第12話


「奴隷の、製造工場、だと?」

 常識なんていう言葉はどこにもなかった。倫理観もまともな思考もここには無く、ただ狂った考えだけがこの場所には存在していた。だというのに、それを平然と信一は当たり前のことのように説明している。

「この場所で生きている喪失者にはその素質に応じて、いくつかの仕事が管理局から割り振られる。内部としては農業従事者、各店舗従事者、ユーロモーション内の清掃従事者。これらからあぶれた者たちの内、何人かは外部労働に就くことになる。外部労働は管理局が認めた外の企業に対して喪失者を派遣して業務を行う。まあ簡易的な事務作業や清掃と大きくは内部と変わらない。

 それらとは別に管理局では喪失者を一部富裕者層に対して売却している」

「売却……」

 人をモノのように扱う壊れた倫理観を振りかざしながら、それを素晴らしいことのように紹介してきた。

「喪失者のカタログがある。それを見て気に入った喪失者がいればその金額に応じて、売却。その喪失者は購入した富裕者の所有物となる。当然だが、そうして得た金額はこのユーロモーションの運営費に当たられる。慈善事業じゃないからな。運営するだけでもコストはかかる。ただそれだけでは実際に使える喪失者かわからないから今回のように、現地に来て試すわけだ。使用用途にあっているかどうかをな。いわば、展覧会のようなモノだと思えばいい」

「……それを誰も拒否しないのか?」

「当たり前だろう。全員ロストを使って感情が死んでいるんだから。拒否なんてしないさ」

「待てよ。だってロストには医薬品としての効果はないんだぞ? それなのに……」

 いくつも言葉を挟む場所はあった。ただ混乱しており、矛盾点のように残されていたそれが気になり、そう問いかけていた。その言葉に信一は小さく頷いた。

「そうだな。確かにロストはその成分的には生理食塩液と大して変わらず、感情を殺すなどという効果は科学的には存在しないが、果たして本当にそうか?」

「どういうことだ?」

「現状の科学が本当に正しいのかと問いかけているんだ。お前が今、信じているモノは本当に正しいとどうして言い切れる?」

「それは科学的に証明されていて、正しさが定義されているから……」

「なあ、正しいということは変わらない、ということではないだろう?」

「お前はさっきから何を言ってるんだ? 僕にはさっぱり……」

「夜。お前は多分先ほどの俺の話を聞いて狂っている、間違えている、そう思ったはずだよな。でもな、ここではお前の言うその間違えているとか狂っているとか、そういうモノが正しいモノなんだよ。

 ……もしそれでも信じられない、というのならお前のわかる言葉で説明してやる。ブラシーボ効果は知ってるだろう?」

「偽薬効果……有効成分が含まれていない薬剤で症状の改善がみられること。

 感情が消えることが、ブラシーボ効果だと?」

「喪失者は社会というシステムから疎外され、常に思い続けているんだ。死にたい、けれど死にたくないと。そう思った時、彼らは何を望むと思う? 社会で生きていたくはないが、生きて行かないといけないんだ。生き続けて行かないといけないんだ。そうした一生が続くんだ。それならばと、そんな苦痛が一生続くのなら、感情なんて無くなってしまえばいいと、そう思う」

「故に、それらの人々は感情を殺す薬、ロストと聞かされて、それを投与されることで感情が死んだと思い込む……」

「そうだ。それに元々感情体などと言う証明もされていない仮説が元になっているんだぞ? もしかしたら本当に効果があるのかもしれないじゃないか。まあ、知らないがな」

 そのふざけた態度、適当な言葉に思った。もしかすると感情体仮説というのはこの状況を作るために作られた虚構の仮説なのかもしれない、と。この状況になれば、感情体が本当にあるかどうかは問題ではないのだ。ただそうしたものがあるかもしれない、という可能性を与えればいい。それだけで、それらを投薬する人々にブラシーボ効果を生み出せる。その真偽は、感情体があるかどうかはどうでもいいのだ。

 同時に、おそらくそれはもう一つの側面もあったのだろう。この場所についての話、そして感情体仮説について考え、理解したことがあった。

「アンドロイド、ミームの研究が打ち切られたのはこの場所が原因だな?」

 意外そうな顔で、信一が僕を見る。まるで僕が自力で答えにたどり着くことなど無いと思っていたみたいに。その証拠に小さく笑いながら、答えてきた。

「まさか、そこに気が付くとはな。そうだよ。ここが原因だ。知ってたさ、お前がアンドロイド研究に関わり、それが打ち切られて、手が空いていることくらい。だから電話をかけたんだ。

 元々、お前たちが作っていたアンドロイドは感情の研究という側面もあったが、同時に人に変わる業務の代行者としての機械の奴隷として期待されていた側面があったからな。このユーロモーションが軌道に乗り始めた時点で、無用の長物だったわけだ。

 高額なアンドロイドにお金をかけるより、特区を作り、定期的に奴隷を作ったほうが安上がりだからな」

 その言い草に、人としての尊厳がすべて置き去りにされたようなこの状況に抗うように、気が付けば声を荒げていた。

「ふざけているのか? お前は自分たちが何をしているのかわかっているのか? 人が作っていい状況じゃない。こんなのは間違えている」

 その言葉に冷たく笑うように信一はこう言った。

「何度も言ってるじゃないか。間違えているのはお前だよ、夜。わかっているんだろう? 今朝、彼女を襲ったおっさんがこの国でそれなりの地位にいる人物だということが。それがどういう意味なのか。

 そもそもおかしいだろう。こんな頭のおかしい特区の制定が個人で行われるわけがない。何よりロストは国が認可した薬だ。この場所は国に認められている場所ということで。それが意味するところは、政府の高官、国の役職者、一部金持ちにおいては奴隷の需要があるということだ。そしてこの世界では正しさとは権力を持つモノの考えが本当の正しさなんだ。お前がいくら間違えだと言おうと、この世界で間違えているのはお前の方なんだよ」

「それでも……こんな狂ったシステムが長続きするわけがないだろう! 必ずいつか破綻する」

「なあ夜。言ったよな、この国は一度構築されたシステムを変えるということが苦手なんだ。事実、既にユーロモーションは建設されて十年だ。その間、誰にも指摘をされることは無かった。この国では一度構築されたシステムはなかなか変えられないんだ」

「お前は……お前はそれでいいのか? 言ったじゃないか、信一。人を救いたいんだって。お前は本当にそのシステムが人を救うと、そう思っているのか?」

 もうどんな言葉をかければいいのかわからなかった。何が間違えで、何が正しさなのかわからなくなるこの状況で、紡ぎだせた言葉はそれだった。

 僕の言葉に一瞬、信一の顔に陰りが見えた。そして、

「そうだな。俺も最初そう言ったよ。間違えているって。狂ってるって。

 ただあいつらは本当にこれが人を救う新たなシステムだと心の底から信じ切っていた。本気で人を救うため、しかもより多くの人を救うのだと宣っていた。どうやらモーションというNPO法人はそのためにあったようだ。ユーロモーションに、喪失者となり、すくえる人を探すための慈善事業だったらしい。

俺はそれを聞いて、奴らの話を一蹴に付して、ボランティア活動から手を引いた。二度と関わるつもりはなかったさ。帰り際に言ってやったよ。

 人を奴隷にして、何が人を救うだ。それは実質的な死と同義じゃないか。人は生きているから意味があるんだ。生きていれば『いつか』幸福が訪れる。それなのに、感情を殺してしまっては『いつか』幸福が訪れたとしてもそれを感じられないじゃないかって。

 お前の言ったことだよ。光ちゃんを助けたとき、お前が言った言葉。俺はそれを信じていたんだ。人は人を救えると、そう思っていた。そしてそれこそが俺のすることだと思っていたんだ。人と人が触れ合い、その『いつか』という幸福につなげていくこと。そうやって人を救いたいと俺は思っていたんだ。

 けれどな、夜。それじゃあ人は救われないんだ。人は人を救えるか、そう問いかけたよな。俺の答えは救えない、だ。人がいくら努力しても人を救うことはできないんだ。それは、それだけは残念ながらどうしようもないこの世界にある絶対の正しさ、みたいなものなんだ」

 信一がどうしてそんなことを言うのかわからなかった。あまりにも悲しすぎる親友の変化。それに虚しさと悲しさを感じながら、ただ彼に何かがあり、それが彼を確かに変えてしまったのだということだけを実感していた。

 気が付けば信一は目に涙を浮かべていた。そして、こう言った。

「でもな、ロストなら人を救えるんだ。感情を消して、何も感じ無くなればそこに救いがあるんだ。今は奴隷のように見えるかもしれない。ただ俺は最終的に全人類にロストを投与したいと考えている。すべての人が喪失者になるんだ。

 人はさ、感情があるから争うんだ。誰かに対して劣等感を抱いたり、怒りを覚えたり、悲しみを感じたりするんだ。けれど、すべての人が感情を失えば、人は争わなくなる。そこにはすべての人に等しい幸福というのが訪れて。そうなったとき、俺はようやく人を救えるんだ。……そのために、俺はここにいるんだよ、夜」

 間違えていると思った。その理論も考えも思いもすべて。けれど、どんな言葉も通じないということが分かってしまった。……僕には、彼を救うことができない。そうであるなら確かにそういう点では信一の言う言葉は正しいのかもしれないと、そう思った。

 ただ、まだ救える存在を手放す気はなかった。

「……雨宮小糸さんについてだが、この場所でのカウンセリングはこれ以上できない。僕と一緒に外へ連れて行く。いいよな」

「勝手にすればいいさ」

 呟くようにそういった彼の言葉を最後に、僕は部屋を出て行くことにした。

「……もしかしたら、そのためにお前を呼んだのかもしれないしな」

 部屋を出る直前、信一が小さく何かを言ったような気がしたが、それはあまりにも小さく、僕は聞き取ることができなかった。

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