第3話

 ユーロモーションは東京湾に浮かぶ直径約三キロメートルのメガフロート上に建築された施設だ。出口と入り口は千葉港近くから延びる単独のラインのみであり、入場の際は身体検査、身分証の提示が必要になる。まるで外国に来たような気分を味わいながらいくつかの検査、頑丈な扉を抜けた先に実験都市、ユーロモーションがあった。

「中は、普通か」

 ユーロモーションはその周囲を全方位五十メートルほどの壁で仕切られており、海の上に浮かんでいるがそれを感じさせないようになっていた。だが、それ以外はいたって普通の街が広がっていた。生活施設ということもあり、マンションやアパートのような建物が多く見受けられたがそれ以外、通常の街と異なる場所は見受けられなかった。

「あたりまえじゃないか。住んでいるのは人間だぞ? 別に宇宙人が住んでいるわけじゃない」

 そのどこか懐かしい声に振り返ると、親友であり、僕を呼びだした張本人、桐原信一が立っていた。彼が手を挙げて、呼びかけてきた。

「こうして会うのは大学以来か?」

 彼の手を握りながら答えた。

「そうだな。四年ぶりか」

「ここまで来るのは疲れたろう。とりあえずオフィスがあるから、中で話そう」

 そう言われ、僕は信一に案内されて彼のオフィスへと向かった。


「まあ座ってくれ」

 オフィスの小さな面談室のような場所に案内され、信一と対面で座った。「悪いなこんな場所で。滅多に人が来ないものだから、二人で話せる場所がここしかなくて。

見てもらえればわかると思うが、ここは常時人手不足でね。コーヒーすらもこうして僕が出さないといけない。……ああ、忘れてた。今の僕の名刺だ。一応渡しておくよ」

 信一がコーヒーと共に名刺を差し出してきた。そこにはユーロモーション管理局現地管理部長の肩書が記されていた。「一応この現場のトップだが、まあ肩書だけに近い。親父のコネでもあるしね」

 信一はコーヒーを飲みながらそう言った。コネだのなんだと言ってはいるが、人手不足で忙しいのは本当なのだろう、その声には疲れが見える。そしてそれ以上に、彼の姿に驚いた。

「それはいいが……やつれてないか、信一」

 彼の見かけは大学のころと比べて随分と痩せこけていた。頬は少しこそげ落ちたように見え、疲れもあるのか目の下にはうっすらとだがクマができていた。けれど彼は特に気にした様子もなく、手を振りながら答えた。

「俺のことはいいさ。いつものことだ。……それよりカウンセリング対象の子だが、送った資料には目を通したか?」

「ああ、一応。だが、正直お前が電話口で話したこと以上の情報はなかった。顔写真も無ければ、どうして自殺しようとしているのかも書かれていなかった。詳細を聞かせてくれるんだよな」

 僕の言葉にゆっくりと頷きながら、信一が答えた。

「いろいろと部外秘のことが多くてな。ここでしか話せないことも多い。厄介なものだよ。……と、話が逸れたが本題に入ろうか。

 カウンセリングをしてほしい少女の名前は雨宮小糸、十六歳。世代としては第二世代に当たる」

「世代?」

 よくわからない言葉にそう問い返した。最初、信一は何故問い返されたのかわからないと言った顔をしていたが、しばらくすると、ああ、と独りごちて説明してくれた。

「ここにおける区分のようなモノだ。いつも使っているせいでつい口をついて出てしまった。忘れてもらって構わない。一応、説明しておくと、このユーロモーションではその人がいつ頃からいるのかによって区分を設けているんだ。管理のためにね。

 この場所の設立と共に入植してきたものを第一世代。その後、第一世代の間で生まれた子供たちを第二世代と呼んで区分しているんだ」

「子供もこの場所で育つのか?」

「当たり前だろう。親から引き離すわけにはいかないからな。とはいえ何もここに閉じ込めようってわけじゃない。定期的なカウンセリングを行い、外部に出たいという子がいれば支援をするようになっている。まだ数度しか実施されていないが学校授業において外部との接触を行う授業も用意している。……閉じ込めているように見えるか? 言いたいことはわかるが、いまだここは実験都市なんだ。進歩の途中だと思ってほしい」

 信一が僕の疑惑の目にそう、言葉を付け足して説明をしてくれた。……実験都市か。

「ユーロモーションについてはわかった。そしてカウンセリング対象の、雨宮さん、はこの場所で生まれた子だということも。原因については何かわかっているのか?」

 信一は首を振りながら答えた。

「今のところ何も話そうとしない。ただ、彼女は親に虐待をされていたらしい」

「虐待?」

「ああ。そもそも彼女が自殺志願をするようになったことを俺が知ったのは、その両親が虐待をしており、捕まり、彼女が保護されたからなんだ。

 両親共に自殺志願者だったから、それがうまくいかなかったがゆえに娘に手を出したのかもしれない。ただ、両親は共に虐待については容疑を否認している。とはいえ彼女の体に傷があり、それがきっかけとなって捕まえているから、嘘をついているんだろうがな」

「よくある話、と言いたくはないな」

 ため息を吐きながら、そう呟いた。何よりやりきれないのはここが支援施設であるということだ。そうした場所で起こった出来事、不幸という言葉だけでは片づけきれない思いがあった。「しかし十六歳ということはそんなにも長期間、親に虐待され続けてきたというのか? ここが他とは違うとはいえ、カウンセラーは何をしていたんだ?」

 僕のその言葉に、信一は手で頭を覆いながら、悲痛な声でこう答えた。

「最初に言ったと思うが、ここは常時人手不足なんだ」

「人手不足って、そんな言葉で済ませていい問題じゃないだろう。ここはそうした人々に向けた支援施設だろう?」

 悩みながらではあったが、あまりにもあっさりとした口調でその言葉を口にした信一に驚き、そうした言葉が出ていた。

 僕の言葉に悩みながら、言葉を選ぶように、信一が答えた。

「その通りだな。……返す言葉もない。とはいえ、努力していないわけじゃない。

それがお前を呼んだ理由であり、同時に彼女が今まで放置されてきた理由だ。

 ……それに一応、こういうモノがあるんだ」

 そう言って、信一が密閉されたパッケージに入った薬品を見せてきた。

「それは?」

「このユーロモーション内でのみ利用が許可されている医薬品。感情抑制剤、通称ロスト。これには人間の感情を抑制する効果がある。これの利用を認められているところが、この場所が自殺者支援施設である由縁だ」

「……聞いたことがある。感情体の活動を抑制する、とか。詳しくは知らないが」

「ここでしか利用されていないせいで情報が少ないからな。とはいえ、国が医薬品としてちゃんと承認している」

 信一の言葉に、何となくこの場所の正体が見えてきた。

「……なあ、つまりここはその医薬品の実験施設ってことか?」

 その言葉に、信一は曖昧な態度で僕を見た。

「当たっているとも言えるが、外れているとも言える。このロストは正確に言うと日本だけで認可されたモノではないんだ。世界各国で認可された医薬品であり、それを使用するための場として、ここが用意された。その点で言えばここは医薬品の実験施設、と言えるかもしれないが、人体実験施設ではない。あくまで人を、生きることが困難な人々を救うための施設だ」

「……」

 久しぶりの再会であったが、先ほどからの信一の説明で、懐かしさのような気持ちが消えていた。それはこの場所に対する違和感だけではないだろう。目の前の親友が変わってしまったような感覚も、その要因の一つである気がした。

 かつてはこういう男ではなかったはずだ。

 会わなかった四年の歳月が彼を変えたのか、それともこの場所が彼を変えたのか。それはわからない。ただ変わってしまった信一を思いながら、かつての彼を思い、頷いた。

「すべてが払拭されたわけじゃないけど、とりあえず信一を信じるよ」

 僕のその問いかけに信一は頷きながらこう言った。

「いろいろと秘密の多い施設でいまだ問題が多いことはわかっている。それはひとえにこの場所の責任者である俺の責任だ。とはいえそれを放置しているわけじゃない。お前を頼ったのはそうしたこの場所の改善の一環だと思ってほしい。

 長々と話してしまったな。それじゃあ早速だが、彼女に会いに行こうか」


 そこはユーロモーションの入り口から三十分程歩いた場所にあった。通常と何も変わらないアパート。その一室が雨宮小糸の部屋だった。

「ここだな」

「監視や彼女の近くに誰かついていないのか?」

「人手不足……ではあるが、ユーロモーションの住人は全員、管理用チップ、ロスティアが埋め込まれている。それぞれの健康状態や位置情報についてはそれで管理している。もし彼女が自殺を図れば近くの誰かがそれを止める手はずになっている。ここは管理局の局員アパートも兼ねているからな」

 そう説明しながら、信一はチャイムを押した。しばらく待っていると、小さな声で返事があった。

「……はい」

「どうも、雨宮さん。桐原です。入っても構いませんか?」

「……どうぞ」

 そう返事が返ってくるとゆっくりと扉が開き、小柄な女性が立っていた。

「雨宮さん。彼が今日からあなたのカウンセリングを担当する花菱夜です」

 信一の紹介に、彼女、雨宮さんが小さく頭を下げた。

「初めまして、雨宮……小糸です」

 背の丈は標準より少し下だろうか。確か年が義妹と同じだったはずだから比較すると小柄に見える。長い黒髪が印象的で、肩まで延び、眼元は前髪で隠されている。

 ただそうしたこと以上に彼女には特異な特徴が一つだけ存在した。

 彼女には

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