第3話

 次の日、ダネルはオリビエ…つまりはエルセーの家を探すために朝早くから歩き続けていた。


「でもなあ、ただ東と言われても…」


(それに、何やってんだ俺…殺されるかも知れないのに。ホリーにも何も言わずに、いつも通りに出てきてるし…)


 エルセーが本気で命じるのなら、『ただ』の人間に彼女の言葉を拒む権利は与えられない。だからダネルも言われたことを裏切れないが、その影響力は実際には半分くらいと言ってよかった。


 残りの半分は彼自身の好奇心と、昨日殺されずになぜ家に招待されたのか?あとはやはり…恐怖心。


(無視したら絶対にダメだ。それだけは分かる。でも…)


 ダネルは頭を抱えて遠くを見回した。


 歩きでは見当違いな方向を選んでしまうと取り返しがつかない。


「ここまでは車輪の跡を追ってきたけど、大分葉が起き上がってきてるし…」


 取り敢えずは車輪が指していた方向へ歩き続ける。それは彼女がワザと残してくれた手がかりであるような気がした。


(生活するには川があった方がいいよな?井戸があれば別だけど……それから川が溢れても水が来ない場所で、隠れたいなら林や森の影とか…?まさか、穴に隠れ住んでたり…なんて?)


 ぶつぶつと考えながら孤独に歩く。山に近づくと木も増えて小川の支流もあちらこちらに…


「どこも怪しく見えてきた……あ!あの森…」


 かるく見上げる程度の丘の向こうに、森の梢が並んで見える。


「うん、行ってみるか…」


 ダネルは想像していた。


(丘を越えると、風通しの良さそうな森があって)


 想像しながら歩き続ける。


(森の向こうにはちょうど良く拓けた大地と、低く沿うように流れる小川…)


 近くに見えても、その丘にはなかなか届かない。


(その森に寄り添うように…まるで大地から伸びてきたように、生成りな大木で造り上げた家が…)


 ようやくの思いでアゴを上げて丘を登りきると……


「あっ、た…?」


 家というには大きく、屋敷と言うには小さく、めずらしく大きなログを縦に組み上げた建物が景色にとけこんでいた。


「きれいだ……」


 ダネルはしばらく眺めると、思い出したように足が丘を下り始める。


「いや、でもこんな建物の話は聞いたことがないけど、一体いつから…」


 回り込むように丘を降りて行くと、ゆっくりと建物の正面が見えてくる。それと同時に、


「あっ、あれは?」


 建物の前にはテーブルとベンチソファーが置かれているが、そのベンチでくつろいでいるのは


(あの人、だよな?)


 なんとも清々しく、ゆったりとくつろいでいる貴婦人がここから望めるが、その姿は昨晩魔女かと恐怖した人物とはとても思えない。


 つい、目をこすって確かめたがやはり…やはり昨日の怖い人のようだ。そしてそう思うと途端に足は重くなった。


 それに近づく程に昨日の恐怖が甦る。それでも止まるわけにはいかない、ここで足を止めたら再び歩き出せるか自信がないのだ。


(もう、どうしようもないさ。でも…今日は優しそうに見えるけどな?)


 身体が危険を拒否するのは当然の本能だ。意識するでも無くおよび腰の忍び足、ダネルは少しずつ距離を詰めていくと、


「よく来ましたねえ」


「ひ!」


 エルセーはくつろいだ姿勢で目を閉じたままダネルに声をかけた。


 そしてゆったりと身体を起こすと、


「まずは言いつけ通りここへ来たこと…この家を見つけたことを褒めてあげます」


「え…あ、はい…」


 やはり昨晩とは何かが違う?そのことに多少は安心することができた。


「それで?私のことを誰かに話した?」


「いえっ、まさか…」


「妹にも?」


「!……言えるわけがっ、無いです」


 エルセーはダネルを一拍見つめる、全てを見透すような目つきで。そして身体をまたベンチに預けた。


「いい子ね」


 その一言の後、そのまま沈黙が続いた。


「あの…」


「なに?」


「おれは何故、呼ばれたんですか?あ、というか、おれは昨日…見逃されたんですか?」


 ダネルはずっと気になっていたことの答えが知りたかった。


「取り敢えず、家を掃除してちょうだい」


「は?」


「ただしっ、個室には入らないように…死ぬわよ?その他の廊下、リビング、ホール、キッチン。家具は傷つけないようにねえ?」


「死っ?いや、お、おれは掃除に呼ばれたんですか?」


 その答えをもらうのに、また少しの沈黙があった。


「せっかく来たのだから仕事していきなさいな?道具は廊下の右奥、突き当たりの物置きに入っているから…そのドア以外を開けたら死ぬからねえ?」


「ええ?」


 わけが分からないが選択の余地は無い。エルセーの機嫌を損ねるわけにもいかず、まあ仕事をくれると言うなら黙って働いておこう…ダネルはなんとも、当然釈然としない様子だが。


 ダネルはエルセーを横目に玄関の前に立つと、恐るおそるドアを開けた。


「え?うわ…」


 外観はログであったのに…中に入ると壁は朝焼け色の漆喰で仕上げられ、天井は純白。そして目につく家具はすべてが、生成りに統一されている。


 注意していないと、壁の色に霞んでぺたんと見える家具にぶつかってしまいそうだ。


「かわってる、でも何というか…外にいるみたいだ」


 さて、緊張しながら物置き部屋の扉を開けて掃除道具を前にしたももの思った。


「今気づいたけど…、おれちゃんとした家の掃除なんてしたこと無いや…ううむ…」


 下手なことをすれば、大袈裟では無く命に関わるような気がして、ほうきを握りしめて途方にくれた。


「あの、ええとオリビエ、さま?」


 お伺いをたてるためにエルセーの元に戻ると、当人は先程と同じようにベンチでくつろいでいる。


「なに?」


「あの、家の掃除ってしたことが無いんですけど?」


 エルセーは体を起こしてダネルを見た。


「まあっそうなの?」


「は、はい」


 しかしすぐに納得した顔を見せると、


「ふむ、なるほどねえ。それなら…」


「それなら?」


「まずはほうきでチリひとつ残さずに床を掃きなさい。それから固く絞ったモップでキッチンの床を強くこすって。それが終わったら水瓶をキレイに洗ってから井戸水で満たしておいてちょうだい。できる?」


「はい…」


「じゃあ、やって……」


 本性も得体も知れない人智超越の貴婦人の言いつけをダネルは丁寧にこなす。ここへ来てからずっと見られている、試されている気がしていた。


(時間なんか関係ないっ。しっかり丁寧に、褒められるくらい…)


「あれ?おれは褒められたいのか?あの人に……?」


 とにかくこんなに懸命に、丁寧にほうきを使ったことなんてあっただろうか?


 掃除ひとつに自分とホリーの命がかかっているかもしれない。そう思うとひとつの埃も見逃してやるわけにもいかないが……


「んっ?!、掃いたはずなの、に?」


 掃き終わった場所になぜかゴミが落ちている。


「あれ?」


 また振り返るとそこにもゴミが落ちていた。


「はあ?」


 すると自分の足下にも無かったはずのホコリが…


「オレかあーっ!?」


 一旦掃除を置いて、ダネルは外に飛び出した。


「すいませんっ、まずは自分を洗ってきますっ!」


 そのままエルセーの目が届かない所まで小川を下っていった。


 エルセーはそのまま黙って見送った後、なんだか楽しそうに口もとを上げた。


「ふふん」


 身体と服をキレイに洗うと、まだ濡れたままだが気を取り直して仕事に集中する。ただいくら集中しようとしても、エルセーの正体と本性が気になって仕方がない。


 そして水瓶をキレイに洗い、水汲みを始めた頃…


「ダネルっ、キッチンにいらっしゃい」


「えっ?はいっ」


 ダネルの顔から血の気がひいた。


(やばいっ?なんかしたか…?)


 頭の中が不安で真っ白なままダネルは急いだ。怒られる程度で済めば幸運だと思いながら…


「あの…」


 キッチンを覗き込むと作業台の前に立っていたエルセーが目線を流した。


「ここにお座りなさい…」


「え?」


 テーブルの上を見ると、大きなパンとローストしたカモの切り残しが皿の上にのせられている。それに暖かい湯気の立つお茶まで。


「急に言われて今日は食べるものを持って来てはいないでしょう。好きなだけお食べなさい」


「あ…はい。ありがとうございます…」


 エルセーに言われるまま、ダネルは腰かけた。よく見るとパンは上等なものでオリーブオイルまで用意されている、エルセーには質素でも、ダネルにとってはご馳走にちがいないものだ。


 ダネルはパンをちぎりひと口含んだだけで嬉しくなった。


(カモもパンも美味しい…オリーブオイルも。ああ、ホリーにも食べさせてやりたいな)


 ダネルは意を決して、今日の労働の引き換えにと、エルセーに許しを求めることにした。


「あのっ、この…」


「だめよっ、この食事はお前の分です。持ち帰ることは許しません。いいわね?」


 それだけ言うと、エルセーはキッチンから出ていった。


(な?何なんだいったい…)


 ダネルは腹いせにすべてをたいらげてやった。


 その後、水汲みを終わらせると、次は薪割りを命じられた。どこから集めてきたのか、裏手には切り株が山のように積まれている、これだけでも何日かかることやら……


 やがて陽が西側の森にかかろうかという時、エルセーの声がまた響く。


「ダネルっ」


 そしてダネルはまた駆け出す。エルセーは朝のベンチに座って待っていた。


「はい、何ですか?」


「今日はもういいわ、良くやってくれました」


 まだ陽が落ちるには時間があるが、ダネルはチラッと空を見上げた。


「はい…分かりました。…!、えっ?きょっ、きょう…は?」


 ダネルの額にまた冷たい汗がにじむ。


「きっかり1週間後、また来なさい。それからリストを作っておきました、来週はこれを揃えて持ってきなさい」


「ええ?いえ、あの…」


 今日の無償労働でお許しをいただけるかもと言うのは甘かった。たしかに命の代償ならばどんな無茶な要求も飲まざるを得ないが。


「あとこれは、今日の給金よ…」


 エルセーはそう言うと、パチリっと硬貨を1枚テーブルに置いた。


「え…、銀っ、貨!?」


「あら、不満なの?」


「いえっ、いいえ、多すぎますっ!おれなんか良くても3分の1、それ以下の日の方が多い…」


「お前っ、私を馬鹿にするつもり?」


 急にエルセーは今日一番の怖い顔を見せた。


「はっ?え?」


「侮るんじゃありませんっ。かりにもこの私の手の代わりをするということは、こういう事なのですっ。お前は私を侮辱するのですか?」


 この人の手の代わり?おれの手が?そう思うとダネルの胸と顔は何故か熱くなる。それと同時に、慣れて何気なく仕事をこなしているいつもの自分が恥ずかしくもなった。


「そのお金はお前の正当な対価です。自分のお金なら、カモでもウサギでも…好きなものを買いなさい」


「あ…!」


 このお金なら、ホリーに胸を張って良いものを食べさせてやれる。人から恵んでもらったものでは無く、自分の力が生み出したものなのだから。


 ダネルはその銀貨を握りしめた。


「ありがとう、ございます」


「それからこれは買い物の代金…」


 感慨にふけっていたダネルはすぐに現実に引き戻された。


「待って下さい」


「何ですか?私のご用聞きなどできないとでも?」


 ダネルは手を振って否定すると口籠った。


「いえ、おれはその、字が…読めませんから…」


「あっ、ら、そう…」


 別に字を学んでいない者などいくらでもいた。しかしエルセーの前では、何故かダネルはひどく自分がみっともなく思えて恥ずかしくなった。


「ならば覚えなさい。読み上げるからひとつ逃さず記憶しなさい。」


「わ、分かりました」


 ダネルは読み上げられたものを頭に叩き込んだ。しかも1週間、忘れることは許されない。帰り道の間に何度も何度も声に出して覚えた。


 そしてふと、今日一日を振り返ってあの恐ろしかった麗人を思い返す。


 いくらかの言葉を交わし、僅かに彼女の人となりに触れ、抑えても尚にじむような気高さを感じた。


(あの人が世間で悪魔と蔑まれる魔女なのか?なら、おれ…いや、『おれたち』なんて…)


 否応無く直感で分かる。あの人は怖くて強いっ。


 でもそれは、内側に秘めて決して侵されることを許さない…ダイヤよりも硬く透明で、貴い何かからにじむもの……


 なのに外側はすごく柔軟で、そっと触れれば柔らかく、強く押せば跳ね返される。


 それに、そう取り繕って見せようとしたり、騙そうとしているようにも思えない。


 そんな人間に…そこまでの人間にダネルは出逢ったことが無かった。そしてそんなふうに見える生き様はやはり、『うつくしい』そう思えた。


(何かを見せられてる。試されてる。まるであの人が何者なのか、見極めろと言われているみたいだ…知りたい!)


 自分でも驚くほどの好奇心と探究心、我慢できない渇きにも似た衝動に、ダネルは戸惑っていた。

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