一章 仇討ちの旅
【1-1】出会い
「……またあの夢か」
鳥のさえずりと草木を風が揺らす音に目を覚ます。
キサラギはうんざりとしたように頭を掻きながら、寝床代わりにしていた平らな岩の上から立ち上がると、小さく「雨が降るな」と呟いて、その場を離れようとする。
この森は年中通して雨が多い場所だった。朽ちて折れた木々や岩肌は苔が覆い隠し、大量に生えたシダの葉を掻き分けながら雨宿りする場所を探していると、遠くから微かに雷鳴が聞こえた。
今日は特に大荒れになりそうだ。風が強く吹き始め、無意識に急ぎ足になっていると追い打ちをかけるように雨も降り出す。
ぬかるんだ地面に気を取られながら何とか炭鉱跡に辿り着くと、キサラギは地面に転がる火打ち石の一つを手に取り手燭に火を灯す。とある時期になるとしばらくこの森に留まるため、炭鉱跡を拠点としていくつか物は置いていた。
「ん」
手燭を持ち上げると、自分の足跡以外のものが奥の方まで続いていた。よく見るとまだ新しい。もしかしたら奥にいるのかもしれない。
いつでも抜けるように短刀の柄を握り、音を立てぬように慎重に奥に進む。
この炭鉱はあまり奥まで広がってないので、少し歩くとちょっとした大きな空間がある。
「……」
少し進むと奥が明るい。やはり誰かがいるようだ。だが同時に微かに血の香りがした。怪我をしているのだろうか。それとも……。
そう考えているうちに、かつてキサラギ自身が経験したあの惨劇を思い出し、足が止まる。だが、すぐに歩き出すと、空間に辿り着いた。
「女?」
長い黒髪の女。ぐったりとしていて、何となく顔が赤いのは熱があるからだろう。何よりも左足には血が滲んだ包帯が巻かれていたが、上手く止血出来ていなかった。
恐る恐る歩み寄り息を確かめる。……一応まだ生きてはいるみたいだ。
「雨で濡れている……という事はさっき来たのか」
面倒だなとは思いつつも、こんな所で死なれたら夢見が悪い。溜息をついた後、キサラギは横たわる女の身体を小さく揺らした。すると少しだけ身じろぎをした。
身体を温めた方がいいがこんな場所で火を焚いたら空気が悪くなる。力の入らない身体を抱き上げ、出口まで向かった後濡れていない場所に寝かせ、羽織や着物を女に掛ける。
「マシロの社に連れて行くべきか……いや、この雨じゃ逆に危ねえな」
雨足が強まり稲妻の音が響く。木の幹を麻紐で縛って簡単に作った木の柵で出口の半分に覆いをした後、焚き火をして辺りの温度を上げていると、女が目を覚ました。
「あれ、わた……っ、ぅ」
「あまり動くな。傷に障る」
「……」
ボーっとしたままキサラギを見つめた後、再び目を閉じる。その目に何となく覚えがあった様な気がしたが、気のせいだろうとキサラギは考えるのを止めた。
万が一のために置いていた薬は無かっただろうか。古びた木の棚をあさっていると薬壺が出てくる。帯の布を解きそれを包帯代わりにして、女の傷の手当てをしながら観察するとその傷は鋭利な物によってできている様だった。
雷鳴は鳴り止まず、雨音も大きい。こうしている間に日も暗くなり、外は稲妻の光以外真っ暗だった。
「(にしてもその格好、
一部洋装ではあるが、腹部から下に掛けて身につけている紺のそれはどう見ても着物であった。
この世界では聖園領域と
ここ聖園領域では、主に五つの国がある。
魔鏡領域の方もそれなりに国はあるようだが、領域を分け隔てるように山脈が島を縦断していて、そう簡単に行き来できない様になっていた。
少し変わった格好ではあるものの、ただ単に自分が世間知らずなだけかもしれない。そう思いながら嵐が収まるのを待っていると、風が強く吹く。
「っ!」
木の柵が倒れ、火が消える。ようやっと冬も終わり春になりかけていたから、きっとそのせいだろう。
それにしても森にある筈の嵐の加護は効いていないのだろうか。
酷くなる状況に、女を守りながら策を考えていると外から足音が聞こえる。顔を上げると、それはキサラギより半分の背丈ぐらいの子どもであった。
「マシロ」
「様を付けんかバカ者。こんな状況下の森に気配を感じると思ったら……」
雨の雫を払いながらマシロと呼ばれた神はキサラギと女を呆れた様に見つめる。こんな嵐だというのに、白く長い髪は殆ど乱れていなかった。
真っ暗の中マシロは女に近づくと容態を察し、やれやれといった様子で、パンと両手を叩く。すると消えた炎が再びつき、木々が勝手に伸びると出口を塞ぐ。
「こんな所か。今わしの社に向かうのはちと危険じゃからな。嵐が去るまでここに居るが良い」
「……助かった」
キサラギが小さく礼を言うとマシロは照れくさそうにしながら、「べ、別に」と素直じゃない態度をとる。
暖かくなった事で女の表情も少し和らぎ始めた頃、ふとマシロがキサラギに聞いた。
「にしても、お主が人助けをするなんてのう。どういう風の吹き回しじゃ?」
「別に……」
「……まあ、良かろう。それよりもどうじゃ。『仇』は見つかったか」
「いや」
「そうか」
マシロは腕を組みながら静かに聞いていた。村が滅ぼされて早八年。記憶も何もかも失い、肩に深い傷を負ったキサラギ少年を拾ったのはこの森の主でもあるマシロであった。
本当はあまり人に深く関わらない主義であったが、キサラギの目を見て放っておけなかったらしい。夜空の様に深く青いその瞳はまるで、聖園領域を治める
まあこうして半分興味本位で助けてくれたおかげで、傷も癒え成長し、仇討ちの為に聖園領域の各地を旅していたのだが、『春』という時期だけはこの森に戻ってきていた。
「やはりまだ春は怖いのか?」
「……」
「……お主、唯一まだ行けていない国があったと言っておったな。もしかしたら」
「そこにいるかもしれないってか。……まあ、その可能性はあるだろうな」
あの事件以来、キサラギにはどうしても克服できないものがあった。
桜、春の長閑な陽日……要するに春を思わせるものが彼の中でトラウマと化していた。
村が壊滅した時期も丁度今の時期ぐらいであったし、思っている以上に心の傷は深いのだろう。ショックで記憶も失っている。
そんな彼が追っている赤と紫の目を持つあの化け猫は、噂で魔鏡領域からやって来たと聞いていたが、その一方で桜宮に事件と同時期に似たような目を持つ魔術師がやってきているとも聞いた。
「桜宮……か」
「行けそうか?」
「さあな」
手を強く握りしめて、目を閉じる。そして、小さく「もう時は十分経っただろ」と強がる様に呟く。が、マシロにはお見通しだった。手が微かに震えている事に。
「……どうせならば、先に魔鏡領域に行ってみたらどうじゃ」
「魔鏡領域?」
「ああ、まだ行った事はないだろう?」
「……」
キサラギは少し考えた後、「そうだな」と頷くと、腕を組んで胡座をかく。そしてそのまま目を閉じる。
マシロは振り向き外を眺めながら、「夜が長いのう」と言葉を漏らした。
朝が明け、嵐が過ぎ去った事で森に再び静寂が戻る。朝日の光に目を覚ましたキサラギは身体を起こし辺りを見回すと、助けた女の姿が無いことに気が付いた。
「どこに行きやがったアイツ……」
風から守っていた木々も元に戻っており、そよ風で静かに葉を揺らしていた。
固まった身体を肩を回したりしてほぐしながら炭鉱跡の周りを歩いていると、明るい女の声が聞こえる。
「こらあまり無理をするでない。まだ病み上がりであろうが」
「大丈夫ですよマシロ様! 木の実を取るくらい平気です」
そう言って背伸びして薙刀で枝を揺らすといくつかの木の実が落ちてくる。
その様子を呆然としてキサラギが見つめていると、視線に気が付いた女は振り向いて「あ」と声を漏らしつつ笑顔を見せた。
「おはよう。キサラギ」
なんで名前知っているんだというツッコミは傍に居るマシロによってすぐ頭の中から消え去るが、不思議とその笑顔はキサラギの目に焼き付いたのだった。
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