第4話
「……」
沈黙に近い、小さな溜息を吐きながら、与えられた部屋にあるベッドの上で横になった。見知らぬ天井を見つめながら、今後のカウンセリングについて考えを巡らせようとした。頭の中で先ほどまで話をしていた彼女のことが浮かびあがる。それに触発されたかのように昔のこと……義妹の光を思い出した。ただ今は余計なことだと思い、頭からその考えを追い出した。
別のことを考えようとベッドに接している壁を見つめた。僕に与えられたこの部屋は彼女、雨宮小糸の隣の部屋だった。カウンセリングがしやすいようにとの配慮からそうしてくれたそうだが、どうなのだろうと思わなくもない。むしろ彼女にプレッシャーを与えている気もするが、同時にそうしたことは何も気にかけていないような気もする。
雨宮小糸に関しての第一印象、それは無関心だった。
挨拶をかわし、簡単に話をしただけだったがあらゆる面において何も関心を持っていないようだった。会話やその相手、カウンセリングという行為どころか自分自身の現状にすら興味がないように彼女の反応は虚ろであった。ただそれは無反応というわけではない。こちらが何かを問いかければ言葉を返し、カウンセリングを受けるということについても承知していた。けれど、決してそこに彼女の我のようなモノは見受けられなかった。それが果たして、彼女の自殺願望に関連しているモノかどうかはわからない。
当初、両親から虐待を受けていたということだったから個人的には怯えている少女というイメージがあった。ただそれはステレオタイプな見方でしかないと認識を改めた。あくまで僕が思っている先入観であり、そうしたことは誰かを理解しようとする際、足枷になるだろう。
体を休めようとベッドに入ったが思考が渦巻き、体は一向に休まらない。コーヒーでも買いに行こうと思い、ベッドから起き上がった。確か、アパートの近くに自動販売機があったはずだ。
少し肌寒かったが上着を羽織るほどではなかったからそのままの恰好で外に出た。階段を下りて、自動販売機の前まで来たところでおかしなことに気が付いた。お金を入れる場所がどこにも見当たらないのだ。
「これ、どうやって買うんだ?」
「ユーロモーションでは外の貨幣は何も使えないんだ」
悩んでいると、突然横から信一が現れて、そう声をかけてきた。「何が欲しい?」
「あ、じゃあコーヒーで」
「昔から同じのだよな」
どうでもいいことを呟きながら、信一はコーヒーのボタンを押した後、ICカードらしきものをタッチした。出てきたコーヒーを拾い上げながら僕に渡してくる。「ほら。それとこれ」
コーヒーを受け取った後、一緒に先ほどタッチしたものと同じカードを取り出して、渡してきた。
「これは?」
「ユーモカード。ユーロモーション内での買い物は独自の仮想通貨ユーモでしか行えない。入居者は体内に埋め込まれたロスティアがその役目を果たすんだけど、俺たちみたいな入居者ではない人間はこのカードが無いと何もできないんだ。で、これはお前の。さっき渡しそびれたのを思い出して、戻ってきたんだ。今回の報酬の内、半額が中にクレジットとして入っている。当面はそれを使ってくれ。もし、経費で落としたいものがあれば俺に別途申請。残った額は出る際に現金に交換させる……まあ、わからなければいつでも聞いてくれ」
そう言いながら信一も同じコーヒーを買って取り出していた。
「管理職様にこんなことさせて悪いな」
カードの礼を言いながらそう告げると、信一は小さく笑った。
「まあ、人手不足だからな。……それよりもどうだ? 少し向こうで話さないか」
彼の言葉に僕は頷いた。
「どうだ、彼女は?」
近くに小さなベンチがあったため、二人並んでコーヒーを飲んだ。夕日に照らされる街を見ていると信一が問いかけてきた。
「どうって言われても、まだ一日。挨拶とちょっとした会話を交わしただけじゃないか」
その言葉に信一は小さく笑った。
「そうだな。医者のお前なら、何かわかるかと、思ったんだがそんなもんか」
「当たり前だろう。医者は神様じゃない。すべての人を救えるわけじゃないさ。どんなこともすぐさま解決できるわけじゃない。時間が必要だよ」
「時間、か。途中で医療を諦めた俺には痛い言葉だな」
信一はその言葉をどこか遠くを見つめながら呟いた。その在り方は僕が初めて見る彼の在り方だった。変わってしまった彼。ただそのどこかに、かつての彼がいるような気もしていた。……少し、踏み込んでみるべきなのかもしれないと思った。
「なあ、どうして大学をやめたんだ?」
その言葉に、信一が俯いた。
かつて、僕と信一は親友だった。その関係は、今も変わっていないと僕は思っている。けれど、あの日、彼が大学をやめたときからその関係は、彼の在り方と共に変わってしまった。信一は突然、理由を告げることもなく、大学をやめた。その後の動向について、彼の両親から聞いてはいたけれど、彼から直接聞くことはなかった。同時に僕の方が医師免許試験や研修など様々な忙しいことに忙殺された結果、彼と連絡を取ることを怠る状況になった。元気にしていると聞いてはいたが、常に気にはなっていたのだ。そうした状況で彼から電話がかかってきたのだ。そうしたことについて聞くことができるのではないか。彼から何か話をしてくれるのではないかと期待していた。
けれど彼は、
「思うところがあって、な」
ただそう言うだけで具体的なことは何も話してはくれなかった。信頼されていないのだろうかという感覚に落ち込み、それ以上踏み込むことはできなかった。多分まだその時ではないのだろう。しばらくここにいるのだ。彼がいつか話をしてくれるだろうと思い、僕はそれ以上何も言わなかった。
「そっか」
短く答えた僕の言葉に、しばらく沈黙があった。その後、コーヒーを飲み終わったのか、信一がごみ箱に空き缶を捨てるため立ち上がった。そして、
「思い出さないか?」
「なんのことだ?」
「彼女だよ。雨宮小糸。昔、二人で出会っただろう。彼女みたいな女の子に。そう、確かあの時もこんな公園だったよな」
呟くようにそう言って周囲を見渡す。その言葉、そのしぐさに僕は小さく笑って頷いた。
「ああ、そう言えば確かに。似ている気がする。あのころの彼女に」
「無関心で、何にも興味を示していなさそうなところなんてそっくりじゃないか」
「まさかとは思うがそんな理由で僕を呼んだんじゃないよな?」
その言葉に、ゴミ箱に空き缶を捨てながら信一はこう言った。
「……どうだろうな」
「信一?」
「なあ、夜。人は人を救えるのかな?」
これまでに聞いたことが無い声音で告げられた彼の言葉が気になり、僕も立ち上がった。信一は僕に背中を向けたまま、ゆっくりと歩き出した。
「それじゃあ明日から彼女のこと、よろしく頼むよ、夜」
そう短く呟いて、信一は去っていった。最後、彼の表情を見ることはできなかったため、一体どんな思いで彼がそうした言葉を呟いたのか、僕にはわからなかった。
※
オフィスに戻って、ソファーの上で横になった。
机の上には処理されていない書類が山のように積まれているのが目についたが、見なかったことにした。悪いが、今日はもう処理する気はない。床に落ちていた毛布を拾い、眠る準備をする。
当たり前のことだが、オフィスとは別に帰る家はある。ただいつの頃からか眠るためだけに帰る家の存在がよくわからなくなり、以来こうしてオフィスで眠るようになった。もしかするとそれはベッドの上で眠れば彼女のことを思い出してしまうからなのかもしれない。少なくともこうしてソファーで眠る分には彼女に責められるような感じはない。多分、こうしていることで自分が忙しく、何かをしているような気になれるからなのだろう。そうすることで自分が彼女のために動けていると思えるのかもしれない。……まあ、すべては俺の幻想だ。
久しぶりに親友と話したからか、思い出さなくていい思い出がいくつも頭に蘇ってくる。夜と別れる間際に交わした会話。中学生の頃に出会った少女とそれを取り巻くいくつかの出来事。思えば、俺にとってはアレが始まりの一つだったのかもしれない。あれが無ければ、今、俺はこんなことにはなっていなかったと思う。……何より、彼女とも、関わることはなかったはずだ。
話自体は単純だ。俺と夜が中学生の頃、とある少女を見つけた。公園で一人、うずくまっていた少女。それを夜が助けたという、ただそれだけの話だ。夜にとってはただそれだけの話であり、俺にとってもただそれだけの話。思い出しても、意味はない。
そう、無意味だ。その出来事自体に意味はなく、あるとすればそれは俺自身にあるのだろう。無意味だとそう思いながらも、思い出すことをやめられなかった。罪悪感に似た何かが、彼女のことを思い出させた。彼女、イマとの関係を。
大学二年の頃。酒を飲めるようになって、定期的に顔を出しているボランティア活動で仲が良かった先輩たちに連れられ、無理やり酒を飲まされた。浴びるほどの酒に気持ち悪い感覚を味わいながら、頭を押さえて、一人帰り道を歩いていた。やりすぎたと後悔しながら、早く家に帰りつきたいと思っていた。
そんな中、近道をしようと通った路地裏で、倒れている母親らしき女性とその横で膝を抱えて座り込んでいる娘らしき少女を見つけた。母親の恰好は派手なドレスで、一目で水商売かそれに準ずる職業の者だとわかった。娘の方はどこかぼろい服を着ていて、栄養不足か、少し頬がこそげているがその見かけから中学生あたりだろうと思った。
察するに商売の中で酒を飲み過ぎて、ダメになった母親を迎えに来た娘ということだろう。経済事情など同情する価値はありながらもその時の俺はひたすらに頭が痛く、早く家に帰りたかった。
見たくないモノを見ちまった。そう思いながら、二人を横目に俺はその場を立ち去ろうとした。……思うのは、この時立ち去ってしまうべきだったということだ。そうすれば彼女に関わることなど無く、それ以降の様々な出来事は起こらなかったのだから。
だというのに、俺はどうしてかそこで立ち止まってしまった。心の中にある、何かが俺をその場所に引き留め、そして気が付かせてしまった。
何かがおかしかった。目の前の母子の様子には違和感があった。やけに静かすぎるのだ。母親はいびき一つ、身じろぎ一つしていない。それに母親を迎えに来た娘という状態なのだとしたら、何故娘は先ほどから母親を起こそうとしないのだ? 何故ただ膝を抱えて、座り続けているんだ?
酔いがさめていくような感覚を味わいながら、俺はその娘にこう問いかけていた。
「お母さん、どうしたんだい?」
「死んだみたい」
ちらりと母親に目をやって、感情を感じさせない言葉で彼女はそう俺に答えてきた。何でもないことのように、どうでもいいというように、平然と彼女は事実を口にした。
それが最川イマとの出会いだった。冬をまじかに控えた、秋風の寒い、夜だった。
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