杏哉のバイト
藍斗の朝ご飯を机に並べてから杏哉は家を出て、カフェ『約束』に行くと、開店準備をした。もちろん店には杏哉しかいないので、すべて一人でやるしかない。店中を掃除して、椅子をきれいに並べ、カウンターや机をきれいに拭く。カウンター席は五席、机は三つで、店はそこまで広くはないので一人でも大変ではない。
開店時間は午前十時。十分前にはすべての準備を終えた。外を見るとすでに列ができている。ほとんどが女性だ。この後の確実に起こることを考えて、杏哉は憂鬱になった。
午前十時。店をオープンした。あっという間に満席になった。だが、外の行列はまだまだ残っている。うんざりしたのを顔に出さないように、いつも以上に意識して笑顔を作りながら、杏哉は接客をした。注文を聞きに行くのも、料理を作るのも、会計もすべて杏哉一人だ。杏哉はすべてを効率よく、テキパキと、頭の中で整理しながら、いとも簡単にこなしている。その姿を見て、お客さんたちは「かっこいい~」などと呑気に会話している。
そもそも、この店はノアの店だ。ノア目当ての客が多い。それなのに、ノアがいなくてもクレームが来ないのは、ひとえに、ノアに引けを取らない杏哉のルックスの良さと人当たりの良さのおかげだ。
また、カフェにとって一番大事なこと、料理の味だが、それも問題ない。杏哉は数回教えてもらえれば、完璧に再現できるからだ。杏哉はノアにすべての料理をレクチャーされている。
お客さんからのアプローチを愛想笑いで躱しつつ、スムーズに店を回していると、会計終わり、ひとりの女性がもじもじしながら、恥ずかしそうに話しかけてきた。
何度もこういう状況になったことがあるので、彼女が次に言う言葉が容易に想像できる。杏哉はため息をつきそうになったが、お客さんの手前、もちろん笑顔は崩さない。
「あの、今度、わたしと一緒に出掛けませんか」
目の前の女性の声がかすかに上ずっていて、緊張がうかがえる。
「ごめんね。オレ、恋人居るんだ。だから、答えられない」
「あっ、そ、そうですよね。ご、ごめんなさい! 失礼しました!」
女性は赤面してものすごく慌てたように、バタバタと店を後にした。杏哉は内心、ため息をついた。これで何度目だろう。何度も杏哉が告白を断っているのを目にしているにも関わらず、懲りずに告白してくる人間がいる。恋人がいると公言しているはずなのに、なぜ諦めないのだろうか。
告白される回数を減らすための方法を何か考えなくてはいけないと思いつつ、杏哉はこの日の仕事を滞りなく終わらせた。
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