第3話 男色は西洋の宣教師たちの進言で禁止されたわけではない
「明治政府は男色を禁止した」
「同性愛の禁止は西洋の宣教師たちが明治政府に進言した」
こういう定説があるようです。
まず、男色の禁止ですが、拙著『明治・大正・昭和の男色』に書いたように、その規定があったのは、明治六年から旧刑法が定まる明治十五年の間で、その後もその前も男色そのものを禁じる法律はありません。
また、「同性愛を禁じるように西洋の宣教師が」という話ですが、同性愛を禁じる法律を《やめたほうがいい》と進言したのは、明治政府の法律顧問である、フランス人のギュスターヴ・エミール・ボアソナードです。
つまりは外国人のほうが「同性愛を禁止って法律やめなよ」と明治政府に勧めているのです。
西洋の宣教師たちが同性愛を禁止しろと圧力をかけたという話になるのは、聖書が関連してると思います。
聖書の『コリント人への第一の手紙』では、正しくない者として盗むもの、偶像を礼拝する者などと同列で、男娼となる者、男色をする者と書かれています。
実際、同性愛禁止の法律があった国は多く、「ポーランドは同性愛禁止の法律がなかった稀な国」と表現されることがあります。
「肛門性交は17歳以上から」と年齢が定められている国もあります。
前世紀のアメリカなどは同性愛に対する扱いが酷く、同性愛とバレると、街の人々に死ぬまでリンチされる、家族が暮らせなくなるなどがありました。
男性を愛してしまったために、米軍を抜けて亡命してしまった人もいます。
そのため、日本の活動家が「日本は同性愛差別がひどい!!」とインターネット上で
男同士で旅をする、男同士でホテルに泊まる。
こんなことをしたら、何を言われるか……と身構えて日本に来るそうですが、当たり前ですが、街の人もホテルの人も特に何も言わない。
心配になって「僕たちはゲイなんですが!」カミングアウトしたら「そうなんですね。それでは朝食は7時となっておりますので……」と流されたりで、驚くとか。
なお、同性愛を禁止する法律はキリスト教の国には限りません。
中国の清朝の時代の『清律』には『㚻姦罪條』という肛門性交の禁止など男色を禁止する法律が設けられ、違反すると懲役と打撃刑になりました。
前の明の時代に男色に関する混乱があったようです。
そもそも男色禁止の話は『明治・大正・昭和の男色』に書いたように、今の熊本県に当たる白川県が「学校で男色が流行って、幼年の生徒の勉強の妨げになっているからなんとかして」と司法省に手紙を出したのがキッカケです。
経緯は熊本県からお願いが来る→司法省は鶏姦(男性同士の行為)処罰を作る→旧刑法を作るときにボアソナードが同性愛を処罰する規則はなくそうと提案する、なのです。
実際、一定の年齢に達した男子同士の同意の行為は処罰されていません。
五歳以下の小さい子を対象とした行為は問題になったり、あるいは一定の年齢でも、暴行の場合は問題になりましたが、行為そのものが問題にはなりません。
他の事件記事だと女装をして女性とだまして行為をしようとして逃げられそうになって揉めたなどもあります。
これらは幼児に対する犯罪、暴行罪に問われるもので、男性同士だからということで処罰されることはありませんでした。
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