第20話 誤解とママ友①
「お茶に誘われた?」
家に帰ると、ヒイロくんは行き倒れるようにお昼寝を始めた。もう夕方だから、お昼寝とは違うかもしれないけど。でもあんなに雪で遊べば、そりゃあ疲れるよね。今日は夜が長いだろうけど……まぁ、仕方ない。
そういうわけで、ひと休憩しながらジンさんとお茶を飲む。別行動した時のことを話せば、ジンさんが白い眉根を寄せた。
「もう……約束してしまったのか?」
「いえ。ジンさんのお休みの日がわからなかったので、聞いてからと答えたのですが……」
ジンさんの休日は不定期だ。十日以上深夜帰りが続いたと思えば、今日いきなり休みだと言う時もある。なかなかのブラック労働環境で、振り回されるこっちも大変ではあるけれど……何不自由ない生活をさせてもらっている以上、文句は言えないよね。
だから当然、私個人の遊びの約束も、お伺いを立てなければならない。
ジンさんは、いつになく真剣な顔だった。
「行きたい……のか?」
「出来れば……ママ友とか出来たらなぁ、と」
そりゃあ、今日貴婦人ママとお話したけれど。正直、あれ以上仲良くなれる気はしない。だって、ですわよ、だもの。ドレスだし。お茶なんて出されようもんなら、とんでもない豪奢なカップが出てきそうじゃない? 一個ウン十万もするカップなんて使えないから。お紅茶の味とか聞かれてもわからないし。
それに引き換え……サーリャさんとは仲良くなれそうだった。だってバザー愛用しているんでしょ? いい意味で庶民でしょ? 年も近そうだし、洋服の趣味も一緒だし。
「ダメ、ですか……?」
そわそわマグカップを弄びながら尋ねると、ジンさんが視線を下げる。
「俺じゃ……足りないのか……?」
「……はい?」
なんか、会話が成り立っていないぞ?
首を傾げてくれば、テーブルの上に置かれたジンさんの大きな手が固く握られていた。
「た、たしかに寂しい思いをさせて、常々すまないと思っている。帰りも遅い日が多いし、休みもなかなか取れない。だけど、もっと効率よく仕事をこなせるように一層努力をするから! 休みの日も、よりきみを楽しませることを約束しよう! だから、だからどうか。俺のことを見捨てないでもらえないかっ!」
「…………はい?」
えーと? 私はまばたきしか出来ない、よね? なんでジンさんを見捨てるとか見捨てないって話になるの? ただママ友が欲しいな、と言っただけだと思うんだけど……旦那とママ友って、両立できないものだっけ?
「ジンさんジンさん」
「あぁ、なんだ?」
「ママ友って、なんだかご存知ですか?」
「ふ、不倫相手の俗語ではないのか?」
「はい?」
えー……と? どうして同性とお友達になるだけで、そんな婦人雑誌の記事みたいなことになるのかな⁉
だけどジンさんは固い表情のまま、握った拳を震わせているから。テーブルがガタガタいうくらい。だから、私はため息を吐く。そしてちょいちょいと手招きした。
「な、なんだ?」
「ん」
少しだけ顎を上げて、目を閉じる。それでも、聞こえるのはジンさんの疑問符のみ。
「え、どうしたんだ? 顎が痛いのか?」
「………口、貸してあげます」
薄っすら目を開ける。放った自分の声が、思ったより小さい。
ああああああ。そんな美丈夫がキョトンと小動物みたいな顔してないでくださいっ! 可愛いから。今、ジンさんに可愛さを求めてないから!
「口で上手く説明できそうにないので……」
そう、私は合理的な選択をしただけなの。私の語彙力じゃ、語弊なくママ友が健全だって伝えられないかもしれないから。もしかしたら、本当にこの異世界じゃ『ママ友』が悪い意味で使われている言葉かもしれないし。せっかくの以心伝心魔法があるなら、今使わないでどうするの。ほら、私おかしくない。決して、私ジンさん以外の男に興味ないものとか、不倫疑に懸命なジンさんにときめいたとか、そんなことないもの。
「嫌なら、ちゃんと口で――」
説明しますから、と話すよりも早く。思いっきり腕が引かれる。お腹にテーブルが食い込んで痛いけど――オオカミに食べられた方が大事だった。濃厚すぎるくらい甘いから、息をすることすら出来ない。
くらくらするのは、酸欠だから?
薄ら開かれた金の瞳に、射抜かれたから?
本当に呼吸がもたなくなる直前に、ようやく開放される。腰に力が入らず、椅子に吸い込まれた私は肩で空気を取り込んだ。顔を背けたジンさんが「すまない」と乱暴に自身の唇を拭っている。
その仕草だけで、私の胸は高鳴る――が、
「きみの操を疑って、本当にすまないっ!」
と、直後テーブルの上にジャンピング土下座をかましてきた。
私の心臓とテーブルは、色々な意味で持ちそうにない。
こうして、私は無事にお茶会を許可された。
サーリャさんとのやり取りはジンさんが代行してくれた。この世界ではメールなんて便利なものはないから、普通にランクルの町に行ってサーリャさんと会ってきてくれたらしい。お仕事忙しいのに、申し訳ない――そう謝罪したら、ジンさんは笑った。
「案ずるな。妻が友達になろうとする者を、俺も知っておきたかっただけだ」
そして、今日。初めて一人『ランクル』の町にやってきた。近くまで魔法で瞬間移動である。うん、ラクでいいけど……物足りないと思うこの気持ちはなんだろうね。
でも、門兵さんにジンさんから借りたコインを見せるだけでドキドキです。
時間はお昼ごはんも終わったお昼過ぎ。あいにくの曇天だから、未だ溶けていない雪も相まって吐く息が白い。邪魔になるかとマフラーなどを置いてきたのが悔やまれる。そもそもまたお団子頭だから首が寒いんだろうなぁ。でも、同じ髪型の方が親しまれるかとも思ったんだよね。特に子供ウケ。
「あ、お団子の奥様。今日はご主人と一緒じゃないんですか?」
「え、えぇ。家で息子をみてもらってます」
うん、門兵さんウケも悪くなかった。でも我ながら、微妙に会話が噛み合っていない気がするなぁ。門兵さんは気にしない様子でしみじみ笑ってくれるけど。
「あの旦那が子煩悩ねぇ」
そうして開けられた門を潜ると、橙髪の見覚えのある姿が二つ。
私の名前は、ジンさんが教えておいてくれたらしい。
「ミツキさん!」
「サーリャさん!」
久々だからか、名前を呼ばれただけでテンションがあがる。
私が駆け寄るよりも早く、駆け寄ってくる小さな少年。その子は私のスカートにぐりぐりと鼻水を押し付けてから、「いらったい!」と満面の笑みで見上げてきた。
「こんにちは、リュカくん」
彼の欠けた前歯に思わず吹き出し、私は少しごわごわしたざんばら頭を撫でる。
慌てて近づいてくるのは、そばかすが可愛い三編みのお母さんだ。
「本当いきなりすみません……この子、誰に構わず近づいちゃって……」
「いえいえ。うちのは逆に人見知りだから、嬉しいくらいですよ」
そうして案内されたのは、門からすぐ近くの家だった。砂色の壁がひび割れて、タイルが覗いでいる一つである。
「すみません……うち、こんななんですけど……」
「あ、いえ。大丈夫ですよ!」
内心謝るのはこっちの方だ。初めて見た時、地震で潰れそうとか思ってごめんなさい。
サーリャさんが玄関を開けてくれれば、中から甘い美味しそうな匂いがした。
家に、靴を脱ぐ場所がなかった。ちょっと申し訳ない気持ちになりながらも、土足で「おじゃまします」と上がれば、リュカくんが「けーきー」と私の横を駆け抜けていく。
サーリャさんが頬のそばかすを擦りながら苦笑する。
「あ、おやつにケーキ……焼いておいたんです。もし宜しければ、どうですか?」
「わぁ。もちろんいただきます。これ、宜しければ」
私も手土産を渡す。中身はクッキーとのこと。ジンさんに買ってきてもらった。南の国で最近流行っているお菓子屋さんの品らしい。なんかこんな感じのと、例の如くキスして伝えた結果、一番私のイメージに近かったのがそれだったとか。だから、多分大丈夫なはず。
可愛らしい花柄の紙袋を、サーリャさんは「わぁ」と受け取ってくれる。
「こ、こんな立派なの……貰っちゃっていいんですか⁉」
「えぇ、もちろん。大したものじゃなくて申し訳ないんですけど……」
「いえいえいえいえいえ! ねぇ、リュカ。すごいの貰っちゃったよ! どうしよう、当分飾っておく? 開けるのがもったいないねぇ」
いやいや。そんな大げさな。
だけど、こんなに喜ばれて嫌な気はしないよね。気恥ずかしくて、つい余計なことを喋ってしまう。
「ジンさ……旦那に買ってきて貰ったんです。少し遠い場所のお店らしいんですけど、詫びだから構わないって頑張ってくれて」
「詫び?」
私が振り返ると、まだ扉を押さえてくれていたサーリャさんが小首を傾げていた。垂れた三編みが可愛いな。
「今日のサーリャさんに会うことを、不倫だと思ったらしいんですよ。なんか仕事の先輩が『女はこうして旦那に嘘吐くのよ』と、余計な入れ知恵をしていたようなんですけど」
そう――あの盛大な勘違いの発端はシュートメさんだったらしい。どうやら、私と共同生活を始めるにあたり貰った助言の中に『子供を置いて女友達と遊んでくる――と言ってきたら、気をつけなさい。相手が本当に女だという保証はないわ』というものがあったらしく。
一連のことの報告を受けたシュートメさんは「アタシも詫びに行くわ~」と大笑いしていたと、ジンさん談。
そのことを思い出して、私は簡略しつつ話す。当然、笑いは隠しきれない。
「本当、それを間に受ける旦那がどうかとも思うんですけどね。でも、変な勘違いした旦那からのお詫びらしいので、遠慮せずに受け取ってください」
「……面白い旦那さんなんですね」
「えぇ、本当に」
それはそうとしても、帰ったらきちんとジンさんにお礼言わないと。
こんなこと話したよって報告したら、どんな顔をするのかなぁ。
浅黒い肌の立派な美丈夫の顔を思い浮かべながら、私は改めてサーシャさんのお宅に入らせてもらった。
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