死体を見た

春眠ねむる

死体を見た

 それは、雨の匂いが辺りを包む梅雨のある日のこと、私は死体を見ました。

 時刻は多分日付変更してたから十二時は回っていたと思います。アルバイト帰りで、私の家から職場までは歩いて十五分ぐらいの距離なのですが普段は自転車だけどその日はちょうど昼間にタイヤをパンクさせてしまっていてだから徒歩で通勤したんです。行き道はまだ人通りも車通りも多かったけど帰りは時間も時間だから全然車も通らなくて本当に怖くて嫌だなぁ、と思いながらちょっとだけ足早に家に向かっていました。


 帰り道に公園があるんです。公園って言っても遊具なんかなくてベンチが数個と砂場があるぐらいの小さなやつであんまり遊んでる人とかも見たことないなぁ。……あ、はい。そうなんです。そこの公園で、見たんです。普段なら素通りするんですけど、その日はなんか変な匂いするなぁって、気になったんです。見なかったらこんなことにはなってないんですけど、やっぱり好奇心って駄目ですね。あはは、今更後悔してももうおそいんですけどね。……えっと、どこまで話しましたっけ、ああ死体。そうです、したい。見たんですよ、見ちゃったんです。何をって……死体ですよ、さっきから話してるじゃないですか。死体が、あったんです。公園の奥、あれなんでしたっけ、よく公園に咲いてる……あの、子供の頃よく吸ったりした、あの甘いやつ。あれの後ろ側にそれは居たんです。居たんですよ。



「――居たって、死体が?」

 先ほどまで饒舌に話していた彼女の口が突然ぴたりと止まる。彼女は大学の後輩だった。私は文芸サークルに所属しているのだが友人から後輩が様子がおかしい、怖い体験をしたらしいから話を聞いてやってほしいと言われ放課後落ち合ったのだが、確かに様子がおかしい。写真で見せてもらった彼女は明るい茶髪の可愛らしい女性であったが、今私の目の前に居るのは写真とはすっかり変わってしまっている。ボサボサの茶髪に目の下に濃く刻まれた隈、メイクもしていないようでノーメイクの肌には吹き出物がいくつもあって唇の色も悪い、寝ていないのか、やつれてしまっている彼女は私の言葉に肩を震わせ俯いた。

「居たんですよ、あれはあそこに居たんです。あちこちに血が飛び散って身体中を無数のあの白い、虫みたいなやつが蠢いてて、あのひと中身が見えてたんですなかみ、分かります? 中身ですよ、胸からおへその下あたりまでがぱっくり開いてて、そこに虫がたくさんいたんです。ゆっくりあのひとの中を這い回ってて雨の匂いと血の匂いとなんか、卵が腐ったみたいな匂いが辺りに立ち込めてて、わたしびっくりして、腰抜けちゃって、でも、その時なんです。その時、見たんです見たんです見たんです見たんです見たんです」

「落ち着いて、何を見たの?」

「見たんです見たんです見たんです見たんです見た見た見た見た見た見た見たみた」

 壊れたカセットテープみたいに繰り返す彼女に私はこの場からいち早く立ち去りたい感情に襲われた。ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している彼女の目はやけに爛々と光っていて、右手でダンダンと机を叩く。怖かった、彼女の話よりも彼女が。話自体はよくあるものだろう。公園に捨てられていた変死体を見つけてしまった、というだけの話。私はまだそういう体験はしたことがないが、確かに驚くだろうが警察に通報して事情聴取を受けて、そして終わりではないのだろうか。彼女の様子は明らかに常軌を逸脱していて。


「ちがいますよ」

 彼女がそう言った。俯いていた顔を上げて、じっと私を見ている。

「ちがうんです」

 何が違うのか、私は小さく息を飲む。彼女の次の言葉を待つ。

「私を、見たんです。虫に腹を喰い荒らされていた死体が、私をじっと見ていたんです。あのひと、生きてたんですよ。生きてて、私を見てたんです。見てるんです。ずっと、ずっと見てるんですあの時もあの時も今も明日も明後日も明明後日もずっと見てるんですずっと私を見てるんです」

「ちょ、ちょっと待って、え、見てるって? 何言って」

「うしろ」

 彼女が指差す、私の背後。背筋にヒヤリとした冷たいものが走る。彼女は死体を見つけたと切り出したはずなのに何故その死体が実は生きていて今私の後ろに居るという話になるのだろうか。居るはずない。だってここには私と彼女しかいないのだから。他に誰も居るはずないのだから。


「ずっと見てる私を見てる見て見て見て見て呼んでる寂しいんですって一人なんですってだから私を呼んでてああ行きます今行きますごめんなさい私何もできなくて見てるだけでだからずっと私を見ててこれは罰なんです私が何もしなかったからあのひと怒ってるんですだからついてくるんですだから先輩には見てて欲しいんですわたしを見てて欲しいんですお願いしますごめんなさい許してください見ないでもう見ないで」

 こんなのおかしい、私はただ友人に頼まれて彼女の話を聞いてやるだけだった。死体を見つけた話なんか身近で聞けることもないからもしかしたら次投稿しようと思ってるホラー小説のネタにいいかななんて思っただけで、ただそれだけの気持ちで話を聞いていただけだったのに。早く此処から出なければ、と思うのに椅子から立ち上がれない。まるで誰かが私の両肩を掴んでいるみたいで、目の前で彼女がゆっくり椅子から立ち上がる。椅子に登る。いつの間にか天井からは一本の縄がぷらんとぶら下がっていて、何をしようとしているかなんて一目瞭然だった。

「」

 やめて、だめ、そう言おうとしたのに声が出ない。ぱくぱくと魚みたいに唇を動かしてもそれが音になることはなくて、鼓膜を震わせる鼻歌のようなもの、彼女は笑っていた。楽しそうに嬉しそうに何がそんなに嬉しいのだろう。


「それではさよならまたあした」











 私は死体を見ました。梅雨明けのある日のことでした。ゆらゆら揺れてて前の日にテレビでみた催眠術の番組の五円玉みたいに私の目の前でゆらゆら揺れてました私をじっと見てました。ずっと見てました。ずっと見てるんです。あの日も今日も昨日も明日も明後日も、ずっと。



 だから見ててくださいお願いします見ててくださいお願いしますごめんなさい許してください。見ててください。



 それではさよなら

 またあした

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