第三十六話:母を訪ねて⑧/渇愛のヤーノ -Ask Affection-



 ラウラとトウリと別れてから2時間後──ヴェルソア平原の一画にある森林地帯。


此処ここが目的地だね……」

「みたいだね……此処ここからは慎重に進まないと……」


 陽は大きく傾き、鬱蒼うっそうと生い茂る深い木々に当たるは夕焼け。その夕日のささやかな明るさも、立ち並ぶ木にさえぎられていき──奥に行けば行くほど、夜のように暗くなってくる。


「スティアちゃん……なんだか、一昨日おとといの事を思い出すね……」

「そうだね……あの迷宮ダンジョンに入ったみたい」


 徐々にかすれていく夕日を背に、奥へ奥へと進んでいくスティアとフィナンシェは一昨日およといの光景──魔王カティスの迷宮ダンジョンに足を踏み込んだ時の事を思い出していた。


 暗く、冷たい──“黒”と“闇”が口を拡げて、のこのこと歩いて来たふたりの少女と独りの赤ん坊が飛び込んで来るのを待ちわびているかのように。


「攫われた人のたち……何処に居るのかな?」

「う~ん……多分だけど、水辺みずべの近くじゃないかな……?」


 しかし、一昨日とは打って変わり──スティアもフィナンシェもおくすること無く、奥で口を開く“暗闇”に向けてを進めて行く。使命感からか、一端いっぱしの冒険者として成長したからか、スティアのあおい瞳とフィナンシェの碧色へきいろの瞳は深い“闇”に眼を光らせ、その先に居るであろう黒幕への静かなる怒りをにじませる。


(周囲に魔物モンちゅターの気配はなし……あるのは、森の奥深くに人間ヒトの気配が複数と、魔物モンちゅター……)


 だが、ふたりが不安や懐疑心かいぎしんに囚われ無かったとしても、此処ここがカヴェレから母親たちを連れ去った正体不明の怪物の隠れ家である事には相違そういない。


 カティスは意識を集中して周囲の気配に探りを入れるが、反応は奥から発せられている複数人の人間ヒトの気配と魔物モンスターの気配が一つだけ。


(元が魔犬たちの棲家ちゅみかで、アイノアの奴に殆どが乱獲らんかくちゃれてもぬけのからとは言え……これは奇妙過ぎまちゅね……?)


 それがカティスには気掛かりで仕方なかった。先程、スティア達を足止めする為に百を超えるスライムをけしかけたと言うのに、肝心要かんじんかなめの本拠地には誘拐をくわだてた犯人しかいない。


(おれも生前──あのいけちゅかない『勇者ゆーちゃ』が乗り込んで来た時は、無駄な被害をちゃける為に部下を退ちりぞかちぇた事はありまちゅが……これは訳が違うでちゅ……!)


 守りがいない事──これには何か。そんな、胸騒むなさわぎを──百戦錬磨ひゃくせんれんまのかつての魔王だけが感じていた。



〜〜〜



「話し声が聴こえる……! フィーネ、身をかがめて……!」


 森に足を踏み込んでから30分程歩いた所で、スティアは奥から聴こえてきた話し声に気付いた。


魔物モンスターかな……?」

「森に入ってから一匹も“交戦エンカウント”しなかったもんね……! そろそろ出てきてもおかしくないかも……!」


 カティスが探りを入れた通り周囲に敵影は無く、スティアとフィナンシェは一度も魔物モンスターに襲われることは無かったが──しものスティアとフィナンシェも、その事に妙な胸騒ぎを覚えて緊張感きんちょうかんを高めてゆっくりと歩を進めていた。


「女の人の声ばっかり……攫われた人たちかな……?」

「多分……でもなんだろう……? ……?」


 そんな折に聴こえてきた話し声。複数の女性の声──攫われた母親たちの声だろうか。しかし、奇妙な事に聴こえてきた声は


 攫われて恐怖に怯える声でも無く、家族と引き離されて孤独にむせび泣く声でも無く、残してきた子どもたちを案じて奇跡にすがり付く悲壮ひそうな声でも無く──ただ、いつくしみ、思いやり、愛情にあふれた声だけが、スティアとフィナンシェの耳に届いていた。


「どう言う事なのかな……?」

「少なくても……今は手荒てあらな扱いは受けていないみたいだね……!」


 その楽しそうな声に、だけは避けれたとふたりは安堵する。


 ふたりが考えられる“最悪の事態”を遥かに上回る──世にも恐ろしい事態が起こっているとも気付かずに。


(もうすぐ声の所に到着しちゃうよ……!)

(あそこの大きな樹の影から様子を見よう……!)


 聴こえる声が大きくなり、いよいよ鉢合わせと言うタイミングに差し掛かったスティアとフィナンシェは、小さく身をかがめながら近場にあった大木たいぼくに身を隠して奥をうかがう。


「なに……これ……?」

「うそ……?」


莫迦ばかな……!? どう言うことでちゅか、これは……??)


 そして──その眼に飛び込んできた光景にスティアとフィナンシェはおろか、カティスまでもが眼を疑うこととなる。


「ほら、ヤーノ……お口にお菓子の食べかすが付いているわよ……! 拭いてあげるからこっちを向いて」

「はぁーい♡ お母さん、ありがとう」


「さぁ、ヤーノ……今日は寝る前にどの絵本を、お母さんに読んで欲しいの?」

「う~んとね……『勇者キリアリアと魔王カティス』がいいなー」


「ねぇ、ヤーノ……明日はお母さんと何しよっか?」

「えっとね……わたし、お母さんと一緒にお昼寝したい! お日様のあたる所で、夕方になるまで一緒に寝るの!」


 直径20メートル規模の池を中心にした開けた空間──其処そこに居たのは二十数名の大人の女性たちと、彼女たちに囲まれて無邪気に笑う水色の髪と金色こんじきの瞳をした──『ヤーノ』と呼ばれた少女の姿だった。


「どうなってるの……? 何なのこの状況……??」


 その光景に、スティアはいぶかしげながらも驚愕きょうがくの声を上げるしかなかった。


 大きな石に腰をかけているヤーノと呼ばれた少女に、囲んだ女性たちが甲斐甲斐かいがいしく世話を焼いている。嬉しそうに声を弾ませる少女、それを優しく見守る女性たち。傍から見れば──微笑ほほえましい家族の団欒だんらんに見えるだろう。


「スティアちゃん……あの人たち、みんな眼がうつろになってる……」


 不可解ふかかいな点が有るとすれば──ヤーノを囲む20人以上の女性全員を彼女が『お母さん』と呼んでいること。ヤーノを実の娘のように世話している女性たち全員の瞳が虚ろで、輝きを失っている事だ。


洗脳ちぇんのう……? いや、もっとおちょろちいをちゃれていまちゅね……!)


 その異様な光景に言いようの無い不気味さを感じながらも、スティアとフィナンシェは懸命けんめいに眼をみはる。


「スティアちゃん、見て……アヤさんだ……!」

「アヤさん……無事だったんだ……!」


 ヤーノを囲む女性たち。その中に居るスティアたちの見知った顔──今朝から行方知れずだったアヤの姿も其処そこにはあった。


「アヤさんが此処ここに居るってことは……」

此処ここに居る人たちは……攫われた人たちだ……!」


 疑惑ぎわくが確信に変わる瞬間──其処そこに居る女性たちがカヴェレから攫われた母親たちである事、今日以前から母親たちが攫われていた事、それが確定的な事実になった瞬間である。


「攫われた母親たちが此処ここに居たのは良いとして……あの水色の髪の女の子は誰……?」

「複数の女性を『お母さん』って言っているあたり、少なくてもまともな人物じゃないよね……!」


 故にこそ、スティアとフィナンシェが疑惑の眼は、攫われた女性たちは『お母さん』と称してはべらしているヤーノへと向けられる。


 そして、彼女は何者かなのか──と言う疑問はすぐに分かる事になる。


「さぁ、ヤーノ! もうすぐ夕飯の準備が出来るわよ!」

「は~い、すぐにお食事の準備をするね──お母さん♡」


 ヤーノの側に転がっていたひらべったい石を使って魚や果実を料理へと調理していたアヤは、虚ろな瞳でヤーノに笑いかける。実の子どもに笑いかけるように。そして、それに応えるようにヤーノもアヤに笑いかける──彼女を『お母さん』と呼んで。


「違う……アヤさんの子どもはアンタじゃない……!!」

「ひどい……! アヤさん……何をされたの……!?」


 その光景──アヤの母親としての愛情を奪って、あまつさえ、彼女の子どもをかたるヤーノに激しいいきどおりを覚えるスティアとフィナンシェ。その裏で、唯一正気を保っているカティスは、アヤたちに起きている異変を見極める。


(あの女性たち──……! あのヤーノと言う奴を、暗示を掛けられているでちゅ……!!)


 それは、恐ろしい企て──攫われた女性たちの脳は極小ごくしょうのスライムに寄生されており、ヤーノを自分の子どもだと認識するようにされていると言う事実だった。


(あのヤーノとか言う小娘こむちゅめ──あやつこそがスライムでちゅね……!!)


 スライムを寄生させ、アヤたちに自身を子どもだと認識させている以上──ヤーノが『母攫い』の主犯であることは間違いない。


(問題は──あのヤーノがでちゅ……! 何者でちゅか……あやつは!?)


 カティスは、あまりにもスライムぜんとしないヤーノのあり方に疑問を抱く。スライムでありながら、人間ヒト寸分違すんぶんたがわない──最早、人間ヒトと言っても差し支えない雰囲気を発する彼女は、果たして何者なのか?


 しかし──状況は待ってくれない。アヤの言葉に嬉しそうな反応を示したヤーノは、上機嫌に腰掛けていた石から飛び降りると集めた母親たちに語り始める。


「あぁ、わたしのいとしいお母さん! わたしを愛してくれてありがとう!!」


 金色こんじきの眼を輝かせ、自分に向けられた“母の愛”を全身に感じながら──ヤーノは歓喜の声をあげる。


「あぁ──なんて素敵な日なのかしら! わたしを愛してくれるお母さんがこんなにもたくさん!! 素敵だわ、素敵だわ、とーっても素敵だわ!!」


 20人を超える『お母さん』をはべらせて狂喜乱舞きょうきらんぶするヤーノ。そのあり方が、狂っているとも気付かずに。


「さあ!! お食事にしましょう……!! 家族団欒かぞくだんらん水入らず、幸せな時間よ、素敵な時間よ、わたしが望んだ時間よ……!!」


 虚ろな瞳でヤーノに微笑みかける母親たち、大勢の人から奪った“幸せ”を無邪気に笑いながらむさぼり喰らうスライムの少女──渇愛かつあいのヤーノ。


「だからね……♪ わたしたちの“幸せ”を邪魔する悪い子ねずみさんたちは……刻んで、喰らって──皆殺しよ!!」


「まさか──ッ!?」

「気付かれたの──ッ!?」


 高らかにを歌っていたヤーノの眼が狂気に染まり──大木たいぼくに隠れていたスティアたちへと向けられる。


 次の瞬間──スティアたちの背後から、地面を突き破ってスライムでできた無数の触手しょくしゅが現れた。


(しまった!? あいつ、……!?)


「なッ──!?」

「あっ──!?」


 ヤーノは不気味に笑う。触手に背後を取られ、不意を突かれ、激しく動揺するスティアたちを嘲笑あざわらうかのように。


「はじめまして、可愛らしい子ねずみさん? わたしはヤーノ……人間ヒトべて──“人間ヒト”になれたスライム……」


 ヤーノは不敵に笑う。母親たちを取り戻しに来たフィナンシェたちを、まるで肉食獣の餌場えさばに迷い込んだ子羊こひつじのように扱いながら。


「くすくす♡ ねぇ……わたしに教えて下さいな?」


 ヤーノは不遜ふそんに笑う。体勢を崩して、今にも自分の操る触手に絡め取られそうになっているカティスたちを──自分の所有物だと主張するように。


「あなたたちは──わたしの“お母さん”ですか?」

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