第25話 私と夫と可愛い息子と②

「今は寝てるわ。おシュートメさん特性の栄養剤を飲ませたから。明日には熱も下がるデショ。やっぱ伊達に勇者と予言されてないわねぇ。魔力が桁違いだわ。そのせいで無理が祟って痛い目見ちゃったってところだけど……あの子は身体も丈夫よ。安心なさい」


 そしてシュートメさんは、「ほら、ミツキも食べなさいよ」と食事を勧めてくる。 確かにてんこ盛りの手羽先は日本じゃ見たことないくらいの大きさで食べごたえがありそうだし、他に置かれたパックのままのサラダやお寿司まである。


 あ、この納豆巻き。ヒイロくん好きそうだな。


 そんなことを思ってしまうと……私は席に座れない。


「私は……ヒイロくんの側についてます」

「でも、食べないと今度はアンタが倒れちゃうわよ?」

「ならお粥を作ります。そして、ヒイロくんと二人で食べます」


「おバカっ‼」


 あまりの大きな叱責に、私の肩が跳ねた。立ち上がりズカズカと近づいてきたシュートメさんが「失礼」と私の頬を叩く。痛い、というより熱かった。オネエの険しい顔はとことん怖い。


「ミツキが倒れたら、元も子もないデショーがっ! あの子よりアンタの方がよっぽどか弱いわよ。ちったぁ自分を大切にしたらどう?」

「……でも、私は母親です」


 私は、ヒイロくんのお母さんだから。

 たとえ私が倒れようとも、ヒイロくんの面倒を見るのが役目だ。


「ミツキが死んだら、元も子もないじゃない」

「本望ですよ」


 母親としての務めを果たせるのなら、それでも構わない。さっきの夢で思い出したけど、私の実の両親も、私を助けて死んだんだ。そんな親に私もなれるなら、それに越したことないじゃないか。きっと天国で褒めてくれるはず。


 あぁ、それなのに、なぜだろう。ものすごく息苦しい。ちゃんと呼吸をしているはずなのに。ずっとずっと、胸の中が窮屈だ。


 自分で胸元を掴む私を、シュートメさんはキッと睨み付けて。


「あれを見なさいっ!」 


 後ろを指差した。その先には、ジンさんがいる。また、私のエプロンを着けていた。家事をする時にエプロンを着けるのはいいけど、どうして私のをわざわざ使うんだろう? 大の美丈夫にふりふりエプロンが似合わないことくらい、わかってるよね? 洗い替えはやまほどあるから、困りはしないんだけど。でも、どうせ指パッチンですぐ出せるんだから、ちゃんと男性用のカッコいいやつを着ければいいじゃんか。黒とかの渋いやつ。


 そんなおかしな格好の美丈夫が、泣きそうな顔をしていた。


 背が一九〇センチくらいあって。体格もがっしりしていて。肌も浅黒くて。そのくせ顔の造形が海外超一流映画俳優もビックリのイケメンで。白い長髪が艶々で。切れ長の金色の目がとにかく綺麗で。前世が勇者で。今も神様の使いである精霊で。なんでも私が欲しいものを指パッチンで出してくれて。


 そんな完璧すぎる私の旦那役が、今にも泣きそうなのだ。眉間にしわを寄せて、唇を噛み締めて。その顔に、私は何も言えなくなる。


 私が悪いの? そんなわけない。私のせいで、ジンさんが泣きそうになるはずがない。


 むしろ、ジンさんが悪いんだ。


「だって、ジンさんが一日で治るって!」


 最低だ。最低な八つ当たり。ジンさんがどんな顔をしているか――知るのが怖くて、見ることすら出来ない。もう何も聞きたくもない。


 だけどシュートメさんに両腕を掴まれ、耳を塞ぐことは許されなかった。


「子育てに絶対なんてあるわけないでしょう‼ 一日で治るはずの風邪が一日で治らない、勇者になるはずの子が魔王になる、何が起こるかわからないのが育児よ。でもね――」


 シュートメさんの言葉が止まる。いつのまにか閉じていた目を開けば、息継ぎをしているのがわかった。


 そして、吐き出される。


「ミツキが信じてやらなくて、誰がヒイロちゃんを信じてあげるの?」


 その言葉は――まるで私の心臓を握ってくるようだった。私が、母親である私が自分の子供を信じないで、誰が信じるというのか。


 ヒイロくんは優しい子。だから魔王になんかならない。闇堕ちしない。そして、今の風邪だってもうすぐ良くなる。私が信じないで、どうするんだ。


「……ごめんなさい」


 チラッとジンさんを見やる。すると、ジンさんは優しい顔で静かに首を横に振ってくれた。


 シュートメさんが言う。


「ヒイロちゃんの具合は、誰のせいでもないわ。でも、坊やを泣かせたのはアンタのせいよ、ミツキ。アンタが坊やを泣かしたの。アンタが、自分を大切にしないから」


 固まる私を、シュートメさんが抱きしめる。物凄くいい香りがした。どこかのブランドの香水の匂い。そういや、シュートメさんはコートも脱いでいなかった。少しジトッとするくらいにその胸の中は温かくて、余計に甘い香りが漂ってくる。思わず、大きく息を吸い込んだ。そして吐く。清々しい空気ではないけれど、ようやく肺に空気が行き渡った気がする。


 私はシュートメさんの胸元に抱き寄せられながら、頭を撫でられた。


「もっと……自分を大切にしなさい。アンタがいなくなったら――坊やだけじゃない。ヒイロちゃんだって悲しむわよ。それは、アンタが一番よくわかっているデショ?」

「あっ……」


 私はさっき、実の両親が亡くなった時の夢を見た。悲しい思い出。もちろん、当時の私はまだ小さかったから、その時の記憶は薄れているけれど。もしかしたら、あの夢の現実は違ったのかもしれないけど。


 そう、あの夢は『悲しい』んだ。


『みつき、大好き』

『愛している、みつき』


 そんな素敵な言葉を言われても、なお『ママ、パパ。みつきは悲しいよ』と返してしまいたくなるくらい、私は二人を失って『悲しい』んだ。


 どんなに環境に恵まれていようとも。今もなお両親がいなくて、私は辛いんだ。


 でも、そんな夢を今、たまたま見るなんてことがある?

 ずっと忘れていた子供みたいな感情を、思い出すなんてことがある?


「シュートメさん。もしかして私の夢に――」


 なにか細工しましたか、と最後まで問いただすよりも前に、シュートメさんは「ウフフ」と笑う。


「なーいしょ♡」


 ピンッと額を弾かれて、私は開放された。今度はまるで痛くない。ただ、おでこがあたたかい。


「それじゃ、アタシはそろそろお家に帰りましょうかねぇ。夜更しはお肌の大敵だし? 家でゆっくりお風呂に浸かって、今日も念入りにマッサージしなくっちゃ♡」


 じゃあね~ん♡ と、今日も華麗にシュートメさんは帰っていく。残るのは、かすかな香水の匂いと机の上に置かれた豪華な惣菜だけ。これ……もしかして、ほとんど食べてないんじゃないかな?


「どうせなら、もっと食べていけばいいのに」


 思わず苦笑すると、ジンさんが言う。


「今日は、俺が無理言って来てもらったんだ。あれでも、あの方は最高位に値する精霊。当然、俺なんかより多くの仕事を抱えている。だから……残った仕事を片付けに戻ったのだろう」


 本当に申し訳ないことをした、とジンさんは苦渋の表情。その話が本当なら……まじで、シュートメさんカッコ良すぎる。オネエだけど。オネエだからこそ?


 そんなジンさんが、再び口を開く。


「先輩から言付けだ――アンタだからこそ、もっとアタシに甘えなさい。たとえ義理だろうと、アタシも母親なんだから――とのことだ」

「はあ……?」


 なんで伝言? しかも伝言の意味がわからない。シュートメさんが義理の母親? しかも私だからって。私がヒイロくんの義理の母親だからより気合いを入れなさいって言うならわかるけど……。


 首を捻る私に、ジンさんが言う。


「『シュートメ』とは、旦那の母親……つまり義理の母親のことを差すのだろう?」

「私の世界では、そうでしたね」

「きみは、ヒイロに頼られなかったらどう思う?」

「あっ」


 そうか。そういうことか……。

 もちろん、私はヒイロくんに頼られたら嬉しい。甘えられたら「まったくもー」とか言いながらも、なんやかんや嬉しい。生みの親でなくても、ないからこそ、物凄く嬉しい。


 なら、『私』の義理の母親は? 正直アダ名感覚で適当に付けた愛称だ。正直『姑』と呼ばれて嬉しい気持ちがわからない。だけど、あの大精霊様は、それを喜んでくれたんだから。私から『義理の母親シュートメ』と呼ばれることを、受け入れてくれたのだから。


 子が母に甘えるように。ヒイロくんが私に甘えるように。私もシュートメさんに甘えていいんだよ――そう言いたかったのだろう。


 まったく。本当にカッコ良すぎるオネエなんだから……。

 せめて一つでもダメ出ししてやる。


「言付けなくても、自分で言ってくれたらいいのに」


 だって、ほんのさっきまで顔を合わせていたんだから。そこの五秒急いで何になるんだか。


 それに、ジンさんが肩を竦める。


「恥ずかしいのだろう?」

「あのシュートメさんが?」

「存外、奥ゆかしい方だぞ」

「ふふ、あはは。まっさかぁ」


 あの見た目とキャラに『奥ゆかしい』という単語はミスマッチだと思うんですけど。


 あーおかしい。笑わずにはいられない。ほんと、涙が出てくるくらい。


「ご飯、食べよ」


 ひとしきり笑い終えて、私は椅子を引く。手近に転がっていた割り箸の袋を開けた。


「いただきますっ!」


 いきなり私はお寿司を一口で頬張る。久々のマグロ! しかも大トロだぁ。口の中で甘い脂が溶けていくよぉ。うぅん、これぞ贅沢!


 だけど、さすがにゆっくり舌鼓を打っている暇はない。バクバクと食べたい物だけをこれでもかと腹に詰め込んで。隣に来てくれたジンさんが淹れた冷たいウーロン茶をぐぐぐっと飲み干した。


「よし、ご馳走さまでした!」


 さて、あと一晩だ。仮眠もとったし、お腹もいっぱいになった。あと一晩で良くなるとわかっているなら、踏ん張れる。


「それじゃあ、ジンさん。今日はありがとうございました。あとは私が――」


 ――ヒイロくんを見てますから。


 そう言おうとした口を、口で塞がれた。

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