第10話
アパートに帰り、荷物を置きながら、変わってしまった親友について考えていた。変わらないところもありながら、大学にいたころとは違う彼の在り方。
思い出せば、大学在学中の後年から、少し変わり始めたような気もする。確か、知り合いの女の子が近くに越してきたころだったか。ただしその変化は今のどこか暗いものを抱えた形とは違う。どこか明るい形での変化だと感じていたが。すべては僕の気のせいだったのだろうか。
彼について知りたいという思いが内に沸き起こるのと同時に、彼が言った言葉が蘇る。
『夜。世の中には知らなくてもいいことがある』
「知らなくてもいいこと、か」
果たして本当にそうなのだろうか。それらは知らなくても問題ないことなのか?
彼が変わった理由も、そして、ロストというこの場所だけで使われている薬品も。
鞄の中から先ほど受け取った封筒を取り出し、中身を見る。中には一枚の便箋と何かの資料が一枚入っていた。便箋を先に開いて、読み始まる。そこには大きな文字で、光から前書きも無く、僕に対する文句がびっしりと書かれていた。
“忙しい受験生にこんな調べものをさせないでください。いきなり電話してきて、お義父様のパソコンを漁れ、だなどと無茶苦茶をおっしゃいます。そもそも兄さんは勝手で、……”
途中で読むのをやめた。どうも中段まではそんな僕の文句が書かれているようでそこまで読み飛ばし中段から続きを読むことにした。
“さすがにパソコンを漁ることはできませんでした。が、ロストについて、兄さんが知りたがっている旨、お伝えして、お義父さまに尋ねてみました。ですが、なぜか詳細は話してくれませんでした。ただ話しぶりから、何かを隠していることだけは確かでした。少し卑怯な手を使いました――お分かりかとは思いますが、兄さんの見ている患者さんと私の過去をお話しました――。
それで渋々といった感じで、ロストの成分表を見せてもらうことができました。とはいえ、写真もコピーももらえませんでしたので、あくまで私が記録している範囲での記載です。同時に、ネットで調べた信憑性が高そうな噂もピックアップしておきました。”
どうも二枚目には光が見た成分表の内容と噂をまとめてくれているようだった。それにチラリと目をやりながら、手紙の最後の段を読み進めた。
“詳細は兄さんが見て判断していただければと思います。ですが、個人的な意見を言わせてもらえれば、この感情抑制剤、ロストには医学的な効能は何も認められません。ロストの中身は点滴に使われる生理食塩液と大差ないものと思われます。”
光からの手紙を読み終え、二枚目に目を通して思った。確かに、光の言う通りどうもこのロストというのは成分的には点滴の中身と大差ない。
疑問が渦巻いた。ユーロモーション、ロスト、ロストが効かない少女、そして桐原信一。……この場所について、いろいろと秘密の多い場所だとは感じていた。だが、どうもそれ以上の何かが、この場所にはあるようだと、そう思った。
※
「それはどういうことですか?」
思いを伝えた後のことだ。彼女はよくわからないという表情で俺を見て、そう問いかけてきた。その表情はやはり無表情で、感情を読み取ることはできない。こちらに好意があるのか、どうなのか。好きか嫌いか。戸惑っているのか、いないのか。単純なことすらわからない彼女を前に、小細工をしても意味はないと感じた俺はもう一度、思いを伝えた。
「つまり、俺と付き合ってくれないかな?」
その言葉が伝わったのだろうか。しばし、逡巡した後、彼女はゆっくりと頷いて俺を見た。そして、
「あなたが、そう望むなら」
俺を見つめて、そう告げた。その表情は微細な変化できっと彼女を見たことが無い人には何の変化も感じ取れないものだろう。ただ、俺にはそれがわずかに微笑んでいるように見えた。
そうして彼女に思いを伝えてからほどなく、俺たちは付き合うようになった。
付き合う、と言っても特に何が変わるわけではないと俺は思っていた。ただ、彼女はどうも違ったようで、毎日のようにこちらの部屋を訪れて、夕食を作ってくれた。そしてそのままこちらの部屋で食事をするのが当たり前になった。
「料理、うまいんだね」
彼女が作った夕食を二人で初めて食べたときのことだ。その出来に驚いて、そう口にした。その言葉に彼女は淡々と答えを返した。
「いつも、家事は私の役目だったので」
「ということは子供の頃からずっと料理はしてきたんだ」
「料理、というより家事全般です。母は、ああいう形でしたので」
その言葉に、彼女の苦労が滲んている気がした。触れてはいけないような、触れてほしくないと彼女が思っている気がして、それ以上言葉を紡げなかった。
彼女の生活がこうして新しいものになってから、何度となくこうして母親との関連の話になることがある。ただ、彼女は母親との関係を詳しくは語ろうとせず、昔の話をすることもない。思うところはいろいろあるのだと思う。母と二人暮らしで、俺には想像もできない状況だったのだ。母親の苦労、彼女の苦労、それを簡単には言葉にできないのだと思う。
ただ、それを理解したいと思った。今はまだ無理かもしれないが、いつか彼女の抱えているそうしたものを一緒に抱えて行けたなら。そうすれば、いつか彼女は笑えるようになるのではないだろうか。そう思いながら僕らの恋人としての関係、隣通しの半同居生活は一年ほど続いた。だが、いまだ彼女が笑ってくれているところは見たことが無い。
そんな日々が続いたある日のことだった。
「モーション? ってあのNPO法人の?」
「そうだ。俺の恩師がやっているNPO法人で、主に恵まれない子供たちや医療を必要とする貧困層、精神的に問題があり就労に付けない人々のメンタルケアなどを行っている団体って、それはお前には今更の説明か」
それは父親からの久しぶりの電話であり、よくわからない内容だった。
「まあ。今もボランティアで顔出してるからね。そもそも紹介してくれたのは親父じゃないか。恩師の頼みもあって理事として名を連ねているから、身元がしっかりとした団体だって。それで、そのモーションの運営がどうかしたの?」
「ああ、その恩師が活動を拡大させたいということを言っててな。もう八十になろうというのに、元気なモノで困って……」
「無駄話はいいから、本題に入ってよ」
「おお、そうだな。それで、活動拡大に向けて、人手を募集しているんだ」
「……それに俺が?」
「話が早いな。まあ、そういうことだ。少し前に助けたあの子の絡みもあるし、お前ならやってくれるんじゃないかと思ってな。酔狂で始めたのか、と最初は思ったが、今も定期的に参加しているみたいだし、どうだ?」
「いや、止めとくよ」
引き受ける気は全くなかった。あくまでボランティアは学生の間、時間がある際にするものと決めていた。今は大学で時間がある程度あるけれど、将来的にはそうした時間が取れなくなる。そうした無責任なことはしたくない。ただ、俺の言葉を父は聞いていないのか、話だけでも聞いてくれと言ってきた。どうやら次のボランティアの際、詳細を話せる人が来るようだ。ため息を吐きながら、電話を切った。……まあ、話を聞くだけならいいか。
と、そこまで考えたとき、一つ考えたことがあった。
「ボランティア、か」
「ボランティアですか?」
その日の夕食の席で、彼女に話をした。予想通りではあったが、彼女はよくわからないという顔で俺を見ていた。その顔に頷きながら説明の言葉を付け足した。
「そう。児童養護施設で子供たちの面倒を見る、みたいな」
「それはわかりますが、それが私にどう関係してくるのでしょうか」
「君にも来て欲しいと思って」
「私が、ですか?」
何故、という顔の彼女。そんな彼女にどう説明しようかと考えながら、言葉を紡いだ。
「……君がいつも家にいるみたいだったから」
この一年、彼女を見てきたが放課後や休日において、外出は食事の材料を買いに行く時くらいのもので、それ以外は常に部屋にいた。誰か友達と遊んでいる雰囲気も無く、常に一人でいる様子だった。
「それは私が暇だから誘ったということですか?」
だが、彼女には今一つ意図が通じなかったようでそんな返答が返ってきた。その答えに頭を抱えながら説明を続けた。
「いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくて……もう少し視野を広げてみたらどうかって思うんだ。いつも一人だと、見える景色は変わらないだろう? だから外に出てみないかなって思ったんだ。
人と関わって、いろんな人を知ると、いろんなことが分かってきて。君のしたいこと、みたいなものが分かるんじゃないかなって思うんだ。それは君自身を知ることでもあって、そうした自分がしたいこと、欲しいモノが見つかると、君はその時、ようやく本当の意味で、笑えるようになるんじゃないかって思ったんだ」
おそらく彼女は学校でもうまくいっていないのだと思う。年齢が周囲と違うというのもあるが、それ以上に彼女自身のこれまでの人生がそうした周りとうまくやっていけるモノではないから。ただ、外であればそれも違うのではないかと思った。違う関わり方で。特に今回行く場所は児童養護施設。ある種彼女の境遇に近い人もいるかもしれない。うまくいけばそこでの関係性が作れ、その関係性を生かして学校でもうまくやれるようになるのではないかと思ったのだ。
今の彼女は自分の状況が理解できていないのだと思う。これまでと違う生活にうまく自分を見出せず、それ故に何をしたいのか、何をすればいいのか、という自分の望みみたいなもの、自己を見失っているのだと俺は思っている。それを手に入れるためには一人ではダメなのだと思う。誰かと、彼女と関わる、俺以外の誰か、恋人ではない、友達がいるのだと、そう思った。だから、
「どう、かな?」
俺は彼女にそう提案したんだ。
俺の提案に彼女は小さく「……私の欲しいモノ」と呟いた。
そして、ゆっくりと頷くと、
「はい、わかりました」
そう答えてくれた。
ボランティア当日、現地にイマと二人一緒に訪れた。
「どうも、お久しぶりです」
児童養護施設の園長に軽く挨拶をする。この場所はこれまでの活動で何度か来たことがあったから、園長とも知り合いだ。
「ずいぶんと久しぶりですね」
「まあ、ちょっといろいろありましてね。いろいろと忙しかったもので」
「それはその後ろにいる方と関係が?」
楽しそうに問いかけてくる園長の言葉を適当に聞き流しながら、彼女を紹介した。
「彼女は、最川イマ。俺の……まあ、親戚です」
嘘ではない。わざわざ恋人という必要もないだろう。とはいえその言葉をどこまで信じているのか、園長の顔は怪しく笑っている。まあ、勝手に想像してもらえればいい。
そう思いながら少しばかり懐かしい、園内を見て回る。顔なじみの子たちが数人いて、こちらに気が付いて近づいてくる。
「お兄ちゃん、久しぶり。どうしてこなかったの? 元気だった? 今日は遊べるの?」
質問が三つも連なった子供独特のこうした言葉も久しぶりだ。しゃがんで同じ高さを意識しながら、さっそく遊ぼうかと思ったとき、
「あ、信一さん。その前に、お客様が見られてますよ?」
「お客様?」
誰だ、と最初思ったが、親父の話を思い出した。そういえばモーションの活動について詳細に話をする人が来るとか言ってたな。どうでもいいとは思ったが、相手をしないわけにはいかないだろう。
「ちょっとお兄ちゃんはお話があるから……そうだ、このお姉ちゃんと遊んでてよ」
「え、私ですか?」
突然話を振ったことでイマが初めて見る混乱した顔でこちらを見ていた。何かを言おうとしていたようだが、言葉を思いつく前に子供たちに連行されていった。……ちょっと無理やりだっただろうか? まあ、それくらいしたほうが、彼女にはいいだろう。それにほかのメンバーもいるから、大事にはならないはずだ。
そう思いながら簡易的な面会室に赴いた。
「どうも、桐原信一さん」
部屋の中で、こちらを待っていたのはひどく痩せこけている四十代後半の男性だった。求められるままに握手をした。その見かけと同じく、手もひどく骨ばっており、肉付きが全く無かった。まるで骨と皮だけで構成されているようだ。
「私、樋口将嗣と申します。どうぞ、お座りください」
名刺を受け取り、対面のソファーに座った。相手の名が書かれた名刺を見つめて、何かが引っ掛かった。樋口……確か、親父がお世話になったっていう恩師の苗字が樋口ではなかったか? なら目の前のこの人が? そんな年齢には見えないが。
「あの、もしかして父の……」
気になり、そう問いかけると首を振りながら、否定してきた。
「ああ、違いますよ。桐原さんのお父様が親しくしていたのはうちの父です。私はその息子です」
「なるほど、そういうことですか。失礼しました」
別に気分を害したわけでは無いようで、落ち着き払った様子を保ち、樋口と名乗った男は前置きも無く、説明を始めた。
「では、さっそくですが本題に入りましょうか。うちの父が進めているプロジェクト、ユーロモーションについて……」
「この話はお断りさせていただきます!」
思わず出てきた大声に、自分でも驚いていた。こんな声が出せるのか、と思いながら、一秒でも目の前の男、樋口とかいう奴の言葉を聞いていたくないと考え、俺は部屋を飛び出した。
「何を言ってるんだ? あの男は」
あまりにもふざけた話だった。何を言ってるのかわからず、その在り方は狂っていると言ってもよかった。
「何が、ユートピアとエモーションを重ねた造語、ユーロモーションだ」
ユーロモーションという単語自体は聞いたことがあった。十年ほど前だろうか、テレビか何かのニュースでやっていたのを見たことがある。だが以降、メディアで扱われなくなって久しく、今の今まで、その存在を思い出すことも無かった。しかし、いまだに存在していたとは。それに、
「なんだ、感情体殺害薬、ロストって?」
初めて聞く名だったが、その薬品の効能を聞いて、さらにふざけていると感じた。いや、これが親父からの紹介でなければ事実、笑い話として一蹴に伏していたところだ。ただ、親父が紹介をしたということは……。
「っと!」
「あ、申し訳ありません」
あまりにも怒り、熟考していたせいで角を曲がった際、人とぶつかりそうになった。謝ろうと相手を見ると、
「あれ? イマ」
ぶつかりそうになったのは最川イマだった。彼女もこちらに気が付いたようで、アッという顔をして僕を見た。そして、急に居心地の悪そうな顔をした。その顔の理由が分かった。
「やっぱり、子供たちの相手は大変だった?」
おそらくほかのメンバーに任せて逃げてきたのだろう。そう思っていると、彼女の後ろから園長が現れて、
「そんなことないですよ。彼女はちゃんと子供たちと遊んでくれましたよ?」
「あ、そうなんだ」
彼女に視線を向けると、ゆっくりと一度頷いた。だが、それならなぜここに? と思っていると、
「あの、お手洗いに」
「ああ、ごめん、気が付かなくて」
失敗したと思いながら廊下を右手によけると彼女が向こうに駆け出した。彼女が完全に去ったのを確認した後、園長に向き直り訊ねた。
「彼女、本当に子供たちと?」
「ええ。最初はみんなと。ただその後疲れたみたいで。でも、一人ぼっちの女の子の隣にずっと座って、相手をしてくれてましたよ」
「そうなんだ」
彼女が少し前に進んだようでうれしくなった。……そうした思いを抱いたせいだろうか、いつの間にか先ほどまで感じていた怒りは過ぎ去っていった。
「長いのですか?」
夕暮れ、遊ぶ時間が終わりかけた中、それでも無邪気に遊び続ける子供たちを見ていた時、イマがそう問いかけてきた。
「ボランティア? 長い、というほどでもないかな。高校の頃からだから五年かな?」
「そうなんですか。……どうしてボランティアをしようと思ったんです?」
珍しく、彼女が積極的な質問をしてきた。その変化に驚きながら、僕は答えた。
「前に話したよね、一人の少女を救った友達の話。覚えてるかな?」
コクリと頷く彼女。その姿を見て、言葉を続けた。
「その少女を見つけたとき、最初は俺もそいつも、二人とも何とも思わなかった。ただある時、その子が泣いていたんだ。一人で、隠れるように、公園の隅っこで。
俺は友達と喧嘩でもしたのかと思った。ただそれだけだったがそいつはそれだけじゃないって思ったらしい。俺が余計なことしないほうがいいって言っても気にせず、その子に近づいていった。そしてその子と関わりを持つようになった。
それからしばらくしてだ。その女の子が親からネグレクトを受けているとわかったのは。そしてそれを止めるため、あいつは俺が止めるのも聞かずに彼女の家に向かって、彼女を救い出した。大けがを負いながらも、だ。
その後は前に話した通りで、その子は友達の義妹になった。それで今は笑ってる。
俺はさ、その時、自分が恥ずかしかった。そういう未来を信じられなかったことと、その子の苦しみを理解してやれなかったことが。ボランティアに参加し始めたのはそれから。……あの子を見てくれる?」
夕日の中、みんなと楽し気に遊んでいる一人の少女を指さした。少女は笑って、笑顔でみんなの輪の中、幸せそうにしている。
その子を見ながら彼女が言った。
「あの子がどうかしましたか?」
「ここにボランティアに来た時、彼女はあんな風に笑えていなかったんだ。つまらなそうな顔をして、死にたいって何度も言ってた。お母さんとお父さんを事故で亡くしたんだ。ただそれから長い時間をかけて、ここであんな風に笑えるようになったんだ。多分、苦しいことだってあったんだと思う。けれど、生きていることでそれに見合うだけの楽しいことにも出会えた」
眩しい夕暮れに照らされながら彼女が手を振ってきたから俺も振り返した。過去を、懐かしくも、どこか目を背けたい自分が動けなかった頃を思い出しながら、言葉を続けた。
「……昔、その友達がこんなことを言ったんだ。
その女の子を助けるとき、生きていれば『いつか』幸福が訪れるから。今は暗く、苦しくても、それでも生き続けていればいつかきっと、生きていて、本当によかったって心からそう思える日が来るって。だから死のうとせず、生きてほしいって。生きることが大切だって。そう、死を望んでいた少女に言葉をかけていて。
その在り方に、少し憧れたんだ。そして俺もそう思うようになった」
夕日に目を細めながら、俺は彼女を見つめ、言葉を紡いだ。
「だから、俺もあの時、君を見てそう思ったんだ。生きていて欲しいって、『いつか』君が幸福だって思える時が、生きていてよかったってそう思える時が、君が望むものを手に入れるときが来るから。
……ねえ、今日はどうだった? 子供たちと関わって、世界を広げて。こうやって君が自分から質問をしてくるのは初めてだよね? それは君が変わったからなのかなって、俺は思うんだけど、どうかな? 君は今、幸福? 望むものを手に入れられたかな?」
その問いかけに、彼女は胸元に手を当てて。ぎゅっと手を握りながらこう答えた。
「……そう、ですね。手に入れられたのだと思います。私の、幸福を」
そういう彼女の表情はわずかではあったが、これまでに見た中で最もきれいな笑顔だっと感じた。
◇
どうしたらいいのかわからなかった。突然、彼に子供達と遊んでくれと言われ、困惑したままに、まるでおもちゃみたいに右に左に引っ張られて。遊んでいるというより遊ばれているという感じで。そうしてしばらくしていると、別の人が子供たちを引っ張って、どこかに行ってくれた。
解放されたのか? そう思いながら、一人動く気力も湧かず、小さなベンチに座って目の前の景色を眺めていた。……よくわからなかった。
そうしてぼうっと過ごしていると、いつの間にか隣に小さな女の子が座っていることに気が付いた。遊んでほしいのだろうか? そう思っていると、彼女が口を開いた。
「別に遊びもお話もしなくていいから、隣にいてくれる?」
不思議な子だと思いながらも、私は頷いた。
「いいですよ」
「ありがとうございます」
お礼を言うけれど、そういう彼女の表情は無表情に近かった。しばらく二人、そうして目の前の景色を眺めていると、彼女が問いかけてきた。
「お姉さんは、遊ばなくていいんですか?」
「……遊んだほうがいいですか?」
「いや、わからないですけど。そのために来たんじゃないですか?」
「いえ。私は連れてこられただけですから」
「でも、お姉さんは選んでここに来たんじゃないんですか?」
「いいえ。私には私を持つ、自由はありませんから」
その言葉で伝わったのだろうか。一度頷くと、彼女は小さく「同じですね」と呟いた。
やはり不思議な子だと思った。「一つ私からも聞いていいですか?」
私がそう問いかけると、彼女は小さく頷いた。
「どうぞ」
「どうして、隣にいるだけでいいんですか?」
別に彼女と遊びたいわけでもないし、話したいわけでもなかった。ただ、どうしてそんなことを言ったのか気になったのだ。
「それはみんな私を見ると話しかけてくるから。私、本当は別の施設の子なんです。今日は外を体験するっていう名目で連れてこられてて。ただこんな見かけだから、いろんな子が話かけてきて、それが嫌だったんです」
そう言いながら彼女は自らの右腕を見る。私はその時になってようやく気が付いたが、彼女には右腕が無かった。
「それで、どうして私の隣に?」
「だってお姉さん、そういうことに興味なさそうだったから」
彼女のその言葉に、なんだか的を得た気分になった。ああ、確かに彼女の言う通りだ。
「そうですね」
顔が緩む。随分と久しぶりに顔の筋肉を使った気がした。笑うって、こう言うことだったっけ? そんな私の下手くそな笑顔が面白かったのか、彼女は小さく笑って、こう問いかけてきた。
「お姉さん、名前は?」
「イマ、最川イマです」
「私は小糸。雨宮小糸って言います」
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