第9話

 彼女とのカウンセリング終了後、今後どう進めていくかを考えながら街をあてどもなく歩いていた。彼女の心を開くまではもう少しだと感じる。ただ、そのあと少しの扉を無理に開くことはできない。となればやはり現状は時間をかけるしかないのだろうか。

 しかし、彼女は欲するものを問いかけたとき、確かに言ったのだ。私を救ってほしい、と。ならば、ただ待つという以上に彼女を救うために僕は何かをしなければいけないのではないだろうか。

 彼女のこれまでに呟いた言葉に何か糸口がないかと考える。彼女が一体何に悩み、何から救ってほしいと思っているかを。

彼女は自らをカラッポと言っていた。そしてその上で、カラッポになろうと語った。だが最後には失うこともできない、とも呟いた。

 繋がらない言葉。カラッポでけれど失うこともできない。……失う。その言葉は偶然だと思うが、この場所でだけ使える薬品を意味する言葉だ。感情抑制剤、ロスト。

 そこまで考えて周囲の静けさに気が付いた。

 周囲にはそれなりの人が歩いていた。だが、誰一人として周囲の人と会話をしておらず、ただ一定の間隔で人が歩く足音だけが聞こえていた。それ以外は何も変わらない街並みが広がっており、それが逆に静けさを際立たせていた。

このユーロモーションで数日を過ごして思ったことは基本的にはどこも普通の街と変わらないということだ。一部田園地帯もあるため、ちょっと田舎の街といった印象だろうか。大きくはここに初めて来た時と印象は変わっていない。

 ただ唯一印象が変わった点がある。それは静かすぎるということだ。

 どこにいてもあまりにも静かすぎるのだ。無駄話のようなモノがなされることはなく、誰もが人と人との関わりを最小限にしているといった印象を受ける。それはここが自殺者支援施設であり、誰もが他人との関わりを恐れているからなのだろう。とはいえそうした人たちを集めて、それでこれほどまでに他人との関わりが無くなるモノなのだろうか。中には誰かと関わりを持とうと思う人がいてもおかしくはないと思うのだが。

 こうした静けさ、その原因はやはりここで処方されている感情抑制剤、ロストにより生み出されているモノなのだろうか。

 彼女について考えていたはずが、周囲の静けさという違和感に二つが混じりあって混乱してきていた。ここで考えることを一端やめた方がよさそうだ。そう思い、一度思考を打ち切った。ただその直前、あることを思い出した。

「そういえば、そろそろじゃないかな」

 一人つぶやきながら、目的のものが届いているか確認することにした。


 管理局の前に見慣れない大型バスが止まっているのを横目に見ながら、ビルの中に入り、信一の部屋を目指す。扉の前、ノックをすると、酷く疲れた響きを伴いながらではあったが、どうぞ、という声が聞こえてきた。扉を開けて中に入る。

「……大丈夫か。随分、疲れているように見えるが」

 部屋では大きなソファーをベッド代わりにして、信一が横になっていた。右腕を目もとに当てて、左腕はだらりと垂れ下がるようにソファーから落ちてしまっている。

「どうにか、生きてはいる」

 信一がゆっくりと起き上がろうとしたから、そのままでいいと告げ、対面のソファーに座った。

「やはり、忙しいようだな」

「いや、忙しかったのはさっきまでだ。今はそれほどでもない」

「大仕事を終えたところ、か」

「まあな」

 横になったまま、信一はそう呟いて、溜息を吐いた。その姿を見て、目の前の机にあった膨大な書類の山が消えていることに気が付いた。無くなった書類の山で信一の業務がどれほどのモノだったかは想像に難くない。

「そんな疲れているところ、悪いな。訪ねてきて」

「いや、別に構わないさ。それに、そろそろ来るだろうとは思っていた。目的のモノを取りに来たんだろう?」

 そう言って信一はゆっくりと立ち上がり、奥の机に向かった。その引き出しから一通の封筒を取り出した。「兄妹の手紙を、俺を間に入れてやり取りするなよ」

 文句を言いながら、信一はそれを僕に渡してくれた。差出人は義妹の光から。住所はこのユーロモーション管理局を指定し、宛名には僕と信一、二人の名が記されていた。

「仕方ないだろう。ここに通常の郵便物が届かないんだから」

「ユーロモーション宛にすれば届くさ」

「そうすると、このビルのどこかの部署が仕分けして届けてくれるんだろうが、一か月以上掛かるって話じゃないか。それに内容を確認されるんだろう?」

「それはそうだ。手紙の中には悪質なモノもあるからな。自殺を助長するかどうかを判断して、各個人に渡す。厳重過ぎると思うかもしれないが、当然の配慮だろう。……読まれたらまずいことでも書いてるのか?」

「いや、ただの兄妹同士の他愛ない話だよ」

「だったら電話でもすればいいじゃないか」

「語りたいことが山ほどあるようでね。長電話になるのは僕も望まないし、義妹も学生だからね。帰ってきてから電話をしていると、このビルが先に閉まってしまう。だから、手紙にしろって言ったんだ」

 そうか、とどうでもいいことのように呟いて、再びソファーの上で横になった。

「要件はそれだけか?」

「まあ、そうだね。……なあ、信一。一つ、聞いていいか?」

「なんだ?」

 横になったまま、僕に声を返す信一を見つめて、僕はこう問いかけた。

「……どうして僕を呼んだんだ?」

「ん? 最初に説明しなかったか。ここは常時人手不足で、」

「それならどうして彼女にロストを使わないんだ?」

「……」

 僕のその言葉に、信一は答えを返さなかった。ただ黙って、体を動かすこともせず、天井を眺めたまま、右腕で視界を遮っていた。答えない彼に向けて、僕は言葉を続けた。

「ここは常時人手不足だ、と言った後にこういうモノがあるんだって、お前はロストを見せてくれたよな。感情抑制剤、ロスト。多分、ほかにもいるんじゃないか? 自殺を志願する人は。いくらここが自殺者支援施設と言っても、人の気持ちを変えるわけじゃないだろう? 自殺志願者がここに来たからって、それで自殺を志願しなくなるわけじゃない。なら、彼女以外にもいるんじゃないか? 自殺志願者が。そして、ロストはそういう人たちのためにあるんだろう。

 感情抑制剤、という名前からおそらく一時的な精神安定剤に近いものだと思う。これまではそれで人々の自殺衝動を抑えてきたんだろう? だったら彼女にもロストを使えばいいんじゃないのか? 俺なんか雇わずに」

 僕の言葉に、信一はゆっくりと起き上がった。僕と対面する形で座り直して、信一はゆっくりと言葉を紡いできた。

「別に秘密にしてきたわけじゃない。ただ話す必要はなかったんじゃないかってだけで、話してなかったんだが……彼女にはんだ」

「効果がないってことか?」

「ああ。お前の言う通り、ユーロモーションに来たからって人の気持ちが変わるわけじゃない。だから、ここでは来た当初からロストを投与して、自殺衝動を抑えるようにしている。それはここで生まれた第二世代の彼女にしてもそうだ。けれど、彼女にはロストの効果が認められなかった。

 まあ、ロストも所詮は薬だからな。人によっては個体差があるし、生まれながら聞かない人がいるのも不思議ではない。そういう事情があって、お前を呼んだんだ」

 信一の言葉を聞きながら、思ったことがあった。いや、本当はずっと疑問に思っていたことだ。効果が認められなかった、というがそれはいったいどういうことなんだ。そもそもの疑問だ。ここで使われているという感情抑制剤、ロスト。それは、

「……なあ、ロストって一体、どういう効果がある薬なんだ?」

 問いかけた僕の目を信一が見返してくる。見返すその瞳は何かに揺れ動いているように見えた。ただその奥に、確かな意思を感じさせ。彼はその意思を表出させながら、僕に言葉を返した。

「夜。世の中には知らなくてもいいことがある。それは別に秘密だから隠しているわけじゃない。文字通り、知らなくてもいいことなんだ。

 よくわからないのに使っているモノってたくさんあるだろう? 例えば携帯電話がどうやって通信をして、電話ができて、メールができるのか、お前は知らないだろうが日常的に使っているだろう。その仕組みを知る必要があるか? お前がそれに関連する職に就かない限り、その知識はいらないだろう。つまりは、そういうことだ」

 ふざけたように言葉を並べる信一。ただ結局のところそれは教える気はない、ということなのだろう。おそらく、どれだけ問いかけても無駄だ。一度決めたことはそうそう覆さないのが、桐原信一という男だと、僕は知っている。

「……そうかい」

 だから僕は短く、そう答えるに留めた。その言葉に信一も頷きながらこう言った。

「そうだよ」

 多分、わかっているのだろう。僕が本気で納得したわけではないということに。それでもそれを承知の上で、信一は言葉を続ける。

「……なんだか、昔も似たようなことをした気がするな。今みたいに、一人の女の子を救うことで二人で揉めた。救わなくていいだろう。見て見ぬふりをしてもいいじゃないかって言った俺に対して、お前はあの時もそうだね、って納得したようなフリをして、結局俺に黙って一人で彼女を救うことにした。……大きな代償を伴ってな」

「そうだね」

 昔と同じような言葉を彼に返し、僕は頷いた。その様に信一は小さく笑った。そして、悲し気な顔をして、こう問いかけてきた。

「なあ、夜。人は人を救えるのかな?」

 それはここに来た時、最初に彼が問いかけた言葉の繰り返しだった。あの時は答える間もなく彼が去ったが、今はどうやらその答えを僕から聞きたいようだった。

 信一の変わってしまったその姿を見ながら、僕は答えを紡いだ。

「救えるよ。そのために、僕のこの手はあるんだ」

「……お前なら、彼女も救えるのか? 昔、みたいに」

 その問いにゆっくりと頷くと、信一はため息を吐いた。そして、「そうか」と短く呟いた。それ以上の言葉はなかった。

 再びソファーで横になった信一を見て、僕も帰ろうと立ち上がった。ただこのまま立ち去るのも何だと思い、どうでもいいことを一つ、訊ねた。

「なあ、そういえばここに入る時、大型のバスを見たんだが、あれって何なんだ?」

「ああ、政府のお偉方が視察に来ているんだ。今日と明日、一泊二日のまあ、視察という名の慰安旅行みたいなもんだ」

 毒づきながら忌々しそうに口にする信一。それで消えた書類と彼の心労の意味が分かった。おそらくお偉方の相手と書類提出をしていたのだろう。……しかし、一泊二日というが、この場所にホテルなんてあっただろうか。

 そんなどうでもいいことを思いながら、

「じゃあな、また来るよ」

 そう告げて、僕は部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る