第9話


 それでもオリビエには感謝している。ダネルはホリーの笑顔を見た瞬間にあらためてそう思った。


「これはホリーのだ、着てみろよ」


「私のっ?私が着ていいのっ?」


 ダネルがうなずくとホリーは服を抱きしめて床が抜けそうになる程飛び跳ねた。


「いい匂い…お日さまとお花の匂い…」


 それはきっとあの家に漂うあの家の香り。


「着ないのか?」


「着るっ、着るけど…からだ洗ってくる!」


「ええっ?、いや、それならまだ明るいから水をくんできて…」


 飛び出していくホリーをダネルは追いかけた。ホリーにはいつも暗くなってから水浴びをさせるか、水をくんできて体を拭かせていた。それもやはりホリーの安全のためだ。


「おいっ、ホリー…」


 町からは少し離れているし、間に森があるおかげでいつも人目は無いが、それでも子供とはいえ女が明るいうちに裸を晒すのは危険に思えた。


 ホリーが丁寧に体を洗っている間、ダネルは目を凝らして辺りを見張った。


 水浴びと一緒に服も洗い終えたホリーを抱えて急いで戻ると、ホリーはオリビエの服を高揚した顔で目の前にぶら下げた。


「おおー、きれい……でもダネル、どうやって着るの?」


 ホリーはダネルを見て首をひねった。


「だよな…」


 ぶら下げると足の付いた凧のようで、糸を付ければ飛んでいってしまいそうに見えるのだから。


 ダネルは教わった通りにホリーの頭から服をかぶせて、帯を巻いていった。ホリーが着るとちょうど良くゆったりとしていて、自分が着ていた時とはまるで違うものになった。


(そうか…!これなら身体が大きくなっても服を合わせられるんだっ。まったく、あの人はどこまで…)


 これは本当にホリーのために作られた服だ。そして着るものひとつで裕福な家の子供にしか見えなくなった…が、それはそれで、ダネルは少し心配になってしまう。


「うわあー…ねえ、ダネルっ、かわいい?わたし、かわいいっ?」


 そんな心配もこんな笑顔を見せられると、すぐにかすんでしまった。


「ああ、驚いた。やっぱり女の子なんだな」


「ダネルっありがとおー!」


 こんなにホリーが喜んだ顔を見せたのは何時ぶりだろう?


「うん、じゃあ今日はそれ着て、外に食べに行こう!まだ何も用意してないしな」


「ほんと?出かけていいの?」


「ああ、皆んなに見せに行こうぜ?」


「うんっ!いくいくー、見せに行くーっ」


(まあ、たまにはいいよな)


 いつもホリーを閉じ込めてばかりいたのは、暴漢や人さらいの目から守るため。良い人ばかりならそんな心配は必要ないのに、特に流れ者の中には妙な空気を漂わせている者もいる。昔からダネルにはそれが何となく分かったのだ。


 エルセーがダネルのことを『感の良い人間』と言ったり、ホリーが『怖がり』だと言ったのはそういうことなのだろう。


 だからホリーと一緒に歩くときには、特に周りの人間を観察する。それが尚更、ダネルの察知能力を磨いていた。





 『バリルリア』…当店はリーズナブルで気安い食事と、ざっくりで気さくな店主夫婦との会話が楽しめるお店です。


 それがいつもお世話になっているダネルが思うこの店の印象だ。つまりは居心地が良い、そしていつもダネル達のために持ち帰る料理を安く済ませてくれる。2人にとってありがたいお店なのだ。


(よし、大丈夫だな)


 ダネルが店内を先に見回してみたが、タチの悪そうな客はいないようだ。


「おやっ、ダネル?今日は早いんだね…え、て…なんだい?ホリーかいっ?!」


 いつも元気で気さくなおかみさんのベシー。ダネルと、特にホリーを気にかけてくれている2人には恩人のひとりと言える人だ。


「ホリーっ!」


 挨拶をする間も無くホリーはベシーに捕まった。抱きしめられたり撫でられたり、一通りの挨拶が終わるまで解放されそうにない。


「今日はとくに可愛いじゃないかーっ?!どうしたんだい?そんなまた…めちゃくちゃ可愛い服を着てっ?」


 ベシーに全力で褒められると、ホリーは恥ずかしそうに顔を赤くして言った。


「えと…皆んなに見せにきたの」


「はぁーっ、そうかい、そうかいっ。すっごく可愛いよお、良かったねえ…」


「うんっ」


 ベシーは何度もホリーを抱きしめると、ダネルの頭を撫でてうなずいた。


「えらいね、ダネル…」


 すべてはオリビエがお膳立てしてくれたことでも、ホリーが本当に喜ぶことができて、ダネルも嬉しかった。


 テーブルに座れば服が汚れないようにと、前掛けまで用意してくれる。ホリー自身も決して食べかすを落とすまいと、慎重に料理をほおばった。


「ほら、これはウチの旦那からだよっ」


 そう言ってベシーはカワマスの切り身をテーブルに置いた。オーブンで焼いてトマトソースをかけた身は、ふわふわと白くてやわらかで、甘くて少し酸っぱい味と香りは優しくて、ホリーも大好きな料理である。


 それにこの料理のおかげで、ちょっと物足りなかったお腹もすっかり満たされて、2人とも満足な顔を見せあった。


 そんな2人の顔を見ることで、ベシーも満足そうに笑った。


「お腹はふくれたかい、ホリー?」


「うん、お腹ぱんぱんっ。おいしかったよベシーママ!」


「そうかいっ、なら良かった……。何しろ料理を作っているのは亭主だからね、不味いものは出さないと思ってはいるけど、大雑把な人だから…」


 そのせいか同じメニューでも味が同じということが無い。それがまた楽しみになって逆に飽きないというものだ…そう思えればこの店の常連だと威張れるだろう。


 それにしても2年以上の間、ホリーを守り続けて随分と頼もしくなったダネルをベシーは見つめると、


「なんだかんだで、今まで良くやってきたねえダネル…黙っていたけどね、あんたが根をあげたり見かねた時は、すぐにホリーを引きとるつもりだったんだよ?」


「え?」


 ホリー自身はきょとんとして2人を見た。


「?」


「ホリーは幼い女の子なんだ、もしあんたが守りきれなくて、余程の幸運にも出逢えずにそれでも生きようとすれば…ひどい選択肢しか残らないだろう?」


 それは物乞いで生きるか、拾われて人生を売るか、体を売らされるか…いずれにしても幸福や長生きとは無縁に違いない。


「だから褒めてやるよっ、でもいつまでもこのままで良いわけじゃないだろう?」


「はい…そうなんですけど」


「それに何ていうか…逆に今の方が誘いやすいやねっ、家賃は貰うし2階は空いてるし、ここに住んだらどうだい?」


 この店の2階は、以前は宿屋として使われていた。今は精々物置にしかならないようだが、重い荷物をわざわざ2階に持って上がるのもおっくうらしく、殆んどはそのままになっていた。


「べつにウチの手伝いをしろなんて言いやしないよ、イーデンには随分と世話になっているんだろう?不義理は良くないしね」


 するとワケも分からないままキョトキョトしていたホリーが口を挟んできた。


「あたしはいいよー」


 不意を突かれたダネルもベシーも驚いてホリーを見た。


「ほらぁ、ホリーもここに住みたいと言っているじゃないかっ」


「んー…?ここに住むの?お手伝いじゃなくて…?」


「え?」

「ん?」


 3人の間の空気が一瞬空っぽになるが、ベシーがすぐに言葉を放りこんできた。


「ああ…そっちかい?いいよ、いいよーっ、ホリーが手伝いをしてくれるってんなら住み込みってことだね?もちろん『まかない』もつけるよーっ!」


「まかない…ってなに?」


「おいおい、ホリー…」


 オリビエの所へ通っていることは秘密にしたい。しかしこんな良い話を断るというのもまた、不審がられるかもしれない。


 一緒にいる時間が増えることで、毎週どこに行っているのかをベシーに聞かれることがダネルは怖かった。


 そんなダネルの顔つきから何かを察したベシーは、その理由を聞こうとはしないが、


「まあ…何にしてもだ、あんたはいいけど…ホリーはここに住まわせておやりっ」


 ダネルはホリーを見た。もっとも本人はあまり話しを理解していないようだが。


「そうですよね…それじゃあ、なるべく早く返事します。たぶん…お世話になります」


「そうかいっ!それがいい、好きな部屋を使いなよ、ウチの亭主も喜ぶさ…」


 ぽかんと成り行きを見守っているホリーのことを考えると、ベシーの申し出と思いやりを断ることができなかった。


 そしてこの時、そんな話しの成り行きを見守っていたのはホリーだけでは無かった……

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