第二十九話:母を訪ねて①/Are You My Mother?



 波乱と混乱渦巻く“ギルド選抜試験”から一夜明け、カヴェレ──時は明朝みょうちょう


 まだ朝日は地平線から顔を出したばかりであり、空のほとんどがいまだ夜のとばりに覆われた時間。


「ハァー、参ったわ……! 私ったら、スティアちゃんとフィナンシェちゃんとあの赤ちゃんが居るのをすっかり忘れて、何時いつもと同じぐらいしかお水をんでいなかったなんて……!!」


 まだ薄闇うすやみ静寂せいじゃくに包まれ、街灯にともだいだい色の魔法の炎が煌々こうこうと照らす街並みを、一人の女性が両手に木製のバケツを抱え、われた長い栗色の髪を揺らしながら歩いていた。


 彼女はアヤ。スティアとフィナンシェがこの街に到着した際に、ふたりを自宅に泊めてくれた老女フオリの嫁(※息子の妻)である。


 彼女は自宅に来客がある事を失念しつねんしており、汲んでいた井戸水が足りなくなった事に気付き、急ぎ足で街にある井戸へと水を汲みに向かっている途中だった。


「それにしても……スティアちゃんもフィナンシェちゃんもよっぽど疲れていたのね。夕飯をたくさん食べたら、すぐに寝ちゃって……♪ あの赤ちゃんはすごい嫌そうな表情かおしながらミルク飲んでいたけど……」


 早朝からの肉体労働、まだ寝惚ねぼけている意識をハッキリと覚醒させる為に、アヤは昨日の記憶に思いをせる。


 一昨日から自宅に泊めていたふたりの少女が、無事に“ギルドの冒険者”になれたこと、ふたりが今日から早速ギルドの依頼クエストを受けに行くこと、報酬金でアヤたち家族に泊めてくれた恩返しがしたいと言っていること、いずれは──カヴェレを発って、広い『世界』を旅したいと言っていることを。


「ふふふ……うちの子もすっかりふたりに懐いちゃったし、私もふたりの将来が楽しみだわ……!」


 ただの主婦である彼女の目から見ても、ふたりの少女はまだまだ半人前の駆け出し冒険者。しかし、いずれは大きく才能を花開かせれると、アヤはまるで“実の娘”を想うようにふたりの少女の行く末に心を踊らせていた。


「あら……? あの娘、誰かしら……??」


 そんな折だった、アヤは前方に現れた小さな“人影”に気付いて歩みを止めてしまう。街にある小さな広場、そこにある目的地である小さな井戸、その井戸を照らすようにたたずむ一本の街灯。その街灯の下に──独りの少女が立っていた。


 街灯の支柱しちゅうもたれ掛かる少女。水のようになめらかできめ細やかな白縹しろはなだ色の足元まで伸びた長い髪、瑞々みずみずしくハリつやのある白い肌、人としてはこれ以上なく容姿の整った幼い少女が、其処そこに居た。


(見た目はうちの息子と同じぐらい……でも、あんな娘見かけたことないわ……?)


 正直に言えば──その少女にアヤは少しばかりを感じていた。こんな夜明けに、よわい10もいかないような幼子おさなごが独りで出歩くなんて──


(でも……見ちゃった以上、しょうがないわね……。私も人の親……あの娘がどんな子であれ、放っては置けないわ……!)


 例え、不穏ふおんな気配がするとしても、子どもを放っては置けない。アヤの“母親”としての揺るぎないが、彼女の足を少女の元へと進ませた。


「…………おはよう、お嬢ちゃん。どうしたの、こんな朝早くに独りで?」


 まだ朝は早く、ニワトリも小鳥たちも声をあげない時間。カヴェレの街には人影は一切無く、街なかだと言うのにアヤと少女しかそこにはらず──まるで二人っきりの室内のように、静謐せいひつたる雰囲気がふたりを包んでいた。


「何かあったの? こんな時間に独りでいたら危ないよ……?」

「……………………」


 少女の前に立ち、アヤは意を決して話しかけるが、少女はうつむいたまま何も語らない。未だに灯る街灯の炎に照らされて、少女の淡い色の髪が燃えるように染まっている。


一昨日おととい、大きな竜の咆哮が聴こえたでしょ……? きっと、向こうにあるロヒ=ハウタ大霊峰の邪竜が暴れているのよ……。危ないから、早くの所に帰りなさい……ね?」


 アヤはそう言って優しく少女をあやす。もう少し時間が経てば、寝静まった人々が目を覚まし、やがてカヴェレの街も活気付いてくる。その時に、この少女の両親が心配するかも知れない。そう思って、アヤは少女にお母さんの元に帰ってあげるように言葉を掛ける。


 まるで──実の子に声を掛ける母親のように。


「ねぇ……わたしね、“お母さん”を探しているの」


 アヤの言葉の、ずっとうつむいていた少女はゆっくりと言葉を話し始める。透き通る水のように清らかで──でもどこか冷えきった声が、アヤの意識と視線を少女に釘付けにする。


「お母さんを探しているの……? あなたは迷子なの……?」

「そうなの……。わたし……ずっと“お母さん”を探しているの」


 その少女の孤独を嘆く言葉に、アヤの心臓の鼓動は速くなってくる。緊張からか、不安からか、それとも──母親としてのいつくしみからか、赤の他人の筈なのに、見たこともない他人の筈なのに、アヤは──彼女をどうしても放って置くことが出来なかった。


「…………分かったわ。私が一緒にお母さんを探してあげる」


 きっと、この娘は迷子なのだろう。もし、迷子なのだとしたら、ギルドにも“探し人”の依頼クエストがあるに違いない。そう思って、アヤは少女に優しく声を掛ける。


 すると──、


「………………ほんとう? わたしの“お母さん”を探してくれるの……!?」


 ──少女の声色こわいろは明るくなり、水のように冷たかった少女の雰囲気に少しだけ熱がこもり始める。


「本当よ……。私だってお母さんだもの……あなたのような小さな子どもを放ってなんて置けないわ……」

「………………っ!! お母さん……あなた、“お母さん”なのね……!!」


 そして、アヤが誰かの母親だと知った途端──少女は声を大きくしてアヤに強い関心を見せ始める。


「…………? そうだけど、私がどうかしたのかしら……??」

「うふふ♡ ねぇ、『お母さん』……あっちに吊るされている裸の女の人、誰か知ってる?」

「あ……あ〜、アイノア=アスターってね。訊いたわ……随分と“悪さ”をして、こっぴどく制裁されたみたいね」


 その少女の話に出た、裸で吊るされた女性の話ならアヤも聞き及んでいた。前日、ギルドの選抜試験を巡る一連の騒動で大騒ぎし、大勢の者からヘイトを買った結果、最終的に見るも無惨むざんな『お仕置き』を喰らったギルドの受付嬢。


 アヤが街灯の側から遠くに見えるギルドの支部の方に視線を送ると、確かに建物の看板の所にピンク色の髪の少女が素っ裸のまま縄で縛られて吊るされていた。


「…………何したのかしら、あの娘??」

「くすくす♡ あの女の人……わたしの“お母さん”かなって思ったんだけど…………流石に下品すぎるから違うかったわ」


 不意に──アヤの背後で少女が発した不気味な一言に、彼女の背筋に一気に悪寒が走り出す。


(このは自分の親の顔を知らないの……!? いや、それどころじゃない──何かがおかしい!?)


 慌ててアヤは少女から距離を取ろうとしたが、。アヤの足はどこからか湧き出てきたゼリーのような水に絡め取られ、一歩も動かせなくなっていた。


「くすくす……♡ ねぇ、わたしね……“お母さん”を探しているの。わたしを愛してくれる──優しくて、あったかくて、とーっても大好きな、“お母さん”……」


 その少女の──どこか歪んだ“願望”が、井戸から湧き上がる水のようにあふれてくる。少女は自分の母親を探していた訳では無い。を探していたに過ぎなかった。


 その事を、アヤはようやく感じ取ったが、もう逃げることは叶わない。


「────あぁ、ああ……!!」

「くすくす♡ ねぇ……わたしに教えて下さいな……?」


 不気味にわらう少女は、もたれ掛かっていた街灯から身体を離すと、ゆっくりと捕らえられたアヤの元へと歩みよって来る。一歩ずつ、少しずつ、アヤを絶望の淵に沈めるように。


 そして、アヤを捕らえるゼリー状の水を踏み分けながら、彼女に近付いた少女は──最後にアヤに問い掛ける。


「あなたは──わたしの“お母さん”ですか?」


 その言葉と共に、少女の金色こんじきに輝く魔性の眼がアヤを見つめた瞬間──アヤの足を絡め取っていた水が勢いよく噴き上がり、たちまちに彼女の全身を覆い尽くした。


「────!! ──────!!?」


 不可解なゼリー状の水に覆われてしまい、アヤは懸命けんめいに脱出を試みるが思うように身体を動かすことが出来ず──次第に彼女は衰弱すいじゃくしていく。


(あなた……お義母さん……スコア…………)


 薄れ行く意識の中で、最後に彼女の脳裏に浮かんだのは自分の家族。そして、愛おしい家族の姿を想いながら、彼女は冷たい水の中に意識を落としていくのだった。


「うふふ……うふふふふ♡ わたしの名前はヤーノ。歓迎するわ……。わたしを……いーっぱい、愛してね♡」


 水の中で力無く揺蕩たゆたうアヤに、少女は甘えるような口調くちょうで愛をささやく。


「さぁ、行こう……お母さん♡ わたしのお家に、案内してあげる。そこでずーっと暮らそうね♪ そこでずーっと、♡」


 そう言って、少女は捕らえたアヤを引き連れて姿を暗まして行った。街灯の近くに残されていたのは、木製のバケツと不気味な水の跡だけ。


 この日、朝日が昇るまでの間にカヴェレでは──アヤを含め、実に十八名にも及ぶ女性が行方を暗ませた。これが、後にカヴェレで語られる大事件──通称『母攫い』、スティアとフィナンシェが最初に請け負った“階級ランク3”の依頼クエストである。

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