第5話


 エルセーの仕事以外の6日間、仕事が切れなければダネルは当然、クリエスで仕事をする毎日だった。


 最近では気に入られたこともあって、石工の親方であるイーデンの仕事を手伝っている日が増えていた。


「ダネル、最近お前…何か変わったな?」


「ええっ?そっそうですか?別に何か生活が変わったわけでも無いし…」


 ダネルはどきりとさせられた。


 さらにイーデンは腕を組んで考えこむと、


「いや変わった!なんて言うかな…仕事もぐっと『デキる』ようになったし、んー…ちょっと大人になった、ような?」


 そう言われると、ダネルは嬉しくなった。それは誰でも無い、オリビエのおかげだと思っていたからだ。


(『ひとつのことがちゃんと出来るようになれば他のことも出来るようになる』やっぱりオリビエ様はすごいや)


「今まで通りじゃあダメだな、こっちも…手間賃を上げてやらにゃあイーデンの名が泣くってもんだっ」


 驚いてダネルはイーデンを見た。


「ほ、本当ですか?親方っ、ありがとうございます!」


「おお?初めて『親方』と呼んだな?」


 今度はイーデンがニヤリとした、とても嬉しそうに。


「あ…」


「どうだ、本気でやってみるか?ウチのかみさんもお前のことは気に入ってるしな」


 イーデンの温情を受けて、ダネルは困ってうつむいた。


「ルースの後を追って行きたいのか?」


「!……っ」


「まあ、ルースもお前たちを大切にしていたものなあ。でも何の音沙汰も無いんだろう?可哀想だが兵士になるってのはそういうことだ。それよりも今出来ることを精一杯やってみろ。ホリーにもまともな部屋と安心をプレゼントしてやったらどうだ?」


「それは…」


 ルースの言っていることは正しい…正しい選択のひとつだ。


「それとも石工じゃ嫌か?」


「違いますっ、住む家を造ることも人の大切な仕事です。それは一番大切で尊い作業だと…俺は教わりました」


 イーデンは目を丸くした。


「お、おまえ、嬉しいが…よくそんなこっぱずかしいことを真顔で言えるな?」


 頭を掻くイーデンを見ていると、言ったダネル自身も恥ずかしくなってきた。


(あれ?あの人が言うとすごくカッコいいのに…?)


「まあな、それなら…それでも迷ってるのか?」


「……すいません」


 最近、気持ちにゆとりが出来てくると『ルーにい』を思い出すことも多くなっていた。


「そうか、じゃあなるべくウチに仕事に来てくれよっ、今はそれで勘弁してやる」


「良くしてもらっているのに、すいません」


 ルースのこともあるのだが、実のところ、今は『オリビエ様』への興味のせいで、この町を離れることは考えられない。


 自分でもちょっとこの心酔ぶりには異常を感じている。まるで流行り病のような熱に浮かされて、大きな目標に向かっているような、見失ってしまったような不思議な気分になることがあった。


「それと、もしかしてずっとあそこに住んでいるのは、やっぱりルースのヤツを待ってるからか?今のお前なら、どっかに間借りくらいは出来るだろう?」


「あ、ああ…そう、ですね。それにもう慣れてしまっているし、ホリーもいるので引っ越すなら小さな一軒家がいいなって…」


 上手く言い訳をしてイーデンにはよくよく礼を言っておいた。


 結果的には今の環境や自分の立場は、オリビエの所に忍んで通うには都合が良かった。


 それが偶然なのか、何かの意思が働いているのか、ふとダネルの頭をよぎったこともあったのだが、ダネルには言えない内緒話をすれば…エルセーにとってはそれも何も、全て計算ずくで…


 『何から何まで都合の良い子ねえ』などと思っていたのは間違いないのである。


 まだまだ経験値が低くてスレていないダネルは疑いもしなかった。





 イーデンの誘いに答えを濁して、少し罪悪感を抱きながらも、贅沢な悩みだとダネルは少し嬉しくなった。


 そんな顔を覗き込んで、ホリーも嬉しそうにダネルに聞いた。


「なあにダネル…何がうれしいの?」


「え?ああ…少しずつでも楽になってるからさ」


 とくに食べ物、それも我慢しなくてもいいだけの量を毎日用意してあげられた。


「んーー、そうだねえ。ダネルありがとう」


 でもそろそろ、やはりホリーの為にもちゃんとした部屋を用意してやりたい、でも町の中では不都合があるかもしれない、ダネルにとって本当の悩みごとはこちらの方だった。





 そして今日もダネルはオリビエの家を磨き上げる。相変わらず個室への出入りはゆるされていないが。


「ダネル…」


「はいっ!?」


 なんの気配も無く突然声をかけるオリビエにはいつも驚かされるが、じっと観察していると彼女は歩いていても足音を立てないことに気がついた。


 しかもたまに、ゆらっとその姿が霞むように見えることがある。まあ、今さら彼女の超越性に驚いたり、疑問を感じることも無くなっている。慣れとはおそろしいものだ。


 ダネルがエルセーを見ると、フード付きのローブをかぶってオリビエが立っていた。


「すこし散歩に行ってくるから…」


「あ…」


 それだけ言うとオリビエはすぅっと家を出て行ったが、ダネルがこの時口籠ってしまったのは、その時のオリビエの雰囲気が、初めて出会った時の冷たい感情をうすくまとっていたからだ。


「今のは…?」


 ダネルの強い好奇心がもぞもぞと蠢いた、なにしろ衝撃を受けた出逢いの彼女がまた目の前に現れたからだ。


 もう掃除なんかに集中できないっ。何故?どこに行くのか?一体何をしに行ったのか?


 ダネルは死を招く誘惑と闘って何とか仕事と向き直ろうとした。





 エルセーは西側の森を突っ切ると、森の縁に立ったまま一方向を見つめている。それとほぼ同時に馬の蹄の響きがふるふると伝わると、木の葉先が小さく震えた。


 近づくにつれ大地や空気が騒がしくなっていく程、エルセーの内と外は細波ひとつも無い水面の様にしんと鎮まっていく。


 走って来る者は4人と4頭、見るからに粗暴な風貌の男達で、馬鹿を宣伝するように武器を下げている。


 当然すぐにエルセーを見つけるが、目的のある彼らはこの妙な人物を無視して通り過ぎようとした。


 すると突然っ、先頭を走っていた馬の前脚が何かに払われ、つんのめって派手に転倒する。


「!!っ、うわわーーっ?」


 頭から放り出された男はなすすべなく地面に転がった。驚いたのは他の男達である。


「おいっ大丈夫かっ?」


「何だ今のっ?!」


 一気にパニックに落ちた彼らに、エルセーは静かに近づいていった。

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