第8話


「ただいまっ、ホリー!」


「あれー?今日は早かったねー?」


 ダネルは帰ってホリーを見るなり抱きしめた。


 すると、ホリーは少し驚いてからダネルの頭をやさしく撫ではじめて、


「よしよし…こわかったねー?」


「ん…慰めてくれるのか?」


「ダネルは怖がりだからねー」

 

 9歳のホリーの手はまだ小さいのに、頭を撫でる仕草は生まれつき知っているかのように優しくて、ダネルはずい分と久しぶりに親の手を思い出した。


「あはは、そうだな…でも良いこともあったんだよ?」


「じゃあ…良かったねー?」


「ああ……あっそうそう…」


 そう言いながらダネルは袋を前に置いた。そして中から綺麗な白いリネンの布地を取り出すと、それにはホリーもすぐに跳ついて目が釘付けになった。


「なに?なにっこれ?」


 その布地をダネルが広げると、シンプルなかたちの洋服に見えた。そして密に織り上げられた白のリネンの布地は一般的には嗜好品で、2人にとってはまだまだ縁のない高級品だった。


 それはエルセーの元にあった時は、まだ一枚のテーブルクロスでしかなかったのだが…





 盗賊の死体を片付けてエルセーの屋敷まで戻ると、取り敢えず体と服の血のりを洗ってくるようにとダネルは言われた。


 川の流れに血が引くほど、洗い落とすのにも苦労するほどの血のりを…今更震える手に力を入れて石に押しつける。


 人の死体、それ自体はそれ程珍しいわけではないのに……命が消える、狩られる瞬間を目の前にしたのは生まれて初めての経験だった。


「ルーにい…」


 殺しあう盗賊の姿は、戦場で、もしかしたら既に戦死したかもしれないルースのことを想像させた。


 もう2年以上、連絡も無いのだから今を想像するだけの手助けも無い。連絡が取れないのならそれでも良い、ただ元気でいることをダネルは祈った。


 何とか汚れを洗い落とし、仕方がないのでかたく絞ってその服をそのまま被る。


「おおー…ぶるるっ、はあ、冷たい…」


 ギクシャクと肌がなるべく触れないように屋敷に戻ると、玄関のドアは開け放されていて、ダネルは中へ呼ばれていることを理解した。


 そして中に入るとすぐに、


「リビングよ…」


 と、見計らったエルセーの声にすぐに呼ばれた。


「失礼します…」


 リビングではエルセーが白い布地を膝の上にのせて、何やらテーブルの上には裁縫道具をひろげていた。


「ほら、その濡れた服は脱いでこれを被ってみなさい」


 そう言って手渡された服を広げてみると、簡単に縫った袋に襟もと袖口を整えた、とてもシンプルなギリギリ服と呼べる物だったのだが…


「あの、オリビエさま…これっ、今の短い間に作られたんですか…?」


「そうよ…何ですか?その意外なものを見るような目はっ…私の手先が器用だったら何かおかしいの?裁縫なんか私には似合わないとでも?」


「い、いいえっとんでもない、ちがいますっ。あまりの早技に驚きました、それだけですっ」


 すぐにとり繕って、本当は意外に思ったことをあわてて隠した。


 しかも、他にも気になることがあって…


「あのう、少し…いえ、大分小さめに見えるんですが…」


「いいえ、入るはずよ。つべこべ言わずに着てみなさいっ」


 これ以上、異見は許されない。ダネルは廊下に出ると渋々体を入れてみた。


(き、きつい、よねー、やっぱり……まあ、でも)


 たしかに言われたとおり着れなくはない。何とか体は袋に収まった。


「何とか着れました、けど動き回ったら壊れそうです…」


「でしょうねえ?」


 エルセーは呟くように言いながら、端切れを持って手を動かし続けている。


(でしょうねえ?って…)


 呆れほうけてオリビエの手元を見ていると、どうやら端切れから長い帯を作っているらしい。あざやかな手捌きであっという間に帯をこしらえると、ぼうっと立っているダネルに歩み寄ってきた。


「ちょっとじっとしていなさい」


 オリビエは帯を背中にまわすと、後ろから帯で肩を巻き、胸の上で交差させた。


「このまま帯が動かないように押さえていなさい…」


「?」


 言われるまま胸のところを手で押さえていると、オリビエは手早く仮止めをしていく。


 この人にこんな特技もあったのか…何をしているのかは分からないが、思い込みとのギャップにダネルは尚更感心させられた。


「じゃあ、いっかい脱いでちょうだい」


「は?」


「は?じゃないわよ、脱ぎっぱなしでいいからドアの陰からでも服を渡してっ」


「あ、はい…」


 はじめたことには凝り性なのか、今のオリビエの顔はまさに服飾職人のそれだった。


 服を返すと、これもまたあっという間に仕事を終えて、すぐに『着ろ』と言われる。


 帯は肩と胸で縫い付けられて、しっかりとした袖ができていた。でも長く垂れ下がる帯を引きずらないように抱えて戻ると……


「いいですか?覚えておきなさい」


 オリビエはそう言うと、余った帯を背中にまわし、また交差させ腰を一周させると、後ろで大きな結び目を作った。


「ふうむ…まあまあかしら?結び目は大きく作りなさいね、分かった?」


「はあ?ええと、オリビエ様…?小さいのはもうどうでもいいですけど、これじゃあまるで…女の服ですけど?」


 出来上がったものはスリムなシルエットをもつ可愛らしいワンピースだった。

 

「ふん、男の服なんて作ったことはありませんよ。小さくてお前が着れないならば、妹にでも持って帰りなさい」


「えっ?それじゃあ、これはっ!」


 この人が自分の妹のために?


 何もかもがこんなに強い人の優しさに触れると、その意味は何よりも正しく、ありがたいものに感じる。


 しかもオリビエのとぼけた顔を見ると、嬉しさもなおさらだ。


「くっくっく…お前の服が乾くまでそのまま大人しくしていなさいなっ。乾いたら今日はもう帰りなさい…その服も忘れずにねえ…ふふ」


「……」


 人に女装をさせておいて喜んでいる…


 まあ、それでも感謝の気持ちは変わらないし、なんともまあ華麗に、そして小憎たらしく笑うオリビエからは、礼も恩返しも期待していないことが分かった。

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