

「いいや……返してもらうよ……!! 全員ね!!」


 ふたりの少女と、独りのスライムの想いが激しく交錯こうさくする──譲れぬ“想い”を賭けて。


「あたしは……攫われた母親たちを連れ戻しに、ギルドから来た冒険者──スティア=エンブレム!!」

「同じく……ギルドから来た冒険者──フィナンシェ=フォルテッシモ!!」


「「返して貰うよ!! あなたが奪ったもの全て!!」」


 戦いは次の“段階フェイズ”へ移行する。それは、哀しき怪物の“心の闇”を暴く戦い。


「やれるものなら──やってみなさい!!」


 今、スティアとフィナンシェ──戦いの刻。

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