白点病 三

 その後も私は引き続き、同じショップの熱帯魚コーナーで働いていた。アクアリウム業界のメダカブームは留まるところを知らない。古代魚やナマズ、カラシン系が売られていた水槽にも、それらと置き換わるように大量のメダカが入れられるようになった。


 例のグッピー大量死から、およそ一か月が過ぎた。あの事件は不気味な出来事だったが、私の多忙な日々は、あの件を引きずることを許してくれなかった。


 その日は雪がちらついていた。売り場には私一人だったが、客の入りは悪かったので、暇で仕方がなかった。寒い時期は魚を買いに来る客が少なくなる。輸送時に水温が下がり、魚へダメージを与えてしまうというリスクがあるからだ。このショップのように駅に近く、車で訪れる客があまり多くない場所ならなおさらだ。


 メダカの餌を買いに来たお客さんの会計をした後、私は水槽の確認をしに行った。最近入荷したメダカの水槽の前で、私の足は止まった。


 メダカの群れの中で、入れた覚えのない真っ赤なベタが大きな尾びれをひらひらさせていた。


 私の息は、止まった。心臓は今までにないほど高鳴っていて、こめかみを汗が伝う感触もある。私の視線はたちまちこの真っ赤なベタに釘付けになった。


 目を離せば、きっとこの前のように消えてしまう。そうなる前に、このベタが何なのか、この後どうなるのかを何としても見届けなければならない。このときの私は、そう思ったのだった。

 

 じーっとベタを凝視していたが、ベタは立派な尾びれをひらひらさせるだけだ。周りのメダカたちも、ベタのことは気にしていない。


 売り場が無人であるのをいいことに、私は目が乾くのさえ忘れて、水槽を見つめていた。このベタはまさに怪奇現象そのもので、以前のグッピー大量死にも深くかかわっているはずなのだ。


 しばらくすると……奇妙なことが起こった。ベタの体が、風船のように膨れ上がったのだ。まるで出目金のような姿になったベタは……突然、パァンと破裂した。まるで「北斗の拳」のような光景だった。一つ違うのは、弾け飛んだベタは文字通り水中に溶けてしまい、肉片一つ残さなかったことだ。


「あのー、すいません」


 その直後、背後からお客さんから声をかけられ、はっと我に返った。私は慌てて、お客さんの質問に答えた。


 その翌日……ベタのいたメダカ水槽は死屍累々だった。半分ほどが亡骸と化していて、残る半分にも白点病の症状が現れていた。


 営業時間終了後、閉店作業中のことだった。私は思い切って、グッピー水槽やメダカ水槽で起こったことをリーダーに話した。「何をバカな」と鼻で笑られることを承知で、だ。現状、とれる対策は何もないが、せめて情報を共有しておくに越したことはない。それに……あの不気味な出来事を自分一人隠して抱え込むのはつらかった。


「それ……ホントか?」

「はい。この目ではっきり見ました……」

「言い出せなかったんだけどさ、実は……俺も見たんだよ」


 衝撃的な一言だった。


「あのベタを……ですよね」

「そう。でも店の水槽じゃない。俺んの日淡水槽にいたんだよそれが。目を離した隙に消えてた」


 日淡とは日本淡水魚の略称で、日本の在来淡水魚のことを指している。それらだけを飼っている水槽を、マニアたちは日淡水槽などと呼ぶ。


「いつですかそれ」

「昨日の夜……ってことは、今頃あの水槽は……」


 そのときのリーダーは、悲しみと恐怖が半々で混じったような表情をしていた。


 次に出勤したとき、自宅の日淡水槽が全滅したことをリーダーから聞かされた。

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