第4話

 エルセーの元へ通う、ダネルの新しい生活が始まった。


 毎週、毎週…1日きりのチャンスがいつも間にか楽しみで仕方がなくなっている。エルセーを見て感じ、言葉を交わして理解しようと努力した。


 不便だからと僅かな時間に文字も叩きこまれ、そして、


「この本を持って行きなさい」


「ほんっ、ですか?こんな高価なものを?」


 本は間違いなく高価な物だ、趣向品だと言っても良い。


「まあねえ、ただ本の価値はその内容なのだけど」


「それじゃあ、必ずお返しします」


「お前がそうしたいのならそうしなさい」


 持って帰っても夜は読めない、昼間でも他の人には見つからないように努めた。


 なにしろオリビエの存在を広めるようなことをするわけにはいかない、そのことには強い確信があった。


 いつもまず命ぜられるのは掃除、薪割り、水汲み、後の要求はその日によって変わる。


 半端だった掃除も教わり、なぜか減らない丸太の山を割り続け、いわゆる家事と雑務をこなしながらふっと思うことがあった。


「オリビエ様はこんな屋敷にひとりで住んでいて、普段の家事は自分でするんですか?」


「当たり前です。まさかお前っ、家事と言われるものは下々が行う粗末な仕事だとでも思っているのですか?」


(あ、あれ?)


「人の営みである仕事はもっとも大切で尊く、美しい作業です。華やかな文化も、生活を豊かにする文明も所詮は、その延長線の先にあるものです。それに気づかず軽んじているようでは、その者の見識の貧しさや器が知れるというものです。お前が懸命に仕事をしていたのは私に怒られない為ですか?ならば…」


 ダネルはその時の素直な疑問を口にしただけなのに……


(なんでか怒られた…)


 そしていつも、長い家路の時間は復習と反省と、見知ったことからの類推と、およばない推察に使われた。


(ふつうだ…)


(いつもそうだ。いつも言われる言葉は普通だし…当たり前のことを言われる。いや、当たり前のことに気づかされるのか?)


 そしてオリビエの存在の有りようを思い出す。

 

(でも存在は異常なのになあ…異常なほど普通のことにこだわるってことなのかなー?んー、深いなあー)


 ダネルは何とか少しでも、オリビエという存在の質料を垣間見たかった。


「元々の違いはあると思うけど、同じ人間だと思うんだけどな、いやいや、すごく人間だよなあー」


 仕事以上に必死に彼は、エルセーから何かを学び取ろうとしていた。





 そんなダネルを帰したあと、エルセーはいつも渋い顔をしていた。


「上手くいかないわねえ…」


 気に入らない結果を誰かのせいにしたいのに、無理やり転嫁できる相手もいないことが尚さら気に入らない、それがエルセーである。


(ふう……ダネルは相変わらず私を人間以外だと思っていたわねえ、いいえ、感じていたのね…一体、何を感じ取っているのか…何を隠せばいいのかしら?)


 そう…エルセーがダネルを試して懐柔した理由、自分の元へ通わせ続けている理由は『実験』だった。


 彼のように感の良い人間がどうやって自分を含む同族を嗅ぎ分けているのか、どうすれば完璧に『彼らの目』から姿を『消す』ことができるのか?


 それが課題である。


 ついでに身の周りの雑用を押しつける者が欲しかった、かつて…はるか昔にそうであったように。


 ダネルが通うようになってからというもの、手探りで思いつくことを試しているのに、どうにも結果が伴わない。


 その度に考え直して準備をする、その為の1週間設定だったのだ。


「こんなのはもう、運みたいなものねえ」


「まあでも、感の鋭い者はやはり何らかの優れた武芸者か、身を守らなければいけない環境にいる者が多いのも確か…」


「多分…本来は持っていたもので使わなくなってしまった本能なんでしょうねえ?」


 もちろんダネルを叱咤する時も、何か教えを授ける時も本心から語り、育てることを楽しんでいる。


 それがエルセーの恐ろしさであり、相手を操る秘訣、つまりは強さの一端でもある。


(何しろきっかけが欲しい…上手くいけばおそらく同族に対しても有効なはずだもの)


 そして同族の『目』からも消えることができれば、使い方次第で無敵になるとも言えた。

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