第10話

 帰りの道でも複雑な顔をしながら考えるダネルの顔つきを面白おかしくホリーは見上げて歩いていた。


「あははっ、ダネルー、なんで面白い顔してるの?」


「ええ?ホリー……自分のこと…って言ってもよく分からないか……」


 しかしこれはホリーを甘く見ていたダネルの失言だった。ホリーはすぐに口を尖らせると、


「むー、ホリーはベシーママのお店に住んでお手伝いをするんでしょうっ?それぐらい分かってるんだよ?」


「へえ、それじゃあちゃんとお手伝い出来るのか?」


 バシっと、ホリーは全力でダネルの背中を叩いた。


「痛っ!」


「出来るよっ!」


「いってぇ…そ、そっか…それじゃあ、近いうちに引っ越しだな?」


 ホリーはにっこりと笑うと、こぶしを突き上げた。


「おおー……っ!」





 次の日、いつものようにダネルが夕方にバリルリアを訪れると……ベシーに神妙な面持ちで話しがあると言われた。


「昨日、あんた達が帰った後すぐにね……いや、違うね……ウチのお得意さんでね、まだ宿もやってた頃から、いまだに来てくれるお客なんだけど、昨日はあんた達のそばに座っていてね……」


「昨日…ですか?」


 ダネルは記憶を呼び起こして店内にいた客を思い出そうとしていた。


「年に何度か、仕事の往復で寄ってくれるんだけど……」


 ベシーは珍しく口籠って、あまり気の進まない様子で話を続けた。


「まあ、昨日のあたしらの話しを聞いていたらしくてね…あたしは喋りゃしなかったがあんた達の身の上を聞いてきて……できればホリーを引き取れないか、なんて話しをしてきたのさ……」


「え……?ホリー……を?え?どういう……」


 国同士の小競り合い、暴漢や盗賊、病死などで親が死に、孤児が残されることが珍しくも無いこの時代では、裕福な家が孤児を引き取ることもまた、珍しいことでは無かった。


「あのお客はね、モーブレイの東の果てにあるグローツって街でたしか……行商をやってるハクルートって言う人なんだけど………まあ、悪い人じゃあ無いと思うけどね……」


 しかし同時に、孤児は人身売買目的…特に女児は娼館などに売りやすいため誘拐されることも多い。ダネルがホリーをあまり人の目に触れさせないようにしてきたのはその理由があったからだ。


「ホリーを……?でもそんな知りもしない人なんかにっ……知ってたってホリーは渡せませんよっ!」


 ダネルの真剣な顔を見てベシーはちょっと驚いてから微笑むと…


「そう……そう言うと思ったよ。だからハクルートさんも昨日は黙ってたらしいよ?あんた達の答えをあたしが聞いて、ダメなら諦めるって言っていたからね……その方が余計な波風を立てないと思ったんだろうさ……」


「!」


 たしかに、もしその場で名乗りでれば自分達、特にホリーは怖がったかもしれない。


 それを気遣ったというだけでもハクルートという人物の人となりを感じることができた。そもそも昨日この場にいた人物で不穏な空気を持つ者はいなかった筈なのだから。


「まあ……なかなか裕福な人みたいだけどね、一応聞いたから伝えておくけど……なんでも2人目の子供…女の子は死産だったらしくてね、それ以来奥さんも子供ができなくなって……もう何年も気落ちしているらしいよ?ハクルートさん自身も女の子が欲しかったみたいだけどね……」


「だ、だからって……ホリーを犬や馬みたいに……」


 唯一の家族であるホリーを他所の誰かに渡すことなんて出来るわけがない。


「だろうねっ、あんたがそう言うのは分かっていたさ。ハクルートさんはまた1週間後……仕事帰りに寄るって言ってたから断っとくよ、あんた達はウチで頑張ればいいさっ」


「は…はい、頑張りますっ」


 たとえハクルートという人がホリーを大切にしてくれても、気持ちの上ではとても納得できない。





(その人が信用できないかも知れないじゃないか…?)


 帰りの道をそんなことを考えながら歩いていたが……


「!……それっておかしいだろっ、信用できたら何なんだ?」


 言葉のアヤなのか?自分の言葉に疑問を投げた。


(信用できれば預けてもいいのかっ?金持ちそうだから?今の生活が不安だから?その方が、ホリーが幸せになれそう……だから?)


 ダネルはふと足を止めてうつむいた。


「オレが決めていいことじゃ、無いよな……?」


 ダネルはずっと、ホリーを実の妹のように思ってきた。でも本当は違う……それに……


(こういうチャンスを掴むために生きてきたんじゃないのか……?もしも……良い人だったら……?)


 考えたって選べない分かれ道を前にダネルは足を止めた。


(1週間後か……)





 ダネルは2日間考えても答えは見つからず、3日目にはたまらずエルセーの家に向かっていた。


「でも絶対に怒られるだろうなー」


 ダネルが心配していたのは指定されていない日に訪ねたことを咎められるからでは無い……





「ならばお前は、妹のように大切にしているその……」


「ホリーです……」


「その娘の将来を他人の私に決めさせるつもりですかっ?」


「いえっ、決してそうではなくて……何か助言をしてもらえれば……それに」


「同じことですっ!」


 エルセーに一喝されてダネルは縮こまった。


(!、やっぱり……)


「選択を迫られた時に他人に責任を転嫁するんじゃありません。それは自分にとって弱さとなり、ましてや気に入らない結果に逆恨みなどすれば心は濁り…卑しい人間になりかねませんよ?」


 それはエルセーにとっては真実であり実感である。長く長く生き続ける者は僅かな澱みを許してしまえば、それは底から溜まり積もってこり固まり、いつしか醜悪な化け物になってしまう、そう理解していた。


 だからこそエルセーの言葉には気高さと人を説き伏せる力があった。


「お、オレには分からないんです……何を大切にするべきなのか?何が許されるのか……?答えを出す方法が分からないんです」


 ダネルがそう聞き直すとようやくエルセーの言葉から険がとれる。


「そうですよ、なぜ初めからそう聞かなかったのですか?養子に出すべきかでは無く……それならばお前が答えを出せるように少しは、助言も出来るでしょう。少しはね……」


「あ……あ、はい……」


 とりあえず、ダネルはほっと息をついた。


(たまたまだけど、要は聞き方なのか?でも……)


 でも、なるほど……聞き方ひとつで自分の中でも向かうべき方向が見えてくるような気がする。


「まずはその行商人のこと、それから妹の気持ち……お前は知るべきことを知らなすぎです。まずはよく聞き、よく見なさい」


「それでも是と非が等価値で判断できないときは妹と自分の心に従いなさい」


「それでも尚、決心がつかないならば……『利』を取りなさい」


 ダネルにとってはやけに大人びた言葉だ。


「利……ですか?」


「そう、まあ…物事はそう単純では無いけれど、そこまで悩んで答えが出ないのは損は無いと思っているからでしょう。生活やお金、地位や権利、とにかく今よりも良くなると思うならば価値があるのではなくて?」


「それにもし、結果的に失敗しても損にはならない筈でしょう?」


 別にエルセーは難しいことを言っているわけでは無く、子供でも普通に普段考えていることを順序立てて話しているだけである。


 ただ、そのひとつひとつを丁寧にするべきだと諭されているのだ。


「そうか……オレはまだするべきことをしないまま悩んでいた。そういうことですね?」


 エルセーは僅かにうなずいた。


「でもこんなものは助言とも言えないものですよ?」


 それでもダネルが陰気を吹き飛ばすには十分だった。


「やっぱりオリビエ様に話して良かったですっ。多分怒られるとは思いましたけど……」


「そう……」


「それにオリビエ様……オレはもうあなたを他人とは思ってません」


「私のことをどう思おうとお前の勝手だけど、面倒をかけるんじゃありませんよ?」


 エルセーはツンと素っ気ない態度でダネルを突き放した。

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