第16話 おひとりさまと子供服
焦げ目が付くまで焼かれたパン粉とマスタード風味たっぷり皮がザクッとしていた。甘い匂いは何重にも塗られただろう蜂蜜のおかげ。その下のお肉はふんわり柔らかく、甘辛い皮とは違いクセの少ない旨味が、肉汁と共に口の中を魅了する。何より最高なのは、そんな大きな肉をどーんとモチモチの薄皮パンでクレープ状に挟み、外を歩きながら齧りつけることだ。見た目もレタスや薄味のポテトサラダ、薄切りプチトマトが入っており、お肉だけでもインパクトあるのに、とても色鮮やか。
「このディアボロチキンは西の国で近年発表された料理だ。西の伝統的かつ丁寧な調理工程を得て作られたレシピを、さらにこの店は手軽に提供できるようアレンジしている。似たような食べ歩き用の調理肉を販売する店は多くあるが、味や見た目、話題性等、ここまで気を配った店は他にない。人気が出るのも納得の経営努力だな」
ジンさんが雄弁に語ってしまうほどのお肉に、ヒイロくんも往来の店の脇でかぶりつく。当然、石畳の地面にしゃがんだ私が食べさせているんだけど、彼のお口のまわりはくわんくわん。すでに洋服もタレでベタベタだった。まぁ、そんなヒイロくんが満面の笑顔で「おいちー!」とほっぺに手を当てているから、いいんだけどさ……。
周囲の建物の雰囲気は一変していた。白く綺麗に塗られた壁を、黒っぽい頑丈そうな木が支えている。そんな白と黒のコントラストが美しい町並みは、まるでオシャレ雑誌の中のよう。このお肉は面で店を構えていた所で買ったけれど、軽く見渡すだけで同じようにパンや果物、お菓子を売っている店がやまほどある。看板代わりであろう三角の旗が、それぞれカラフルでにぎやかだ。店員の声掛けの声もあって、私たちも自然と少し声を張る。
「よくジンさんも食べるんですか?」
「そうだな……昔はよく食べていたな」
「昔?」
足が疲れたので立ち上がって、ヒイロくんの食べ残しを、私が食べる。うん、美味しい。でも確かにこれは食べにくいわ。口の端に付いたタレを舌で舐めていると、私を見たジンさんが苦笑した。
「今は、きみが美味しい食事を用意して待ってくれているからな」
そして、ジンさんの顔が近づいたと思いきや――私の口の横をペロッと。
え? あ……舐められた? 舐められた‼ なんで⁉
ちょっとジンさん。何嬉しそうな顔で「美味いな」と自分の唇も舐めているんですか⁉ もうすでに自分で一本食べているでしょ。ほら、ヒイロくんも「ひいろもー!」て騒ぎ出しましたよ! 行き交う人々やお店の人たちも、こっち見てニヤニヤひそひそしているじゃないですか⁉
――あまりの恥ずかしさに、私はアワアワ何も言えないんですけどね⁉
ヒイロくんがずっと私のスカートを引っ張るから、仕方無しに再び屈む。そしてヒイロくんもペロペロと私の顔を舐めだした。美味しいか。美味しいですか。くそぉ、ヒイロくんの方が何倍も美味しそうだぜこんちくしょー。
そんなやり取りをしていると、お肉を買ったお店のオジサンがニヤニヤ近寄ってくる。
「はい、これサービスね。美味しそうに食べてくれてありがとう。また来てね」
肌の白い小太りのオジサンに手渡されたドリンクは、酸味の強い葡萄ジュースのようだった。夕飯用にまた三本お肉を買い足したことは言うまでもない。
他にも焼き立てのパンとか、アイスを一通り食べて、私たちは他の通りに出た。しっかり舗装された川……水路っていうのかな。それに沿って並んだ店は、全部服飾店のようだ。ディスプレイされたマネキンは、水玉模様が多かった。流行っているのかな?
そのガラスをペタペタ触るヒイロくんを「だめだよー」と抱き上げつつ見ていると、ジンさんが言う。
「そういや、先輩からの言付けがあった――『だいたい、この『ナハトーム』の文明レベルは近代ヨーロッパといったところヨォ。電気とかの動力源は魔法だから、日本とは異なる点も多いだろうけど……でもそこまで不便することもないだろうからァ。マ、旅行に来たと思って楽しみなさいネェ』とのことだ」
「それ、シュートメさんの真似ですか?」
ジンさんの言う『先輩』は、シュートメさんのこと。
その似せようとする心意気はわかるけど全然似ていないモノマネに私が笑いを堪えていると、ジンさんが照れて視線を逸らす。
「もう二度としない」
「ぷっ……」
その発言に、私の我慢が決壊した。涙が出てくるくらい大声で笑っていると、ジンさんが無理やりヒイロくんを奪ってくる。そして私の首にお財布を掛けてきた。
がま口である。豪奢な刺繍が見事な大きめのお財布……というより、大きさはポーチに近いかも。ずっしりとした重さに、思わず私は猫背になる。
「それで好きな服でも買ってくるといい。財布ごと渡せば、店員が会計してくれるだろう。俺はヒイロと散歩している」
「いいんですか?」
「たまには気晴らしも必要だろう?」
そう言い残して、ジンさんはヒイロくんに「パパと二人で遊ぼうなぁ」とズカズカ走って行ってしまう。肩車されたヒイロくんはガタガタ揺らされて「はやーい」と喜んでいるから、まぁ大丈夫なんだろう。
ぽかんと、一人になるのは本当に久々だった。
「お買い物か……」
本当、何ヶ月ぶりなんだろう? 指折り数えて……七ヶ月?
昔も受験だったり家事だったりで、『自分の好きなものを買う』なんて機会はほとんどなかった。だけど、家計を預かり食品や参考書は買ってたからなぁ。お金を預かっただけで、なんだかそわそわしちゃう。
「どう、しようかな……」
とりあえずお財布をポシェットのように斜めに掛け直し、通りを歩いてみることにした。女性服。紳士服。雑貨屋さん。手芸屋さん。もしかしたら違うのかもしれないけど、ぱっと見たところ「え、なにこれ⁉」といったお店は見受けられない。女性服でも、マネキンの着る服装の雰囲気で対象の年代もなんとなくわかる。その中で、これ可愛いなぁて思うお店もあるんだけど……。
「うっ」
……入れない。ちょっとお店の中を覗くだけで、姿勢を正した店員さんにニコリと微笑まれてしまうのだ。一度入店したら「どのようなものをお探しですか?」とマンツーマンで接客されてしまうこと間違いなし。どこのお店も品があって、客が雑多しているなんてことないんだもの。どこのブランド品店かっての。いや、この世界のブランド店なのかな。そんな上流階級のお買い物なんて、一人じゃ無理だってば……。
また小綺麗なお店を覗いてみれば、わざわざ店員さんが中から扉を開けて「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。それに「いえ……」と愛想笑いを返して、私がすごすご逃げるのみ。でも、お店もお店だよなぁ。私みたいな庶民じゃなくて、もっとお金持ちそうなお客を選べばいいのに。
だって、すれ違う人々の中には、いかにもなお貴族様もたくさんいる。アントワネット風な豪華なドレスを着て、ちょこんと帽子を被ったり、自分はふわふわな扇子だけを、そして従者に鞄や荷物を持たせたりしているような人とかさ。まぁ、他にも私みたいな比較的普通の格好をした女性とか、いかにもお仕事中の割烹着やメイド服を着た人とか。他様すぎる。
髪や目の色もビックリするくらいカラフルだしさ。一種のコスプレのようで、まさにファンタジー。さすがにエルフや獣人はいなさそうだけどね。人間だけ。
ひとえにドレスといっても豪華絢爛なタイプもあれば、身体のラインを強調するセクシータイプもあるみたい。確かジンさんが、ここは貿易の町って言ってたから、いろんな国のオシャレさんたちが集まっているのかもしれないね。
でもさすがに、ジンさんみたいな肌が黒い人はいないなぁ。男の人も多いけど、あんな美丈夫はどの世界もそうそういないみたい。あと、日本人のような黒髪黒目もいないかも。たまに私を見て「おぉ」って顔をする人がいるけど、邪険にされたり嫌悪感を覚えるわけではない。「へぇ」って、お互い様な感じ。だからか、私も居心地の悪さはないんだ。
だから、余計にね……。
「はあ……情けない」
さっきの『客を選べばいいのに』って愚痴が言い訳にもならないことに気付き、己の不甲斐なさに落ち込むのみ。
とうとう私は俯いたまま、とぼとぼ歩く。不規則な石畳もファンタジーだった。だって、日本の地面はコンクリートがデフォだもんね。灰色の真っ平ら。たまにマンホールや目の見えない人用の凸凹があるけど、どれだけ元の世界が歩きやすかったか思い知らされる。
水路の水面もキラキラで、ゴミは一つも浮いていない。清掃が行き届いているというより、水路にゴミを捨てるという風趣がないんだろうな。だって町にも落ちてるゴミなんて一つもないもの。買い物一つ出来ない私の存在の方がゴミのようだ――
「とか言ったら、ジンさんに申し訳ないか」
ジンさんの用意してくれた服を着て。少し浮かれた私に「似合っている」と言ってくれて。
あの浅黒肌の長身美丈夫の奥様が、お団子頭の私らしい。
「ふふっ」
笑っちゃうよね。こんな冴えない女の子が、あんなハイウッド俳優顔負けイケメンの奥様ですよ。どこの世界に、そんな不釣り合いな夫婦がいるんだか。しかも旦那様は精霊で、元勇者らしいのです。すっごいね。本当にファンタジーだよ。
……普段は育児で目一杯だから、気にする暇もないけどさ。
「お?」
いつの間にか、通りも端っこの方に着いていたらしい。綺羅びやかな店構えがだんだんと減って、露天が増えてきた。地面の上に商品が雑多となっている様子は、まさにバザー。
その中で、私の目に止まったのはひときわ小さな洋服の品々だった。
「ヒイロくんの服か……」
当然、今までのヒイロくんの服も全部ジンさんが出してくれた物だ。例に漏れず
「こんなのが欲しい」と言えばチューして指パッチンするシステムである。だから私の理想通りの服を着てもらえているわけだけど……やっぱり、頭の中から自動的に出てくるのと、目の前の数々から自分でチョイスする楽しみは、大きく異なるわけで。
「よしっ」
私は特にごちゃごちゃと置かれた子供服の山を漁りだした。地面に座布団を敷いて座っている店員さんが、物珍しそうな目で見てくる。ちょっとボサボサした緑の髪を帽子に隠したオバサンだ。
「……二歳の男の子の服ってありますか?」
おずおず尋ねてみると、オバサンの目がカッと大きく開かれる。そして、急にニコニコ笑い始めた。
「それなら、こっちの方かねぇ」
「ありがとうございます」
まぁ、邪険にされないならいいや。
教えてくれた辺りの服をゴソゴソ漁っていると――チェック模様のモノクロズボンを見つける。あ、これヒイロくんに似合いそうだな。金髪ふわふわのイケメンくんだから、洋服はシンプルな方が似合うと思うんだよねぇ。でも本当はキャラクターものの方が喜ぶのかなぁ。でも、この世界にヒーロー戦隊とかなんとかマン的なキャラってあるの?
そんなことを考えながら、山からチェックのズボンを引っ張ると――そのズボンが横に引っ張られる。
「ん?」
自然と横を見やれば、私と同年代くらいの女の子がいた。くすんだ橙の髪を二本の三編みにした、そばかすの子。ゆったりしたワンピースに、前にギャザーが入ったエプロンを付けている。
そんな子と同じ洋服を掴んで。お互い目が合って。
『あ、ごめんなさい!』
謝罪も、ズボンを手から離すのも、同時だった。だから思わず吹き出すのも同時だ。
私たちがくすくす笑っていると、声を掛けてくるのは店主のオバサンだ。
「ちょっとサーリャ。あんたは他にしてもらえないかい?」
「え、でも……」
鋭い指摘に私が顔を上げると、オバサンはとても険しい顔をしていて。だけど私と目が合うや否や、またニコニコと笑い出した。
「ほ、ほらぁ。サーリャはうちと顔馴染みだからぁ。ね? ほら、そーでしょ⁉」
「それは、まぁ……」
そんな時、サーリャと呼ばれた彼女の向こうから、可愛い声が聞こえる。
「おかーたーん」
――お母さん?
ちょっと身体を傾ければ、馴染みある背丈をした男の子がいた。ざんばら頭は、彼女と同じ橙色。黄ばんだ服を着た男の子が、彼女の腕を引っ張っている。うん、子供の服はよくシミになるよね。どうしてってくらいよく食べ零すんだ、これが。
親しみは、さらに募る。
「ちょっと待ってよー。リュカ大きくなったから、新しいお洋服を買おうとね――」
「いやーっ!」
「でも~」
「いーやーっ‼」
そのやり取りに、私は再び笑ってしまう。どこもこのくらいの子は同じようなもんなんだね。だから、私はチェックのズボンを彼女に差し出した。
「これ、どうぞ?」
「え、いいんですか?」
だって、私はまたジンさんに出してもらえばいいし。
そんなことは決して口にしないけれど、子供連れの買い物は考えただけで大変だもの。私はゆっくり他を探せばいいし。露天はまだたくさんありそうだしね。
なんてやり取りしていると、
「ままー!」
遠くから泣き声が聞こえる。それに振り返れば、私自身がビックリした。
少し離れた場所から、泣きわめくヒイロくんを抱っこしたジンさんが近づいてくるのだから。自分の子供の声だけ、なんでこんなにはっきりわかるんだろう。
「す、すまない! ママがいなくて寂しいと、泣き止まなくなってしまって……」
久々に見た困り顔にジンさんに、思わず私は笑顔になる。
「それじゃあ、サーリャさん。リュカくん。またね」
そう挨拶して、私は立ち上がる。お任せください。息抜きが出来た分、またママを頑張りますともよ!
「少しは楽しめたか?」
「えぇ」
私は満面の笑みを返して、ひっぐひっぐ顔を真っ赤にしたヒイロくんを譲り受ける。
背中に聞こえたオバサンの舌打ちが少し気になったけど――ヒイロくんに「ままー」と抱きつかれたから、すぐにどうでもよくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます