第22話 悪役とヒーロー




 頭が打ち付けられた衝撃で、私の目はぼんやり開く。


 木の床と木の壁で出来た空間は狭かった。他にも木箱や麻袋が、私と一緒にガタガタと揺れている。規則的な車輪の自然音と、手足が縛られた自分の様子からして、私が荷物の如く運ばれているようだった。たまに車輪が石を踏んだのか、身体が跳ねる。そのせいで、さっきも頭を強打したのだろう。今もまだズキズキする。


「なんで……?」


 これじゃあ、まるで誘拐だ。ファンタジー世界で連想するなら、誘拐されて馬車で運ばれているってところ? 私の他に人の姿は見当たらず、壁板の隙間から見える景色は暗い。外はすでに夜みたい。場所は……どこなんだろう? よくガタンガタン揺れるから、地面の舗装はされていない所なのかも。進行方向前には、カーテンが掛けられていた。あの奥に、馬車を運転する人が乗っている……?


 あれこれ見ているうちに、気が付けばうつ伏せなってしまっていた。モゾモゾ動こうとしても、もう仰向けに戻れそうにない。私は疲れていた首を下ろして、ギュッと目をつぶる。現実がわかればわかるほど、恐怖が募っていった。


 バスじゃない。だから急発進もないし、崖から落ちるような事故もない……のかな。馬車なんて乗ったことないから、わからないよ。


 そうわかるのに、私の奥歯はガタガタ音を鳴らし続けていた。


 どうしてこんなことになっているんだろう。

 私は、サーリャさんの家でお茶をご馳走になっていたはず。楽しく会話していたはずなのに、なんだか突然眠たくなって……。別に、寝不足だったわけじゃない。最近はヒイロくんも徐々に夜泣きしなくなってきたし。昨日は今日家を開ける分、これでもかとお外で一緒に遊んでたから、夜もぐっすり寝てくれていた。


 それなのに、どうして――?


 身震いするのは、隙間風が冷たいから? コートもないし……身体を擦りたくても、後ろ手で縛られているから無理だし。


 その時、また車体が思いっきり跳ねる。手が後ろで縛られているから受け身も取れず、私は床板に思いっきりおでこをぶつけた。ちょうどネジがあったのか、物凄く痛い。


「嫌っ!」


 そう――声が出てしまうほどに。


「お、起きたか?」


 前から男の人の声がする。カーテンがガラガラ開かれた。身を屈めてこっちに入ってこようとする人。そのまま手綱を引いている人。


「何だよ、遊ぶなら馬止めるぞ?」

「ばーか。そしたら時間に間に合わないじゃねぇーか。ちょっと暇つぶしするだけだよ」


 瓶の飲み物を煽りながら入ってきた人は、少し年上の雰囲気がした。まるで、大学の先輩のような。髪の色は暗くてよくわからないけど、けっこう明るそう。服装もダボッと大きめサイズだから、本当に既視感を覚える。私を見下す様子も、ニヤニヤ笑っている顔も、酒臭い息も。まるで、私の回りを囲んでいた先輩たちのよう。


 そんな男の人が、うつ伏せに寝転んだままの私の顎を上げる。


「おはよう、若奥サマ。あーあー。顔に傷付けちゃってまぁ。ご機嫌はいかがですかねー?」


 最低に決まってるじゃない。私に触らないで。酒臭い顔を近づけないで。


 別に口が塞がれているわけじゃない。だから、本当なら罵倒して、唾の一つも飛ばしてやりたい。それなのに――私は何一つ、言葉が出ない。開こうとした口が小刻みに震える。睨みつけているはずなのに、視界がどんどん歪んでいく。


 そんな私の額を、男が撫でる。


「うーん。まぁ、これならすぐに治るか? 値が下がったら困んなー」

「あ、あの……わた、し……」


 辛うじて動いた口は、最後まで言葉を発してくれないけれど。それでも「あ?」と男の人が私の目を見た。


「あー、そんなに怖がんなくていいよ。別に殺したりしないから。それより、若奥サマって、やっぱり旦那と経験済み? まだ未開通なら、それを交渉材料に高く売れるんだけど?」

「えぇ⁉ それじゃあ遊べねぇじゃんよ‼」


 カーテンの向こうから飛んできた抗議を、目の前の人は「うっせー」と跳ね飛ばす。


「下手に商品に手ぇ出して、信用問題になったら面倒じゃねーか! そんなに女で遊びたければ、儲けた金で好きに買え!」

「ちぇー。おめぇ、変なとこ真面目だよなー」

「うっせーな。ほっとけ!」


 捻られていた首が、元に戻る。男の人は笑うわけでもなく、怒るわけでもなかった。グビッと四角い瓶を煽り、提案してくる。


「ま、そーいうわけで。奥サマも下手に痛い目遭いたくないっしょ? だから短い道中、協力してくれると助かるんだけど……もしかして、どうしてこうなったか、わかってなかったりする?」


 私が躊躇いつつ頷けば、男の人は苦笑した。


「可哀想にねー。奥サマ、お友達に売られたんよ。ま、騙されたってやつ? オレら、人身売買の仲介やっててさ。今、異国の品のある変わった女が欲しいっていう貴族のとこに輸送中なの。その黒髪、珍しいよね。どこの国出身? それに人妻って一定の価値あるんだよねー。高値で売れそうで助かるわー」


 ペラペラと。たまに、お酒を飲みながら。


「取引先のオッサン、見た目はアレだけど、そんな悪い噂は聞かないから。大人しく媚び売っとけば、それなりの生活は出来ると思うよ」


 良かったね、なんて言われるけど、何がいいのか全然わからない。


 売られた? 友達に? 

 友達って……嫌だ。思い浮かぶのが、一人しかしかいない。


「サーリャ、さん……」


 私の、この世界での初めての友達。同じくらいの歳の子を持つ、同世代のママ友。

 始めは当然余所余所しいかもしれないけど、洋服の趣味もあんなに一緒なのだ。そのうち、子持ち特有の悩みとか、旦那に言えない話とか、出来るようになったらなぁ――なんて夢見ていたのは、私だけだったみたい。


 親切に、男の人が説明してくれる。


「あーあの女ね。なんか色々言ってたよ。奥サマ、お金持ち自慢しまくってたんだって? ダメだよー、あの町の貧民層に、そんな冗談通じないんだから。あの町、成功すれば大きいけど、国籍とかない分、失敗したら何の保証もないからね。しかもあの女の夫も、仕事が上手くいかなくて家計火の車らしいじゃん。奥さん働きに出たくても、子供が小さいからどこも雇ってくれないらしいしさ。そんな相手に、奥サマそんな上級品の流行り最前線の格好して、素敵おウチ旦那自慢したんだって?」


 自慢なんてしてない。そんなつもりなかった。私はただ、事実を話していただけ。

 それでも、男の人はゲラゲラ笑う。


「怖かったよー、泣き笑いしてたそのママさんの顔。まー、人身売買に手を出したの初めてらしいから、そうでもしないと良心が咎めたのかもしれないけど」


 本当、なんて親切な人なんだろう。そんなこと、誰も聞いていないのに。


「奥サマ、実家も裕福だったん? 大人しくお貴族サマ同士仲良くしてれば良かったのにー。残念だったねー。ま、これに懲りたら、売られた先で今度は上手くやんなよ」


 ずっと、その人の声音は浮かれているようだった。お酒を飲んだ男の人って、みんなこんな感じなのかな? 調子が良くて、どこか人を見下した様子で管巻いて。


 ――違う。


 酒飲みの場なんて、ほとんど経験ないけれど。

 そうじゃない人を、私はちゃんと知っている。


 でろんでろんに酔っ払ってはいたけれど、それでもこんな軽薄ではなかった。むしろ、とても必死に。全力で私を掴んで離さなかった人。見てくれと段違いの愛らしさで、独占力を示してくれた人。


「ジン……さん……」


 涙と共に、あの人の名前が溢れた。


 あの人の言う通り、遊びになんて行かなければ良かった。ママ友なんて贅沢に求めなければ良かった。私には、ジンさんとヒイロくんがいてくれればいい。そう思っていたはずなのに。私なんかには分不相応な願いをしたから、全て手から零れ落ちてしまったんだ。


「なーに? それ、旦那サンの名前? 買われた先では口にしない方がいいよ。他の男の名前を出されて、嫌がられても喜ばれても、奥サンにとって悪いコトにしかならないからねー。極端なプレイとか、嫌っしょ?」


 もう、この人が何言っているのか理解出来ない。したくないから。


 私はただ目を閉じる。何も見たくない。少しでも、愛しい旦那様と可愛い息子の顔を記憶に残したい。目の奥に写ってくれるうちに、少しでも覚えていたいから。もう二度と会えないかもしれないから。


「しゃーねーなー。ちと奥サンも酒飲むか? 気が紛れるぜ?」


 すぐ近くで、お酒の匂いがした。目を開ければ、私の口元に瓶の口がある。そこから香る、甘ったるいようなくどい刺激臭。私を殺す――毒の臭い。


「やめてっ‼」


 私が身を捻るのと、馬車が大きく揺れたのは同時だった。轟音が聞こえたと思いきや、私は倒れて、再び頭を床板に打ち付けそうになる。


 ――やだ、やだやだやだやだやだ!


 もう死にたくない。事故に遭いたくない。だけど――その衝撃は柔らかかった。そのクッションはとても小さくて、少し汗臭い。私の頬に添えられた手も小さくて、むちむちとしっとりしていた。


 私が目を開くと、ふわふわな金髪が天使のような男の子が、甘い瞳に涙をいっぱい浮かべていた。着ている水玉のトレーナーは、今朝私が着せたもの。


「まま!」

「ひ、ヒイロくん……?」

「まま……まま。ままあああああああああ!」


 その目はあっというまに決壊した。私の頭を抱き込んで、わんわんと泣きわめくヒイロくん。ポタポタと大粒の涙とよだれと鼻水が、私の顔を濡らしていく。


「な、いきなり……どこから現れたこのガキ⁉」


 さっきまで流暢に話していた男の人が、ナイフを取り出す。その切っ先を見て、私より先に動いたのはヒイロくんだった。


「ままをがえじでっ!」


 ママを返して――ヒイロくんが叫んだ瞬間、視界が赤く染まる。とっさに私は再び目を瞑っていたようだ。体が投げ出され、ぬかるんだ上に転がる。未だ縛られたままの体を忌々しく思いながら、私はなんとか首を上げた。


 雪降る林道の真ん中で、馬車が炎上していた。黒い空の下に、白い雪で化粧した木々が映えて見える。だけどそれは、赤々と燃える明かりのせい。転がる私と燃える馬車の回りだけ、雪が溶けて土の地面が見えていた。


 その間に立つ小さな背中は、逃げていく馬の嘶きや火を纏って踊る男の悲鳴を聞きながら、微動だにしない。


「ヒイロ……くん」


 私が呼ぶと、彼はようやく振り返った。その笑顔は、天使のように愛らしい。


「まま、まっててね。わるいやつ、ひいろやっつける」


 そして、ヒイロくんが再び前を向き、手を掲げた時だった。


「やりすぎだ」


 低い声に、私の背中が震えた。白いシャツに麻のズボン。黒い肌に長い白髪が映える私の旦那が、息子のまだ短い腕を掴んでいた。





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