髪を乾かしてから出てきて欲しいんだけど

 シャワーを浴びて、リビングに戻ってきた藍斗は、椅子にドカッと座った。テーブルの上には夕食が並べられている。藍斗が箸を手に取ろうとしているのを目にした杏哉は、声でそれを制した。藍斗は不満そうな視線を向けた。杏哉はキッチンから移動して、藍斗の横に立った。

「ちょっと、藍斗、髪、乾かしてないよね」

 藍斗の髪はタオルで軽くふいているだけで、まだ濡れている。

「お腹空いた」

「乾かしてきて」

 有無を言わせない口調で杏哉は洗面所を指さした。藍斗はそれを無視して、再び箸に手を伸ばす。杏哉は、その手を掴んだ。

「髪乾かしてあげるからこっち来て」

 藍斗の抵抗を無視して引っ張っていく。面倒なのか、抵抗はそれほど強いものではなかった。洗面所に着くと、片手で藍斗を掴んだまま、ドライヤーを手に取り、藍斗の後ろに移動して、髪を乾かす。藍斗は杏哉にされるがままになっていた。慣れた手つきで藍斗の髪をしっかりと乾かした。

「できた。もういいよ」

 満足げに杏哉は言うと、藍斗から離れ、ドライヤーを片付けた。解放されたにもかかわらず、藍斗はその場を動かなかった。しばし言うべきか言わないべきか悩むように唇を動かした後、声を発した。

「なあ」

「なに?」

 杏哉は藍斗の方を見た。

「俺は死なねえぞ。そんな簡単に」

「どうしたの急に」

「髪乾かさないくらいじゃ死なねぇっつってんの。そんなにやわじゃねぇよ」

「そんなのわかんないよ。風邪ひいちゃうかもしれないじゃん。もし、拗らせたらどうするの。それに、お前、雨に濡れたら風邪ひくじゃん」普段よりも強めの口調で杏哉は言った。どこか不安そうに声が少し揺れていた。

 藍斗は鼻で笑った。

「いつの話してんだよ。つーか、よくそんなん覚えてんな。中学の時の話じゃねぇか。俺と普通に殴り合いの喧嘩したり、ベッドの上ではクソ雑に扱うくせに何言ってやがんだよ。矛盾してるぜ」

「うるさいな。風邪ひく以外にもさ、お前、そのままソファに寝っ転がったりするだろ。ソファ濡らすのやめて欲しいんだよね」杏哉の声からは先ほどのような揺れは感じなかった。

「話しそらしやがった。どーでもいいけど、うざ」

「いい、今度からちゃんと髪乾かしてよ。わかった?}

「むり。めんど」即答。

「じゃあ、オレが乾かす。っていうか、ここ最近、オレが乾かしてる気がする。実家では乾かしてなかったの?」

「ああ、うるさく言われなかったからな」

「でも、家では乾かして。わかった? オレが乾かしてやるから、ちゃんと言ってよ」

「はいはい」面倒くさそうに軽く流す藍斗。

「わかった?」しつこく詰め寄る杏哉。

「うっぜー。わかったよ」

 心底嫌そうな声色で返事をした藍斗は杏哉に背を向けると、リビングに戻っていった。

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