【7-7】魔鏡守神の神殿

 魔鏡守神まきょうのまもりかみの神殿はかつてグラスティアがあった、北の高い場所に存在していた。

 魔術を使い、シアスと共にグレイシャはその神殿の前に降り立つと、大理石で作られた巨大な柱がすぐに目に入る。


「改めて見ると、あまりの大きさに圧倒されるな」

「……」

「どうした? もしかして、怖くなった?」

「……いえ。城に比べたら小さい方です」


 見上げながらシアスが言うと、グレイシャは苦笑して「確かにね」と言った。

 警備も何もかも手薄なのが気になるが、手の込んだ呪いをかけてくるリアンなだけに、魔術の罠などに気を付けながら、二人は神殿の中に入る。

 灯りのない神殿は暗く、冷たい風が吹き抜けていく。気配を探りながら奥へと向かっていると、奥の方から誰かがやってくるのを感じて、二人はすぐ近くにあった柱の影に隠れた。

 暗くてよく見えなかったが、近かった足音が遠ざかり神殿の出口へ行ってしまうと、外の星の光でぼんやりと白い人影が浮かび上がった。


「あれは……メチェーリ様か」

「メチェーリ……リアンの最後の子、ですか」

「ああ。彼がいたとなると、リアンもここにいるようだね」


 かつていたクリアスタルは、リアンが息子であるメチェーリの為に作った島国であった。

 竜人と神の血を引く彼は半神として既に百年は生きていたが、見た目は変わらず青年の姿をしており、額にはエメラルドの角が一対と、背中から大きな白い竜の羽がはえている。

 グレイシャはクリアスタルの事を知る為に、あえて専属魔術師となってメチェーリに仕えた。

 メチェーリはグレイシャを信頼し、龍狼隊りゅうろうたいと呼ばれる騎士団のトップである龍狼の騎士達と共に、クリアスタルを繁栄させていった。

 その時代の事は、グレイシャもよく覚えており、とてもやりがいのある楽しい日々だった。実際あのまま何もかも忘れて、長く過ごしていたいと思ってもいたし、そう願っていたのだが、残念ながらそれは一時の儚いものとなってしまった。

 ある時クリアスタルにやってきた一人の男。その男は、後に分かった事だが、リアンに命令されてやって来たらしい。


「(あの男、一体どこで出会ったのか知らないけど……アイツも厄介な存在だよな)」


 この世界には翼人と呼ばれている種族以外にも、天人と呼ばれる者達がいる。姿は翼人と同じく、背中に翼が生えていたりする者もいれば、普段は隠して過ごしている者もいた。

 クリアスタルにやってきたその男はヴェーチェルと名乗っていたが、その正体は堕ちた天人であった。

 神に仕える彼らの力は強く、そして神聖なもの。だが、その男は仕える神に逆らい、力を闇に染めた。

 何故神に逆らったのか、どうしてリアンに仕える事になったのか等はグレイシャもよく知らないが、とにかくリアンに命じられたヴェーチェルは、グレイシャを追い出す為に在らぬ疑いを次々とかけた。


「以前から気になっていたんですが、前に話していたあらぬ疑いってどんなのだったんですか」


 ふとシアスが訊いてきた事に驚きながらも、グレイシャは苦々しい表情で話し始めた。


「……メチェーリ様の婚約者を寝取っただとか、メチェーリ様のおやつをつまみ食いしたとか」

「何ですかそれ。とくに後者とか、本気でどうでも良くないですか?」

「いやいや意外と食べ物の恨みって怖いよ〜?」


 再び奥へと進みながら、グレイシャとシアスはひそひそと会話をする。

 シアスは呆れた表情で、「それって誰が信じるんですか」と訊ねると、グレイシャは無表情で「普通は信じないよね」と答えた。


「そもそもメチェーリ様は仕事熱心だから、娶る暇も無かったし? というか俺既婚者だし? それに、主のおやつをつまみ食いする暇なんか無いくらいに激務だったんですが何か?」

「要するに事実無根って訳ですね……」

「そう」


 グレイシャが頷き、前を歩く。すると、シアスがついて来てないことに気付き、振り向いて「どうした?」と声を掛ける。

 シアスは目を丸くしてグレイシャを凝視していた。


「……既婚者?」

「え、話してなかったっけ。かなり昔だけど、結婚してるよ。俺」

「聞いてませんよ。深くも聞きませんけど」

「あらそう。まあでもその方が俺もありがたいけどね」


 辺りを見回した後、「どこかで聞かれてたら厄介だから」とグレイシャは耳打ちする。長年の因縁なだけに、もし家族まで知られたら何をされるか分からないからだ。

 そんな話をしている間に、前方からミントや花の香りが漂ってくると、グレイシャはその香りを探るように鼻を動かした。


「流石、暗殺者と言われただけある。香りの方向が分かりやすいな」

「その方向って柱ですよね?」

「そうだね……っと」


 柱といっても、壁のように太いそれをグレイシャは触れて確かめる。

 一見どころか、触れても分からないそれは、グレイシャが何度か拳で叩いた途端、勢いよく開きグレイシャの顔面にぶち当たる。

 その衝撃に、傍で様子を伺っていたシアスも唖然とすると、床に倒れたグレイシャに慌てて声を掛けた。

 

「だ、大丈夫ですか」

「いっだぁ……」


 顔を両手で押さえしばらくうずくまった後、ようやっと身体を起こすと、額や鼻頭が赤くなり鼻血を出していた。


「あまりの痛さに死ぬかと思った……いや、もう死んでるんだけど……」

「乗り移ってても、痛みって感じるんですね」

「それ思った……でも、触覚や味覚あるんだし、そりゃ痛覚もあるか……」


 これ鼻潰れてないかなと、心配して鼻を触って確かめるグレイシャを他所に、シアスは柱の方を見る。

 顔に当たった小さな扉は微かに揺れ、隠されていた装置が丸見えになっている。警戒しながらもシアスは、その装置を見たり触れたりした。


「(このくり抜かれてずれたパーツを、周りの模様に合わせて……)」


 六角形に切り抜かれたそれを、真ん中にあるレバーを引きながら周りの模様と合わせる。すると、すぐ横の床が地響きを立てて開きだし、地下につながる階段が現れた。

 それを見たグレイシャは、「この下だね」と鼻を押さえながら指を指す。


「ですね。ようやっと私にも香りがしてきました」

「でしょ。鼻血も止まってきたし、行こうか」

「はい」


 打った所が未だにズキズキと痛むのを我慢しながら、階段を降りていく。

 石で作られた螺旋状の階段はしっかりとしているものの、小さくすれ違いでは通れない狭さだった。手に魔術で火を浮かばせ灯しながら下っていくと、水の流れる音が徐々に大きくなっていった。


「花園、ですかね」

「……その可能性が高いね」


 対して深くもない階段を下り終わり、外に出れば芝が広がっていた。

 小川が流れ、壁に大きく切り抜かれた円型の窓には夜空が見え、色とりどりの花があちこちに咲いているこの空間に、グレイシャは何故か酷く気持ちが落ち着いた。


「成る程、確かに花園だ」


 穏やかで心地よい川のせせらぎ。飼われているのか、目の前を数羽の小鳥が飛んでいった。

 キョロキョロと辺りを気にしつつも、花が沢山咲いているバラ園の方へと向かうと、グレイシャはそのバラ園の中に人影が見え、立ち止まる。


「誰かいる」

「……リアンの手下、ですかね」

「どうだろう」


 グレイシャはシアスにこの場で待っているように言うと、バラの茂みの中に入り、膝をついてしゃがみ込むと中の様子を覗く。

 そこにいたのは、白く絹のような長い髪を持ち、椅子に座って一人静かに本を読む女性の姿だった。

 青い瞳が本の文を追う様子をグレイシャはじっと眺めていると、ふと視線が合った気がしてどきりとする。


「(やばい、バレたかも)」


 固まり、茂みを揺らさぬようそっと後退すると、後ろからシアスの焦った声が聞こえてくる。


「早く。見つかります!」

「わ、分かった!」


 茂みをうまく出ると、魔術を使って一時的に二人の気配を消す。少しして、女性の元にやって来たのはリアンであった。

 銀髪の長い髪を揺らし、歳の分からない若く美しい顔立ちをしたその男の姿に女性は顔を上げると、「ああ」と笑みを浮かべる。


「リアン様。どうかなされましたか?」

「神殿からのこちらに通じる出入り口が何故か開いていてな。ネズミでも入り込んだのかと思ったんだが」

「ああ……」


 女性の言葉をグレイシャは固唾をのんで見守ると、彼女は間を空けた後首を横に振った。


「ここにはいらっしゃいませんでした」

「本当か?」

「ええ」

「そうか。……ならば特に用はない」

「……」


 女性は眉を下げ、去っていくリアンの姿を見つめると目を閉じる。

 リアンが完全に去って気配が無くなった後、女性は目を開けると、声を発した。


「隠れているお方。もう大丈夫ですよ」

「!」


 驚き、グレイシャとシアスは顔を見合わせる。悩みながらも恐る恐る姿を現すと、女性はグレイシャを見て苦笑いした。


「こんな場所に来るなんて、怖いもの知らずですね。貴方達は」

「事情があってね。それにしてもさっき庇ってくれて助かったよ。ありがとう」

「いえ」


 女性は開いていた本を閉じ、座っていた椅子に置くと立ち上がった。

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